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5 おばちゃん VS トスナル

 薄い青色の作業服を身に着けた、そのおばちゃんは、トスナルのところへ猛然とやって来た。よく見るとその後ろには、眼鏡をかけた額の広い中年のおじさんが、金魚のフンのようにくっついて来ている。


「ちょっと、そこの黒いお兄ちゃん。悪戯いたずらしてんじゃないわよ。しかも、猫まで連れこんで!」

 おばちゃんが、すごい剣幕で怒鳴りつけるのを、金魚のフンがなだめにかかる。

「まあまあ、黒田さん。そんなに怒らずに……。や、これは藤山さんと間宮さん」

 おじさんが、深々と頭を下げる。脂ぎった広いおでこが、きらんと光った。


「あら、藤山さんに間宮さん? 気が付きませんでしたわ。これはすみません。で、この人たちが何かやらかしたんですか?」

 おばちゃんが疑わしい目で、トスナルをにらみつけた。慌てて首をぶるんぶるんと振る、トスナル。

「違いますよ、黒田さん。この人たちは、探偵事務所の方。こちらでお願いして、ある事を調べてもらっているんです」

 間宮が、落ち着き払った声で云った。


「あら、探偵さん? 私、初めて見たわ……。へえー、これが探偵さん?」

 おばちゃんが、珍しそうな目でトスナルの黒ローブをいじり始めた。クンネは尻尾の毛を逆立て、おばちゃんに今にも咬みつきそうな勢いだ。

「こちらが、駅の掃除業務をお願いしている会社の社長さんで、蔵波くらなみさん。そしてこちらの女性が、作業員の黒田さん」

 トスナルたちに、二人を紹介する間宮。蔵波のおじさんが、ぺこりとお辞儀した。

 その隙を突き、トスナルは急いで水晶玉をポケットにしまいこんだ。そして、おばちゃんから逃れ、京子を盾にして隠れた。

 京子がまるで子どもをかばうお母さんのように、仁王立ちでおばちゃんをにらみつける。


「で、この方たちは、『掃除器具室』に、何か御用なので?」

 京子と目線をバチバチさせる、おばちゃん。

「掃除器具室? その壁が?」

 トスナルが京子の背中からひょっこり顔を出しながら、不思議そうに訊ねた。

「そうですよ、ほら」

 黒田のおばちゃんは、ずかずかと白い壁に近寄ると、右手の人差し指を、良く見なければ判らないくらいの壁の隅の四角い切れ目に、ぶしっと押し当てた。


 ウイーン……

 モーターが動く音がして、壁が左に動いていった。自動ドアの、動き。

 扉の向こうにあったのは、モップや掃除機などの掃除道具がずらりと並ぶ、うす暗い小部屋。

「最近は、こういう物置きも見た目にもこだわって、判り難くしてるんですよ」

 間宮が、得意のニヤニヤ顔で云った。


 先程までお母さんのようにトスナルを庇っていた京子が、トスナルに咬みつく。

「ちょっとどういうこと? あんたの魔法は、こんなことも見破れないわけ?」

「い、いや、そんなはずでは――。ちょっとぉ、間宮さん、それならそうと早く云って下さいよ!」

「だって、さっき云おうとしたら、『ご心配なく』って、ボクに何も云わせなかったじゃないですか」

 楽しげな、間宮。あきれ顔の藤山が、話題を変える。

「ところで、蔵波さんと黒田さんは、今日はどうしたんですか?」

「ああ、そうでした、そうでした」

 蔵波に、皆の視線が集中する。ほっと胸を撫で下ろした、トスナル。


「この黒田が申しますには、この器具室に、近頃『クモ』がやたらと出て困るということなんです。クモって、空に浮かぶ雲じゃなくて、八本足のクモですよ」

「クモ?」

 京子の顔が、自然と引きつる。おばちゃんも、負けないくらいのイヤな顔をした。

「それで、あんた社長なんだから何とかしなさい、と云われましてね……。社長だからって、クモを退治できるとは思いませんが――」

 恥ずかしそうに顔を赤らめる蔵波に向かって、黒田のおばちゃんが吠えた。

「だって、クモですよ! 足が八本もあって、むにょむにょと動く、あのクモですよ。そんなのがいたら、仕事になる訳ないじゃないですか」

 これには、さすがの京子も、敵対関係のおばちゃんに対して納得せざるを得なかった。うんうんと、頻りに首を縦に振っている。

「ということで、ここに私が連れて来られた訳です」

 蔵波が、情け無さそうにうつむいて云った。藤山と間宮の同情混じりの目が、蔵波のテカテカ光る額に注がれる。


「……じゃあ、とりあえず見てみましょうか?」

 藤山が、蔵波を盾にして、肩を抱くように壁の前に進み出た。部屋を覗き込む、二人。

 次は、京子が藤山を盾にしてオソルオソル部屋を覗き込む。そして、更にその京子を盾にして、左目だけチラリと部屋を見たのはトスナルだった。クンネは興味なさそうに、大欠伸おおあくび

