5-4.赤月の呪い
さてっと。それでは“打ち合わせ”も終わりました事ですし、そろそろ本来の依頼主さんの所に行くとしましょうか。
そう口にしながら、ポンと手を打ち合わせたのは、それまでの何処か荒んでいた雰囲気を吹き飛ばしてしまいたかったからなのかもしれない。
その音でハッとなったクロスが気が付いた時には、すでに馬車は停車してしまっていたし、出入口の扉の上部の窓からは、馬車の車輪の駆動音の代わりに外の喧騒が聞こえてきていた。
「いつの間に……。もう、ついたんですか?」
「いいえ。ここは、まだ東の内門前です。……念の為に確認しておきますが、中央区の内壁と四方の内門はご存知ですよね?」
「まあ、一応は……」
今でこそ、この街はクロスロードと呼ばれているが、ここは元々、サザンクロスと呼ばれていた街であり、現在の中央区程度の大きさが、その当時の街の全容であったとされている。
かつての外壁だった現在の内壁の外側にスラム街が広がっていた姿が、かつてのサザンクロスの姿だったのだ。
その後、この大陸の覇権をかけて、当時の支配種族であった魔族に人類が立ち向かったとされる人魔大戦の末期に、大陸の中央部にあったと言われている旧王都ノーザンクロスが何らかの原因によって吹き飛んでしまって、大陸中央部から東西南北に十字型に伸びていた通商路も使えなくなってしまった。
そういった出来事の結果、これまでの通商路と比べるとかなり遠回りにはなるものの、一応は海岸線沿いの予備的な通商路として整備されていた副の通商路が主の通商路へと格上げとなり、その中心部分に当たる位置にあったサザンクロスは、新しく作られた人間族の国、クロスロード王国の王都クロスロードとして生まれ変わる事となり、そこには大陸中から人々が集まってくる様になったのだった。
その結果、城壁の内側だけでは住む所が足りなくなってしまい、当時のスラム街はあっという間に立派な町並みとして生まれ変わることになって、いつのまにやら王都は大きく広い面積を占める大都市へと変貌していったとされている。
そんなクロスロードの街の外側には、必要に迫られて二つ目の壁が築かれる事になり、この街は内壁と外壁の二重の城壁をもつ大きな街となり、その内側の壁の中と外では身分によって住民が仕分けられる事となった。
こうして生まれたのが現在の中央区と呼ばれている高級住宅エリア、通称『貴族街』であり、豪商や貴族、王族といった特別な身分の者達が住む一種独特な空気の漂うエリアとなっていたのだが、そんな特別な場所なだけに警備は厳重であり、出入りは外壁の各門とは比べ物にならないほど厳しくチェックされており、守りも遥かに硬かった。
それこそ、一般人は理由もなく自由に出入り出来ないだろう、そんな場所であったし、いくら世間知らずなクロスであっても、この街の中央部分が壁で区切られていて、そこには自由に出入り出来ない事くらいは一般知識として承知していた。
「では、ここで馬車を降りて申請の手続きをしましょう。今後、貴方が一人で中央区に入るための事前登録などの手続きを済ませておく必要もありますから」
さあ、付いて来て下さい。そう言うと、女は慣れた風に馬車を降りると、門のすぐ横にある衛兵の詰め所へと向かい、そこでクロスと自分の二枚のギルドカードと、別途用意してあったらしい、何かしら書かれた書類らしき紙を窓口に差し出していた。
「私は今日の入門手続きだけ。こちらの方が登録申請の書類です」
「……わかった。手続きをするから、建物内に居るように」
そう指示されたことに頷きながら短く了解を返すと、女は壁際に置かれた無人のテーブルにクロスを誘っていた。
「あそこに座って待ちましょう」
「結構、時間がかかるんですね」
