4 現場検証
「ちょっとぉ、遅かったじゃない。もう、かなりの残業なんだからね」
トスナルが桜町駅の事務室に着いた途端、京子は金色の腕時計にガチガチと右手の人差し指の爪をあてた。
事務室のソファーにどっかりと座りこみ、すっかりくつろいでいる京子。その前には、怯えたように小さくなってソファーに座る、藤山と間宮の姿があった。
「途中で、スーパーウイザード三号のチェーンがはずれて大変だったんですよ。まあ、最後は魔法で直しましたけどね」
トスナルは、イラついた京子から雷が落ちないよう、油で真っ黒になった指先を慌てて京子に見せた。黒いフードの奥の、キラリと光る汗。クンネは涼しい顔で、トスナルの肩の上に乗っている。
「と、とりあえず、映像を見てもらいましょうか?」
藤山が、手に持ったディスクを再生デッキに入れる。トスナルは、クンネを肩に乗せたまま、京子の横に腰を下ろした。
やがてモニターに映し出されたのは、駅の地下通路。正面の奥に向かって、上りの階段が見える。画面の右下には、日付と時間がスタンプされていた。
「七月二十日、午後四時二十分。これが重要です」
そう云った藤山の咽喉が、ごくりと鳴った。
やがて画面に現れたのは、一人の女子高校生だった。後ろ向きで顔はあまり確認できなかったが、右手に通学カバン、左手に文庫本を持ち、本を読みながら階段を上っていく。
「うわ、真面目だね。ボクなんか、高校生のときに本なんか一冊も読まなかったよ。……って、いえ、何でもありま……せん」
トスナルが、京子とクンネの冷たい視線を感じて、もごもごと口ごもる。
画面の女子高生は、そのまま階段を上って行き、画面の上へと消えていった。
「さあ、ここからが問題です。今、四時二十一分ですよね? ほら、男の人が来ました」
藤山がそう云うと、スーツ姿の中年男が画面に現れた。男は汗をハンカチで拭き拭き、階段を上っていく。
「では、次の映像を見てみましょう。これは、通路の出口側から映したものです」
藤山は急いでディスクを取替え、リモコンの再生ボタンを押した。
間宮は、せかせかと働く藤山を尻目に、あい変らずニヤニヤとトスナルを見ている。
テレビモニターに映る、通路の出口側からの映像。右下には、七月二十日午後四時十九分の表示。藤山が、口を開く。
「念のため、先ほどよりちょっと前の時間から保存しておきました。ちなみに、映像に記録されている日時は常にシステム的に管理されており、きっちり正確です」
モニターに映っていたのは、誰も通らない階段だけだった。それがしばらく続いたあと、時間表示が四時二十分に変わった。
それから、更に一分が無駄に過ぎる。ピクリとも動かない階段が、あい変らず映し出されていた。全く動かない画面に飽きてしまったクンネが、トスナルの肩の上で、こくりこくりとやり始めた。
(こりゃあ、確かにつまんないね。)
トスナルが欠伸をしかけた、そのとき。画面の奥の階段の踊り場に、人影がようやく映った。
「あ、やっと映った!」
トスナルが楽しそうに叫ぶと、クンネが一瞬目を覚ましたらしく、ビクリと動いた。
人影は踊り場でくるりと向きを変え、階段をこちらに向かって上り始める。次第にその姿は大きくなり、はっきりとその表情まで判るようになった。
「これは、先程のおじさんだわ。でも、女の子が映ってない……」
京子の顔が、引きつった。
「そのとおりです」
藤山は頷いたあと、映像を止めた。真っ暗になる、画面。
首を捻ったまま、ウウー、と唸るトスナル。クンネは、ついに鼻提灯まで出して、スヤスヤ寝ている。
「残り二人の分も、一応、見てもらいましょうか?」
それからの映像の内容も、大体同じだった。ただ、登場人物だけが違うのだ。
本を読みながら階段を上っていった、中年サラリーマンの男と主婦らしきおばさん。どちらも出口側のカメラ映像には、映らなかった。
しんと静まった部屋に、クンネがトスナルの肩からずり落ちて床にぶつかった音が、どさりと響いた。
アイテテテ……
クンネが、寝ぼけ眼で耳の後ろをポリポリと右前足で掻いた。
