<Ⅸ骨>
五日目の朝、午前十時。
朝食を済ませ、コンディションも、おおかた問題ない。
天気は快晴。日差しが眩しい。
沙耶に五個の肋骨を持たせ、オレは残りの七個を持っている。
自転車は沙耶が弟のを、オレが後輩マサルのを使うことになった。
今日の沙耶はデニムのパンツスタイルとキャップ。髪は帽子の中にまとめているようだ。自転車移動でもある。無難なところか。
オレの後ろ、荷台の上に立った骨魅はショートパンツにピンク色のキャミ。髪を後ろで二つに縛っている。一桁歳児スタイル。
オレはTシャツにジャージ――いちいち言うまでも無い。
「それじゃ頼んだからな」
「失敗はしないわ」
「あと、なんだ、沙耶。……オ、オレにはおまえが必要だ」
「反吐が出るわ」
ピッチャー構えて、センターへ大暴投。
顔が熱くなった。
オレは後ろの骨魅を半眼で睨む。
「……き、きっと照れ隠しです」
「とんだヤマアラシだな」
沙耶がそんな可愛い性格だったら、オレはきっと恋をする。……かもしれないが、瞳の奥にハートマークを描くのは、借金を返済したあとにでも考えればいいことだ。
オレは気を取り直して、ペダルに足をかけた。
「それじゃあ、行くぞ!」
掛け声とともに、勢い良くペダルを漕いで、いざ発進!
「弘蔵」
しかしオレは、一メートルも進めなかった。
自転車の後輪が、べなべなーと力なく滑った。
「ひぃゃあっ」「んごぷっ!」
バランスを崩した骨魅に首を絞められて、危うくもう一回死ぬところだった。
「弘蔵、待ちなさい。後輪がパンクしているわ」
「早く言えよ!」
「教えようと努力はしたのだけれど。ま、別にいいか、と」
「途中から諦めてんじゃねえか。つか、離せ骨魅」
骨魅を振りほどいて自転車を降りる。
後輪のタイヤが潰れていた。
「幸先のわりいな……」
「はっ、早く直しちゃいましょうっ」
「そうだな」
オレは自転車店の場所を記憶から掘り起こした。
商店街の一角の自転車店。
あまり自転車を使わないオレの印象に残っていたのは、何故か古びた自転車店だった。
昔はバイクを取り扱っていたらしい看板が残っている。
《サイクル近藤》
そこでは店の前で老人が自転車を弄っていた。人骨に鳥皮を被せてしわを作って、ポロシャツを着せると、それでだいたい印象は合っている。
案の定耳が遠く、挨拶の言葉に帰ってきたのは「ことし八十になるけぇ」だった。
その後、老人の年齢を六回、孫の年齢を十二回、最近の体調を三回、ウォーキングが健康の秘訣と四回、趣味の釣りについて二回、ここが自転車店であることを三回聞いて、
「とても話が弾んでいるわね。あの世が近いもの同士、気が合うのかしら」
「すまん。……少しムキになった」
気が付くと時刻は午後一時を回っていた。
別の店を探すため、その場を後にしようとしたとき、店の奥から、老人の息子らしき中年の男が出てきた。ようやくパンク修理をやってもらえると、安堵の息をついたのもつかの間、中年の男は老人が弄っていた自転車の修理が済んでからなら、と言った。
オレの自転車のパンク修理が終わるのは早くても三十分後……。
パンク修理を終えたオレたちは、焦りつつも体調は万全だった。
時刻は《午後二時三十分》を回った。
返済期限は《午後三時二十分》だ。残り五十分もない。
「気を取り直して、行くぞ!」
時間が勿体無いので、即スタートだ。
オレたちは、とにかく走った。
地図に従って八個の肋骨を置いていく。
空き地、駐車場、駅ビルの屋上、市民プールの裏手、緑地公園の中、池、墓場……。
全ての肋骨を置いた時、携帯を見ると《午後三時十分》の表示。
沙耶との合流地点の河原へ向かう。
オレが沙耶に合流することにしたのは、トルネードの後を考えてのことだ。
肋骨の神気は霊を寄せ付けないが、その効力は使い捨てだと言う。トルネードの後、沙耶を死霊の中に置くわけにはいかない。
肋骨と一緒に大半の神気を抜かれたとはいえ、霊が逃げる程度の神気はまだオレの中に残っているらしい。返済が終わった後は、そのまま一緒に町の外に出ればいい。
最終地点の河原に着いたとき、携帯のディスプレイは《午後三時十六分》を表示していた。
「――かっ。なに!?」
足が空を切った。ペダルの手ごたえがない。
慌ててブレーキをかけて、見ればチェーンが力なく垂れ下がっている。
時間が惜しい。
今は最後のトルネードで沙耶が視界の中にいればいい。死霊の中に沙耶を置くことさえなければいい。
オレはその場に自転車を置き、骨魅を担いで走った。
広い川を長い堤防が縁取る。川岸はコンクリートで固められ、土の気配は無い。
太陽の照り返しが、容赦なく肌と目を焼いた。
息はとうの昔に切れている。
暑さに霞むコンクリートの上をただ走った。
骨魅がオレを呼んでいる。もう言葉は理解はできなかった。
白い岸には黒髪の少女ともう一つ、小柄な人影。
「いましたっ、沙耶さん……、と誰でしょう?」
携帯の表示は、《午後三時十九分》。
土手から岸へ続くスロープを下りる。
足がもつれた。
オレは直感のまま、骨魅を胸に庇う。
目の前には、空。
数歩先には、川。
――一つ積んでは……
死んだ直後に訪れた川では、少年が石を積んでいた。
思えば、あの川は、どこかおかしかった。
いや、あの川から全てが狂っていた。
意識を取り戻したオレは、神気とかいう妙な力でトルネードを起こし、死神幼女があの世からついてきた。
悪魔がこの世に現れた。
魂の対価を金で換算するようになった。
街に霊が溢れ、霊能者が翻弄された。
狂っていない世界はどうだった?
オレはトルネードなど起こさない。
三途の川には電飾の船など無い。
死神は幼女などではない。
田中は課長などではない。
死霊は街に溢れない。
神様など、どこにもいない。
霊能者など、どこにもいない……。
狂ったものはどこかで調整され、いつか正常に戻るのだろう。
オレもその調整役として、奔走しているに過ぎないのかもしれない。
上下が交互に入れ替わっていることを理解したのは、三回転の後。
そして「回転を止めないとなあ」と考えた時――。
後頭部に加わった破壊的な打撃に、オレの意識は刈り取られ、ぷっつりと暗転した。
意識は十秒の時を飛び越える。
次に見たのは、川の中に倒れている男だった。
男は後生大事に、幼い子供を抱えていた。
間抜けな野郎だ。ハハハハ。
――なんて言うオレは、それでも一言、つぶやいた。
「トルネード、チャンス」
――街に最後の風が吹いた。




