5-3.二枚目の依頼用紙
今日の依頼は色々と特殊なので最初は御一緒しますね。
そう受付で口にした女職員は、制服のままクロスを連れて建物の裏手に回ると、そこにあった貸し馬車屋に向かう。その入口には既に馬車が用意されていて、そこに少年をエスコートしていた。
どうやら依頼の受理の手続きをしていた際に、予め手配していたらしく、待ち時間なしで乗り込めた事は手際が良いというよりも、良すぎることがかえって不安を掻き立てられる程だった。だからこそ、依頼の裏というべきものが気になってしまったのかもしれない。
「確かに、仰るとおり、妙に手際が良いと感じられるのも仕方ありません。ですが、今回の依頼は些か特殊な事情がありまして」
「特殊な事情?」
「依頼主が特別に短い期限を指定した特殊な依頼なんです。それに、いわゆる特急……。特別に急いで人材を求めているといった特殊な事情のあった依頼でしたから。依頼主さんは、特別料金を追加で支払っている依頼なんです。そのせいもあって、こうして依頼主さんのお眼鏡にかないそうな人材には、個別に声をかけさせて貰っていた訳です」
そういった事情があったにしては、さっきの自分に依頼を紹介してきた別の女性は、ひどく軽い口調で『もののついで』程度の感覚で、この依頼の用紙を見せてきたのだが。そう、訝しんでいると、目の前の女性は小さく苦笑を浮かべていた。
「ギルド職員の最低限の心得とは何だと思いますか?」
「最低限の心得、ですか」
「はい。心得、です」
そう改めて尋ねられたクロスは、僅かに考える素振り見せながら答えていた。
「……真面目な事とか、誠実な事とか、でしょうか」
「それはまあ、当たり前というか。出来ていて当たり前。常識レベルのお話ですね」
「じゃあ、ミスをしないこと?」
「それもまあ、必要最低限といった感じでしょうか」
今回の話は、そういった必要最低限、常識レベルの上にのっかる心得レベルの話であるのだと、そう目の前に座った眼鏡の女は口にしていた。
「分かりませんか?」
「ちょっと分かりません」
その素直な返事と共に口にされる「すいません」といった小さな謝罪の言葉に女は苦笑を浮かべていた。
「えこひいきしないこと。利用者全員に対して公平な存在であり、常に全員に同じ態度で接すること……。といったところでしょうか。後は、自分達の内部的な都合を余り前面に出さないように努力するといった事柄もありますね」
その答えは何処か湾曲している答えであって、イマイチ分かりにくかった。
「そうですねぇ……。たとえば、我々は日々、いろんな冒険者の皆さんとやりとりするわけですが、そんな中には当然のように失礼な言葉を平気で口にするような粗野な人や、言葉使いが乱暴な人が居たりします。他にも性格に難があったりする人や、あからさまにこちらを軽んじている態度を見せたりする人など、色々います。……貴方のご友人なども、そういった一癖あるタイプの人物でしたね」
見た目はとても可愛い子だし、仕事はとても真面目な優等生タイプの冒険者なのだが、性格はちょっと難があって、ああ見えて意外に喧嘩っ早いというか、短気な部分もあったりするのだとか。おとなしそうに見えて、自分の指導担当だったアーノルドをノックアウトしてしまうといった具合に、意外に色々とトラブルを起こしてくれる人物なので、内部では問題児扱いされているのだそうだ。
特に上位ランクの冒険者と、アーノルドを巻き込んでトラブルを起こしてしまった時等には、色々と揉め事などが頻発して、ギルドとしても後始末が面倒だった、などなど。
クロスの前ではマタタビを与えられてぐにゃぐにゃになった猫か、骨を与えれてしっぽを振り倒している犬のような感じになる、あの黒髪の少年が……。意外にも、クロウが職員の中では問題児扱いされていることを初めて知ったりと、クロスは自分が知っている部分は、本当にごく一部なんだなと改めて認識させられた気分だった。
「まあ、そういった色々な問題を大小抱えている人達を日々相手にしなければならないのが、我々ギルドの職員な訳です。そんな我々に求められるのは、言うまでもなく信頼と信用です。それこそ、窓口業務にあたっている職員になら、誰に対応して貰っても、いつも同じように扱われるし、各種手続きなどの際にも何も問題など起きないといった絶対の信頼を受ける必要が、我々にはあるのです」
