母たるもの
†
土埃を蹴立て、重々しい蹄の音を響かせる二頭の馬に乗った人間を、ドワーフ達は驚きの眼差しで見た。
一人は青い衣を纏ったヴェロアの騎士。
もう一人は銀髪の老婦人。
どちらも恐れおののくドワーフ達には目も呉れず、エルヴィンの生家……村の長エンリケの家に向かっていた。
エンリケの家に着くと、扉も叩くのもそこそこに、中の者が応える間も無く扉を開けた。
「エルヴィン殿が此方に帰ってはおらぬか?」
カミルが室内に居た人影に問い掛けると、それに驚いたらしい赤子の泣き声が返って来た。
「エルヴィンは行ってしまいました」
赤子を抱いたマルガレーテはヒルデガルトと同じく青ざめた顔で、泣き声に掻き消されそうなか細い声で云う。
「行ってしまった? ならばエルヴィン殿は一度此処へ立ち寄ったのだな?」
マルガレーテはそれ以上何も云わず、はらはらと涙を溢した。
ヒルデガルトも、カミルも、マルガレーテの話しを訊くまでもなく、エルヴィンに何が起きたのか大体察しはついた。
突然の来客に驚き泣く赤子。母の温もりを求めて遠路を駆けて来たエルヴィンにとってそれは母の愛を奪い盗る忌々しい邪魔者でしか無いのだ。
「マルガレーテ、エルヴィンが何処へ行ったのか知らぬか?」
ヒルデガルトにしてはあまりにも愚問。知っているならマルガレーテはここにこうして留まっては居ないだろう。しかし、そう訊かずにはいられなかったのだ。
馬だけ城に帰って来たその意味を、確信したくは無かったのだ。
マルガレーテは首を振る。涙が珠となり飛び散った。
ヒルデガルトは彼女に落ち度は無いと認めながらもエルヴィンの悔しさや悲しさを思うとどうしていいのか解らず「エルヴィンと共に消えた馬だけが城に帰って来た」と告げた。
マルガレーテは赤子を抱いたまま膝から崩れ落ち、狂った様に泣き叫ぶ。
「ああ! エルヴィン! ごめんなさい」
その言葉を繰り返しながら。
そのような事を云わぬでも良いのに……エンリケの家を後にし、馬に揺られながら、悲しげではあるが何処か勝ち誇った様子の銀髪の老婦人の、真っ直ぐに延びた背を見ながらカミルは思った。
しかし、こうしては居られない。生家にも居ないとなると、もうエルヴィンは何処へ行ったのか見当も付かない。
湖の底に沈んでいるのか、狼に喰われたか……もしくはあの黒く忌まわしい者に襲われたのか。
不老の王の血を引き、実際比類ない治癒力の有るエルヴィンだが、何処までその“血”の効力が発揮されるものか解らない。
成長しているのが何よりの証拠だ。王がそうであった様に不老の者は成長などしない。
「城へ戻る」ヒルデガルトは背を向けながら云う。
「あの子が帰って来ているやも知れぬ」
こちらを向かないのは、泣いているのか、疲弊し崩れた顔を見せたくないのか、カミルは王妃の心中を察し「御意」とだけ返した。




