終末の空想
例えばの夢の話をしよう。
怯えた目で、指先で、彼女は呟く。
これはこうだったら良かったんじゃなかろうかと提案を投げかけられるわけだ。
しかし、事の終わりは数年前に遡る。
その間、己で完結し、過ごしてきた自己解釈は、一体どうなると言うのだろう。
皮肉を込めて相手を睨み、私は口を、目を閉ざす。
怖かったのだ、恐ろしかったのだ。
同時に、嫌に陳腐な事柄で悩み、苦しみ、もがいてきたことにも、気が付いていた。
余白の白い隙間から、私はいつだって覗き、見て、考え、そして達観していた、傍観していた。
私は怖かった。
私は逃げ続けた。
立ち向かうとは何か。
女というものに問いかける。
向き合い、声を零し、ぶつけて、争う。
争い事は嫌いだな、なんて小さくなって笑うように泣いた。
例えば、争いが平和の礎となるのなら。
立ち向かうものを男と定義する。
私が立ち向かうなどと、不可能に等しかった。
何故なら私の両の手は、からっぽだからだ。
素手を振り回そうものなら、肩からごそりと削げ落ちてしまう。
それほどに、私は脆弱だった。
私は私を殺したいと思う。
私は私を要らないと思う。
壊れやすいものというのは、見ているだけでも恐ろしいものだ。
なら私は、先に壊してしまうよ。
ほら、そこの高いところから、手を離すだけだよ。
意識の落ちたところには何があるのか、私には未だわからない。
でも、私は、終わりを見に行こうと思う。