5-5.幕開けと幕引き
とりあえず行こうか。
何処か硬質の笑みと共に、そう有無を言わせぬ迫力のこもった声をかけられた上で、左右の腕を軽く引かれて連れて行かれた先には、やたらと頑丈そうな馬車が待ち構えていた。
「護送用の馬車だ。これでお前さんを俺たちの本部にまで連行する。詳しい取り調べは、その後ってことになるな」
そこまで口にすると、チラリと視線を向けてきて。
「罪状の方はさっき窓口でギルドのネェちゃんと話してたから、お前さんも聞いてたかもしれんが『犯罪歴と内門の通過資格に整合性が認められないので妖しいから』だ。……なお、これは既に決定事項なんで諦めろ」
そう口にすると小さくタメ息をついて、剣の柄をパンと叩きながら。
「なお、この件に関しては、もはや嫌疑でも、疑惑でもない。現時点では、お前は有罪であり、疑いが晴れるまでは決して無罪にはならない。つまりは、それまでは、お前は罪人って事だな。よって、この決定に一切の異議は認められない。罪人である以上、反論も、口答えも許さん。大人しく、黙って、我々に従え。そして、聞かれたことには素直に答えろ。お前に許されるのは、ただそれだけだ」
死にたくなったら、いつでも歯向って良いからな。すぐに殺してやるぞ。
そう言外に『ソッチのほうが面倒くさくなくて助かる』とばかりに言いたげに口を笑みの形に歪めている、そんな向かい側に座る衛兵の手には、狭い車内であっても取り回しに問題なさそうなショートソードらしき比較的短めの剣が握られており、それを抜き打ちすべく利き手を空けて見せているのは、いつでも斬れるという威圧行為でもあったのだろう。
……もっとも、そんな無言のプレッシャーに晒されているはずの向かい側に座った少年は、連行される前からずっと俯いたままで、どんな言葉にもピクリとも反応を見せなかったのだが、それが益々、相手に不信感を抱かせていたのは言うまでもなかったのだろう。
──なんなんだ、コイツは。
普通なら、身に覚えのないはずの容疑で捕まったはずなのだから、もっと反抗的な態度や、抗議の姿勢を見せてもおかしくないはずだった。それなのに、目の前の少年は、あまりにも態度が不自然だった。
──これではまるで……。
長い逃亡生活の果てについに追い詰められた様な、身も心もボロボロになった逃亡犯罪者そのものではないか。そんな胡散臭そうな目で見られてしまうのは、むしろ当たり前だったのかもしれないが、それくらい少年の態度は不自然であり、あまりにも無抵抗過ぎたのだろう。
「坊主。お前、名前は?」
「……クロスです」
「本名の方は?」
「ほんみょう?」
「お前、修士なんだって? となると、それは修道名って事なんだろ? お前が捨てた、本名の方を教えろと言ってる」
「そんなものはありません」
僕はクロス。その名前しか持っていません。
そう答える幽鬼じみた少年の雰囲気に男は僅かに目を細めていた。
「……捨て子ってことか」
「ええ。孤児でした。そこからすぐに修道院に……」
おそらくは、そう珍しい事でもなかったのか。本名をもたずに最初から修道名しか持たない者と、これまでも何度か似たようなやりとりでもあったのかもしれない。
「じゃあ、何処から来た」
「何処から?」
「お前、身なりからしてもスラム住まいじゃないんだろ? 元孤児の修士のくせしてスラム出身じゃないとなったら、あとはもう、他から移ってきたって考えるべきだろ」
なるほど。そう納得しながら、クロスは「イーストレイクです」と答えていた。
「イーストレイクか。……田舎町らしいが、なかなか良い所らしいな」
「そうらしいですね」
「その様子だと、あまり遊んだりとかしたことはなさそうだな」
「基本的に教会で寝起きして、そこで毎日働いていましたから」
本職は治療師です。そう口にするクロスに、そうだったなと頷く男。
「なんで、この街に来た?」
「その……。師であった人より、推薦を受けたのです。この街で腕を磨きなさいって……」
その言葉を返す時に僅かに返答が遅れたのと、コチラから視線を逸らした事で、そこに何らかの嘘が含まれている事は明らかであったのだが、男はあえてソコには触れなかった。ただ、記憶の中に、要注意点として刻んだだけだ。
──過去の記録の方に“間違い”があったらしい。
ある意味では、男の予想通りではあったのだろう。
クロスは、この街の入口でも己の身分証明として治療師としての身分証を提示しているはずだった。その時に要注意人物リストの中に名前が入っていなかった以上は、まっとうな経歴をもった人物として外門を通過しているはずであり、犯罪者などではないはずだった。
──それなのに、赤判定が出た。……何故だ。
内門の通過は赤判定を出して許さないのに、外門では問題なしとして街へ入るのを許している。かといって、過去の犯罪歴もなければ危険人物として名前が記録されている訳でもないのだが、それでも内門は通さないようにしてあった。
普通に考えれば、赤判定が出てしまった事の方が何かしら間違っていたのだろうと考えるべきであったのだが、それをクロス本人のおかしな態度が否定してしまっていた。何か特殊な事情があって、それを隠していますと言わんばかりなあからさまな態度であったがために、逆に赤判定の方が正しいのだろうと感じてしまっていたのだ。そして、赤判定が出たことが正しいのだとすると、興味の大半は、その赤判定の裏付けとなる過去の犯罪歴は何処にいったのかといった方面に向けられていたのだが……。
──内門を通したくないレベルの危険人物として扱われているってことは、何かしらヤラカシタのは確実なんだろうが……。問題は何をヤラカシタのかってことだな。しっかし、なんで、そんなアブねぇ輩が、普通に冒険者ギルドなんかに登録出来てたんだ?
