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想い




 やっとミルラの馬車酔いが治った頃にはもう、エルヴィンの結婚の話は城中に知れ渡っていた。大方、盗み聞きをした侍女か女官が言いふらしていたのだろう。

 しかし、その相手が自分だとは夢にも思わないミルラはヒルデガルトと久しぶりに会い、思ったよりも元気そうなその姿を見て心底安心していた。

「これ程の花を集めるとは、大変だったであろう」

「そんな事はないわ。旅の途中で少しずつ集めたから、でも一鉢ジルが売り物と間違えて売ってしまって、私、怒って絨毯で叩いてやったのよ」

「おお、なんと勇ましい事」

 ヒルデガルトの部屋は花の香りと二人の笑い声で満ちた。

 

 ヒルデガルトの部屋の前を通りかかったエルヴィンは、其処から一人の乙女が出て来るのを見た。

 侍女でも女官でもない。異国風の装束を身に纏ったその娘の顔は深い思案に暮れているようにも、何かを憂いているようにも見え、それが返って儚げで愛くるしさを強調している様子に見とれていると、目が合った。

「……エルヴィン?」

 アズウェルの衣装、艶やかな黒髪と黒曜石の瞳。自分をそう呼ぶと云う事はミルラに違いない。しかし、エルヴィンの記憶の中の彼女は“痩せ過ぎて老人に見える子供”だ。アズウェルから帰って来て落ち着いた頃にはもう、ジルと一緒に姿を消していたので、本当にそのような印象しかない。


「私ね、ヒルデガルト様に“エルヴィンの妃にならないか?”って云われちゃったの。でも、まだ結婚なんて考えた事もないし、それに……」

 長い睫に縁取られた黒曜石の瞳が憂いを含み下を向く。どんな無造作な所作も一つ一つ美しく見え、心臓が勝手に踊るのをエルヴィンは必死に抑えるしかない。

 その気持ちは“恋”と呼ぶにはまだ浅い。まだ“憧れ”の段階である。しかし、いつかそれが“恋”にも“愛”にも変わるだろう事はエルヴィンも否定出来なかった。

「正直、俺も同じ気持ちなんだけど……でもミルラが妃になってくれるなら嬉しいな……」

 婦女子に恥をかかせぬ様にと云うのも勿論だが、どうせ結婚しなければならないのなら、この様な見目麗しい娘と連れ添いたい。そんな思いもあったのだ。

 

「ミルラって、ジルが連れて来たあのお婆さんみたいな子供かい? へえ、そんなに綺麗になったのか」

 ホルトは馬を洗いながら驚いた様子でそう云った。

「馬洗いなんて馬番にやらせればいいものを」

「馬番のじいさんももう歳だからな。それに人馬一体だよ。自分の馬の世話ぐらい自分でしないと」

 最近、騎士見習いの少年達に稽古をつけてやるなど忙がしいホルトだが、こうして馬の世話や武器防具の手入れには時間を割いている。エルヴィンの相談事にも。

「でもなあ」

「なんだ?」

「そんなに綺麗な娘を連れて、ジルは何とも思ってなかったのかなあ……と思って」

 当たり前と云えば当たり前の事だ。結婚にも、ましてや異性にもそれほど興味の無かったエルヴィンでさえ、ミルラの美しさに打ちのめされたのだから。

 ヒルデガルトの部屋から出て来た彼女の、あの憂いを含んだ表情かお、その意味がおぼろ気ながら理解出来つつある。

 もしかして、ヒルデガルトも自分も、とんでもなく残酷な事をしようとしているのかもしれない。

「ホルト、ジルが今何処にいるのか知らないか?」

「いや……何処にいるかまでは。ただ、そろそろ旅に出るような事を云ってたらしいが」

 それを聞き、エルヴィンは走った。城門に居る門番の所へ。ジルを止めてくれるように頼む為に。

 誤解をしたまま離れ離れになるなんて、そんなのは駄目だ。かつて自分と(マルガレーテ)がそうだった様に。

 

 しかし、エルヴィンが門番の所へたどり着くと、もうジルは出発した後だった。

 茫然と、城門から外を眺めていると、細い声で泣く声がした。

 見ると、ミルラが門柱にもたれ掛かり、泣いている。

「ジルは最初から私を此処へ置いて行く気だったの。嫌いじゃないから一緒に居られないって、何なの? 私が邪魔だったらはっきり云えば良いのに」

 ジルの気持ちが痛い程解ったエルヴィンだったが、同時にミルラの想いも知る事となり、肩を震わせ泣く彼女を抱き締める事を戸惑って居ると、城門の跳ね橋が降りた。

「ジルが戻って来たのか?」

 しかし門番はかぶりを振る。

 跳ね橋の向こうに居たのは、ジルではない誰かだ。




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