女官長の策略
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「王妃様、城に悪い虫が出ております。お部屋に虫除けの香を焚かせて頂けませぬか?」
女官長は香炉を持った侍女を従え、ヒルデガルトの部屋の前で呼び掛けた。
「虫除けの香など要らぬ、あれは臭くてたまらぬ。それより、邪魔をするなと云ったであろう」
思った通りの厳しい物云い。若い侍女は首をすくめたが、長年この厳しい王妃に仕えて来た女官長はそんな事では怯まない。
「病を運ぶ悪い虫でございます。もう既に城中に香を焚き染めましたほどに、こちらに全部逃げ込んで来るやも知れませぬ」
これは“脅し”だ……。
侍女は香炉から立ち上る煙に噎せそうになりながら思った。しかし、なんという匂いだろう。ヒルデガルトがこの香の匂いを厭がるのも無理はない。早く話を終らせて、さっさと香炉を置いて立ち去りたい。そう思った。
ややあって根負けしたのか部屋の中から「入るがよい」とヒルデガルトの声が聞こえた。
勝ち誇ったような顔をして女官長は部屋に入った。
「どうした?女官長。香なら窓際に置くがよい。余りに煙いようなら鎧戸を開ければ良いからの」ヒルデガルトはさも忙しそうに羊皮紙の束から顔を上げずに云う。
「え? ええ……ついでと云っては何ですが、他に御用は御座いませぬか?」
女官長は部屋を見渡すが何も無い。何も居ない。こんな筈では……と焦って居るのが侍女には手に取るように解った。城に曲者が居るのなら自分達ではなく衛兵達の管轄だろうに。正義感が強い故の行動だろうが、自分まで王妃からの心象が悪くなるのは頂けない。まあ、今回は自分も余計な事を云ってしまった責任はある。そう、心の中で愚痴を云いながらも、やっと臭くて煙い香炉から解放され、安堵した。
王妃の部屋を出てから、推理が外れた事に腹を立てる訳でもなくただばつの悪そうな顔をして歩く女官長を門番の一人が呼び止めた。
やはり曲者が? と思った女官長だったが、そうではない。
「女官長! 早く王妃様にお知らせ下さい。エルヴィン様が、帰って来ました!」
厳つい顔を嬉々とさせ、門番が革の甲冑をギシギシと鳴らしながら走り回るのを見て、女官長も侍女も曲者の事などもうどうでもよくなった。
「早く、ヒルデガルト様にお知らせしましょう。きっとお喜びになる」
侍女がそう云うと、女官長は衣の裾をたくしあげ、脛が見えるのもかまわずに、王妃の部屋へ駆けて行った。




