いる筈のない麗人
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“ヴェロア”と聞いてアズウェル王は記憶を手繰る表情を見せ、やおら何かを思い出したらしく
「余の姉上の嫁ぎ先だった国か」と云う。「あれは今思い出しても不憫でならない。婚礼を間近に控えてヴェロアの王子が亡くなったのだからな無念この上無い」
それを聞いてエルヴィンとカミルは顔を見合せる。
亡くなったのは王女の方であろう。と。
「アズウェル王」流石に訊いていた話と違うと思ったのか、カミルが切り出す。
「第三王女は今、いずこに?」
あの時死ななかったと云うのなら、王女は何処かにいる筈。余りにも矛盾に満ちた王の言葉の真意を確かめなくては。
「此処におる」
王は事も無げに云う。
まるでそれが当たり前の事の様に。
「この城にでございますか?」
「左様、死んだヴェロアの王子に操を立てて、結局何処へも嫁がなかったのだ、我が姉ながら何とういう一途な女であろうか」
何かが違う。
何かが間違っている。
エルヴィンの心臓は警鐘を鳴らす。
穏やかにみえるこの問答は、実はあの化け物の策略であるかもしれない。
ジルはこの城に頻繁に出入りしていたものの、王の姉―アズウェルの第三王女―に会った事など一度たりとも無いのを奇妙に思い、思いきった賭けに出た。
「大陸一の美姫の誉れ高き第三王女、年齢を重ねてもその美しさは益々磨かれるばかりとお聞きします。どうか、一目会わせて頂けないでしょうか?」
どうだ? 本当に生きていて此処に居るのなら造作もない事。
もし、断れば、やはり王女は死んだと解して差し支え無い筈。
だが、
「私なら此処におります」
涼やかな声がして、現れたのはいつかエルヴィンが森で見た、あの美女だった。
勿論、一行の中でアズウェル第三王女サヴラの真の姿を知るのはエルヴィンだけで、しかも一度しか見ていない。カミルもジルもその麗人の例えようの無い美しさに驚くだけで、本人か否かの判断はつかない。
グスタフのような年寄りの騎士ならば、遠い昔に生前のサヴラ王女を見た事があろう。此処へ連れて来なかったのは全くの誤算だった。
「どうした? ジル、これが余の自慢の姉上、第三王女サヴラだ」
王の声で我に返ったジルは上擦る声を制して挨拶などをする。
「王女の余りの美しさに我を忘れた無礼をお許し下さい」
かの麗人は口許に象牙の彫刻の様な手の甲を当て、小鳥の囀りの様な声で笑う。
ジルもカミルも、そしてエルヴィンも、同じ違和感をこの麗人に持っていたが、敢えてそれを口にする勇気は無い。
それは国王の姉ならば、国王より歳上で無くてはおかしい。アズウェル第三王女サヴラはどう見ても二十歳を越えている様には見えなかったのだ。
「時に、貴方達の中に一度お会いした事のある方が……」
サヴラが真っ直ぐにエルヴィンを見る。間違いない。サヴラ本人だ。しかし、あの時サヴラは自分が余り長い時間元の姿に戻っていられないと云っていた。ならばもう少し経てばこの麗人の化けの皮が剥がれるのか? そして、その時何が起こるのだ?
「思い違いでございましょう。我らは貴女様の様に美しい方は生まれて初めて見ました」
カミルが石の様に固まったエルヴィンに助け船を出す。しかし。
「ヴェロアの騎士よ、王子を助ける積もりなら下手な芝居は止めるがよい。そなた達が本物の商人で無い事など、此方はとうに承知しておる」
サヴラがそう云うと、その美しい口許の口角が段々広がり、耳にまで達した。
―変化が始まった―
エルヴィンが懐から雷玉を出し、窓から投げると同時に今まで麗人だったものは醜悪な化け物に変わっていた。




