5-10.黒い血の呪い
王都から遠く離れた場所にある街、イーストレイク。
大陸全体で見た場合にも東端にほど近い位置にあるだろう街であったし、人類の勢力圏内という区切りにおいても、おおよそ東の最果てという表現になるのだろう離れた場所に位置している。そんな街であるだけに、王都クロスロードと東端のイーストレイクの間には「遠く離れた」という表現に相応しいだけの距離が横たわっていたのだろう。
だからこそ、調査資料は距離に反比例する形で段々と薄くなっていて、イーストレイクでのクロスの活動記録などを探る上で参考程度には役に立つ事があるかもしれないが、核心を突くための資料としては、とてもではないが物の役には立たないだろう……。
そうタメ息混じりに注げる青年は、それでもニタリと笑って見せていた。
「だからこそ、コレを俺に託したんだろうがな」
距離が離れれば離れる程に情報の密度が薄くなっていっているのは、ある意味においては必然でもあったのだろう。動員出来る人員の費用対効果の他にも、調査員の慣れなどの問題もあって、距離が離れれば離れるほどに調査にかかるコストと得られる成果のバランスが悪くなっていってしまっていたのだ。そういった部分の兼ね合いやバランスなどの問題もあって、次第に結果を出すのが難しくなっていったからなのだろうと考えられた。
あるいは対亜人戦線の人類側勢力域の境界線、人類にとってみれば対亜人戦争の最前線となるエリアに当たる場所なだけに、余所者を極端に嫌う保守的で排他的な地域性も多少なりとも影響はしていたのかもしれないのだが……。
「騒ぎを抑え込むのに成功しただけじゃない、ようやく物的、人的な証拠を隠滅したりして、人々の記憶からも事件の痕跡が薄れ始めてたってのになぁ? そんな十年前の“大事件”を、今事になって何を思ってほじくり返そうとしてるんだって……。余所者が、こんな場所にまでやってきて、何をやらかしてんだって。そんな風に胡散臭がられるのは、むしろ当たり前だんだろうな……?」
あそこは、そーゆートコだ。……だろ?
そう、その場所に住んでいたはずの経験者に聞くのが一番とばかりに尋ねる青年に、クロスは大して興味もなさげに「そうなのかもしれませんね」と曖昧な肯定を返していた。
「まっ、正直に言って、こっち側が掴んでるネタは、そう多くはないんだ。この資料は色々と参考になったし、お前の事を改めて調べてみると色んな胡散臭い埃が叩くたんびに出てくるのがいささか困りものといえば困りものではあるが……。でも、まあ、過去が改ざんされているのだとすると、色々と、あちこちに記録上の矛盾点があるのは、逆に当然と見るべきなのかもしれないな」
少なくとも、そういう矛盾部分が改ざんされた痕跡であるというのは間違いなさそうなのだから、逆説的に考えてみれば、そういう部分を解きほぐして、本当の過去を暴きだしていけば、十年前に、湖のほとりにあるという東の果ての街で何が起きていたのか……。それを探り当てる事も、あるいは出来るのかも知れないのだから。
「知っていることは少ないと言ってみたり、知ってることがあると言ってみたり……。なかなか忙しい人ですね」
そんな苦笑交じりの言葉に青年も同じような笑みを返していた。
「そりゃあな」
ま、それも俺の仕事だ、と。そう適当な言葉で相槌を返しながらも、手元に広げていた調書をめくっていた。
「……そういや、お前。王都に来て、どれくらいになるんだ?」
「細かくは覚えていませんが、たぶん半年くらいは過ぎているんじゃないかと……」
多分、一年は過ぎてないんじゃないでしょうか。そう首をひねりながら答えたクロスに、僅かに頷き返しながら「東門の入門記録から辿ると、おおよそ八ヶ月って所みたいだな」とだけ答えを教えていた。
「良い加減な審査しかしてなかった割には、履歴はしっかり残ってたんですね」
「いや、通門記録にはお前の事は載ってなかったらしい」
何故、東門から街に入ったのに履歴が残っていないのか。
それは、その日に入門審査の警備の仕事を請けていたアーノルドが立場を利用した融通を利かして受付を通さずにクロスを街に入れてしまっていたからだった。
