変貌する姫君
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エルヴィンには妙な確信も在った。
何故、ドワーフの村に居る間、あの“黒い影”に襲われる事が無かったのか。
ヒルデガルトの話では城には名だたる魔法使いが結界を張っている。その結界の様なものが村には存在するのではないかと。事実、襲われたのは村の外、一人きりで居るときだった。
或いはドワーフ達そのものが悪しきものを遠ざける結界になっているのではないか? と。
それならば、自分のせいでドワーフ達が襲われる事は無いだろう。
一杯食わされたのだ。あの如才ない老女に。
そう思うと城に居た歳月がとても惜しく感じられた。
やっと森に入ったあたり、馬は重い足取りで走る。まるでエルヴィンを咎めているかのように。
城一番の駿馬の筈、なのにその脚は遅く愚鈍に感じられる。
とうとう、馬は立ち止まり怯えたように耳を立てた。
「どうした? 何故止まる?」
刹那、厭な空気が辺りに漂うのを感じ、エルヴィンは剣に手をかけた。
危機を告げるようにけたたましく鳥が鳴く。
その気配が強くなるのを待っていると枝を踏みしめる音が聞こえて来る。
逃げようと焦る馬を必死で馭していると人の声がする。
それは、消え入りそうな細い声。
「もし、ヴェロアの王子様で御座いませぬか?」
それは背後にいた。
しかし、あの醜悪な黒い化け物では無く、しなやかな身体に黒い衣を纏った若い女だった。
「貴女は……」
きっと、この女も周りのただならぬ気配に狼狽し、心細く思っているのだろう。そう思い、エルヴィンは安堵の溜め息を吐く。
黒いベールから覗く顔はこの世のものとは思えぬ程美しい。肌はまるで象牙の様だ。だが、
「先に私の問いにお答え頂けませぬか? あまり長くはこの形を保っておられませぬゆえ」
そう云った途端、美しい女は身体の中から恐ろしい音をさせ、醜い化け物に変貌した。
「そなたはヴェロアの王子であろう? やっと見付けた、今迄何処に隠れていたのじゃ? 妾をこのような姿にしたヴェロアの王族を許してはおけぬ」
か細く美しい声も、地獄の獣の咆哮の様な、身の毛もよだつ響きに変わった。それよりも
「この様な姿に変えた? もしや貴女はアズウェルの姫君か?」
ホルトの云っていた事が、割れた陶器がぴたりと嵌まるように、この怪物の言葉と重なった。
そして、エルヴィンがそう訊くなり、化け物は元の美しい女の姿に戻った。
「その通り、私の名はサヴラ、アズウェルの第三王女、私に掛けられた竜の血の呪いを解くためにヴェロアのべリアル王子を探しております。しかし、このように人の姿、人の心に戻れるのはほんのひととき。少年よ、今度私が変化したらお逃げなさい。今度こそそなたを手にかけてしまうやもしれません」
サヴラと名乗ったその女は、何かに必死で耐えているようにそう云った。
―きっと、化け物に変貌するのを耐えているのだ。本当は姿だけでなく心まで美しい人なのだ。それが何故―
エルヴィンは悟り、彼女の言葉に頷いた。
「竜の血の呪いとは何なのです? 一体、貴女と王の間に何が在ったのです?」
エルヴィンが訊いたその直後、サヴラの身体から再びあの厭な音がした。
「少年よ、お逃げなさい早く!」
エルヴィンは怯えて今にも逃げ出しそうにしていた馬を駆り、その場を離れた。
流石城一番の駿馬、先程までのあの重い足取りは何だったのかと思う程の速さで駆け、化け物に変化したサヴラが追って来る事は無かった。




