5-9.犯罪者達
なんだか不思議そうな顔をしているな。
そう言いながらも、苦笑を浮かべて手元の資料をペラペラとめくって見せるのは、自分でも不自然に思えて当たり前だと感じていたからなのかもしれない。
「お前がここに収監されてまだ二日目。実質一日半程度の時間で、なんでこんなに分厚い調査資料なんかが用意出来てるのか。……不思議だろ?」
実のところ、俺も不思議だ。
そう口にする男の口調にはあからさまな馬鹿らしさが滲んでしまっていた。
「ホントはセオリー通りに、一々、お前から話を聞き出しながら調書を少しずつ埋めてく予定だったんだけどな……」
いちおー、色々と面倒臭い事になりそうな案件だったから、念の為にと思って上司を通じて“上”に“お前”をとっ捕まえて、翌日から早速自分が責任を持って取り調べを行うって旨を報告しといたんだが、そうしたら、どういう訳だか、その日の夜にコレが届いたのだ、と。
「上って……」
「そりゃあ、俺達が上といえば上だよ」
ここは王宮直属の組織である王宮騎士団の本部である。そんな場所で騎士が「ここの上」と口にするいう事は、それは王宮ということになるのだろう。そして……。
「資料が届いたって……。何処から?」
「さぁなぁ……。何処の誰かは不明だ」
そんなはぐらかすような答えに思わず眉が歪んでしまっていた。
「……何処の誰なのか分からないと?」
「ああ。何処のどいつ様なのか、最後まで名乗らなかったからなぁ」
そう笑って肯定してみせる青年に、クロスは怪訝そうな目を向けてしまっていた。
「自分は、とある“やんごとないお方”の使いだとだけしか名乗らずに『当家の主人からコレを預かって参りました。明日からのお仕事にお役立て下さい』だとよ」
馬鹿にしやがって。そうあからさまに自分の仕事の領分にまで平然とくちばしを差し込まれたのが気に食わなかったのだろう。
男は、薄汚い物を吐き捨てるかのようにして、そう口にしていた。
「……それで、そんな出自の妖しい代物を、素直に受け取った挙句に、こうしてわざわざ持ってきて仕事に使おうしているという訳ですか」
「そう嫌味ったらしく言うなっての。正直、いらねぇよって突っぱねられたら良かったんだがなぁ……。流石に、貴族様からの差し入れともなると、よ……? 分かるだろ? 俺らみたいな下々の者としては、雲の上の御方から差し入れられた品物はへへ~って有難がたがって素直に受け取っておかねぇと、そのことで目をつけられたり、変に角が立ったりとかして、後々面倒臭い事になる物なんだよ」
ま、これも宮仕えの辛いところってヤツさ。
そう苦笑混じりに口にする男は、外部から命じられるままに、差し入れられた資料を元に尋問を行うことを命じられているらしかった。
「でも、まあ、これで一つだけは疑惑がはっきりしたんだ。上の連中から仕事に横槍入れられるのも、悪い事ばかりじゃないってことだな」
そんな言葉に意味を汲み取るのに失敗したらしきクロスに、青年は笑って教えていた。
「お前に『何かあるはずだ』って疑ってみた所で、具体的な証拠と根拠とかがあった訳じゃないんだ。ただ単に、入門の審査で赤判定が出た時の態度が怪しかったからなんていう、すっごい薄っぺらい根拠だけを元に、こうして身柄を拘束してたんだぜ? そんな根拠の乏しかった疑いが、初日からいきなり『確実に何かある』って確信に変わってくれたんだ。これで冤罪って線は確実に消えてくれて、安心して取り調べることが出来るようになったんだから、収穫といえば、コレ以上ないくらいの大収穫ってなモンだろ?」
その言葉を直訳したなら、恐らくはこうなるのだろう。
──やっぱり、お前、貴族絡みの何かクソ面倒そうな事件に関わってやがったんだな。しかも、その記録は綺麗さっぱり消え失せてるときた。つまり、上の連中がよってたかって無理やり揉み消したってことなんだろ……?