そのため、履歴上には『昨日、門番が自分の判断で「問題なし」としてヘレネ教会の治療士を一名入門させた』としか申し送りの資料に残っておらず、何時、どういった名前の者がそこを通ったのか、正確には記録されていない状態になってしまっていたのだという。
「そういえば、あの時には冒険者ギルドの人に色々と良くして貰ったんでした」
「見ず知らずの他人の親切ってヤツの裏側には常に下心ありってな。どうせ、面倒臭い入門審査なんか後で俺が代わりにやっといてやるから、入っちゃっていいぞってトコから始まって、その後、飯おごってやるよって続いて、最後には、君、なかなか良い技術持ってるじゃないか。俺みたいな冒険者になって、一緒に一攫千金の夢を掴んでみないかってトコじゃないか?」
そう見事なまでに、その日の行動をトレースしてみせた青年に、まじまじとクロスも顔ごと視線を向けてしまっていた。
「……なんだよ?」
「いや、見事なまでに、その通りだったんで……」
「あのなぁ……。こんなの、典型的な勧誘の手口じゃねぇか。そんな風にボケボケっとしてっと、馬の生目を抜く王都じゃ、すぐに騙されれて鴨にされるぞ」
大丈夫かよ、コイツといった目で見られる事はいささか心外であったのか、クロスは少しだけバツの悪そうな顔でそっぽを向いてしまっていた。
「恐らく腕の良さげな治療士が通りかかったら、そのままギルドにでも拉致ってこいやとでも指示されていたんだろうがな。……ま、あのじーさんのやりそうなこった」
言うまでもないのだろうが、冒険者という家業には怪我がつきものである。仕事の中で魔物と戦う事を日常としている彼らの成果が、治療士や薬師の力に陰ながら支えられているのは今更わざわざ言うまでもなかったのだ。
だからこそ、そういったケガの多い者達を率いているギルドの長は、常に身内に腕の良い治療士を抱えたがっていたし、街中にある治療院よりも出来るだけ現場に近い場所に。出来ればケガをしやすい冒険者達の、すぐ側にこそ居てほしいと願うのは、むしろ当たり前の事だったのかもしれない。
ましてや、この街は、内部に大陸でも屈指の巨大ダンジョンを二つも抱え込んでいるという特別過ぎる街でもあったのだから、その需要は、まさに天井知らずだったのだから……。
「なるほど。……ところで、じーさんとは?」
「あん? 冒険者ギルドのギルドマスターのことだよ。……会ったことは?」
「ないです」
「まあ、そうだろうな。駆け出しの新人が、そうそう会えるようなヤツじゃないし……」
むしろ、日常的にギルドマスターに呼び出されたり、直接仕事を命じられたりしているようなアーノルドのような立場が異常、あるいは特別というべきだったのかもしれない。
「そうして、お前は、この街に腰をおちつけたって訳だ」
「まあ、そうですね」
王都に辿り着いた日に知り合った面々と未だに仲良くやらせて貰っている事を考えるに、あの日が、自分にとって、どれだけ特別な日だったのかということを今更ながらに思い知らされた気分であったのかもしれない。
「なんで、お前は、この街に来たんだ?」
なんでもない日常会話や雑談の合間に、こうして物事の核心を突くような、謎の本質に対する質問を混ぜ込んでくるのが取調官のテクニックというものなのかもしれない。内心の僅かな動揺を表に出さないように気をつけながら、クロスは出来るだけ平坦な声で答えていた。
「……それを勧められたからです」
「誰にだ?」
「当時の私の上司にあたる方です」
もっと具体的に言えば、イーストレイク教区にあるヘレナ教会の管理者である司祭ということになるのだろう。
「どうして、王都に行けと?」
「高い素質があると見込まれたのと、種族特性による高い魔力と大きな魔力量をもっと有意義に活かせるように、と。……基本的な技術は仕込み終わったから、後は現場での経験を積み重ねていって、腕を磨きなさいと勧められました」
