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1 黒猫と黒ローブ

 駅から歩いて二十分。町外れの古い三階建てのビルの、うす暗い入り口を上った二階。


『トスナル魔法探偵事務所』


 ドアの表側にセロテープで四隅をとめられ、いつ頃貼ったかわからないくらい黄ばんだ貼紙の上に、消えかけた黒マジックの文字で、そう書かれている。


 夏の西日をめいっぱい受けた事務所の中には、白いソファーに黒いテーブル、ねずみ色の事務机、それと空色の大きなゴミ箱があるきりだった。数少ない調度品のソファーには、暑苦しい魔法使いの黒ローブを着た男が暇そうにふんぞり返り、その横には、やせた黒猫が、だらだらと丸まって寝そべっている。


 ふいに右手の小指を鼻の穴に突っ込み、指をもぞもぞさせる、黒ローブの男。

 引き出した小指の先に張り付いたのは、黒光りする大きな鼻くそだった。

 男は、ニヤリ、不敵な笑顔を浮かべるとそれを指先で丸め、猫にむかって狙いを定めて、ぴんと親指ではじいた。鼻くそは空中で小さな弧を描いて見事命中し、黒猫の額にぴとりと貼りついた。


 必死に笑いをこらえながら、黒猫を見つめる、男。とそのとき、黒猫がぽつりとつぶやいた。

「はああ。ひまだねえ」

 黒猫が、顔がさけるくらいの大あくびをして、右の前足で顔を撫でまわす。

 違和感を感じたのか、視線を足先に向けた途端、ぎょっとなった黒猫。ピンクの肉球にはりついた、粘っこい黒茶色の粒の臭いをクンクンと嗅ぎ、必死にその正体を割り出している。


「コノヤロウ、鼻くそ飛ばしただろ!」

 毛をギザギザに逆立たせた黒猫は、男の顔に跳びつき、やたらめったら爪で引っ掻きまわした。

 イデッ!

 悲鳴を発する、黒ローブの男。

「イッタイなあ――。おまえがいつも働け働けって、うるさいからだよ!」

「当たり前だろっ、いつもこうやってダラダラしてるだけなんだから! この無駄飯食いの、穀潰ごくつぶしめ!」

「何だとぉ? 誰が穀潰しじゃあ!」

 一人と一匹の格闘が繰り広げられている、まさにそのときだった。探偵事務所の中に若い女の、やわらかな声が響いた。


「あのう……、よろしいかしら?」

 ドアの前に降り立った、背の高い、ほっそりとした美人。歳の頃は、二〇代中頃か。

「お、お客さん?」

 一人と一匹は、抱きあったまま、顔を見あわせた。



「さあ、どうぞお掛けください」

 黒猫は、テーブルの上にちょこなんと座り、愛くるしい顔つきで、猫撫で声を出した。久しぶりに訪れたお客さんを前に、その目はまるで純金の金貨をはめ込んだように、光り輝いている。

 女は、長い黒髪をほっそりした右手の指で押さえながら、おっかなびっくり、ソファーの真ん中に腰を下ろした。胸元にフリルのついた白ブラウスに、ピンクのロングスカート。二つの切れ長の目には、とてつもない不安が潜んでいるのが、窺える。


「探偵さんに、お会いしたいのですが――」

 絞り出すように出された女の声に、蒼い目を鈍く光らせながら生温かいニヤニヤ顔で作り笑いをする、黒ローブの男。テーブルをはさんでソファーの向かいにある事務机のイスに、もったいぶるようにして座った。