「……これは憶測だが、それをやったヤツラのやったことを快く思わない奴も居たんだろう。あるいは、ただ単に、そういった事を平気でやらかすような連中と敵対している勢力があるというだけなのか……。どちらにせよ、そいつらを失脚させたいと目論んでるヤツが居るのは間違いないんだろうさ。だから、こうしてお前を調べようとした途端に、そういった奴から、この通り、くちばしを突っ込まれたんだからな」
おそらく、その人物が望んでいることは、目の前の少年の死などという単純で詰まらない結末などではなく、生きたまま少年が関わっているはずの事件のあらましを暴き出す事であり、それを隠蔽して記録から抹消してしまった者達の罪を暴き、裁きを下す事こそ望んでいるということなのかもしれない。
「……もちろん、そんな真似をすれば自分もタダでは済まないはずだ。そんな危険を覚悟の上で……。こうしてリスクを犯してまでして、わざわざ資料を差し入れてきたんだぜ? コレを使って、お前の抱えてる秘密を暴き出せって意味なんだろうさ」
そう思わないか? そう視線で問われたクロスは僅かに表情を歪めてしまっていた。……ひどく不愉快そうに、そして、忌々しそうにも。
「いつ頃からお前の事を調べてたのか知らないが、なかなかに面白い内容だった」
「そうなんですか」
「ああ。これを読んだら、少なくとも、このまま事件を闇から闇へと葬る事に反対したかったヤツの気持ちってヤツは、よーく分かったさ。少なくとも一人くらいは、そう思うやつが居たとしてもおかしくはないなってな?」
そして、そんなヤツの差金かどうかまでは知らないが、完璧に隠蔽されていて真っ白な過去しか持たないのクロスが何故か貴族街に入れないように情報に細工されていたのも、おそらくは、その人物の仕業なのだろうとも。それくらいは流石にクロスにも察することが出来ていたのだが、何故、こんな真似をしたのかまでは流石に分かっていなかった。
そんな少年の困惑顔に哀れみでも感じたのかもしれない。青年は苦笑混じりに教えていた。
「一見しただけでは事件の隠蔽に憤った、青臭い義憤と義務感に燃える馬鹿の仕業に見えるかも知れんが……。話は、おそらくは、そんなに簡単な代物なんかじゃないはずだ。……分からないか? ようは貴族共のパワーゲームの一種なんだよ」
盤面は、この取調室。手持ちの駒は、攻め手側が王宮騎士で、守り手側がクロス……。
これは要は取り調べという形を借りた、貴族共の勢力争い。代理戦争でしかないのだと。そんな互いの権威を賭けたゲームの盤面なのだとしたなら、当然、その駒を操る指し手の存在が必要になり、そこには盤の上に乗せられた一般人に過ぎない二人から見れば雲の上な存在が多数入り乱れているのだろうことが、安易に予想出来る場面でもあったのだ、と。
そう、青年は今の状況を結論付けているようだった。
──何処までが嘘で何処までが本当なのかは分からなくとも……。少なくとも、私の過去を暴き立てようとしている“やんごとなきお方”とやらが居るのは間違いないようですね。
自分の抱えた闇と、それに付随する秘密が暴かれて、隠蔽された過去の罪が白日の下に晒されれば、必然として自分は殺されてしまう事になるのだろう……。
それを自覚しているからこそ、クロスとしては何としても過去の秘密を守り抜かなければならない場面だったし、目の前には、外部から、その抱え込まれている“秘密”を探る使命が与えられている青年が、公的な立場と権限でもって、その手に渡された“情報”という名の武器でもって、それを成そうとしているという場面でもあったのだろう。
それを、何処か他人事のように、クロスは冷静に受け止める事が出来ていた。
「なんだか他人に主導権を握られた上に、クソ下らない茶番劇への参加を強要されてるようにも思えて、正直、あんまり気は進まなかったんだがなぁ……」
わずかに苦笑を深めながら。そして、資料をペラペラと弄んでいた手を止めながら。
「こうして、お前という犯罪者を前にしてみて、少しだけ気が変わった。……ほんの少しだけ、やる気が出たのかもな。そして、この資料を読んでみて……。もう、少しだけ……。ほんの少しだけなんだが、やる気ってヤツに火が付いちまった気がするんだ」
そこまで口にすると、素早く腕を動かして『バン!』と手を資料の上に叩きつけて見せて。そんな恫喝するような音にも驚く様子を見せずに、ただ静かに自分を見つめている。
そんな少年を前にして、青年の口の端がわずかに歪んで見せていた。
「そう。それだよ、それ。そのスカしたツラと反抗的な目が気に食わねぇのさ。……そんな、お前の態度を見て、俺も、考えを変えらざるを得なくなっちまったのかもな?」
あの時みたいに、ガタガタ震えて縮こまったままだったなら、わざわざこんな面倒くさい真似しなくても良かったのによ……。面倒くっせぇ開き直り方しやがって。……この犯罪者風情が。舐めたツラしてんじゃねぇぞ!
