5-6.その壁の意味は
並の経歴ではない男が数年ぶりに自分の元を訪れた。
そんな特別になった日の前日には、奇妙な内容の容疑がかけられた冒険者(本職は聖職者で治療師)という珍しいプロフィールを持った亜人の子供が本部に連行されて来ていた。
その二つの出来事を必然という名前の紐で結びつかせないほどには、Aと呼ばれた男も鈍くはなかったのだろう。
「それで、用件は? まさか、コレだけという訳でもあるまい」
「ん? ああ。まあ、半分は済んだんだが……」
そう酒盃を傾けながらも苦笑混じりに肯定を返す。
「ギルドに入って、まだ間もないド新人のガキが、なにやら訳の分からん容疑をかけられて、お前さんの部下に連れて行かれたってんで、こっちの方も大騒ぎになってたもんでな。こうして昔のツテを使って様子を聞きに来たって訳だ」
そう自分のもう一つの来訪目的を隠す事無く告げたアーノルドは、バスケットの中からギルドマスターの署名の入った面会希望の申請書類を示して見せていた。
「フム。……まあ、面会くらいは構わないが、ウチの者を立ち会わせるぞ」
「それは当然の事だな」
騎士団の本部に勾留されているという事は、何かしら犯罪の嫌疑がかかっている状態であることを意味しており、その疑惑が解消されない限りは有罪のままであるので、犯罪者扱いも解消されないということなのだ。
だからこそ、その間に面会を行う際には、立会人という名の監視が付いて、そこで交わされる会話も聞かれる事になるのも至極当たり前の話でしかなかったのだ。
「……それで、もう会わせて貰えるのかね」
「仕事熱心なのも結構だが、お前も酒を飲んでる事だし、明日にしたらどうだ」
アーノルドとしても、そうしたいのは山々だったのだろうが、それではとてもではないが収まりがつかない様子でイライラ&ハラハラが止まってくれないらしい爆発寸前・噴火直前・暴発危険の三ツ星マーク付きな黒ずくめのガキんちょことクロウが目をぐるぐるさせながらアウアウとうろたえまくりながら大騒ぎをしているのを知っているだけに「それじゃあ、そうしよう」とは流石に言えなかったのかもしれない。
「……ちょっと会ってみて、アイツの様子を伺って、ほんの少しだけ話しさせてもらって、そのまま帰るだけだからな。……それなら、この程度は問題ないだろ?」
お前らの仕事の邪魔はしない。単に様子を見ておきたいだけだ。
そう暗に告げる男の言葉に、アレスも僅かに頷いて見せていた。
「フム。……それならそれでも良いんだが、生憎と、今日はまだ取調べ中だからな」
取調べ中。その言葉を聞いたアーノルドはわずかに眉をしかめて見せていた。
「おいおい。アイツの容疑はイーストレイクに居た頃の事絡みじゃなかったのか?」
クロスが王都にやってきた日からの付き合いであるだけに、それから今日までの間にクロスが何かしら罪を犯したとは考えづらかったというのもあったのだろう。何よりも、アーノルドは細かい背景といった詳細までは知らされていないまでも、おおよそどんな事件に巻き込まれたのかといった事は知らされていたからこその台詞であったのだ。だが、そんなアーノルドの台詞にアレスは否定の仕草を返していた。
「そうとも限るまい。この街きてまだ間もないとはいっても、それなりに時間を過ごしているのなら、この街で何かをしたことによって内門を通れなくなっている可能性もある」
その可能性を捨てきれない内は、そういった決めつけは出来ない。生真面目に、そう口にした男に、アーノルドはわずかに苦笑を浮かべて見せていた。
「俺としては昔に何かあったんだろうって線が本命だと睨んでるんだがね……」
「ああ。それについては私も同感だ。……だが、まあ、時間を無駄にすることもなかろうよ。そっちはそっち、こっちはこっちで両面から当たれば済む話でしかないからな」
無論、男としても王都に移動してきてまだ日が浅いクロスが、何かしらの重犯罪を犯したとは流石に考えてはいなかったのだろうし、イーストレイク教区に居た頃の記録も出来るだけ早く現地から取り寄せられるように、使いの早馬も出しては居たのだが、いくら旧友とはいっても、そんな内情まで目の前の男に教えなければならない義理はなかったのだろう。
「まあ、そういう訳で出来れば面会は明日にして欲しいんだが」
「明日ねぇ……」
「何か用でもあるのか?」
