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真実の王が眠る城  作者: 鮎川 了
Rückkehr
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アズウェルの子供




 エルヴィンは酷い目眩に襲われていた。

 城を出てから、何も口にしていない。母マルガレーテの料理を期待していたがあの有り様だ。何も考えずに飛び出して来たので無論、食糧は何も持って来ていない。

 辺りはすっかり暗くなり、またあの黒い影が現れるのでは無いかと云う危惧もあったが、もう、空腹でそれどころでは無かった。

 茸料理や、羊の肉と豆や木の実のたっぷり入った詰め物、固くなったパンをミルクに浸して焼いて木苺を煮詰めたのをかけたもの……頭の中は食べ物の事で一杯だった。しかもその殆どがマルガレーテの手料理。

 疲れもあり、目蓋が重くなる。空腹と疲れで手綱を持っているのがやっとだった。

 少しばかり微睡まどろんだせいか、食べ物の事ばかり考えていたせいか、何かを煮るような良い香りがして来るような気がした。

「ああ、母ちゃんのよく作っていた煮込み料理の匂いだ」 

 薪が燃える匂いまでする。何と幸せな幻なのだろう。  

 馬が進むに任せているとその匂いは段々近くなる。

 やがて、橙色の光りが見え、その側にふたつの人の影があるのを見た。

 一人は頭に布を巻き付けた異国の商人風の若い男、もう一人は……小さな老婆だ。ドワーフかもしれない。

 エルヴィンは、何か云おうと馬から身を乗り出したが、その弾みで馬から落ちた。

 手綱を掴む手も力尽き、そして馬は何処かへ逃げてしまった。


 気付くと、商人風の男がエルヴィンを覗きこんでいた。

「子供一人でこんな暗くなるまで遊んでちゃ駄目だな、腹が空いたろう?」そう云いながら、木の椀を差し出す。暖かな湯気が立ち上るそれを見た途端、エルヴィンは起き上がり、そしてそれを貪り食った。

 豆と干し肉と野草を煮たものだったが、干し肉から良い旨味が出て豆に染み込み、野草も歯触りが良かった。

「その様子だと何も食べてなかったようだね、君もアズウェルから来たのかい?」

 名残り惜しそうに木の椀に顔を突っ込んでいるエルヴィンは“アズウェル”と訊いて顔を上げた。

「アズウェル?」

「違うか……アズウェルの民に、赤毛はいない筈だからね。お代わり要る?」 

 何と云って良いものか解らずに椀を差し出すと、若者は料理を溢れんばかりによそってくれた。

 ふと、横を見ると小さな老婆がそれと同じものを黙って機械的に口に運んでいた。

「僕の名はジル、旅をしながら色んな物を仕入れたり売ったりしてる。こっちはミルラ、アズウェルの大きな商店の子なんだけど……」 

「俺はエルヴィン……」 エルヴィンは名乗りながらもジルの言葉に妙な違和感を感じていた。“子”? ミルラとはこの老婆の名前なのだろうが“子”とは……思わずミルラの方を見た。そういえば老婆なのに髪は真っ黒で白髪ひとつ無い。

「ミルラはもうずうっと何も食べていなかったんだ。お金持ちの商人の子で、丸々と肥っていたのに、こんなに痩せて」

 それを訊いてエルヴィンはやっと合点がいった。成る程、ミルラにはヒルデガルトやエンリケ、グスタフのような老人特有の老練された物腰が皆無だ。しかし、背丈からしてエルヴィンより年下だろうが、何故そんな子供がこのように痩せ細ってしまったのか。 

「アズウェルの街の人々はミルラを残して皆死んでしまったんだ」

「えっ……?」

 再びミルラの方を見ると彼女は、落ち窪んだ目を潤ませていた。 

「父様と母様がずーっと寝たままで……仕事もしないで、物も食べないで寝たままで……」

 ミルラはとうとう、洞穴のような眼窩から涙を落とした。

 泣きじゃくる彼女は確かに子供だ。

「本当にアズウェルの人達は皆死んでしまったの?」エルヴィンはジルに問う。それが本当ならば戦は起こらずに済むかもしれない。

「僕が見たのは城下街だけだった。城に行こうとも思ったけど、恐くなってミルラを連れて街を飛び出して来たんだ」

 ジルの顔が青ざめる。そう、あのアズウェルの街の禍々しい空気。それを思い出して。

「母様と父様が寝たきりになる前、黒い小さな蜥蜴とかげが耳の穴の中に入るのを見たの、あの蜥蜴のせいでみんな死んでしまった」

 ミルラが泣きながらうわ言のように云う。 

 エルヴィンの胸の中で確信と疑問が対になる。

 ―あの、“サヴラ”と名乗る黒い影が関係しているのでは?― 

 ―このミルラは何故、無事でいられたのだろう?―

「ジル、一緒に城に行ってくれないか? ミルラも」  

「アズウェル城に? それはちょっと……」

「違う、ヴェロア城だ」

 エルヴィンは思った。もし、このミルラと云う少女が“黒い影”に魅入られた者なら城の結界に弾かれる筈だ。そうでなければ何かアズウェルの情報を聞き出せるかもしれない。

 そう考えながらも、今にもまたあの黒い影の化け物が忍び寄って来ているのでは? と身震いした。

 何処かでふくろうの鳴く声がする。その声にさえ心臓を震わせながら朝になるのを待った。   



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