たとえばダンジョンなどで魔石を革袋いっぱいに集めてきたとして、窓口の女職員に「おう、これ換金してくれや、ねーちゃん!」といった具合に言い放って、ドカッと乱暴に目の前に置いたとしよう。
そんな粗暴な人物に対して『何なの、この野蛮人。なんか袋とか血まみれだし、すごく汗臭いし!』といった嫌悪感などの悪感情を抱くことはあっても、それを決して表に出してはいけないのだ。それこそ、どれだけ粗暴な相手であったとしても、他の対応が丁寧だった冒険者と全く同じ態度と表情で接しなければならないし、扱わなければならないのだから。そして、他の人達と同じ評価方法で魔石を換金してあげなくてはならないし、最後には笑顔で「お疲れ様でした。またよろしくお願いします!」と元気に、笑顏で、お礼の言葉を口にしなければならないのが、窓口の職員の仕事なのだから。
「態度や口調が酷いからといって、その程度のことを理由にして特定個人を嫌ったりえこひいきしたりしていては組織としての信用を失ってしまいます。無論、その逆で、どれだけ人当たりが良かろうと、それを理由にしてひいきしてもいけないわけです」
つまり、口調や態度、性格などといった要素は基本的な評価に含めてはならないということなのだろう。ギルドは、それ以外の部分。実績でのみ、その人物を評価するし、それ以外の部分は原則としてオマケに過ぎないのだと。そう女は平然と口にしていた。
「不思議に思いますか? でも、それはむしろ当たり前の事なんですよ。多少性格的に面倒な人達であったとしても、それが理由で仕事が出来ないという訳ではありませんからね。むしろ、そういう人たちの方が特定の仕事では有能な場合が多いんですよ」
むしろ日常的に生命をチップに荒事に当たっているのだから、性格的にきつい人物であることの方が、むしろ当たり前であったのかもしれない。
「性格や口調が悪いといっても、それを使って荒事の仕事をする訳でもありませんし。……もう言わずともわかると思いますが、我々は、そういう木の枝葉の部分では、その人物を評価しないし、木の幹を見ずに木を評価するような真似をしてはいけない組織なんですよ」
そういった意味では、クロスは、そういった粗暴ではあるが有能な人物たちの正反対に位置する存在だった。性格や口調は全く問題なかったのだが、能力的には色々と残念の一言といった人材だったのだ。
なにしろ、副業をやりに来ている日は、大抵、前日までの激務が祟って、魔力がほとんど尽きてしまっている上に、基本として日帰りの仕事だけしか引き受けられられないのだ。何故なら翌日にはまた治療院の方に戻って治療師として働かなければならないのだから。
そういった特殊事情を抱えていたせいもあって、クロスは他の冒険者として働いている治療師達と比べても、明らかに能力的な数値が低く見積もられていて、色々と制約事項の多い使い難い人材というポジションにあったのだろう。
そういった事情を鑑みた上でギルドへの貢献度を数値化した場合には、他の冒険者は多少なりとも問題を抱えていたとしてもクロスよりはギルドへの貢献度が高かったし、月あたりの依頼処理件数なども遥かに多かった。そして、ギルドへの貢献度が高いということは、街への貢献度も高いという意味になり、ここで働いていることが街にとってもメリットになっている人材という扱いになるのだ。
「ギルドにとって有用度が高い人材とは、この街にとっても、居てくれなければ困る才能に溢れた人物ということになりますね。そういった人物を、我々は優遇しなければいけませんし、きちんと仕事の成果に対して正当な形で評価してあげなければ、そういう有能な人材は、すぐに他の街に行ってしまいますからね」
そういった色々な面での貢献度の高い冒険者の日々の活動などを地味に支えているとされる各種治療薬や解毒薬の原料となる薬草集めを、ほぼ独占状態といってもいいペースで日々こなしているクロウについては、特別に街やギルドへの貢献度が高いといった評価がされていたようで、色々と問題を起こす問題児でありながらも、それでもギルドから特別待遇を受けるにふさわしい人物として特別扱いを受けていた。
それこそ、職員が「薬草集め」はクロウ専用の依頼として、他の者が下手に少年の仕事場を荒らしたりして仕事の邪魔をしたりしないように、依頼用紙をあらかじめ取り置いていたり、本来は貸し出しが有料のはずの辞書をずっと無料で預けられていたりといった特別扱いや配慮といった優遇を受けていたりといった事からも、それは明らかであったのだろう。