眠たそうに欠伸をしていたはずのトラが、いつのまにか牙を剥き出しにしながら目の前に近寄ってきていた。あるいは、そういった空気の変化であったのかもしれない。
「いいか。俺は、お前を、丸裸にしてやる。お前は、ここで、俺の手によって、全ての罪を暴かれるんだ。……ああ、いいとも。やってやろうじゃねぇか。もう、何処のドイツの思惑か何て、一切、関係ねぇ。貴族共の横槍なんて知ったことか」
なにかを振り切るようにして、青年はクロスに宣言する。
「俺は、お前が気に入らねぇ。それだけで十分だ! だから、ここで何もかもを引きずり出してやる! ……だから、お前は、安心して唄え。何もかも、自白しろ。隠してる事とか、これまで言い難くて言えなかった事とか、何でも良いんだ。……ここで洗いざらい喋って、懺悔するんだ!」
それを、俺が、手伝ってやる。そう厳かに宣言してから……。
「……それが、お前のためにもなる」
そうタメ息混じりに最後の一言を付け加えながら。
「では、この手元の資料を元にした取り調べを始めるぞ。まず初めに、この街で引っ越してきてからのことだ……。この資料によると……」
ペラリと、資料をめくる音がやけに大きく耳に響いていた。
◆◇◆◇◆
だいぶ絞られたみたいだね。
日が暮れる時間帯になって、ようやく部屋に戻ってきたクロスに『036』の番号が描かれた灰色の服を着た青年が声をかけていた。
朝、隣の部屋の先輩治療師に案内されていた時には見かけなかった人物であるので、おそらくは自分同様に取り調べを受けていたのかもしれない。そう判断したクロスであったが、その人物の押さえている頬の部分がわずかに腫れているだけでなく、うっすらと青あざが出来ているのにも気がついてしまっていた。
「……その頬……」
「昼間ちょっとね……」
「怪我をされたんですか?」
「いや、取り調べ。……まあ、これくらいの怪我は、ここでは良くある事だよ」
取り調べの際に高圧的な態度を取られたり、怒鳴られたり、殴られたり、蹴られたり程度は当たり前のようにある場所。そういった認識ではいたが、それを目の前で実際に見せつけられる感覚は、また別物だったのかもしれない。
クロスは思わず呻くようにして訪ねてしまっていた。
「治しましょうか?」
「頬かい?」
「はい」
「いや、わざわざ治して貰わなきゃいけないほどじゃないから……」
「しかし……」
その頬は見るからに痛そうに見える。
「本当に必要ない。治さなくていい。助けがほしい時には言うから……」
そう治療拒否の答えを三度重ねられては流石にゴリ押しも出来なかったのだろう。クロスも渋々といった風ではあったが、引き下がざるえなかった。
「それよりも挨拶が遅れたね。同室の36番だ。見ての通り、魔法は一切使えないので色々と面倒をかけると思うが、よろしく頼むよ」
そんな言葉で事前に聞いていた自分の仕事を思い出すクロスである。
魔法を使える者は、他の収監者達に生活魔法をかけて清潔さを提供したり、治療魔法によって怪我を治してやるといった便宜を図る事で、日々の清掃や食事の配膳などといった単純労働などを免除されるルールになっているのだ。
つまり、36番と名乗った青年は、クロスに生活魔法や治療魔法をかけてもらう対価として、クロスが本来分担しなければならないゴミ出しや清掃作業といった単純労働などを肩代わりしなければならないということだった。
「では、早速……」