「いや、そういう訳なら仕方ないかと諦めてた」
そう仕方ないかと納得したせいか、一応は「了解した」との旨は返したのだが、それでもあえて言いたくなる台詞というものはあったのだろう。
「……ただ、まあ、あれだ」
「なんだ?」
「言うまでもないだろうが。……相手は、まだガキだ。一応、手加減はしてやってくれよ」
騎士団の尋問とは、基本的なスタンスとして『相手は有罪が確定している状態の犯罪者である』という前提を元にして行われる行為であるせいか、怒る・怒鳴る・脅す・騙すくらいは当たり前。万が一、相手が反抗的な態度や言動を取ろうものなら、平気で暴力を振るうと聞くし、強情な相手には、拷問じみた行為にまで及んだりするとされていたのだ。
そんな物騒な組織に自分が面倒を見ていた新人冒険者が捕まって取り調べを受けているというのだから、心配しない訳がなかったのだろう。
「いくら子供といっても中身は亜人だ。しかも、長命種の筆頭格ともいえる魔人様なんだぞ。いくらまだ実年齢が若いとはいっても、見た目ほどには幼くはあるまい?」
確かにクロスは見た目は子供であるが、中身はおおよそ倍の年齢……。実年齢一八才であるので、人間を基準にした精神年齢で考えるなら、確かに少年の枠からはハミ出してはいたのだろう。だが、そういった事を知識として予め知っていたとしても、それでもなお、実物のクロスを目の前にすると、自分の目の前に居るのは子供であるようにしか思えないのだ。そこからも、いかに見た目が中身に伴っていないか、というのも分かろうというものだった。
「……確かにそうなのかもしれん。だが、あの見た目は嘘でも偽りでもないんだ。アイツは、見ての通り、体はまだ子供のままなんだ。大人と同じように扱ったら、簡単にブッ壊れるぞ? ……本当に、分かっているんだろうな?」
本当に、分かっているのか?
その言葉は、色々な意味や示唆を裏側に隠していたのだろう。
たとえば『お前達があやふやな容疑のまま拷問まがいの尋問にかけようとしている相手は、この街で冒険者達に尽くして、日々彼らを死の淵から救ってきたような、東区の治療院としては最大規模を誇るヘレネ教会で働く治療師達の中でも筆頭格にあるようなヤツなんだぞ』といった忠告であり、その裏には当然のように『そんなヤツ相手にあんまり無茶で無体な真似をすると、これまでに色々と世話になってきた連中が黙ってないぞ』といった警告でもあったのだ。だからこそ、それを聞かされた男の表情にも苦いものが浮かんでいた。
「……一応、その辺りを配慮出来る者に担当はさせている」
「本当だろうな」
「その点においては、私が信頼しているヤツだ」
色々な意味で“政治”を理解している者でなくては、ここでは尋問官としてはやっていけないし、こういった面倒な背景を抱えている相手を取り調べた事のある実績をもった男だ。
そう苦々しく言葉の裏を返したアレスに、アーノルドも小さくタメ息をついていた。
「本当に、理解してくれてれば良いんだがな……」
どれだけ内心で不安が募ろうとも、所詮は一介冒険者でしかない身の上である。これ以上は、流石に干渉を出来ないのが辛い所だったのだろう。アーノルドは「頼むぜ、色々と……」とだけ言い残して、矛を収めるしかなかった。
そんな言葉の裏を探ったなら『亜人。特に魔族の血をひく魔人の連中を相手に色々と含む所の多い者が多数在籍している騎士団の奴が、亜人への差別意識をむき出しにして無茶をしたと見なされたら、後で色々と問題が大きくなるぞ』といった苦言もあったのかもしれない。
──騎士団には近年、教会が主導する『亜人活用論』に批判的な輩が多いと聞く。
アーノルドの脳裏にギルドマスターから忠告された不安要素とやらの台詞がよぎる。だが、それを責めるのも間違いであるかもしれない。
かつて、この大陸は魔族を頂点とする亜人の支配下に置かれていた。そんな国において、人間は家畜同然の扱いであり、被支配種族の座に追いやられていた。そこから脱する事を目的として反旗を翻し、当時の大陸の支配者階級である魔族の頂点に立っていた魔族の王、クリムゾンアイすらも倒して、自分達を力と恐怖で押さえつけていた魔族を筆頭とする亜人の支配からも脱してみせたのだ。