「そういった事情もあって、我々は出来る限り公平公正でありたいと思っていますが、それでも営利組織ですので、一定の配慮というものはやはり存在します。たとえば、容姿に特別に優れた貴方のような人には、仕事の内容の割にはひどく割の良い、いわゆる美味しい依頼と呼ばれる物を、他の人よりも優先して、こっそりと回したりといった具合ですね」
だが、それをあまり前面に出しては他の冒険者達から文句が出たりするといった事情もあったのだろう。すでにクロウがギルドから特別扱いを受けてはいるが、それについては「アイツのお陰で、この街の治療薬は値段が抑えられているらしいからな。あの扱いも仕方ねぇだろ」といった実績に裏打ちされる形で一目置かれている事もあって、特別に問題視されてはいなかったのだが、まだ新入りでアーノルドに面倒を見てもらっている立場に過ぎない新人のクロスがギルドから特別に割のいい依頼を回してもらったらしい等と噂になっては色々と面倒といった特殊事情もあったのだろう。
「生意気だ、と?」
「そういう目で見られる可能性は高いですね」
つい先日までのクランク商会から妙に割の良い報酬額で常時指名といった特殊な形で依頼を受けていた件がギルドで「美味しい金蔓を掴んだらしい」と噂になっていたこともあって、地味に効いているのだと。
あと、アーノルドが「アレは俺の昔のコネのお陰だぞ」と広言することで沈静化させた上で、「アイツの件でコレ以上の余計な詮索は許さんからな」とばかりに目を光らせているから問題が表面化していないらしいのだが、クロスがどういったツテを辿って銀剣のエルリックを街に連れ戻したのかといった疑問は、未だにあちらこちらで燻っているらしいのだ。
そういった意味でも「何なんだ、あのクソガキは」といった胡散臭い余所者を見るような目で見られているのだとか……。
「平たく言えば、貴方は嫉妬されている訳です」
何の力もないくせに。屁にもならねぇくせに。妙なコネだけはちゃっかり作りやがって。うまいことやりやがって。つまんねぇ仕事でがっつり稼ぎやがったて。そういった嫉妬と羨望の入り混じった妬みの感情が向けられいるのだと。そう、女は口にしていた。
「貴方は些か、上手くやり過ぎたのかもしれませんね」
おそらくというか、ほぼ全てが偶然と幸運による物であると分かっていたとしても。それでもなお、他人から羨まれる程度には上手いことやってのけているし、大した事のない仕事で、かなりの金子を手にしてしまったのでしょう、と。
うっすらと笑いながら。そう何かを揶揄されたことで、クランクからこっそりと懐に忍ばされた“お小遣い”や“特別報酬”の件も嗅ぎつけられているらしいと察したクロスである。
一応は、クランクから「ギルドに分け前を取られたくなかったら黙っとけよ」と言い含められていた事もあったし、某自称父親の入れ知恵もあって、以前からお金の管理に使っていた治療師の方のカードの方の口座に入金して、冒険者ギルドの口座の方には、正規の報酬額だけしか入れていなかったのだが……。どうやら、蛇の道は蛇というべきか、そんな誤魔化しは通じなかったらしい。
恐らくは、お金を最終的に管理している組織なり何なりの情報のやりとりによって、裏で繋がっていたのだろう。そうすることによって不正に入手したお金などの動きを監視しているのだろうと。そう少年は察することが出来ていたのだが、それによって自分が意外に危ないポジションに立ってしまっている事も察することが出来ていたのだろう。
「本来であれば、貴方には、色々と事情を伺わなければならないのですが……」
そこまで言うと、あえて言葉を区切って視線を外に向けて。外の光を変に反射して白く染まってしまっている眼鏡の奥で、すっと細まった瞳が。その横目で向けられた視線の先で怯えて固まってしまった少年の事を、上から下まで舐めるようにして睨めつけていた。
それこそ「あえて具体的に言わなくても、何の件を聞かれているのかは、ご自分でも分かってらっしゃいますよね?」とばかりに。
そう言葉の裏に暗に込められていた意思の力によって、その喉がごくりと無意識のうちに動いてしまっていたのも無理もなかったのかもしれない。
「仕事に対する対価は、すでにギルドの方に支払われています。貴方への報酬額も、各種手数料などを引かせて貰ってはいますが、国法によって定められた比率で、正当な金額をお支払いしています。つまり、貴方が手にした物は、正式な対価とは見なせないわけです。……これは一般的には、賄賂なり裏金と見なされます。無論、特別報酬として追加報酬などが払われる事もありますし、それをギルドに報告せずに懐に入れてしまう人も……。まあ、それほど珍しくもないのですが」
