覚悟
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その日の空は恐ろしい位に晴れ渡り、浮かぶ雲さえも意思の在る生き物のように城の闘技場を見下ろしていた。
そう、かつてエルヴィンがホルトと闘い、そして負けたあの因縁の場所。
しかし、今回使うのは木剣では無く鍛えられ、研ぎ澄まされた真剣。負ければ恥をかくだけでは済まされない。負けるのは死を意味する。
どちらかが命を落とさなければ決着は着かない。
その相手は他ならぬ実の父。
「甲冑は如何なさいます? せめて鎖帷子だけでも……」
頭の中を様々な思いが巡り、それを整理するのに忙しいエルヴィンの後を下級騎士が追い掛け、云った。
「要らない」
竜をも倒したべリアルの剣に、そんなものは無力だとでも云いたげにエルヴィンは吐き捨てるように答える。
躱すだけなら自信が在る。重い甲冑や鎖帷子はその妨げになる事も危惧していた。
負ける事も勝つ事も考えると気が重く、いっそ父の剣に己の首を一刀両断にされれば、楽になっていい。とさえ思えて来た。
― 剣の手練れだ、何の痛みも無くあの世に行けるだろう ―
しかし、それではヒルデガルトが、マルガレーテが、余りにも不憫だ。
そして、あの人も……
防具らしい防具も着けず青い天鵞絨の縁に刺繍が施された上衣を纏っただけのエルヴィンは闘技場の中央へ向かった。
べリアルは既に、剣を携え美しい立ち姿で待っていた。
エルヴィンとは対称的な赤いマントを纏ってはいたが、甲冑は着けて居ない。
「ふん、思い上がったものだな。この余を相手に甲冑を着けぬとは」
「父上に恥をかかせぬ配慮のつもりです」
冷やかな皮肉のようなやり取りだが、実は二人とも親子の会話を楽しんでいたのだと誰が知ろう。
「さて、では、始める前に二三云っておこう。先にも云ったがエルヴィン側に助太刀したい者はいつでも参戦せよ。このような若造を一撃で殺めるのも夢見が悪い。が、それなりの覚悟をするがよい」
闘技場の隅を見ると、数名、既に甲冑に身を包んだ騎士が控えている。
どの者も顔が見えぬが、エルヴィンはそれが誰なのか解っていた。
……そのつもりだった。
カミル、ホルト、ラインハルト、そして、退役したにも関わらずたっての願いで助っ人を申し出たグスタフ・ローゼンマイヤー。
しかし、一人多い。
よもや血気盛んな若い下級騎士が……とも思ったが、それならカミルやホルトに止められる筈。
では、ジルか? とも思ったが、彼はミルラと共に観客席に居た。
― カミルが気を利かせて傭兵でも雇ったのかもしれない ―
そう思い、気にせぬようにした。
出来れば、助っ人の出番の無い様に事を済ませたい。
勝つにしても負けるにしても。
混沌とした気持ちのまま、開始の合図を待つエルヴィンは、観客席に居る筈の人物が一人居ないのを気付かずにいた。
緊迫した空気の中、カミル達はほぼ同じ事を思っていた。
「あれは……誰だ?」
殆ど動く事無く、彼等とは距離を置いて待機する銀の甲冑の騎士。
兜が重いのか、それとも何かを思案しているのか頭は足元を見ているように項垂れている。
此方を見たところで顔は見えぬが、カミル達と目を合わせぬようにしている様に思えてならない。
ただ一人、グスタフが見覚えのある甲冑の意匠に記憶を辿る。
「儂は知っておる。あの甲冑を纏っていた者を。ええい、歳のせいか頭が働かぬ。遠い昔じゃ、あれを見たのは、懐かしくそして禍々しい記憶がもう少しで思い出せそうなのに」
焦るグスタフをカミルがなだめた。
「ローゼンマイヤー卿、あれが誰でも我らは全身全霊でエルヴィン殿をお守りするのみ。余計な考えはこの際捨て置きましょう」
己の弟子にこのようになだめられる日が来ようとは。老騎士は兜の中で苦笑する。
笑っている場合では無いが、自然に笑みが溢れて来るのだ。
ヒルデガルト存命のうちにエルヴィン王子に王位を与える為、そして、友の無念を晴らす為……
「うぬ」それは微かな呻き声だった。側にいたカミルも気付かぬ程の。
老騎士は思い出したのだ。あの甲冑が誰の物なのか。
「まさか……そんな……」
老騎士がざわめく胸を制する間も無く、大臣が戦いの合図を送った。




