ドワーフの報せ
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ヒルデガルトはミルラの艶々とした黒い髪を梳き、ヴェロア風に結い上げていた。
年齢も判らぬ程痩せこけていた彼女の顔は段々肉が付き、年相応の可愛らしさが戻って来ている。
「妾も若き頃は黒髪じゃった、そなたのように真っ直ぐでは無かったがの」
異国の王妃自らに髪をいじられ、緊張しているミルラにそう話し掛けると「王妃様もアズウェルの人……なん……なのでございますか?」とたどたどしい敬語が返って来て、王妃は少しばかり笑った。
「そのように無理に云い慣れぬ言葉を使わずとも良い。子供は子供らしく振る舞うのが一番じゃ」
それを聞き、少しばかり緊張が解れたミルラの髪はすっかりヴェロア風に結い上げられ、生花の飾りまであしらわれていた。
「わあ、綺麗。ヴェロアの人はいつもこんなに綺麗な髪形にしてるのね」
鏡を見るや否やはしゃぎ出すミルラにヒルデガルトは思わず目を細める。
「ヴェロアで黒髪と云うのは珍しいらしがの」
「王子様は真っ赤な髪なのに」
「エルヴィンは妾の子ではないのじゃ。王の血は引いているが本当の母子ではない」
はしゃいでいたミルラの顔が曇った。子供ながらに聞いてはいけない事を聞いたと感じて。しかし。
「本当の親子かと思った」
「ほう?」
「だって、王妃様、エルヴィンのほっぺを叩いたでしょう? 私も遅くまで外で遊んでいると、母様に叩かれたもの。そして母様はあの時王妃様が云ったのとそっくり同じ事を云うのよ」
云いながらミルラは母の暖かい手を思い出し、黒い瞳を潤ませたが、泣き出しはしなかった。
きっと、両親と街の民の無念はこの異国の王妃が晴らしてくれると信じていたから。
そして、ヒルデガルトは自分の右手を見詰める。あの時打ったエルヴィンの頬の柔らかさ、そして初めてエルヴィンが自分の事を“母”と呼んだその感動を噛みしめていた。
「まあ、王妃様お手ずからこの子の髪を結ったのでございますか? お申し付け下されば侍女にやらせましたのに」
女官がヒルデガルトの部屋に入ると、美しく結われたミルラの髪を見てそう云うのでミルラは少しばかり居心地が悪くなった。
「何を申す、この子は王子の客人、云わば国賓ぞ、もう少し気を付けて物を申せ」
ヒルデガルトがたしなめ、今度は女官の方が居心地が悪くなった。しかし、長く勤めて来た女官はそのような事では怯まない。怯んではいられない。
「王妃様、お伝え事がございました」
「何じゃ?」
「ドワーフが一人、王妃様か王子様に会わせてくれと城門にいるそうです」
ドワーフと訊いてヒルデガルトは直ぐ様エルヴィンの実母マルガレーテを思い浮かべたが
「男か女か? 名は何と申す?」
「歳を取った男のドワーフです。名はエン……」
「エンリケか?」
「確かその様な名前だったと存じます」
エルヴィンの祖父、エンリケが城に何の用か。エルヴィンは既にアズウェルに向かっている。
「通せ」
「えっ……でも」
「妾が通せと申しておるのじゃ、通せ」
「承知致しました」
女官が去るとヒルデガルトはミルラに向き直り「侍女に菓子を持って来させよう」と云い、部屋を後にした。
エンリケは十歳ほど歳を取ってしまったかのように老け込んでいた。
「何の用じゃ? 城に参ったと云う事はそれ相応の用事なのじゃろう?」
ドワーフの名工と云われたエンリケが只の年寄りに見えてヒルデガルトはただならぬ不安を感じていた。エルヴィンに会いたいと云うだけなら、このようにやつれ果てている筈が無い。
「実は、エルヴィンの母親が行方知れずになりまして……エルヴィンに会いに此所へ来たのではないかと……」
まるで百年生きた年寄りのような嗄れた声。飲まず食わずで此所まで来たと云う事が見てとれた。
「マルガレーテが? 此所へは来ておらぬぞ」
嘘偽りないその言葉を訊くと、エンリケはがっくりと膝から崩れ落ちた。
「探してやりたいが、今は戦になるかならぬかの瀬戸際で手が足らぬ、すまぬエンリケ」
いつ伝令が戻って来るか解らぬ今、全ての騎士を待機させている。そんな折りに数人でも欠ければ全てが水の泡になるのだ。
「いえ、村の者が総出で探していますから御気遣いはご無用……全く、あの跳ねっ返りめ、一体何処へ行ったのやら……」
エンリケは力なく笑う。
「帰りは何とする? そなた、酷く疲れておるようじゃ。少し此処で休まれては如何か?」
エルヴィンが居なくなった時のあの心労を思い出し、他人事では無くなった。しかしエンリケは
「村の者に馬車を出して貰ってますゆえ、赤子の面倒も婿に任せっきりなのでこれで……」
そう辞退し、城から去って行った。
エルヴィンが居ない時で良かった。もし、この事が彼の耳に入れば心中穏やかで居られぬだろう。ヒルデガルトはエンリケの寂しそうな背中を見送りながらそう思った。