普通なら、たとえ過去の履歴が消されていたとしても、それでも内門を通れないレベルの犯罪者なら、ギルドの登録時に何らかの警告程度は表示されてもおかしくないはずなのだが、それがなかったとなると……。
──最近、亜人の扱いとか絡みで色々“上”の方からウルセェ命令が下りてきてるっぽいし、やっぱ、コイツも“政治”絡みの案件なのかねぇ……。あ~、やだやだ。どうせ糞面倒くさい命令とかセイジテキハイリョとかで、シッチャカメッチャカにされんだろぉなぁ~?
そう結論付けた男は「やれやれ。世も末だぜ」とばかりにタメ息をついて見せたのだった。
◆◇◆◇◆
王宮騎士団。
それは王都においては、街の治安を守る事を役割付けられた武装組織であり、主に貴族街を主として街のあちこちで日々起こっているトラブルや揉め事などの仲裁役や調停役として呼ばれる事もあるものの、その主な役割としては、言うまでもなく犯罪者の検挙と取り締まり、及び捕まえた犯罪者の取り調べ等であり、その職務の中には、余り知られてはいないものの、犯罪者の処刑などまで含まれている。
言うなれば、騎士団とは、この街を武力によって守っている国によって管理された集団であり、そんな組織によって守られている街に住む住人達にとっては、何かあったときに頼るべき、有り難くも何処か恐ろしい存在でもあったのだろう。
最も、何から何まで面倒事の後始末を頼まれてしまっては、ごく限られた人員しか擁しない騎士団では色々と手が回らなくなるのは必定であるため、日常的なトラブル程度であれば冒険者にでも頼めとばかりに傍観や拒絶といった不介入を決め込む事も多く、街の要所要所で散見される一番下っ端の階級である一般兵にあたる衛兵達によって適当に対応される事はあっても、なかなか普通に暮らしている限り、彼らと関わりあうことはないという、余り表に出てこない集団でもあったのかもしれなかった。
ちなみに、これは全くの余談であるのだが、こういった国の治安を守る組織としての構造としては、王都の中核にあたる王宮の警備などを担当している騎士団が『近衛騎士団』と呼ばれている集団であり、多くの騎士達の中から厳選されたごく一握りのトップエリート達が、その限られた席を占めているとされている最上級階級にあたる集団であり、その下部組織として主に貴族街こと中央区の警備などを担当している騎士団が居て、そんな彼らが街の住人達から騎士団の愛称で呼ばれている『王宮騎士団』である。
そんな騎士団に所属していない国軍所属の一般兵達の多くは、街のアチラコチラで目にする事が出来る衛兵達であり、階級でいうと最下級となる一般兵士、いわゆる国軍所属の兵士であるのだが、組織的には騎士団の下部組織といった扱いになっており、騎士は一般兵の指揮権を持っていたりもする。
そんな王国に忠誠を誓い日々職務に励んでいる騎士や兵士達と、自らの富と名声の為だけに生きてるとされる自由民の代表格である冒険者達は、当然のように折り合いが悪かったし、事あるごとに衝突するケースも多かったのだが、何事にも例外というものはあったのだろう。
「よぅ」
これからピクニックに行くのかと突っ込みたくなるような大きなバスケットを片手に現れるなりシュタッと片手を上げて挨拶してくる旧知の顔に、声をかけられた男も僅かに微笑みを浮かべて見せながら答えていた。
「随分と、これはまた……。今日は、えらく懐かしいヤツが現れたな」
そう苦笑を浮かべて答えながら迎える鎧姿の騎士……。王宮騎士のAの称号持ちこと、アレスに、これまた黒い鎧姿の剣士は笑みを浮かべながら答えていた。
「ああ。久しぶりだな、エース」
「よしてくれ。お前にAなんて呼ばれたら、背中のあたりが無性に痒くなってくる」
ちなみに王宮騎士の称号でAとは街の東西南北を担当している各方面部隊の頂点に立っている部隊長を意味している称号であるのと同時に、強さにおいても、その部隊で一番の順列であることを示す証であるとされており、東、西、南、北といった各方面の部隊を束ねている地位にある人物である事も示していた。
