微かな希望
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風が秋の匂いを運んで来て、エルヴィンはもう収穫際の季節が近い事を知った。
村の皆で夜通し歌い踊り、女達は自慢の料理の腕を競い合う。
中でも母の料理の腕には誰も敵わなくて、エルヴィンは毎年鼻高々だった。
―こんな美味いものが毎日食べられるなんて、お前は幸せだな―
村人はエルヴィンを心底羨ましがった。
そうだ、幸せだったのだ。幸せ過ぎたのだ。
あの幸せな日々はもう二度とやっては来ない。そう思うと視界が涙でぼやけた。
ヴェロアの城に来て、ひと月以上経つが、どうしても此処が自分の居場所では無いような気がして居心地が悪い。当たり前だがドワーフは一人たりとも居ず、周りは皆人間ばかりだった。
王族としての立ち居振舞いや礼儀作法、読み書き算術、歴史や文化、剣術、馬術、それらを覚えるのに日々は明け暮れたが、ふと、手の開いた時は言い様のない寂しさに襲われた。
エルヴィンに剣術を教えているのは、あのカミル・キールと云う青年だ。未だ真剣は持たせて貰え無いが、数々の習い事の中でこれだけは唯一楽しみにしていた。
理由は思いきり身体を動かせるから、寂しさや不安を発散出来るから。そのせいかエルヴィンの剣術の腕はめきめきと上達して行った。
そんなある日。
「もう真剣を使っても良い程上達しましたなエルヴィン殿、剣術試合に出られては如何かな?」
と、カミルが云う。
「試合?」
「試合と云っても、城の者達の余興のようなもので真剣は使わぬが、勝ち進めば騎士としての位が上がり、褒美が貰えますぞ」
「褒美って? お金とか?」
「それも在るが、予め出場者は欲しい褒美を決めておくのだ。係りの者が承諾すれば優勝した際にそれが貰える。大体皆、金銭や新しい剣や馬を所望するが、休暇を褒美にしてくれと云う者も多い」
エルヴィンの目が輝いた。そう、故郷の村への里帰りを褒美として所望出来ないか? と。
「俺、出るよ……出ます!」
カミルはエルヴィンが何を考えているか解ったが、剣術が上手くなったとは云えまだ子供、勝ち進む事など出来ぬだろう。と、高を括った。
それに、この城に来て初めてエルヴィンが晴れやかな顔をした。屠殺場に居る子牛の様な顔ばかりしていたエルヴィンが。カミルはそれが嬉しくてならない。
「試合はいつ?」
「ひと月後。それでは、稽古を続けますぞ、いつもより厳しくするので覚悟するように」
「はい!」
赤い髪を振り乱して、木製の剣を振るうエルヴィン。それを難なく受けるカミル。
その様子を、自室の窓から見ていたヒルデガルトはふと笑みを漏らす。
「やはり血を引いておるな、王に生き写しじゃ」
後に控えていた女官が頷いた。




