5-7.壁で区切られた二人
フィルクという画家が居る。
その人物は、年齢としては二十歳にも満たず、その貴公子然とした大人し目の外見からしても、未だ少年の域を脱しては居なかった。だが、そんな若さの割には、極めて高い地位と名声を既に手に入れていると言ってもよかった。
無論、そこには種も仕掛けもトリックもあったりする。
実のところ、このフィルクという名の少年は、とある有力貴族の当主が家の外に囲っていた愛人の子、いわゆる妾腹の子であったりしたのだ。しかも、本家の血筋には女子こそ幾人も生まれてはいたものの、肝心の後継者となりうる男子は一人しか生まれておらず、その子も幼い頃より体が弱く、少しばかり病気がちで臥せっている事が多いといった特殊な家庭事情もあったりした。
そんな後継者となるべき男子が、お世辞にも体が強いとは言い難い様子を見せていたためであったのが原因であり理由でもあったのだろう。
万が一に備えるという意味でも、特に病気らしい病気を患うこともなく、それなりに強く逞しく元気に。そして美しくも育っているらしい“予備”の血を、このまま家の外に確保し続けておく必要性を感じていたのであろうし、そのためには手切れ金などを渡してしまって、目障りだとばかりに当家との繋がりを完全に断って放り出すような真似をすべきではないと判断されたのかもしれない。
そんな色々と面倒で複雑で煩わしい、家と大人の事情と、本妻などを始めとした本家筋からのやっかみとかいった、あれやらこれやらが複雑に絡みあってタペストリを形成しているような有り様となってしまったことで、本家から半公認といった形で暗黙の内に認められた上で、経済的にもしっかりと支援されるといった形でありながらも、何故か引き取ったりはせずに、そのまま愛人の家に預けられて育てられる予備としての血筋に当たる次男坊という、何とも不思議な親子関係が成立してしまっていたのである。
そんな訳で、フィルクは幼い頃より名前こそ知らされてはいなかったのだが、自らの母が呼ぶ『本家』という家に居るらしい父親の存在を教えられていたし、半公認の形で預けられるという形で育てられていた事もあって、愛人に元に息抜きをしに訪れる父親とも頻繁に顔を合わすことにもなっていた。
そんな父親の家から様々な支援を受ける形で母と子の親子二人、こうして特に苦労することなく悠々と生活させて貰っているのだから、そんな本家の皆様への感謝と敬畏、そして兄として本家を継ぐ事になる兄上への愛情を決して忘れてはいけませんよ、とも幼いころから何度も繰り返し、教えこまれていた。そんな母親の教育の賜物でもあったのだろう。
フィルクは常に本家の人間に対して一歩下がった所で大人しく控えて黙っている事を常としていたし、それを本人も全く苦にも感じていなかった。そして、態度と言動で、本家に対して感謝と敬畏、そして忠誠と愛情を捧げて見せていたのではあるが……。
「僕は、絵を描く仕事につきたいです」
「絵を描く仕事……。画家のことか?」
「はい」
そんないわゆる歳の割にはかなり“出来た子”であったフィルクが、唯一といっていい己の願望を口にしたのは、未だに幼い頃の事だった。
フィルクが幼い頃から、本家から月に数度程度の頻度ではあったのだが、己の母が『旦那様』と呼ぶ、やけに身なりの良い人物が家に訪れていた。
既に、それが自分の父親であるとは教えられてはいたのだが、そんな人物が大物貴族の当主であるとまでは流石に教えられてはいなかった。
そんな人物と同じテーブルで昼食を共にしていた時に「お前は将来、どんな仕事につきたいと思っているのか」と問われたのだ。
そんな時に、少年は大して考える事もなく、そう答えてしまっていた。
「そうか。……絵描き、か」
元々、本家の長男が短命に終わるかもしれないと心配されて確保されていた予備の血といった立場であったのだが、そんな病弱気味だった長男も、なんだかんだで成人したと見なされる十五歳を無事に迎えられそうで、そろそろ妻となる女性でも探してみようかといった雰囲気になっていたのが原因だったのだろう。