この手の処理や書類作成などに慣れたギルドの事務員が用意した申請書類なのだ。おそらくは不備はないだろうから、中身をチェックするだけで済むはず……。恐らくは、そう時間もかからないのではないか。
そう考えていた少年であったが、受付の中では色々と申請された内容に関して、追加の調べ物などもしているようで、すぐに終わりそうな雰囲気ではなかった。
「入門の手続きだけならすぐ終わるんですが、明日以降のための方……。クロスさんの方の登録申請の方に、ちょっと時間がかかっているんだと思います」
基本的にはギルドが身元などを保証しているZランク以上の正規メンバーであるし、東区のヘレネ教会にも登録されているれっきとした修士でもあるのだから、いくら亜人であるとはいっても、身分などについては何ら問題はないはずだった。ただし、どれだけ身元が保証されていようとも、過去の犯罪歴などを調べられて、そこに問題が見つかった場合などは、話が別になってしまう。
申請書類に何の不備もなく、身元の保証もしっかりしていようとも、そんな危険人物を貴族や王族が日常的に闊歩している中央区に入れる訳にはいかないのだ。
そんな話を聞かされたクロスは、何故だか青い顔でうつむいてしまっていた。
──過去の犯罪歴……? 多分、記録には何も載ってないと思うけれど。でも……。
そんなクロスの奇妙な様子が気になったのだろう。
目の前に座って、手にしていた薄い木製のブリーフケースを広げて中にとめられた書類などを眺めていた女は、チラリとだけ視線を向けて「何か?」とだけ尋ねていた。
その意味する所は『何かしら、やましい事でもあるのか』あるいは『何かしら、奇妙に時間がかかっている事への心当たりでもあるのか』といったところであろうか。
「いえ! その……。何でも、ないです」
「……そうですか」
そうあからさまに『何かあります』といった風に見えてしまう少年の様子は、当然の事ながら変に悪目立ちしてしまっていたし、女の目にもひどく妖しく見えていたのだろう。
そうなると(当然の事ではあるのだが)周囲に数名居る、どこか暇そうにしていた衛兵たちの目にも、何かしら叩けば埃の出そうな輩として見えてしまっていたのも仕方なかったのかもしれない。
ガチャ。
そう僅かに鎧を鳴らして入口付近に立った兵士は、こちらの方こそ見ていなかったが、明らかに意識は少年に向けていたし、わずかに扉の方へと傾ける形で構えられているその右手には、見るからに凶悪そうな長槍が握られていた。
おそらくは強行突破しようとする不心得者が現れたら、その槍で出口を塞いで簡易的に封鎖するつもりでいるのか、あるいは体ごと入り口を塞いで通れなくしてしまうつもりでいるのだろう。だが、今、このタイミングで、その行動を取る事の意味する所は……。
──余計な警戒心を抱かせてしまったようですね……。
気がついた時には、既に部屋中の衛兵達が自分達二人……。特にクロスへとさりげなく意識を向けてしまっていた。
こんな状況で万が一にでも下手な動きを見せようものなら、あっという間にクロスともども床に押さえ付けられてしまうだろうし、問答無用で制圧された後、騎士団の本部へと連行されて、二人そろって尋問室へと送り込まれてしまう事だろう。
「仕方ありませんね」
そうフゥとタメ息をつくと、女は周囲の兵士達を下手に刺激しないように、あえてゆっくりとした動作で立ち上がっていた。
「ちょっと手続きに時間がかかっているようなので、窓口で詳しい話を聞いてきます。その間、クロスさんは、そのまま、大人しく、座っていて下さい。……良いですね? そのまま、大人しく。じっとしたまま、動かないで。静かに、座って、待っていて下さい」
そう繰り返し、繰り返し、念を押すようにして「動くな」と言い含めると、女は僅かに額に汗をにじませながら、受付の担当者へと声をかけていた。
