納得出来ぬ利害
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しかし、その剣がエルヴィンに振り下ろされる事は無かった。
剣が無くなっていたのだ。
否、“剣を掴んだ右手ごと”無くなっていたのだ。
エルヴィンも、そしてべリアルも何が起こったのか把握出来ずに居た。
べリアルの背後にカミルが居るのに気付き、そしてその横に転がる剣を掴んだままの腕を見てやっと、カミルがべリアルの利き腕を斬り落とした事を知った。
肘の下の切り口から赤い血が吹き出し、不死の王は青ざめた顔で茫然とそれを見ている。
死ぬ事は無いだろうが、利き腕を失ったのだ。もう闘う事は出来まい。
「べリアル王、剣士の命とも云える右腕が無くなったのです。これは“首を斬る”に等しい事として宜しいか?」
カミルは思議していたのだ、“王の首を獲る”事の代替え案を。エルヴィンに実の父の首を斬らせるなどと酷い事をさせずに済む方法を。しかし。
べリアルは血を滴らせ、痛みに呻吟しながら歩み、斬り落とされた己の腕を拾い上げる。
「余は……“首を獲れ”と申したのだ。腕など斬られても……」剣は握ったままだが、だらりと力を失い、只の肉塊と化したその右腕の切り口を、肘の下にあてがう。
未練がましいと思えるその行為だが、次の瞬間、カミルもエルヴィンもそしてはるか後方に居るラインハルトも息を飲んだ。
右腕の指が動いたのだ。
あれほど溢れ出ていた血も止まり、左手を離しても尚、右腕は繋がっている。そして動いている。
「な……」カミルが驚きの声をあげる間も無く、繋がったばかりの腕でなぎ払われ、その場に倒れた。
「カミル師範!」ラインハルトが奇声を上げながら走り、べリアルに斬りかかる。
しかし彼も一撃で闘技場の地面に沈んだ。
「腕など斬られても死なぬではないか!」
べリアルは端整な顔を怒りにうち震わせ、そう叫んだ。
その怒りに燃える青い眼からは涙が流れているように見えた。
べリアルは、己の死に場所を探して、城を出てさ迷っていたのだ。
きっと死に損ない、記憶だけを失って、ドワーフの村へ現れたのだろう。
そして、産まれたエルヴィンを見て取り乱したのは、死に切れなかった者が新たな命を生み出してしまったと云う後悔と混乱の為だったのだろう。
エルヴィンは剣を捨てた。
「何をしておる小僧、王位が欲しく無いのか? そのような腰抜けには王位は渡さぬぞ!」
べリアルはこれ以上無い程の屈辱を味わい、吠えるように叫ぶ。
「もし、父上が助太刀の騎士を一人でも殺めていたら、首を斬る気になったでしょう。しかし、父上は一人として殺めてはいない。剣の腹や柄で叩いて気絶させただけです」
怒りに満ちた顔が少し穏やかになったと思うと、にやりと笑った。
「ばれておったか」
「あの太刀筋で鎧が無傷の訳はありませんから……血も出ていないし」
そう、ホルトもグスタフもカミルもラインハルトも生きている。
誰も殺していないものの首を獲るなど、エルヴィンには出来ない事だった。
「ではどうする気だ、一度正式に交わした契約は余でさえ覆せぬぞ。急いで王位を継ぐ理由があったのであろう?」
ヒルデガルトは知っていたのだろう。
べリアルが死にたがっていた事を。
だから王の死と王位を交換する事に同意したのだ。
「ぐずぐずするなエルヴィン! 王位はここにある。見事討ち獲って見せよ」
再び怒りの表情に戻ったべリアルは己の首を指し示す。しかしエルヴィンは晴れやかに微笑みながら
「やっと、名を呼んでくれましたね。父上」と、涙を流しているだけだった。
「余の首を獲らぬ気なら、余が貴様の首を獲ってやる。覚悟せよ」
べリアルは混乱していた
これ程酷い目に遭わせたわが子なのに自分を殺す事を拒むとは。
不死の王にはそれが解らず、恐怖に似た感情に支配されていた。
エルヴィンは涙を止めようとしない。それが益々彼の自尊心を砕いて行くのだ。
べリアルは狙いを定める為にエルヴィンの首に剣を当てた。
以前会った時は素手でも折れそうな細い首だったのに、今は一人前の青年の首だ。
……逞しくなったな、エルヴィン……
一瞬、べリアルの胸に、暖かいものが過った。しかし、その正体を確かめる事もせず剣を離して構える。
「それまで」
べリアルのものでもエルヴィンのものでもないくぐもった声がしたかと思うと、べリアルの首に剣が当てられていた。
それは、あの銀の甲冑を纏った騎士。べリアルの背後から腕を回し、彼の喉仏にぴったりと研ぎ澄まされた剣を当てているのだ。
「もう一人助っ人が居たとはな……」
エルヴィンもすっかりこの騎士の存在を忘れていた。しかし
「誰……?」
正体の解らぬ騎士に父親の首を斬られるのは解せない。
べリアルがゆっくりと首を回し、その者を見ると、亡霊でも見たかのような顔をした。
「何故……」べリアルは恐怖にうち震えている。
怒りでは無く恐怖に。
「何故その甲冑を着けておる? そなたは何者ぞ?」
エルヴィンは助けを乞うように観客席の上座を見た。
しかし、そこにいる筈の人物がおらず、べリアルとは違う恐怖を感じていた。