お役御免の日が近づきつつある次男のフィルクには、これまでどおり本家とは距離を置いたまま、独自の将来像を描かせても良いのではないかといった空気になっていた。
だからこそ軽い気持ちで就きたい仕事はあるかと聞いてみたのであろうが……。
「駄目でしょうか」
「いや。駄目ではない。ただ……。いささか予想外の答えだったのでな。驚いただけだ」
そんな苦笑交じりの感想に、少年の母も「旦那様は武闘派ですから」と微笑みを浮かべて答えていたのだが、そんな母に「脳筋と言いたいのであろう」と微笑みを浮かべて冗談交じりに答えているあたり、この二人の仲睦まじさ、あるいは貴族と平民の愛人といった関係を超えた、ある種の気安さとでもいうべきものを、そこに見て取ることも出来ていたのかもしれない。
「……それで、この子は、絵は上手いのかね?」
「下手の物好き、とは流石に親としては言いたくはありませんが……。この子は、幼いころから絵を描くのが大変に好きな様でして……。腕のほうも親の贔屓目ではあるのかもしれませんが、なかなかに上手く描けていると思います」
そういった話の流れになれば「ほう。どれ、見せてみなさい」となるのは必然であり、その時、たまたま書き上げていた数枚の絵が……。その数枚のつたない出来の絵の中に、微笑む母親の姿を描いた人物画がたった一枚とはいえ含まれていた事が、その後の少年の人生を大きく変える原因になったのだった。
「……私はこの街で生まれ、育ち、周りを壁に囲まれた、ごく狭い世界の中の風景だけを見て育ちました。そんな私の描く風景画は、どうしても見慣れた街の風景を切り取ったような構図ばかりとなってしまって、おそらくは面白みが感じられなかったのでしょう。ですが、人物画の方は独特の味わいがあると評価されたらしく、私は、そっちの方で有名になれたのです」
無論、父である本家の後押しなくしては、このような華々しい成功など在り得なかったであろうし、人物画のフィルクといった一定の名声を得た原因となったのは、父のとりなしによって成った、とある商会との提携の結果による物でもあった。
それは王都を中心として展開している高級服飾ブランドであるフィンツ商会の店先に並んでいる数々の絵によるものであり、宣伝媒体、宣伝媒体としての人物画と、その絵の隅に小さく描かれたサインによって、その店を主に利用している中流階級以上の人々の間で、画家としての名が次第に広く知られていったのが原因だったのかもしれない。
「……それで、今日は、どのようなご用件で……?」
最も、そんな有名店の軒先を彩っている無数の華やかな人物画を描いているのが、未だに年若い少年であることは余り知られていなかった事実であったのだろうし、そんなある意味、特定分野においてのみ有名になってしまっている人物から依頼を受けて、それを受理した上で、求められたなかなかに難しい条件をこれ以上ないレベルでクリアしているとっておきの逸材を連れて参上しますと大見得をきっておきながら、こうして一人で表れる事になったのだから、どう答えれば良いのか分からないというのが現状ではあったのだろうが……。
「……なるほど。そういった“事件”が原因となって、私の所に連れてくるはずだったクロスさんが居なくなってしまって、こうして貴方が一人でやってくることになった、と……」
結局の所、自信満々で「お任せ下さい、必ずやお眼鏡に適う逸材を連れてきてみせます!」と大見得をきってしまっていたギルド職員の責任でもあったのだろうし、そうやって依頼主に変な期待を持たせしまった上で、その逸材が騎士団の本部に連行されてしまうという緊急事態によって依頼の達成が不可能になってしまったとしか、説明のしようもなかったのかもしれない。
「まあ、騎士団が連れて行ってしまったのなら、もうどうしようもありませんし……。そんなの誰にも予測出来なかったでしょうからね。……正直、恨み事を言いたい気分は多少あります。でも、仕方ない話なんでしょうからね……。しかし、そうですか。駄目でしたか。……それは、とても……。とっても、残念でしたね……。相当に期待していただけに……」