ちなみにアレスの鎧に刻まれた部隊章はスペードであり、東地域方面部隊長という肩書を持つ人物であることを示していた。そんな人物と顔見知りであるのだから、訪ねてきた男も当然のように普通の人物ではなかった。
「……だが、本当に久しぶりだ……。お前が、そんなまともな格好をしているのを見るのは、何年ぶりだ」
かつて王国最強の称号を欲しいままにしていた冒険者集団【ナイツ】における双璧の片割れにして、未だに生きた伝説と最強の剣士、そんな二つ名で呼ばれ続けている大陸最強の剣士として知られている銀の剣聖こと銀剣のエルリックの元バディ……。かつて、そんな立場にあった男であるからこそ、本来は犬猿の仲であるはずの冒険者でありながらも、王宮騎士団のトップの座にあるような人物とでも顔見知りであったのだろうし、こうして約束もなく突然現れても、普通に面会を許されてしまうような人物でもあったのだ。
「さて、何年ぶりだったかな。……まっ、正直、こいつを着る事はもうないだろうって思ってたからなぁ……。だが、何の因果か、こうして再び身につける羽目になった訳さ」
そう笑いながらも、その顔にどこか引きつった笑みが浮かんでいるのは、鎧の着心地の悪さのせいでもあったのかもしれない。
「……もっとも、あまりに久しぶりなせいもあってか、いささか腹のあたりが『調整』を必要とするようになってたのは……。我ながら、ショックだったがな」
そう笑って答えながら腹のあたりをポンと叩くその姿は、いつもの安物のレザーアーマーになまくら同然の無銘なショートソードという、何処か投げなりな格好ではなく、ちゃんと本来の身分なり立場、あるいは実力に相応しい、闇色の金属鎧に重厚感のあるブロードソードといった装備を身につけていたし、その腰の剣は、おそらくは並外れたレベルの魔法剣であったのだろう。鞘に収められていながらも何処か隠しきれていない刀身から漂っているのは、ただならぬ妖気じみた気配なり雰囲気であり、そんな禍々しい気配を発している事からも、それは間違い様もなかったのだ。
だが、そんな本人にとっては正装であるはずの格好をしていながらも、それでもなお平然と場違いにも程があるピクニック用らしきバスケットを手に下げて持っているあたり、その人物のデタラメさっぷりが見て取れるというものだった。
そんな何処か適当過ぎるちぐはぐさを感じさせながらも、それでいながら何故か憎めない所のある男の名は、アーノルドといった。
「……それで? 今日は何の用だ?」
「まあ、そう話を急ぐな。お約束としては、まずは、差し入れの確認からだろう」
そう苦笑を浮かべて見せて、腕に下げていた大きめのバスケットから取り出すのは、ワインの瓶であり、やたらと度数の強い事で知られている酒の入った小さな酒樽であり、来る途中に買ってきたのだろう簡単に包装されただけのスモークチーズや干し肉といった各種ツマミ類の品々であり、最後には無骨な陶器製のカップまで取り出して見せていた。
「……これはまた、随分と盛沢山だな」
「どうせ余るだろうから、残ったら、そっちで適当に分けて処分しといてくれ」
そう言うと、自分の好みでやってくれとでも言うかのようにして、お気に入りの火竜酒の入った小樽を傾けてカップへと酒を注いで見せる。そんな遠慮の二文字を感じられない友人の変わらない姿に苦笑を浮かべながらも、アレスも無言のままに自らワインの瓶のコルクを指先で弾き飛ばすと、自らのカップへとワインを注いで見せていた。
「……では、久方ぶりの友との再会を祝って」
「変わらぬ友との友情に感謝と安堵を込めて」
互いに手にした酒は違えど。そして、酒盃に捧げる文句もまた違っていようとも。それでも、互いに向けた親愛の情は昔から何一つ変わっていないし、それは二人にとっても決して変わってはいけない類の物だった。
「美味いな」
