赤い石
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ジルとミルラがアズウェルの街で見て来た惨状を話すと、広間にはどよめきが起こった。
特に、「黒い小さな蜥蜴が耳の中に入るのを見た」と云うミルラの報告は、ヒルデガルトの昔の体験と合わさり、信用出来るばかりではなく、裏でアズウェルの王を操っている者が居ると云う確証に到った。
しかし、何故ミルラだけが助かったのか、その疑問も払拭出来ない。
“結界”に弾かれる事無く城内にこうして居ると云う事は、“悪しき者”に魅入られし者ではない。では、何故?
「ミルラよ、そなたは何か“守り”の様な物を身に付けておらぬか?」
ヒルデガルトは何か思いついたように痩せた女児に問うた。
アズウェルの者は例え子供であっても金や銀の装身具を身に着けている。現にミルラも金の首飾りを何重にも巻いていた。そして、その小さな腕には重そうな赤い石の嵌められた金の腕輪が。
「ミルラ……その赤い石の腕輪……」ジルが何か思い出したように云う。
「ヒルデガルト様、この赤い石は“竜の血”と呼ばれる宝石で、古来より災いを遠ざける石として珍重されて来ました。自分が北の国から買い付けてミルラの親に売ったものです」
“竜の血”と呼ばれる赤い石は、竜の血が永年掛けて結晶したものと云われている。不老不死の妙薬と云われる竜の血が固まったものだ。守りの力も比類ないものとされている。ただ、貴重で珍しいもの故、その効果を実感出来た者はこの大陸の歴史の中でもごく僅かだ。
ミルラは赤い石を見詰めてもの思いに耽る。きつと我が儘を云いこの石をねだった時の事を思い出しているのだ。
「私……この石がどうしても欲しくて……自分のものにしたくて……父様にねだったの。最初は売り物を子供にやる訳には行かないと云ってたんだけど、この石は珍しくて高価だから中々買い手が現れないかもしれない……だからミルラ……いいよ、買い手が現れるまでお前が大切に持ってなさい。って……」
ミルラは思った。もしこの石が“守り”なら三つに割り、親子三人で持っていたなら、父も母も死なずに済んだかもしれない。
否、いつその事粉々にし、街中にふりまけば誰も死なずに済んだかもしれない……と。
小さなミルラは我が儘を云った挙げ句、一人だけ助かった罪悪感に囚われ肩を震わせ涙をこらえている。
「ミルラよ」そんな彼女を見てヒルデガルトは云う。
「そなたは子供じゃ、子供が自分を責めるものではない。そなたの両親も自分の子が助かってまことに良かったと思っておろう」
ミルラは耐えきれず涙を溢した。そして自分の赤い石の腕輪を外すとヒルデガルトに捧げた。
城の中に居れば守りは必要ない。その行為はつまり
「そなたの願い、きつと果そう。この石を使い、そなたの両親と街の民の仇を取ってやろう」
その言葉にミルラは涙を止められぬまま黙って頷いた。
ヒルデガルトは偵察部隊として数名の騎士をアズウェルに向かわせる事にした。
しかし、僅かな人数だとしても甲冑に身を包んだ騎士が剣を携え乗り込んで行けば警戒される。
そこでジルの馬車を借り、旅の商人に変装させる事となった。
これなら馬車に甲冑や武器を積んでいるのを見付かったとしても売り物だと言い張れば済む。
「でしたら僕も一緒に行きます。自分の馬車ですし、アズウェルの事にも詳しいですし」
商売道具の馬車を貸すのが余程不安なのか商人ジルはそう申し出た。アズウェルの街のあの禍々しい空気を思い出し身震いしたが、良い客だったアズウェルの民の仇を討ちたい気持ちもあったのだ。
それに、常に獣や盗賊の驚異に晒されている旅の商人は身を守る術も心得ている。我流ではあるが剣や弓矢を使う事が出来た。
案内役としてジル、隊長としてカミル・キール、そして伝令役として城で一番速く馬を走らせる事が出来るラインハルト・ケストナーが選ばれた。
「俺も行きます」
エルヴィンが声を上げる。しかし
「そなたは城に残っておれ、大事な世継ぎじゃ、何かあれば何とする」
ヒルデガルトの云う事ももっともだ。行方知れずになり、やっと帰って来た世継ぎは今度は異国の地で還らぬ人となっては元も子も無い。
「母上、お忘れですか? 俺が父上の血を引いている事を」
「しかし、完全に王と同じと云う訳ではない、どの程度の傷なら治り、どの程度の傷なら死ぬのか解らぬ。そなたが行くぐらいなら妾が行く」
顔にこそ出していないが、ヒルデガルトは必死でエルヴィンを説き伏せようとした。
「あの“黒い影”については心配要りません。ミルラの腕輪があれば襲って来ないだろうし、それに」
「それに?」
エルヴィンは云ったものか逡巡した。あれは偶然だったのかもしれない。それに城を抜け出している時に“黒い影”に襲われそうになった事を話せば、ヒルデガルトは自分を牢屋に入れてでも引き留めるだろう。
「剣の腕も馬術も、かなり上がったと自負しております。少なくとも足手まといになる事はありません」
銀髪の王妃は彼の目に、ベリアルがあの化け物を倒した時と同じ光を見た。