手元の書類には仕事を依頼していた冒険者ギルドから事前に渡されていた報告書が含まれており、そこにはクロスの簡単な経歴や身体的な特徴、教会の治療院などからも取り寄せたらしいクロスの詳細なプロフィール……。特に体型や各部の詳細な特徴、教会利用者などから聞き取って作成したとされる人物評などといった資料と共に、その際立った特徴でもある整った容姿を証明するかのような簡単な似顔絵のイラスト画なども含まれており、かなり本気になって事前に調査などして準備していたらしきことが伺えており、その裏に透けて見える期待度はかなり高かったのかもしれなかった。
「……本当はもう一人、条件に該当しそうな子も居たんですが……」
その言葉に小さく頷いて見せながらも。
「聞いています。でも、その方は、Zランクなんでしたね……」
「……はい」
それを聞いたフィルクは目をつむってタメ息を一回ついていた。
「……申し訳ありません。私は、色々と事情があって、中央区から外に出る事を禁じられている身の上ですので……」
条件に該当しそうな有力なモデル候補が二人も見つかっていながらも、片や中央区に入ろうとした所を騎士団に連行されてしまい、もう片方は住所不定扱いのスラム住まいで中央区の門をくぐれないZランク……。
おそらくは、今後も二人とも中央区に入れる事はないのであろうし、かといって自分自身が中央区から外に出られるという訳でもない。
壁で区切られて顔を合わせる事すらもままならない画家とモデルとは……。
そうタメ息をついてしまうのも無理もなかったのかもしれない。
「上手く行きませんね……。本当に」
フィルクは、そんな予想外にもほどがある結果に終わってしまった面談に、窓の外を見ながら、深くタメ息をつきながら、落ち込む事しか出来なかったのだった。
◆◇◆◇◆
さて。そんな外野がワイワイガヤガヤと賑やかにやりあっていた頃のこと。
話題の中心にして全てのトラブルの元凶でもあったクロスは、白い服を着た初老の男に施設内を案内されていたりした。
「……見ての通り、このフロアはT字型になっててな。東側が共同の食堂に浴場、トイレに休憩室。西側は全部居住用の部屋だ。お前さんの部屋は……。フム。3号だな。俺の部屋は2号。隣みたいだし、何か用があったら訪ねて来ると良い」
男が自分の着ている服の胸の部分を見て部屋を判断していたのがわかったのだろう。
そこを見てみると、そこには『H38』と書かれていたし、目の前の男の着ている白い服の背中には大きく『H24』と書かれていた。
「部屋番号なんですか、これ」
「近いが外れだ……。まあ、言うなれば俺たちの管理番号だな」
「管理番号……」
「囚人番号とも言うがな。番号そのものに意味があったりするから、管理番号って訳だ」
ちなみに二人に共通している管理番号の一文字目の記号が、彼らが同じ特殊技能の持ち主であることを示しており、Hなら治療魔法が使える事を意味していた。
治療魔法以外の魔法、いわゆる生活魔法などだが、それら共通魔法だけを使える者はCの記号が割り振られているし、他の魔法も使える魔法使いである者はMの記号が割り振られていたりする。
逆に魔法を一切使えない者は、記号の部分に0などの固定の数字が割り振られているといった具合に、囚人同士で魔法技能の有無を一目で分かるようにしてあったりしたのだろう。
無論、これにはちゃんと意味や意図もあって、そんな魔法を使えない者達から日々の生活の中で必須ともいえる各種生活魔法や、尋問などで受けた傷などを癒やすための治療魔法をねだられる事も多々あるのだとか……。
「要するに0以外なら魔法使いって訳だから、そう覚えときゃ良いさ。それでもって、俺と兄ちゃんがレアなHナンバーの治療師……。いわゆる他の連中から治療魔法を頼まれる側ってことだな」
分かりやすくていいだろ、と。そう男はボヤくような口調で口にしていた。
「ま、こんな所に特殊技能を持ってる奴がブチ込まれるのはマレだからなぁ……。いや、兄ちゃんが入ってきてくれて、ほんと助かったよ。これまでは治療役が俺一人だったからなぁ……。あっちこっちから事あるごとにアレかけくれ、コレかけてくれ、治療もついでに頼まぁってな具合で、さり気なく忙しかったからなぁ」