 ローブに付いたフードの奥から覗く、少年のように若々しい顔と銀色の髪の毛。赤い引っ掻き傷で一杯の顔には、赤い鼻血が一すじ、垂れていた。


「オホン……。私が、この事務所の所長兼探偵のトスナル。そしてこれが助手の猫、クンネです」

 男が愛想もなくそう云うと、黒猫はそれを補うかのように、にっかりかわいらしく、微笑んだ。

「……ずいぶんとお若い、探偵さんですね」

「ああ、こう見えても三十八歳です。魔法使いはね、歳をとるのが遅いんですよ。ところで、貴女のお名前は……鈴木さんでしょ?」

「いいえ、田中です。田中京子たなかきょうこと申します」

「あれれ? じゃあ、私に頼みたいのは……わかった! 恋の悩みですね?」

「違います! 私の飼っているナッキーという犬のことで。茶色いダックスフンドよ」

 黒猫のクンネは、全く推理が当たらなくて、しょぼくれた魔法使いトスナルをにらみつけた。京子が呆れ顔で、首を左右に振る。


「今朝、一緒に散歩してたら、ちょっと目を離した隙に、どこかへ行ってしまったんです。それから、あちこち捜し回って……。って、それにしても、ここは暑いわね」

「夏は暑いと決まってますからねえ……。で、犬は見つかったのですか?」

「……はい、見つかりました。それも無残な姿で――」

「死んでいた……。そうですよね?」

「死んでないわよ! あっ、いえいえ、死んでなんておりませんわ。オホホ……。体中殴られたような、大ケガでしたけど」

 京子の顔が、きりきりと引きつったのを、トスナルは見逃さなかった。

「す、すみません。では、その犯人を捜して欲しいということ……、ですよね?」

「あら、やっと当たりましたわね」

 ひくひくと動く、京子の眉毛。


「こ、こりゃ難問だ。料金は少しお高くなるかもしれません。ねえ、トスナル先生?」

 さあ金を稼げ、と云わんばかりに怪しい目付きで、クンネはトスナルを見つめた。

 トスナルは、いまいましそうにクンネを一瞬にらみつけた後、ほほをピクピクさせて微笑んだ。

「大丈夫、私にお任せ下さい。何たって、私は魔法使いですから」

 ぽん、と音を立て、胸を叩いたトスナル。固まった鼻血が、キラリと光った。


「本当に……、大丈夫なの?」

 京子は、しゅんと引かれた細い眉毛を、ますます不安げに突っ張らせた。

「もちろんですよ! 何たって魔法使いですからね。手がかりなんて要らないんですよ」

「へええ――。それはすごいですね」

「んー。けどまあ、念のために聞いときますか……。何か、あります?」

「あら、手がかりなんて要らないんでしょう? ……まあ、いいわ。そういえば、実はこんな物が……」

 京子は大きなため息をつくと、手持ちの白いバッグをぱちりと開けた。中から取り出したのは、四つ穴の小さな黒いボタン。

「これが、ナッキーの近くに落ちてました」

 京子の細く白い指から、トスナルの薄汚れた茶色い指に、ボタンが渡る。

 トスナルは、ボタンをしげしげと見回すと、大袈裟に頷いた。


「なあんだ! これが犯人の身に着けていた物なら、話は簡単ですよ、鈴木さん」

「田中ですってば」

「さ、さっすが、トスナル先生!」

 クンネは、京子の言葉を遮るように、金貨の目をまぶしく光らせて云った。


 フンフンと鼻歌を歌いながら、不意に机の抽斗ひきだしをごそごそ探り出した、トスナル。

「あれ? おっかしいなあ、水晶玉がない」

 ギクリ、顔を引きつらせたクンネ。

「水晶玉は、使わないほうが……」

 トスナルが、ギロリ、とクンネをにらみつける。

「……ははーん。さてはクンネ、おまえだな」

「いや、それは、あの……。ご、ごめん、丸いもの見ると、つい、じゃれちゃうんだよ。爪をとぐのにちょうどいいし……」

 クンネはトスナルから一発のゲンコツを浴び、水晶玉の在りかを白状した。


「ソ、ソファーの下にあるよ」

 それを聞いた京子は、驚いたように立ち上がり、横に避けた。トスナルが、屈むようにしてソファーの下を覗き込む。確かに、そこには丸い塊らしきものが落ちていた。トスナルが右手を伸ばしてその物体を引っ張り出すと、それは、大きな毛玉のようにモサモサになった水晶玉だった。握りこぶしくらいの水晶玉は、埃だらけの傷だらけ。


 ぴきっ

 こめかみの血管が切れたらしいトスナルは、クンネをむんずとつかむと、まるで生ごみを捨てるかのようにそのまま近くのゴミ箱に放りこんだ。空色のプラスチック製ゴミ箱が、まるで生き物のように、何かの雄叫びをあげながら暴れ回る。


