黄金色の百合
†
ミルラは旅の途中美しい花を見ると、根ごと掘り返し、素焼きの鉢に植え付けた。こうすると花はいつまでも生きている。やがてジルの馬車の荷台は花屋のように花だらけになってしまった。
ジルはこうした花を、欲しがる客に売ってしまった事があるが、その際ミルラは泣きながら怒りだした。
「ごめん、ミルラ、てっきり売り物のつもりで集めているのかと思って」
「酷いわジル! 今度ヒルデガルト様にお会いしたら差し上げようと、一生懸命集めたのに」
ミルラはいまだにヒルデガルトのあの寒々とした無機質な色合いの部屋を気にしていた。だからヒルデガルトが病に倒れたと風の噂で聞いた時、心も体も冷えきって体を壊したに違いない。と思ったのだ。
「ねえ、ジル、ヴェロアまではあとどれくらい?」
子供らしいところも多分にあるが、ミルラは美しい少女に成長した。
「順調に行けば五日ぐらいだろう。ところで」
何か云いたい事が在るらしいのに目を逸らす。それはジルが云いにくい事を云おうとしている証拠。
「な……何?」
「ヴェロアに着いたらそのまま、城で世話にならないか?」一瞬、ジルが何を云っているのか分からずに、きょとんとしていると、
「城で侍女や下働きの仕事もあるだろう。まだアズウェルは君が一人で住める程整ってはいないから、そっちの方がいいと思うんだ」
それはジルがミルラをヴェロアに置き去りにすると云うことか。
ミルラは聞くや否やジルを売り物の絨毯で叩き出した。
「何するんだ? ミルラ」
ミルラは顔を真っ赤にしながら両の目から涙を流している。
「ジルは私の事、嫌いになったのね! 邪魔になったんならはっきり云いなさいよ!」
「違う…………その逆だよ」
ジルがまた、目を逸らす。
絨毯を打ち付けるミルラの手が止まった。
その言葉を、言葉に込められたジルの心を理解するには、ミルラはまだまだ心が幼かったのだ。
嫌いでないとしたら、何故、離ればなれにならねばいけないのか。ミルラは理解に苦しんだ。
重苦しい沈黙が流れ、いたたまれなくなったミルラが目を泳がすと、視界の隅に黄金色のものが映った。
「黄金百合だわ! 珍しい! 私ちょっとあれを採ってくるわね」
そう云いながら走り去るミルラに、やっと沈黙の重圧から解き放たれたジルが叫んだ。
「ミルラ! 駄目だ! そっちは……」
その叫びは、ミルラの悲鳴で掻き消された。
数年前、ヴェロアを離れる時、ヒルデガルトはミルラにこう云った。
「いつでも訪ねて来るがよい、そなたは妾の大切な友達じゃ」
「友達……」ミルラはその言葉を聞いて、胸が張り裂けそうな程嬉しさにうち震えた。
「こんな婆が友達では厭かの?」
「いいえ! いいえ! 私の友達はヴェロアのお妃様、こんな素敵な事はないわ!」
何回も、何百回も、その場面を思い出して微笑んだ。暑さや寒さで辛い時も、うっかり食料を切らし、何日も空腹のまま次の街を目指していた時も、その思い出が彼女の中の暗い過去を抱き込み、溶かしていった。
「黄金百合と云うのがあって、病人への贈り物には最適だと云われている。その香りを嗅ぐと病の辛さがやわらぐと云うんだ」ある日、ミルラが花を集めている事を知った客が云った。
「ただ、それはとても珍しくて、しかも崖の上に自生するからなかなか採れないんだ」
ああ、そうだったか。ミルラは思った。
あの直ぐ下は崖だったか。と。
では、自分は崖から落ちて死んだのだろう。少しも痛くないし、まるで死んだ父に抱かれているように暖かい。
人は死んだ時、先に死んだ肉親が迎えに来てくれると云う。きっとそうだ。
そんな事を夢うつつに考えていると遠くで自分を呼ぶ声がした。
ミルラが気付くと、心配そうな顔をしているジルが見えた。
ミルラと目が合うと、安堵したかのような表情を見せたが、次の瞬間、腰の帯に挿してある短剣に手を掛けていた。
……ああ、やっぱり、ジルは私の事、邪魔になったんだわ……
気が付いたばかりの朦朧とした頭でそう思っていると、直ぐ上で声がした。
「それが命の恩人に対しての礼儀か?」
ミルラはやっと、自分が誰かに抱き抱えられている事に気付く。埃臭い衣を纏ったその者は、顔を布で覆っているので誰なのか解らない。
「これは失礼した。旅暮らしが長いもので。連れを救ってくれて有り難う」ジルがそう云いながら短剣から手を離すと、彼の人物はミルラを地面に下ろし、立ち去った。
「あの……貴方はもしや……」ジルのその問いかけが聞こえていたのかは定かではない。