口の端から流れた血が服の襟元を汚しているのが気になっていたのだろう。汚れを落としますと口にして、襟元に手をかざしたクロスであったのだが、その目に汚れてヨレヨレになった囚人服の襟の隙間から見える大きな傷痕が見えてしまっていた。
「あっ……」
「ん? ああ、済まない。見苦しい物を……。こっちの方は、昔、ちょっとね……」
これはどうしたのか。仕事柄、怪我や傷といった事が気になってしまう質なのだろう。クロスのそんな尋ねるような視線に答えるようにして、そう言葉を濁すのは、こういった場所にいる者達に共通する事柄であったのかもしれない。
たとえ、目の前にいるのが取調官でないとしても、極力、自らの抱えている情報は秘匿したままにしておくこと。互いに、自分の罪状などに関する事柄など話す訳がなかったし、例えそういった部分に抵触しない話題であったとしても、基本的な心得として、ここでは余計な情報など口にするべきではなかったし、余計な詮索などもしないのが暗黙の了解となっていた。
だからこそ、適当に言葉を濁して誤魔化していたのだろうし、クロスも余計な事を尋ねたりするんじゃないぞと釘を刺されていた事もあって、それ以上には突っ込まなかった。
「この部屋にはベッドが四つあるようですが」
「ここは基本、四人部屋ばかりだからね。この部屋だと、あと一人。今は居ないけど……。Cの33番が居るよ。Cの記号がついてるから分かりやすいとは思うけど、生活魔法使いだよ。まあ、君ほど完璧ではないんだけどね。でも、必要最低限レベルには使える子だから、彼に出来る範囲は任せちゃえば良いんじゃないかな」
まあ、君一人だけで事足りそうではあるんだけれど。そう青年が口にするのも無理もないのかもしれない。クロスは人間をはるかに超える魔力を秘めた魔族の血を引く亜人、魔人であるのだ。そんなクロスにかかれば魔力の低い人間でも扱える生活魔法を始めとした共通魔法などは問題なく使いこなせて当たり前な代物でしかなかったのであろうし、それよりも遥かに高い魔力が求められる治療魔法すらも自由自在に操れる逸材なのだから、そんな二級治療師の資格を持つクロスにかかれば、この部屋にいる数人の面倒を見ることなど、それこそ片手間にこなせる程度の仕事でしかなかったのだ。
「だけど、ここで他人の仕事を奪うのは良くない。……喧嘩の原因になるからね」
これまで同室の者達に生活魔法を提供することで雑務を免除されていた人物が、その役目を他の者に取られてしまえば、免除されていた雑務をやらなくてはならなくなる。それをどう感じるかを考えてみれば答えは分かるだろう? そう諭すようにして教えた男は、自分のベッドに寝転がりながら、うっすらと笑いかけてくる。
「ここでの基本的なルールはたた一つだけ。余計な干渉をせず、何も詮索しない。ただ、これだけ。これを守っておくだけで、たぶん快適に過ごす事が出来ると思うよ」
たまに、こわぁい騎士様にブン殴られたり、脅されたりするけどね。
そう言葉の最後に付け加えてクックックと声を押し殺して笑う青年に、クロスは何処か気味の悪い生き物を見るような目をむけてしまっていたのだった。
今のパートは登場人物が番号表記でややこしいので一応メモ書き。
●2号室
H24:先輩治療士(初老)
●3号室
H38:クロス
036:胸に大きな傷痕のある優男
C33:生活魔法使い
※必要に応じて追記していきます。