「…………。まったく、しょうがないな」

 トスナルは黒ローブの裾で、りんごを磨くように丸い物体についた埃を払った。濁った色で傷だらけではあったが、何とかその物体は、水晶玉らしくなった。


「まあ、お座りください」

 口をあんぐり開けたまま立ち尽くす京子に、すまし顔でトスナルはそう云った。そして、紫色でハンカチ程度の大きさの布を机の抽斗から取り出すと、テーブルの中央に敷き、その上に水晶を載せた。

「とりあえず、やってみましょう。犯人の顔が、この玉に映るはずです」

 ソファーに坐り直し、小さく頷いた京子。トスナルは、ボタンを握った手を水晶玉にかざし、魔法の呪文を唱えた。


「ロセミ、テペスータ!」


 しかし、傷だらけの水晶玉は青白い光を鈍く発しただけで、何も映さなかった。


「あれ? 上手くいかないや。えへへっ。この水晶玉、イカレちゃったみたいです」

「イカレちゃったのは、本当に水晶玉の方なの? ……だめね、これは。もういい、帰ります!」

 バッグをパチリと閉めて今にも立ち去ろうとする京子の足元に、いつの間にかソファーに戻ったクンネが目をうるうるさせ、しがみついていた。


「お、お願いです。もう一度チャンスを!」

 仕方ないわね、といった感じで、京子が再び腰を下ろす。

 それを見たクンネは、トスナルの肩にぴょんと跳び乗ると、小声でぼそぼそ話し出した。

「頼むって! 昨日だってサバ缶一つ。最近、ろくなもん食べてないんだからさ」

「ちぇっ、わかったよ」

 トスナルは、一層不気味な愛想笑いを、京子に向けた。


「それでは、取って置きの魔法を。でもこれ、魔力をいっぱい使ってしんどいんですよ。何たって、ボタンを人の形に変えようってんだから……」

「いいから、とっととやりなさい」

「はいっ、わかりましたあ」

 にわかに正体(?)を現した、京子。これ以上は上がらないというくらい目が釣り上がったその表情に、トスナルは細かく震えていた。


「バリボン、バリボン、フィナレート!」


 トスナルはそう叫ぶと、てのひらの上の黒いボタンに、ふうっと息を吹きかけた。ボタンが粘土細工のようにムクムクと人の形や色に変わっていき、掌の上に浮かびあがった。

「さあ、これがこのボタンの持ち主です。見覚えはありますか?」

「……。あるわよ。あ・ん・た」

「へっ?」

 顔を寄せるようにしてボタンを覗き込む、トスナルとクンネ。魔法使いの黒いローブを着て、ひねくれた笑いを浮かべる男。まさしくそれは、トスナルだった。


「なあんだ。犯人は、ボクだったんだ!」

 トスナルは、ケラケラと楽しそうに笑い出した。

「そうか、なるほどなあ……。そういえば今朝、ボクにまとわりつく犬に出会ったんです。茶色い、ダックスフンドでした」


「へえー。それで?」

「追い払おうとしたら、その犬、ボクのシャツの袖ボタンを咬みちぎったんです。ほら、このボタン、ボクのシャツにぴったりでしょ!」


「ほおお……。それから?」

「頭キタんで、一回? 二回? いや、三回かな? ちょ、ちょっとですけど、強く蹴っちゃいました」


「なぁるほど、名推理ね……。証拠もばっちり。よーく、わかったわ」

 悪魔のような暗黒のオーラを漂わせて京子は立ち上がり、指をぽきぽきと鳴らした。

 危険を察知したクンネが、ひょいとその場から姿を消す。

「あっ、でも、あれは犬が……」

「問答無用!」


 ギャアア! 

 男の乾いた悲鳴が、静かな町外れにコダマした。



「あーあ。今日もまたサバ缶かよ」

 クンネは大きなため息をつき、ソファーにぐったりと寝そべった。

「あの女、魔女より怖かったよ……。あ、そうそう、もうサバ缶も何もないよ」

 トスナルは、悪夢から目覚めたばかりのような表情で、答えた。

「何だって? じゃあ、メシどうすんだよ!」

 さあね、という感じで両手をあげる、トスナル。

 クンネは、トスナルの紫色に膨らんだ顔に跳び付き、さらに爪で引っ掻きまわす。


 ウッギャアアア!

 夕暮れの太陽で真っ赤に染まった探偵事務所に、今日三度目の悲鳴が轟いた。


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