貴方ほどの魔力と魔力容量があるのであれば、それを十全に活かしきれる職場となると、今の時代では王都の治療院くらいしかありません。幸いというべきか、今の王都の我が教会を預かる司祭は亜人の方で、部下にも多くの亜人を抱えています。そんな貴方を受け入れやすい土壌となっていますから、と。そう勧められたのだとクロスは答えていた。
「……本当に?」
そんなクロスの、これまで幾度となく繰り返してきた説明に、初めて疑問を突きつけてくる相手が現われていた。
「本当ですよ。他に何の理由があるって言うんですか」
「いや……。お前、自分が何を言ってるか分かっているのか?」
「何って……」
「お前、イーストレイクから来たんだろう? しかも、そこで治療士になったって?」
「はい」
「そこがそもそも疑問なんだが……。いや、まあ、いいか。それなら、幾つか質問するぞ」
フゥと小さくため息をつきながら、ペラリと資料の冊子をめくる。
「お前が、治療士となるべく訓練を始めたのは何歳の時だ?」
「細かくは覚えていません」
「おおよそでいい」
「……多分、八年くらい前かな……」
う~んと唸りながら首をひねる姿を見るに、恐らくは本当のことなのだろうと思われた。
「となると、十才から本格的に治療士の道に入ったって事で良いのか?」
「幼いころから教会で聖職者としての修行は行っていましたから、基礎教養や基礎課程といった基本的な部分は免除されました。おそらくは、潜在的に、そういった部分が訓練されていた状態だったんだと思います」
ただでさえ厳しいとされる聖職者見習いの道から、並外れて厳しいとされる治療士の見習いの道へと。その歩んできた道が茨の物であったことは想像に固くなかった。
「辛かったんだろうなぁ……」
「こっちも色々と必死でしたから……。それでも一人前と見なされる三級レベルの技術を身につけるまでは五年くらいはかかりましたし、二級の資格を得るまでには、それから更に数年がかかりました」
そんな普通では在り得ないレベルの速度で技術を習得出来たりしたのも、全ては桁外れな魔力と魔力容量のお陰であり、本人も自覚はしていたのだろうが、これらは忌まわしき魔族の呪われた黒い血のお陰でもあったのだ。
──自分のお陰だぞって、言いそうですね……。
ココ最近は、場所が場所だけに自重でもしているのか姿を見せていないし、声もかけてこない自称パパな青年に言わせるなら、それらは全て自分のくれてやった血のお陰だろうと。それくらいは平然と言ってのけるだろうと思えたからこその苦笑だったのだろう。
「……なにか面白かったか?」
「え?」
「顔だよ、顔。……笑ってたろ? 今」
真面目な取り調べをしている真っ最中に、犯罪者が何処か嬉しそうにも見える微笑みを浮かべてみせたのだ。それを見てイラッとこない訳がなかったのだろう。
「いえ、皮肉だなと思いまして」
「何がだ?」
「あれだけ嫌っていたはずの自分の中の呪われた血が、こんな形で今の自分を手助けしてくれていたのかと。今更ながらに気がついてしまって、皮肉な話だと思ってしまったんですよ」
それだけにしちゃ、なんだかやけに嬉しそうな顔だったがなぁ……?
そういった無慈悲なツッコミはあえて控えておいて、気になった点のメモに書き加えておくだけにしておいて。そのまま、もう少しだけ、想像力の翼を広げてみていた。
──亜人の。特に厄介な力を発現しやすい魔族と人族の間に生まれたハーフ、魔人どもは、往々にして魔族の血が己の中に流れていることをトラウマにしていることが多いと聞く。コイツも恐らくは同類のはずなんだが。……決して他人から魔人と、忌まわしい忌み種、呪われた黒い血の亜人と蔑まれる事を良しとしているはずがない。
それは勘ではあったが、これまでのやりとりの中でほぼ間違いないと考えていた。目の前の囚人は、己が魔族の血を引いていることに劣等感を抱いているし、そのことを指摘されたり、それが原因で忌避されたりすることにトラウマを抱えているはずだった。
程度の問題はあるにせよ、恐らくは、それは間違いがないだろうと思われたのだ。
──だとすると、なぜ、そのことを再確認させられたのに、そのことを喜んだ……?
