唯一真面目な導入
この世で最も恐ろしいものとは何か。
このような随分と思わせぶりな文章から始まる小説は大概がファンタジーであると相場は決まっている。
他ジャンルの小説では、寒い冬の朝に名残惜しいベッドから這い出て、苦いエスプレッソで体を温める場面から始まる。「どうして俺は辛い寒さを克服するために苦味という苦痛を感じねばならぬのか」と逃げ道のない人生の不条理を表すありがたい日常生活からまず始まるのである。
しかし、ファンタジーは別である。現実的日常から離れるために、まず飲みもしないお茶を濁すことから始めるのだ。フィクションというのは過剰に濃く苦いか、異様に青臭く水っぽいかのいずれかである。
実際にはこの物語はノンフィクションに分類されるべきであると思うのだが、残念ながら書き出しは既に「この世で最も恐ろしいものとは何か」というとてもハイカラな問いかけから始まってしまっている。なので、この物語はファンタジーに分類されるだろう。
また、ファンタジーのうちでも大変よく澄み切るように濁らされた類の物語である。
よく言えば、後味がとてもすっきりするような清涼飲料水のような物語である。エスプレッソも抹茶もミルクティもこの物語にそぐわないだろう。
さて、人の心をつかみ損ねる導入はこれぐらいにしておこう。
この世で最も恐ろしいものとは何か。これは十分に哲学的な問である。答えは謎である。
哲学というものは「無知の知」の学問であり、2000年もの間ありがたがられ、諸学の女王とまで称されたこともある。
しかし、不思議なことは哲学が売り物になるということである。無知が売り物となるのならば、私たちはみんな億万長者になっているはずだが、現実はそうではない。
恐ろしさとはこのようなものかもしれない。