クロウのように依頼主からギルド経由で支払われる特別報酬などの例もあるし、それ以外にもギルドがこっそりと、そこに本来Zランクの場合には半額しか支払われない報酬額から一部を特別手当として増額して支払っていたりするといった例もあったりするのだ。
そういった具合に、報酬額については、結構ルーズでなあなあな扱いになっているという実情もあったのだろう。だからこそ、クランクも事の重要性などを大して考えたりせずに、クロスに追加報酬をこっそりと渡していたりしていたのだろうし、商人たちのように裕福な層が冒険者に依頼を出す場合には、比較的に昔からよく行われてきた悪習の一つではあったのだ。
無論、そこには「次も頼むぞ」といった期待なり、恩や義理といった個人的な繋がりや“貸し”などと呼ばれる目に見えない関係の押し売りといった意味が込められていたのだろうし、そういった依頼主と冒険者の間で発生した個人的なやりとりにまで、本来は口を突っ込まないのというのがギルドのスタンスであったのだが……。それこそ、冒険者が依頼主をゆすったりして払わせたといった事情なり何なりがない限りは、特にそれを問題にしないというのが両者の間にあった暗黙の了解であったのも事実だったのだ。
「それこそ、変にソイツに貸しを作りたくないってのなら、上乗せ分として渡された分を突き返したら良いんだ。変にお前に貸しを作る気はねぇってな。受け取る自由には恩とか義理とかがついてくるが、受け取らない自由には余計なモンはついてこないからな」
だからこそ、アーノルドはそうクロスに助言をしていた。もっとも……。
「プライドの高いヤツなら、俺様がわざわざお前のことを気に入ったから、もっと払わせろっていってやってるのに、それを突き返しやがった。俺様の顔に泥を塗りやがったなって怒り出すキチマーク付きなのも要るからなぁ……。お前が、上手いこと相手を刺激しないで断る自信がないなら、おとなしく受け取っとくのがベターかもなぁ?」
などとアドバイスをしていた件もあって、黙って受け取っていたのだが。
「どういった経緯かまでは存じておりませんが、貴方がこのたび受け取った金額は……。流石に金貨レベルのやりとりとなりますと、いささか高額過ぎます。……これを報告せずに着服していたとなると、事と次第によっては、ギルドへの重大な背信行為。平たく言えば裏切りと見なされるケースもありえる、と。……そういった意見も内部ではないわけではありません。無論、今から、すぐに報告するという方法がないわけではないのですが……」
往々にしてこういった場合には、懲罰的な意味合いでの多額の徴収が行われてしまうというのが世の常であって。他の冒険者達の手前、一切手加減することが出来ないケースが多かったのだろう。それこそ、下手をすると没収となりかねないほどに……。
「さすがに、貴方も手にした金貨を全て失う、というのは……。流石に嫌でしょう?」
そう薄く笑って。
「ああ、そうそう。そういえば……。つい先ほどの事なんですが、この依頼を受ける前に……。うちの職員が口走らせた言葉、覚えていらっしゃいますよね?」
それは未だに忘れるには無理のある時間しか空いていない出来事であって。
「例の少し妖しい絵のモデルを募集している画家の人なんですが。その人は、少しばかりやんごとない立場の依頼主さんでして。……貴方のことを、西区でたまたま、見かけたんだそうです。おそらくは、クランク商会の依頼を受けていた時のことなんでしょうが……。そのときに、貴方を目にして、見惚れたんだそうです。……だから、どうしても絵のモデルを貴方に引き受けて頂きたいと。そう、先方が、申しておりまして……」
こちらとしても、これまでのような漠然とした依頼の仕方であれば、残念ながら申し込む者がいないからと断ることも出来ていたのだが、今回のような指名依頼となると、いささか断りにくい相手でもあるので、出来れば貴方には、こちらの方も併せて引き受けて頂きたい。
そう口にしながら差し出される依頼用紙には、すでに受理の印が押してあって。
「……きっと、ご理解頂ける物と考えています」
押し付けるようにして差し出される依頼紙を前に、クロスに出来ることは大人しく受け取ることだけだったのかもしれない。