「あの……。大変、お忙しいとは思いますが……。手続きの方は、どんな様子でしょうか」
そんな女の申し訳なさそうな質問に、窓口の男はチラリとだけ視線を向けて。
「申請の際の犯罪歴判定で『赤』が出ている」
「……」
犯罪歴判定での赤判定。それは過去の犯罪歴として殺人や放火などといった重犯罪の履歴がある等の理由によって中央区への立ち入りを許されない人物であることを示す結果だった。
「それで、一応は、過去の犯罪歴ってやつを当たってみたんだがな……」
背もたれに体重を預けて、ギシッと椅子を鳴らしながら。
「そっちには、何も載ってなかった。何故か、犯罪歴そのものは真っ白だったんだ」
そう吐き捨てるように口にすると、男は『胡散臭ぇよなぁ』とでも言うかのようにしてスンと鼻を鳴らして見せていた。
恐らくは、何処かにデータ上の齟齬なり間違いがあるのだろう。だが、この結果は妙に気になっていた。余りにも何処か不自然に見えてしまっていたのかもしれない。だからこそ、どう判断して良いのかを迷ってしまっても居たのだろう。
「ただまあ、こうして赤判定が出ちゃった以上は、いわゆる『この先、進むべからず』って事だからなぁ。コレが出てる以上は、その坊主を門の中に入れてやる訳にはいかねぇんだけど……。だけど『なんで駄目なんだ』って部分の具体的な訳ってヤツについては、悪いが詳細が不明のままでな。……でも、まあ、書類上では不明のままって意味なんだろうけど」
そう苦笑を浮かべてみせる先には俯いてカタカタと震えている挙動不審の極みにある少年が居て。それを眺めながら口にした以上は、その言葉の意味する所は『書類上で分からないというのなら、心当たりの有りそうな人物……。具体的には、当の本人さんに、詳しく“お話”を聞かせて頂ければ済む話だからな』とでもなるのだろう。
「彼を、尋問する、と?」
「それが必要であれば、仕方なくって感じかな」
少なくとも、この場所にいる兵士達は皆、あの坊主にどういうことかと直接聞かなきゃいけない必要性ってヤツを、かなり強く感じているんだがね。
そう言外で返してくる男のニヤけ顔からは、未だ笑みは消えていなかった。
「彼は冒険者ギルドに所属しているEランクの冒険者で、東区のヘレネ教会でも働いている二級治療師の修士なんですよ?」
「ああ、そうらしいな」
ただし、内門の手続きで赤判定が出て止められるような危険人物でもあるがね。
そんな言葉にされなかった皮肉が笑みとなって表情に浮かんでいた。
「……犯罪歴がない人に、何を聞くつもりですか」
「そいつは逆、なんじゃないかね?」
「逆、ですか」
「ああ。どう考えても、逆だろ」
ニヤリと笑みを返しながらも、男はわざとらしく、ため息をついて見せていた。
「そもそも、だ。ちゃんと赤判定に相応しい犯罪歴があったなら、わざわざ手間隙かけて、とっ捕まえて話を聞いたりとかしないんだ。この場でふん縛る意味すらない。ぶった斬って、それでお終い。この場で殺して、ハイ、それまでよって話だ」
それなのに、自分たちは、わざわざ手間隙かけて『生け捕り』にしようとしている。その意味を、よーく考えてみろよ、と。そう言わんばかり態度でもって。
「そもそもの問題として、だ。なんで何の記録も残ってないんだ? あいつは『赤』判定なんだぞ? 問答無用で門を閉めて、そいつを絶対に通らせるな。そいつを門の内側には絶対に入らせるなって意味の『赤』なんだぞ? それなのに、なんで、何の履歴もないんだ。そっちのほうがおかしいだろ」
そもそも整合性に欠けていると思わないか? 何の犯罪歴もないのなら、あのガキは何で赤判定なんか食らっているんだ? なぜ履歴に何も残っていないんだ? そもそも、どっちが間違ってるんだ? 履歴なのか? それとも判定システムの方なのか? そもそも、本当に、何かが間違っているのか……?
