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 教師の説教に免疫が付いたわたしは、生意気な行動をとるようになり、それは徐々にエスカレートしていった。

 ノートをとるどころか、授業を聞くことさえしなくなっていき、授業中に居眠りをすることは当たり前になっていた。そしてその都度、先生に注意される毎日。


 成績を常に学年五位以内をキープしてきた、真面目で至って普通の生徒であるわたしの異常な行動を、さすがにみんなは気付いたらしかった。

 いきなり教師に呼び出され、悩み事があるのかと問い詰められたり、友達が「宿題を見せて」や「ここのところ教えて」などと言って来なくなり、いつの間にかわたしは、完全に浮いた存在となってしまっていた。

 そしてそれは、まるで以前のことがなかったかのように、当たり前のこととなっていく。両親は相変わらずだけど、友達は離れていき、教師は諦めたのか何も言わなくなった。

 わたしものんびりだらだらと過ごす毎日が楽しいわけじゃなかった。ただ厄介なことに、その生活に慣れてきていた。

 ちょうどそんなときだった。ある日の放課後、わたしは忘れ物をした。


 いくらぼうっとしていたとはいえ、忘れ物が初めてだったわたしにとって、その日は一大事な出来事だった。誰もいない廊下を走って、わたしは教室へと戻った。

 窓の外から夕陽の光が差し込んで、日没の早さにもうすぐ秋なのだということが思い知らされた。学校の中は部活動の掛け声やらがこだましているだけで、それ以外は何の物音もしない。

 ひとり息を切らして教室に駆け込み、自分の机を調べる。窓際の席の後ろから二番目。授業を聞かずに窓の外を眺めるようになってからは、この席も気に入り始めていた。

 机の中にぽつんと一冊だけ取り残されていたノートを見つけて、ほっと胸を撫で下ろす。

 忘れたものはノートだけだったが、昔から完璧主義な性格だったせいか、ノートや教科書を持ち帰る癖はまだ直らないらしい。そう思ったらなぜだか笑えてきて、わたしは誰もいない教室で自嘲気味に笑った。


「やだなあ、ドロップアウトするって決めたのに、馬鹿みたい」

「何をドロップアウトするって?」


 ふいに聞こえたその声に驚いて、わたしは思わず、「ひい!」という短い悲鳴と共に飛び上がった。恐る恐る振り返って、声の主を見る。

 変に落ち着いた声とは裏腹に、平凡な男子生徒がそこにいた。柔らかそうな髪をしていて、それでいて堅そうな、真面目な表情が似合う顔立ち。いたって普通の少年といった感じか。しかしよく見ると、整った大人の顔をしているようにも見える。とにかく見たことのない顔だった。


「誰?」


 わたしの質問に、彼は少し機嫌を悪くしたようだった。眉を顰めて、じっとこちらを見つめてくる。


「辻だよ。辻俊一。三年のこんな時期にもなって、まだクラスメイトの顔と名前を覚えてないなんて。お前くらいだよ」

「クラスメイト?」


 そういえば見たことのある顔のような気もする。しかし、話したことがないのは確かだ。クラスメイトの顔と名前も覚えていないなんて、さすがに自分でも呆れてしまう。


「だって」


 と彼の顔を忘れていた言い訳を探す。


「関わりたくないタイプだから」


 と言おうとしてやめた。それはさすがに相手に悪い。


「クラスメイト全員の顔と名前なんて、覚える暇もなかったんだもの」


 代わりに出てきた言葉は、妥当な理由だった。

 そうだ、わたしは今まで勉強や塾で忙しくて、名前を覚えるどころじゃなかった。ひとりの顔と名前を覚える余裕があるなら、少しでも多くの将軍の名前や英単語を覚えようと、とにかくいつも焦っていた。

 友達と呼べる間柄ではあったクラスメイトの子達とも、一緒に帰ったりはしていたが、遊びに出掛けた記憶もないし。家に帰れば予習復習は当たり前。そんな毎日だった。

 今思い返すと、本当によくやっていたと思う。我ながら感心していたときだった。


「馬鹿馬鹿しい」


 辻くんが明らかに悪意の籠もった眼でわたしを射抜く。


「授業中に居眠りしている奴がよく言うよ」

「え?」


 とわたしは目を丸くして彼を見つめた。

 今、彼はなんと言ったのだろう。馬鹿馬鹿しいだなんて、どうしてそんなことを、今日初めて話した辻くんに言われなきゃいけないのだろう。


「そんなこと――」


 わたしの勝手でしょう。そう言おうとしたときだった。わたしの言葉を遮って、辻くんは続けた。


「だいたい最初から気に喰わない、お前みたいなタイプ。見ていると苛つくんだよ。お前は気づいてないだろうけどさ、陰でなんて言われているか知ってるか?」

「……知らない」

「模範人形だよ。もちろん嫌な意味のな」


 驚いて言葉を失っていると、彼は自分の席――わたしの席の斜め前だった――まで歩いていき、荷物をまとめ始めた。無言で早々にまとめ終わると、辻くんはこちらを一瞥しただけで、颯爽と教室を出て行く。


 たかがノートを忘れたくらいで、取りに戻るんじゃなかった。後悔したけどもう遅い。

 再び誰もいなくなった教室にわたしひとりだけが残されて、どうしようもなく情けなくなった。



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