もしかすると、それを既に受け入れてしまっているのか? ……魔族の血を引いていることに劣等感を抱かずに、それを受け入れて、良しとしてしまっている……?
そんな自分の考えに『馬鹿な。ありえない』といった否定の感情が湧き上がって。それが原因で、ますます困惑が広がっていこうとしていた。
「……感謝でもしたか」
「魔族の血にですか?」
「ああ」
もっと反応を見せろ。そう願いながら。淡々と言葉で嬲るようにして。
「他の連中と違って……。少なくとも、お前にとっては、その魔族の血……。親から押し付けられた魔族の力ってヤツは、ちったぁ役に立ってくれてるんだろう?」
だから、それを喜んで、感謝してたんじゃないのか? おとーさんだか、おかーさんだか知らないがな……。自分に、こんな強い魔力と溢れるほどの魔力量を残してくれてありがと~ってな? こんな風に、それを感謝する日が来るとは思わなかったって、笑っていたんじゃないのか……?
そう小馬鹿にするような態度と声で、挑発するように問いかけてきた青年に、流石に腹が立ったのだろう。クロスは強い視線で睨み返していた。
「……この忌まわしい呪われた力を宿した黒い血は、例外なく両刃の刃なんです。時に、その力強い種族特性で助けてくれたりしてくれたりするのも事実ですが……」
確かにメリットは数多くあった。少なくとも見た目は十才児なクロスが成人男性並の筋力や持久力があるところからして身体的能力は人間を大きく上回っているのは確かだったのだろうし、魔力の高さや量の多さなどはわざわざ比べるまでもない程に差があったりするのだし、桁外れて長い寿命に裏打ちされる必然的結果としての経験情報の多さなど、枚挙にいとまがないほどにメリットは数多くあったのだ。ただし……。
「この身に流れる魔族の血が。こんな呪われた悪魔の血が。なぜ、これが黒い血などと呼ばれて、ここまで忌み嫌われているのか……。そのことを……。すべてのメリットをひっくりかえしてしまう程に大きなデメリットも抱え込んでいるのだということを。……こんな、いつ制御不能に陥って暴走するか分からない“力”なんて!」
まるで何かを噛みしめるようにして。
その端正な顔をひどく歪めて歯を食いしばりながら。
まるで何かを堪えるかのようにして。
その胸のあたりの服の生地をギュッと握りしめながら。
己の掌の中で。じわじわと赤い染みが広がりつつある手中に。服の中にしまいこまれた十字印が力いっぱい握りしめられているのを察しながらも。それでも……。
「……僕達が、本当に、こんな厄介な力を望んで生まれてきたとでも思っているのか」
その呼吸の調子すらおかしくなりそうな程に、ひどく動揺した様子を見せている姿は……。何処か、まるで予期していなかったタイミングで己の過去が暴かれそうになっていた時の姿を彷彿とさせていて。……おそらくは、そう本人が感じたのが原因であり、不意打ち同然のタイミングで本心を暴かれ、心の弱っている部分をえぐられた時に見せる醜態であるのかもしれない。
──ボク、ね。……いつもみたいに私なんて気取った言い方はしないんだな。……つーか、これがこいつの化けの皮が剥げた状態、本性って訳だ。
少なくとも、まるでいつもと違う様子を見せる、苦しみ、怯え、許しを請う幼子のような姿に、目の前の青年は小さな確信を掴んだ気がしていた。
──やっぱりそうか。こいつのトラウマの正体は、きっと悪魔の血絡みだ。……呪われた血の“暴走”を、こいつは過去に起こしている……? そうか。きっと、そうだ。それが、事件の中核。コイツの隠された過去を解き明かす鍵なんだな……!
そんな自分の狂態を眺めながらうっすらと笑みを浮かべている青年の姿に、クロスは気がつけるはずも無かったのだった。