 小部屋を覗かずに、面白そうにこの人たちの動きを見ていたのは、間宮だった。黒田のおばちゃんは、遠い所からオロオロするばかりだ。


「あっ、いた!」

 藤山が、天井から垂れた糸にぶら下がった一匹の大きなクモを指差した。カミナリ様のパンツを穿いたような、黄色と黒の縞々(しましま)模様。雪だるまのおばちゃんは、するすると更に遠くに離れていった。

「捕って! 早く!」

 おばちゃんが、金切り声をあげて叫ぶ。ただ困ったような顔をしているだけの蔵波に代わり、藤山がそこに掛けてあったほうきでクモを落とした。何処かへと素早く逃げていく、クモ。


「もう大丈夫です。いなくなりました」

 藤山の声を聞いて、黒田のおばちゃんが器具室に駆け寄って来る。そして、恐々(こわごわ)と部屋を覗き、クモがいないのを確かめた。

「ああ、良かった良かった――。最近、ほんとにクモが多いんですよ。私のの家にも……。ま、それはいいとして、とりあえず仕事しますから」

 おばちゃんは急に元気付き、器具室に有った掃除機を手に、さっさと何処かへ行ってしまった。社長が、急いで壁のスイッチをさわり、電動の扉を閉める。


「……社長も、大変ですね」

 藤山が蔵波に声を掛けた。けれど、蔵波にその言葉は聞こえなかったようだ。あっちをキョロキョロ、こっちをキョロキョロ、逃げたクモを探している。

「クモが、気になります?」

 間宮の問いに、社長は団扇うちわを扇ぐように、ぶんぶんと手を横に振った。

「あ、いえいえ、とんでもない」

 むきになって答える蔵波のおでこが、艶々とまた光った。


「あんたの推理も、振り出しに戻ったってこと?」

 京子がふり向き、鋭い目付きでトスナルに聞く。

「い、いいえ、そんなことないです」

 蔵波と同様に、むきになって答えるトスナル。が、急に真顔になると、

「ところで――」

 と、話し始めた。

「この掃除器具室の管理は、誰が?」

「基本的には、黒田さんです。たまに、社長さんもここに来られます。あと、職員では間宮が管理しています」

 藤山の返答に、トスナルは一々、頷いた。


「なるほど……解りました。この水晶玉にかけて、解決です」

「えっ、もう解決なの?」

 大声を張り上げた京子を無視して、トスナルは右手の三本の指を立て、皆の前にズバッと突き出した。人差し指に、中指に、薬指。

「三日です。三日後に、総て解決してみせましょう」

 トスナルの力のこもった声が、空しく地下通路中に木霊こだまする。その静寂を破ったのは、京子だった。

「そこまで云っておきながら、まだ三日もかかるわけ?」

「だって、三日くらい必要なんですもん……」

 京子の激しい突っ込みに、弱々しい声で答えたトスナル。この怪しい雰囲気を壊すべく、藤山が声を出す。

「わかりました。三日後ですね? それでは、三日後の昼に事務室でお待ちしております」

 藤山と間宮が、事務所に帰っていった。後を追うように、そそくさと姿を消す蔵波。


「あんた、ほんとに大丈夫なんでしょうね?」

 京子が眉毛をつり上げ、トスナルの首を締めにかかる。京子の動きが読めてきたのか、トスナルはさっと京子をかわし、胸を張った。

「当たり前です。魔法使いに二言はない」

「へーん、あっそう……。まあ精々がんばりなさい。じゃ、私帰るわね。お疲れさま」

 京子がエレガントな雰囲気を漂わせつつ、足どりは「のっしのっし」と去っていった。


「ふうう――。クンネ、ボクたちも帰るとするか」

 美人秘書を帰宅させた事務所長のトスナルは、まるで一仕事を終えて安堵した大工のような表情を浮かべながら、自分の左肩に向かって云った。けれどそこには、探偵助手クンネの姿が見当たらない。

 クンネは、いつの間にやらトスナルの肩から降り、通路の片隅で丸まって寝ていたのだった。

「やれやれ、役に立つ助手だこと……」

 トスナルは自分の助手をそっと両手で抱きかかえると、通路の階段を上って駅の外へと出て行った。

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