「……。とりあえず、現場に行ってみましょう。クンネ、目が覚めたのか?」
トスナルが席を立ち、部屋の出口へと向かう。夢から目覚めたばかりのクンネが、慌ててトスナルのあとを追いかけた。
「アイツ、ついにやる気になったのかな」
そう呟いたクンネのあとを、京子たちも追いかけて行った。
トスナルたち一行が、問題の階段通路の所にやって来たのは、事務所を出て数分後のことだった。トスナルはおもむろに階段を一段上りかけたところから後ろを振り返り、監視カメラの位置を確認した。
階段をゆっくりと上っていく、トスナル。長い黒ローブの裾が、時折り階段の角に触れ、ざらっざらっと擦れる音がする。踊り場までやって来ると、ぐるぐると首を回して辺りを探った。
「映らないのは、この辺りだな……」
ぽつり、呟いたトスナルを、不思議そうな顔をして京子と藤山が見つめた。間宮だけが、面白そうな表情を浮かべている。
「何やってるのよ?」
京子の、イライラ声。
「カメラに映らない部分、つまり『死角』を確認していたんですよ、新人秘書さん」
「それで、何か判ったか?」
クンネが、ぴょんぴょんと階段を上っていき、京子の足元からトスナルの所へと駆け寄った。
「ああ、判ったよ。死角の中に、こんな空間があるのがね」
トスナルは、踊り場に上がってすぐ左手にある、幅一・五メートル、奥行一メートルくらいの隙間を指さした。
トスナルをよじ登るようにして、その左肩に跳び乗ったクンネ。
「一台目のカメラの死角は、上り階段の最後十段くらいと踊り場の部分。二台目のカメラの死角は、踊り場の真ん中の部分。犯人が何かを仕掛けるとすれば、この踊り場の出っ張りの部分ですね」
「踊り場の真ん中ということはないか?」
クンネが、トスナルの肩の上で、尻尾をピンと伸ばしながら云った。今にもクンネのヒゲが、トスナルの顔に触れそうだ。
「……恐らくないよね。踊り場の真ん中では、もし被害者が暴れた場合、二台目のカメラに映ってしまう。それに――」
トスナルは白い壁で囲まれた、踊り場のちょっとした空間をじっと見つめた。
「被害者たちは、全員、本を読んでいた。本につい夢中になって、右に曲がるところをまちがって左に曲がり、この空間に入ってしまったとは考えられないだろうか。そこで、何かがおこった……。この壁に何か秘密がありそうですね」
京子たちが階段を上り、クンネを肩にのせたトスナルの周りに集まる。
「ここで、何かが起こったですって? でもここは、ただの……」
間宮がそう云い出したのを、トスナルは右手を振って遮った。
「ああ、ご心配なく。私の魔法で、この白壁の秘密を解き明かして見せますから」
トスナルが、ローブの腰あたりについた大きなポケットから水晶玉を取り出す。
「あっ、それは使えないんじゃないの?」
慌てる、京子。
「ダイジョーブです。昨日の夜、せっせと磨きましたから……。まったく、何処かのドラ猫の仕業には、困ったものですよ」
トスナルは、肩に乗ったクンネの尻尾をギュウと思いっきり握り、とびきりの笑顔で云った。ギャッ、と小さく悲鳴をあげたクンネ。
「それでは、さっそく」
黒革の手袋をはめた左手の掌に光沢が甦った水晶玉を載せ、トスナルが叫ぶ。
「ロセミ、テペスータ! この壁のヒミツを明かせ!」
水晶玉が、青い光を発し、みるみる輝き始める。得意顔炸裂のトスナル。けれど、その得意顔は、燃料切れの車のエンジン音のように次第に消えていった。
「お、おかしいな。どうして何も映らないんだ? こんなはずは……」
あたふたと水晶玉を小突くトスナルに、藤山と間宮は冷たい視線を向けた。
「本当に、あの人は魔法使いなのですか?」
間宮が、京子に訊ねた。
「さあ……、どうなんでしょうねぇ」
京子がそう云って肩をすくめたとき、大きなどなり声が、辺りに響いた。
「ちょっとあんたたち、そこで何やってんの!」
それは、まるで雪だるまが鳥の巣を頭の上に乗っけて歩いているような、そんなおばちゃんから発した声だった。