「来る途中に見かけた店でな……。流石は中央区で店を構えて、貴族共を相手に商売出来ているだけあると、色んな意味で感心させて貰った」
「……その酒もか?」
「コレか? こんなゲデモノが貴族様御用達な酒場なんかに置いてある訳ないだろう。……ま、コレ以外は、壁の中で買った物ばっかりだがな……」
店構えなどもそうなのだが、中央区で扱っている品は武具から調度品、食料品や嗜好品に至るまで、あらゆる商品が内壁の外と中では数ランク……。酷いものになると、一目で別物と見分けがついてしまう程に品質に雲泥の差がある品々が扱われているのだ。無論、値段も壁の此方側と向こう側では天と地ほどの差があるのであろうが……。
「やっぱり、気に入らんかね?」
「ああ。大いに気に入らんね」
そうはっきりと、未だに存在している壁の中と外での品質の格差について、隠す素振りすらなくストレートに嫌悪感を表明してみせる男に、アレスもまた苦笑を浮かべてうなづいて見せていた。それは自分も同じだと言いたかったのだろう。
「これでも昔ほどには格差がなくなりつつあるらしいが?」
「ああ。それについては否定しない。なにせ、外の連中の暮らしは、ここんトコ、目に見えて良くなってきてるみたいだからなぁ……」
だからであろうか。良きにつけ悪きにつけ、昔は中央区以外は何処に住んでも同じといった有り様だったはずなのに、今では明らかに街の色々な部分で生活ランクに大小様々な格差が生まれつつあった。
たとえば、街の東側と西側でさえ、各方面との交易の規模や内容などの差によるものなのか、色々と差が出来てしまっており、異国との交易などが盛んな大陸西側の街ウェストレイクとの繋がりが強い商人たちが数多く住む西区の生活レベルは、明らかに他の区とは違ってきてしまっているという有り様だったし、そういった街の中の格差から目を背けても、そこには町の外に広がっているスラムと、街の中の生活環境などの格差が依然として横たわっており、その生活レベルの差は、昔など比べ物にならない程に広がりつつあるといった状態だった。
「貴族街の連中にとっても色々と目障りで忌々しい事だろうが……。まあ、こういった変化なら自分達も得るものもあるし、さほど悪く話ばかりでもないとでも思っているのかね」
しかし、自分は面白く無い。その表情は、その言葉を否定してしまっていた。
「……クラリック商会か」
「ああ。ヤツラの掌の上で踊らされていると思うと、な」
街の発展も安定も悪くはないのだが、主導権を他人が握っていて色々とコントロールされていると思うと、どうにも面白く無い。別に、何か実害があったという訳ではないのだが、何かしら他人の意図のままに発展させられているといった風に感じてしまって、それを素直に喜べないのだ、と……。そう目の前の男が感じている事を知っているだけに、向かいに座る男も表情に苦いものが混ざってしまっていたのだろうか。
「確かに、あまりいい噂は聞かんな」
「ああ。この間の魔薬騒動も、な。……連中と少なからず関わりがあると見て、ほぼ間違いない。もっとも、尻尾はあいも変わらず掴ませないがな」
「……中央区でも何件か検挙されたんだが、どれもこれも裏までは辿れなかった」
「こっちもだ。あっちこっちで唐突に糸が切れている感じがした」
やっぱり、そっちもか。ああ、こっちもだ。互いに視線だけで確認する。
「どうせ、上からも、色々と“配慮”とやらが押し付けられたんだろ」
「ああ。……王宮にも、明らかに連中の息のかかった奴らが居るからな」
面白くない。ああ、全くだ。そう無言のままに意見を交わすと、互いにぐいっと酒盃をあおり、チーズの欠片を口に放り込む。二人は、その仕草までが何処か似てしまっており……。
「王国に巣食う寄生虫どもめ」
「ああ。いつか、連中の首根っこを絶対に、押さえてやる」
そんな二人のボヤキ声が、あるいは王都の夜の世界を騒然とさせた事件の幕引きを知らせる合図でもあったのかもしれなかった。