そんな自分達の全てをかけて戦ったとされる人魔大戦から長い時間が経ち、長い大陸史の中で遠い過去の記録の中へと埋もれていこうとしていようとも。そして、その戦いで残された禍根を断つべく、そこから一歩前に踏みだそうとしている今の時代においてさえ、それまでに培われきた色々な確執を始めとしたドロドロとした負の感情は、未だに色濃く大陸を覆い尽くしたままだったのだから……。
──連中の中には未だに『畏れ』が。魔族共の影が見えているのかも知れんな。
脳裏に蘇るギルドマスターの言葉を思い出すまでもない。それは、この街の在り方にしてみたところで明らかだったのだ。
脱支配、脱差別、脱虐殺を掲げて戦った以上、公然と亜人や魔人を差別も出来ないといった事情があったにせよ、表面上は亜人との融和路線を掲げていながらも、その実態はというと、王国の権力の中枢部ともいえる中央区や王宮からは徹底して亜人を排除し、この場所では人間だけしか闊歩していないという状態を作り出していた。
流石に街全体で亜人を排除するというのは難しい土地柄であったせいもあったのか、この街がある場所で生きていくにあたって、完全に亜人を排除するのは大陸の人口比的にも難しかったのだろう。色々と制限がかかっていてうるさい中央区以外では、亜人の比率は年々増し続けているとされているのも必然ではあったのだ。
とはいえ、それでも権力や財力が集中しているような中央区や西区などの、いわゆる“美味しい”部分では、未だに人間ばかりが目につくといった有り様であったし、総じて亜人は人間よりも低い立場……。使う立場よりも使われる立場に立たされる事の方が多いというのが、この街の住人達の間にある共通認識だったのだが……。
『……アーノルド。知ってるか? あの店の店主。亜人の親父だよ。あの爺さん。俺の爺さんの爺さんの代から、あの店をやってんだってよ』
戦いが終わってから、長い時間が経っていた。そんな時間の流れと共に差別意識も薄れていき、人間の中にあった亜人への敵愾心や憎しみも次第に薄れてきていたのだろう。
人間側が無闇矢鱈と自分達に噛み付かなくなったと感じるようになったのか、長らく姿を消していた亜人達も再び街に戻ってきていたし、新しく街に入って来た亜人達も多かった。何よりも、亜人達も人間と同じように子を生み、この街で数を増やしていたのだ。それこそ、中央区以外では、じわじわと亜人の数が増えていっていたのは必然であったのだから。
──だが、そこに問題の根源が潜んでいる。
一番の問題は、亜人と人間との寿命の長さの差だったのだ。人間はおおよそで六〇年前後。長く生きたとしても百年を越えることなく死んでいく定めにある。だが、亜人は違った。亜人は人間の十倍、二十倍もの時間を生きる者がザラに居るのだ。
だからこそ、色々な部分で軋轢を生む原因にもなっていたのだろうし、様々なシーンで揉める理由そのものにもなっていたのかもしれなかった。
『……なあ、想像出来るか? その道、ウン百年の職人様なんだぜ? それが“普通”だとか抜かしやがるんだ。……まだまだ駆け出し同然のヘタクソさ、だと? あの爺さんがヘタクソだってぇんなら、うちの親父は何だって言うんだ!』
かつて、酒場で泣きながら酒を飲んでいた男の言葉が脳裏に蘇る。
『あの爺さんが鍛えた剣な。俺の親父が鍛えた剣を、あっさり叩き斬りやがった。……親父が俺のためにって丹精込めて、一番良いのを作ってやるって……。一番出来がいいのを贈ってくれたんだぜ? それを……。真っ二つにしやがった。……叩き折ったんじゃねぇぞ? 叩っ斬ったんだ。……なあ。似たり寄ったりの材料と鍛え方でよ。なんで……。なんで、ここまで差が出るんだ……? アレが腕の差だってのか? そのくせ、その剣な。店先に適当に並べて売ってるような数打ち物の、正真正銘の安物だったんだぜ? そんなのが、ウチの親父の特別製を叩き斬りやがった剣が、やっすい値段で売っるってよ……』
──こんなの、どうしようもねぇじゃねぇか! どうやったら、あんなのに勝てるんだよ。……そもそも、どうやって、俺達は、アイツらに勝ったんだ!? なんで、アイツらに勝てたんだよ!? それに、アイツらなんて目じゃないくらい凄かったとかいう魔族の連中って、どんだけ狂ったヤツラだったんだ!? なあ、誰か……。誰か、俺に教えてくれよ!? 俺たちは本当に……。本当に、アイツらに勝ったのかよ!?
