陽炎の街
†
アズウェルの城下街には人の気配が一切無く、乾いた風が土埃を巻き上げるのみだった。
どの民家にも入ればジルの云っていたように朽ちた亡骸があるのだろう。
しかし誰も入ろうとはしない。ジルのいう事は真実だと認めているからと云うのも勿論在るが、単に、見たくなかったのだ。
これからもっと恐ろしい物を眼にしなければならぬかもしれない。だから敢えて見たくはなかったのだ。
開きかけた戸口から風が吹き込み、高く細い女の悲鳴の様な音がする。それはきっと死んだアズウェルの民達の嘆きの声だ。
アズウェル城の入り口はヴェロア城のような堀も跳ね橋も無く、まるで万人を拒まず迎え入れるように門扉すら無かった。
「アズウェル城は寺院でもあるんです。毎日アズウェルの民が此処へ礼拝に来るのです」
ジルが説明する。カミルはこのような開けっ広げな造りでは敵に攻め込まれれば一溜まりもないと思った。
それなのに何故、わざわざ戦に持ち込もうとするのか。
アズウェルの王は城下街の惨状をどう思っていのだろう。
心潰れる思いで見ているのか、それとも……
一行はアズウェルの城に足を踏み入れた。見た事も無い、白く艶やかな石で出来た床や壁や柱は顔が映る程磨き上げられ、手の込んだ模様の見事な敷物の上には塵一つ落ちてはいない。
美しく清浄な其処は、まるで彼らの来訪を待っていたかの様に感じた。
「商人が来た」
「商人が来たわ」
鈴を転がすような声がしたかと思うと、貴婦人が数人走り寄ってきてジルを取り囲んだ。
「今日は何を持ってきたの?」
「私、新しい髪飾りが欲しい」
「珍しい宝石ある?」
それは、平和な光景。久しぶりの商人の来訪を喜ぶ貴婦人達。
「その前に王にお会いしたいんですが」
単刀直入にジルが申し出ると、貴婦人の一人がつまらなそうに「ちょっとまってて」と云い、何処かへ行った。
エルヴィンはこの穏やかな光景を見て何とも云えない違和感を感じた。平和だ。平和過ぎる。城下街があのような状態なのに余りにも城の中だけが平和過ぎる。
しかし、此処の貴婦人達は飢えている様子も闇に囚われている様子も全く無い。その言い様の無い違和感はカミルも、そして貴婦人にとり囲まれているジルも感じていた。
ふと、エルヴィンは自分達の入って来た城の入り口から、城下街の方を見た。
……途端に、“違和感”は“恐怖感”に姿を変える。
自分は狂ってしまったのか?
エルヴィンは酷い目眩を感じて、その場に踞った。
「しっかりしなされ、エルヴィン殿」
そう云いながらもエルヴィンと同じものを目にしたカミルは驚きに声を強張らせる。
ジルも、貴婦人達に愛想笑いをしながらも、内心穏やかでは無かった。
城の入り口の、見事な造形の柱の間から、街の様子が手に取るように見えるのだが、それはこの城内に入る前に彼らが通って来た、見て来た、その街では無かった。
―そんな筈は無い、確かに俺達はあの街の中を歩いて此処へやって来た―
エルヴィンは叫びだしたくなるのを必死で抑えた。
土埃に埋もれ、死の街と化した筈の其処には市場が開かれ、色とりどりの果実や作物、布地で彩られ、それに負けず劣らずの色彩の衣を身に着けた人々が行き交い、笑い声まで聞こえて来たからだ。