そんな脳裏での無数の問いかけによって、閃光のように脳裏に浮かんだフレーズがあった。
──あるいは面倒な『何か』がソコに隠蔽されていて、それが原因で、やんごとない連中の居るエリアに入らせたくないのか……。
だが、その想像は下手をすると隠されている機密なり暗部をほじくり返そうとしている自分達にまで被害が及びかねない事を示唆していて。だからこそ、男は思わず顔をしかめてしまっていたのだろう。
「……何の犯罪歴も過去の記録もないのに、それでも中央区への立ち入りだけは禁止されなきゃいけない。そんな奇妙な記録の奴が抱えている特殊な事情なり理由ってモンが、恐らくはあるんだろうがな……。だが、それは。おそらくだが、まっとうな理由ってヤツじゃぁないはずなんだ。……まあ、そういう面倒臭そうな“何か”があるらしいってのが分かったのは……。まあ、言うまでもないだろう。あの怯えている様子を見れば、誰の目にも火を見るよりも明らかってヤツだったからなんだけどな」
という訳で、と言葉を区切って。アゴをシャクるようにして合図を送る。
「とまあ、そういう事だ。このお嬢さんの方は、何も問題なしだから、通してやって良いぞ。ていうか、後の仕事の邪魔になるだろうから、とっとと通しちまえ。あと、そっち連れの坊主の方だが……。そっちの方は、聞いての通りだ」
女の両肩に手が載せられて、問答無用といった風にグイグイと押されて、詰め所の出口から外に向かって押し出される。その行為の意味は『邪魔だから、さっさと出て行け』といった所であろうか。
「本当に、それで良いのか?」
「良くはない。むしろ、こんな胡散臭い奴を下手にとっ捕まえたら、色々と面倒臭そうな事になりそうだ。……だけどな? だからといって赤判定が出るような不審者を放置しとく訳にもいかないだろ」
「宮仕えの辛いトコだな~」
「そうだな……。だが、まあ……。とりあえず、不審人物であることは間違い無いだろ」
両脇に無骨な腕が差し込まれて。椅子から無理やり立ち上がらされる。
「本部に連行しろ」
その言葉は、何処か遠くから聞こえてきたような気がしていた。
◆◇◆◇◆
クロスが王宮騎士団の本部に連行されてしまった。
それを聞いたギルドマスターの老人は頭を抱えてしまっていた。
「なんで、そんなことに……。お前達は、中央区に向かっただけではなかったのか?」
一応、それプラスアルファの用件もないわけではなかったが、基本的には中央区に居る依頼主の元へと会いに行って、そこで依頼に関する詳しい話しを二人で聞く予定になっていたのだ。だが、そこには予想外の罠というか、想像だにしていなかったトラブルというか落とし穴が待ち構えていたのだ。
「しかし、赤判定か……」
「何が原因で、あんなことになったんでしょうか」
「さてな。……さっぱり想像がつかんわい」
そう口にしながらも、老人の脳裏にはクロスのプロフィールが浮かんでいた。
それは表向きはごく普通の治療師の物でしかなかったが、その裏側に書き込まれていたマル秘扱いの情報の中には、今回の出来事の原因となりうるだろう要素が幾つか散らばっていたのは確かであったのだ。
「中央の騎士団に捕縛された以上、こっちから手出しできる事はないだろう」
「とりあえず、しばらくは様子見って事ですか」
「すぐに処刑なんて事にはならんはずだしな」
恐らくは魔導師協会こと魔導師ギルドによって作り上げられた犯罪歴などの照会システム上の盲点といった落とし穴か何かではないかと思うのだが、それが明らかになるまでは少なくとも拘束されたままになるだろう、と。
そうタメ息をつきながら口にした老人は、とりあえずといった口調で報告に来た職員に告げていた。
「まあ、一番不安を感じておるのは間違いなく本人だろうからな。……とりあえず、アーノルドの奴を呼んできてくれるか?」
元ナイツだったアイツなら、中央の連中や王宮騎士団の奴らとも顔見知りが多い。騎士団の本部で拘束されているクロスへの伝言役を頼むにはうってつけだろうからな。
そう説明を受けた女が慌てた足取りで部屋から出て行くのを何処か冷めた目で見送りながら、一人になった老人は、窓から夜空を見上げていた。
そこには嫌になるほどに綺麗に輝く青白い月が浮かんでいて……。
「赤い月の呪いだと……? フンッ、バカバカしい。全ては、あの臆病なバカどもが仕出かした小細工のせいではないか」
そうポツリと口にする老人の表情には忌々しさしか浮かんでいなかったのだった。