盗み聞き
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ミルラは気が気では無かった。あの者は死んだのだろうか? 王妃を殺そうとしていたのだ。重い罰を受けるだろう。あのまま死んでしまった方がが良いかもしれない。
様々な事に思いを巡らせ、自分の手に残っている人の躰に鋏がめり込む感触をぬぐい去ろう努めたが上手く行かない。
そうだ、ジルとエルヴィン達はアズウェルの街に着いたのだろうか? と思ってみると今度は干からびて朽ちた自分の両親を思い出し気持ちは更に沈む。
「マルガレーテ……」ふと、王妃が云っていた名を口にする。
あの小さな女の名前なのだろう。と云う事は王妃の知り合いかもしれない。もしかしたら友人? しかし、だとしたら何故、あんな事を。
王妃も王妃で、あの者に襲われた事を隠そうとしている様子。
―何もしていない、何も見ていない―
誰かに問われたらそう答えろと云われたものの、その事について訊いて来る者は今のところ誰ひとり居ない。
女官や侍女もあれ以来、王妃の部屋へ立ち入る事は禁止されていた。表向きは“多忙の為”であるが、本当はあの女が関係してる事はミルラは知っていた。
その王妃ヒルデガルトは曲者を自分の寝台に寝かせ、介抱していた。しかし事の他鋭利な鋏を突き立てられた女の背中からはいっこうに血の止まる気配が無い。
「マルガレーテ、死ぬでない。死ねばエルヴィンが悲しむ」
励ましているのか、単にエルヴィンを心配してか、そう云うもドワーフの女は意識があるのか解らない状態だ。
医者か魔法使いに診せれば助かるかもしれない。しかしそれでは、この女のやった事が露呈する。手当てを受けるどころか寒く暗い地下牢に放り込まなければならない。
すっかり血の気を失い、青白くなったその顔は髪の赤さを一層引き立てていた。
「ヒ……ルデ……ガ……」
消え入りそうな声で確かに女は云った。
「何じゃ、マルガレーテよ。妾は此処におる」
「王は……あの時、記憶を失くしておいででした」
暫く、ヒルデガルトはマルガレーテが何を云っているのか解らなかった。しかし、きっと“あの時”とはべリアル王がマルガレーテの元へ現れた時の事であろう。と合点がいった。
「べリアル王を責めないで下さいまし……悪いのは全てこの……私です」
途切れ途切れに、息も絶え絶えに、マルガレーテは十数年前の“あの日”の事を語り出した。
村にふらりと現れた見目麗しい若者。記憶を失い心身共に疲れ切った彼に村の長であるエンリケは宿を貸し、鍛冶仕事を教えてみると中々筋がいい。気立ても良い彼は鍛冶職人達にも好かれた。
そのうち若いマルガレーテは彼に思いを寄せるようになった。
まさかこの若者がヴエロアの王だとは露程も知らずに。
やがて二人の間に子供が出来た。村の者達は祝福したが、産まれたての赤子を抱いた途端、彼の表情が変わった。
「記憶が……戻ったのです」
苦しそうにそう云うマルガレーテだが、その苦悶は傷のせいばかりでは無いのだろう。
抱いた赤子……エルヴィンを、まるで穢れた者でも見るように顔をしかめ、そして祝福の為に集まったドワーフ達を掻き分け、そのまま何処かへ消えたのだ。
そんな事だろうと思った。あれだけ伴侶を得る事も子供をもうける事も頑なに拒絶した王が何故、と云う疑問はこれで払拭された。
エルヴィンを見る目にマルガレーテは冷ややかなものを感じたらしいが、それは他でも無い。記憶が戻ったべリアルは自分と同じ血を引く者を嫌悪したのだ。
「だからお願いです。ヒルデガ……ルト様、あの子を私に返し……」
マルガレーテは言葉を最後まで云い終わらぬうちに静かになった。
死んでしまったのか、長い話しをした為に疲れて眠ってしまったのか、どちらにしても聞いていないであろう彼女にヒルデガルトは云った。
「それはあの子が決める事じゃ」
その会話を息を殺してヒルデガルトの部屋の扉の向こうで聞いている者があった。
ミルラだ。
ミルラは、あの“小さな女”の正体を知り、震えていた。




