胸の洞窟に吹く風
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中庭の石畳の上で、城の者達に大陸中から集めて来た商品を見せ、商売をしているジルが居た。
「それは南の国から仕入れた絨毯で半年も掛けて職人が作るんですよ。高価なものですがヴェロアの方達には特別仕入れ値でお売りしますよ」
「へえ、手が込んでるな。こういうの此処じゃ見たことないよ。ウチの婆さんが床が冷えて辛いとか云ってたから買ってってやろうかな」
商売をしている時は心配事も悩みも何処かへ消え去る。
“客の前では兎に角笑顔で。沈んだ顔の商人か売ってる物なんて誰も買わない”
やはり自身も商人だったジルの父は、幼いジルにそう教えた。
生まれながらに商人として生きて来たジルにとってその教えは今も心と身体に沁み付いている。
「あら、綺麗。これは何?」
「北の国の御婦人が肩掛けを留める為に使う金具です。素材は銀で、中心には紫水晶が嵌め込まれている良いものですよ。お客さんのような色白の美人にお似合いだから是非買ってってくださいよ」
「あらやだ、美人だなんて、でも頂くわ。いくら?」
饒舌に商品の説明をし、客をい
い気分にさせる事も忘れない。
なのに
― ミルラを悲しませてしまった ―
客を喜ばせる言葉は山程湧いて出るのに、ミルラの憂いを消す言葉が紡ぎ出せないのは何故だろう。
一瞬、彼の表情に陰が落ちる。だが
「ねえ、髪留めみたいなのはないの?」
「この織物はいくらだい?」
客が陰から引き戻してくれる。
客に商品を手渡し、代金を受け取る。その代金を数えていると、ふいに
「ミルラは?」と、問う者が在った。
顔を上げると、赤い髪の青年がジルを見下ろしていて、暫くそれが誰なのか解らなかったジルだが
「……エルヴィン?」深い緑の瞳、数年前の面影を残した顔。懐かしさが込み上げる。
「すっかり立派になって! 何処からどう見ても王子様だよ」
再会に舞い上がり、エルヴィンの両手を掴んだが、すぐに離し
「これはとんだ無礼を、どうかお許しください」と、跪き、頭を下げるジルを見てエルヴィンが笑う。
「いやだな、ジル、数年前は全然王子扱いなんてしなかったのに。今更何だよ」
それを聞いてジルも笑った。
暫くジルが見聞きした異国の話などを聞いていたエルヴィンだったが、少しばかり云いにくそうに切り出した。
「近々結婚するかもしれない」
ジルは当然、何処かの国の姫君か、貴族の令嬢が相手だと思ったので「そりゃ、おめでとう。大急ぎで祝いの品を用意しなきゃいけないね」などと暢気に云う。
その相変わらずの暢気さがエルヴィンには救いだった。
「母上が病で弱気になっているせいか、俺に王位を継がせる事を急いでいるみたいなんだ」
ヴェロアの法律について明るくないジルだったか、何となく事情は飲み込めた。そして、エルヴィンが結婚にあまり乗り気では無い事も。
「相手は誰なんだい? 顔も見たことない娘なら不安なのも解るけど……」
エルヴィンには幸せになって貰いたい。心からそう願っていたジルだが……
「いや、顔は……見た事ある。話もした……もう何年も前だが」
「北の国も南の国も、おめでたい話は無かったから、ヴェロアの貴族の娘かい?」
エルヴィンは首を横に振る。きっと、エルヴィンは自分ともっと話したくてわざと焦らしているのだ。ジルはまたもや暢気にそう思っていた。
「あくまで母上の提案というか願望なんだ、相手は」
「ヒルデガルト様に気に入られたなんて余程良い娘なんだろうな、一体誰なんだろう?」
「ミルラだ」
ジルは笑顔のまま黙っていた。まるで、談笑中に突然魔法を掛けられ凍ってしまったかの様に。
元々、ヴェロアの城に置いていこうと思っていたのだ。妃にして貰えるなんて願っても無い事ではないか。
これであの娘は一生、餓える事も凍える事も無くなるのだ。
無神経な連れに傷付けられる事も。
エルヴィンもミルラも幸せになる。良かったじゃないか。そう自分に云い聞かせたが、胸の中が洞窟になって、冷たい風が吹き抜けている様なこの感覚は何なのだろう? ジルは気付いては居たが他人事のように暢気にそう思う事にした。