それは、まさに魂の叫び。慟哭とも言える声だった。
「……俺たちの中に刻まれた劣等感と恐怖は、永遠に消えてくれないのかもしれない、か」
それは、どこかで誰かが口にした言葉だった。そんな己の言葉に頷くようにして苦笑を浮かべながらも、それでも首を横に振るしかなかったのだろう。
──勝てねぇ、よなぁ……。連中は長く生き過ぎだ……。
結局の所、寿命の長さの差が生み出す必然が根底にはあったのだ。各人の中に蓄積される経験量の絶望的なまでの総量差が、その腕の差を生み出しいたのだし、その差は永遠に埋まる事はないと諦めるしかなかったのだ……。
──悔しいよなぁ……。確かに。
かつての自分は、ソレを表面上は否定していたし、決して勝てない存在など居るはずがないとも思っていた。だが、内心では認めていたし、諦めてしまっても居たのだろう。そして、それを認めたことで心の底に沈めたはずの感情も蘇ってきていたのだ。
……嫌だったのだろう。ヤツラには決して勝てないと認めてしまうのが。きっと、悔しかったのだ。彼らの居る高みには自分達は決して到達出来ないと認めてしまう事が。だが、それだけでも決してなかったのだろうと思う。
──怖かったんだろうな。多分。
おそらくは、恐ろしかったのだ。だからこそ、あの男も、あそこまで半狂乱になったのだ。だが、それは特別な事でもなかったのかもしれないとも思う。
多くの人間達にとって、自分達よりも遥かに長く生きる亜人に対して抱く感情の多くは、その恐怖を多く含んでいたのだから。
彼らが再び自分達の敵となるのではないか。彼らが牙を剥いて襲いかかってきた時、どうやれば勝てるのか。それが想像が出来なかっただけに……。そして、そんな自分達よりも遥かに優れていると認めざる得ない彼らよりも遥かに長く生き、凄かったとされる亜人の頂点に立っていた魔族に対して戦争を仕掛け、彼らの王を殺し、地表から追放して地の底においやってしまっていたから……。
何よりも恐ろしかったのは、未だに、そこにヤツラが居るということを全員が知っていたからなのかもしれない。
永久凍土によって閉ざされた、忌まわしき魔族の街。その名もコキュートス。大迷宮の最下層にソレはあるとされていたのだから……。
──亜人達の。何よりも魔族からの逆襲を恐れてるのか。
だからこそ、ああやって、出来る限り亜人を排除しているのか。少なくとも、この場所を行き来している上流階級の者達の全てが人間で占められている。そんな状態の空間を作り上げ、そこから完全に亜人を排除し、人間だけで構成された支配者層としての王族を頂点とした貴族階級を構成すらしてみせて。そんな特権階級にある者達の生活と安全を『だけ』を守るための壁で外界と隔離すらして見せていたのだから……。
──やったら、やり返される。それが世の常だと言うのなら。いや、それが嫌なら……。
背後でゆっくりと締まっていきながら、夕暮れと共に閉鎖されそうになっている内門を肩越しに振り返りながら。男は自分の言葉に苦笑すらも浮かべて見せていた。
「……とっととアン時は悪かったなとでも謝っちまって、もう喧嘩しないで済むように仲良くすりゃぁ良い物を……。なぁんて、思うのは俺が変って事なのかねぇ……」
それはきっと理屈ではないのだ。やったことは、いつかやりかえされる。それはひどく単純な道理であり、シンプル極まりない真理でもあったのだから。何よりも、あんなに貧しく、非力かつ無力だった自分達にすら出来た事なのだ。
あの頃の自分達よりも遥かに強く、逞しく、そして賢く。何よりも獰猛で、残酷で、冷酷で、気高く、美しい。そんな彼らが、いつまでも地の底で大人しくしているとは、どうしても思えなかった。だから……。ああして、怯えて、震えて、疑心暗鬼に苛まれ続ける事しか出来ないのかもしれない。
──哀れな。
そこに憐憫の情を抱いてしまうのは。なによりも、亜人に勝てないだろうと理解しながらも、彼らを無闇に脅威と感じずに済んでいるのは、自分が特別だからなのか。それとも親友のお陰であったのか。そんな想いに苦笑を浮かべながらも。
「ま、こんな馬鹿な真似してるウチは、みんな仲良くなんて無理なんだろうがな」
そんな男の呆れたようなボヤキ声をかき消すようにして、その背後で、内門は振動と共に閉まっていたのだった。