もっとも、このフロアに居たら居たらで、色んな意味で便利がられるし、それと同じくらいか、それ以上に恨まれる厄介な存在でもあるんだが……。
そうボソっと口にした男の浮かべる皮肉な笑みの意味など、新入りのクロスに意味が分かるはずもなく、ただ困惑顔を浮かべていたのだが、そんなクロスの表情に苦笑を浮かべながら、男は「そのうち分かるさ」とだけ教えていた。そして……。
「まあ、ここの先住者からのアドバイスをしておくと、だな。……頑張りすぎずに、適当な『やっつけ仕事』程度に抑えとけよって程度かねぇ。……ここじゃあ、それで十分なんだし、俺達みたいなのは一種の疫病神だからな……。居たら嬉しい半面、俺達みたいなのが頑張れば頑張っただけ、他の連中から恨まれるってことだけは、よ~く、肝に銘じとけよ?」
そう何かしら因果を含めるようにして忠告すると、表情を飄々とした物に戻して案内を再開していた。
「そうそう、管理番号の話だったな。この管理番号の二文字目は部屋番号。本来の意味での番号は最後の一桁だけなんだ。つまり……」
男のH24とは『治療術が使える2号部屋の4番』という意味になり、他の者から呼ばれるときには24番と数字の部分だけで呼ばれる事になる。
それはクロスも同じであり、『治療術が使える3号部屋の8番』を略して38番と呼ばれる事になるので、その事に早々に慣れる事だと苦笑交じりに教えられていた。
「ちなみに俺たちみたいなHマーク付きは色々出来るせいか、便利屋みたいな扱いで、囚人仲間からも看守の連中からも特別扱いされるし、服だって、こうして一番上等な白いのが支給されてる。そのお陰で、いちいち誰が治療師かなんて覚えておかなくても一目で分かるようになってるし、間違っても、Hマークの白服に喧嘩をうってくるような馬鹿は、ここには居ないと思うから安心するといい」
ここではお前さんの、その能力が、お前さん自身を最大限の形で守ってくれる、と。そう男は面白くもなさそうに口にしていた。
「ああ。そうだ。これも教えておかないとなぁ……」
このフロアはT字型になってると教えたと思うが、と前置きしながら。
「この北側の通路の先には、騎士団の連中の詰め所がある。あの連中に用事があるときには、扉をノックすれば返事くらいはしてくれるだろうよ。詰め所の奥には確か、面会室とか、取り調べなんかを行う尋問室とかもあったはずだ。下に降りるための階段も、そこへんだったかな……。拷問室なんかもあるとかないとか色々と噂になったこともあるが、そういった細かいことまでは不明だ」
まあ、実際に行ってみれば分かるんだろう、と。そして、窓には嫌になるほど頑丈な鉄格子がはまっていて脱走など不可能であるはずなので、唯一と言っても良い下へ降りる道へとつながっている騎士団の連中の詰め所へと駆け込んだりしてみたなら、案外、さっくりと斬ってくれるかもしれない、とも。
「まあ、こっちは丸腰で発動体すらなく、向こうは完全武装の騎士様達な訳だがな」
それを無視してというよりも、上手いこと利用して。死にたくなったら、いつでも連中の詰め所に飛び込んで行けば、上手いことぶった斬ってくれるだろうさ、と。そう、男は皮肉げな笑みと共に口にしていた。
「……そんなに死にたいんですか?」
「そうだなぁ……。昔から、たまに、なんだが。時々、猛烈に死にたくなる時があってな。……ま、これも一種の病気なんだろうがな」
もっとも、ここには治療師は居ても、薬師も居なければ薬草の類も生えちゃいないがな。
そう、どこが面白いのかイマイチ分からないネタで引きつった笑い声を上げている目の前の不気味な男こと38号に、24号ことクロスは気味悪そうな目を向けてしまっていたのだが、それもある程度は仕方なかったのかもしれない。
「……24号。取り調べだ。ついて来い」
そんな時に、どこか見覚えのある顔をした青年に声をかけられたのは、ここから逃げ出すいいタイミングになっていたのかもしれない。
クロスは「はい」と短く答えると、逃げるようにしてその場を後にしたのだった。