5-2.新たな依頼
人の営みに関係なく日は昇り、今夜も月はまた夜空を明るく照らすのだろう……。
ぽつりと、そんな事を呟いた少年の言葉に、向かいに座る男は表情を歪めて答えていた。
「随分とアンニュイな気分ってヤツらしい」
その歪んだ表情が示す感情のベクトルは笑みであり、あからさまに面白がってる事を隠そうともしていなかった。
そんな男の向かい側に座っていた白い修道服姿の少年は、手にしていたおわん型の取り皿に、目の前の昼食が盛られたプレートから手早く取り分けると、自分の横に座っている黒い服をきた人物へと手渡していた。
……今更あえて言うまでもないかもしれないのだが、向い合って座っているのはアーノルドとクロスであり、そんなクロスの横でお昼を分けて貰っているのがクロウといった、いつもの仲良し三人組である。
「いくらお前くらいのイケメンっぷりでも、女に振られる事くらいは有るだろうさ。……俺を見てみろよ。この面でも、その日暮らしの冒険者なんてやってたら、その程度のことは日常茶飯事なんだぞ?」
そうズケズケと弱った心に、土足のまま平気で踏み込んで来られるのは、流石に腹が立ったのだろう。温和で気弱で対人恐怖症の気があるクロスであっても、ムッとした表情を浮かべてしまっていた。
「……私だって、たまには落ち込んだりしたりしますよ」
「だから、女にふられたからなんだろ?」
そうまたしてもざっくりと心の傷に刃を突き立ててくる男のニヤけ顔に苛立たしげに顔を歪めながらも、それでも否定出来なかったのは「どうやら自分は振られたらしい」という自覚なり何なりがあったからなのだろう。
「良い加減、突っかかって来ないでくれませんか」
「そうしたいのは山々なんだがな……。目の前で“はー”だの“ふー”だの悩ましいポーズ付きで色っぽいタメ息つかれまくると、約一名、のーみそが沸騰する馬鹿がいるんだよ」
何処の誰とは言わないが。……というか、今、お前の横で頬をパンパンに膨らませてメシをかっ食らってる阿呆のことなんだが。そう頭痛をこらえているらしきポーズで愚痴を口にする男の指差す先には、僅かに頬を赤くして視線を不自然に明後日の方に向けている大馬鹿者と書いてクロウと読むアホの子が居て。
「そうなんですか?」
「……のーこめんと」
「まあ、色々とあるんだよ。こっちにも。……悪いことは言わないから、あんまり刺激してやるな。ただでさえ、最近、いろいろとウップンが溜まってんだから」
散々モーションかけた時には無視しまくってる癖に、油断してると不意打ち同然に熱烈なアタックをかけてくるような、色んな意味で反則な何処かの誰かさんのせいで。……とまでは、流石に言えないが、と。
そういったヤブをかき回すような台詞は流石に飲み込んで言葉に出来なかったが、これだけあからさまな好意を向けられていて、その事に気がついてないらしい様子なのは、流石にいささか不自然にも感じられていたのだろう。だが、それはある意味において当たり前のことでしかなかったのかもしれない。
臆病なほどに色恋沙汰に対して慎重だという自覚はあるものの、それなりに人に好意を向ける事はあるはずだと、そう自覚はしてはいても、それでも自分のような者が人から好意を向けられる事などあるはずがないと思い込んでいるらしいのだ。
──なんで、そこで「自分は誰かを好きになる事があるらしい」って認めてるし「他人も自分と同じように、誰かのことを好きになったりする事があるらしい」と理解しているし、そういうものなんだって認識もしているはずなのに。それなのに、なんで「他人が自分のことを好きになることがある」って事を頑なに認めようとしないのかねぇ……。
自分のような凡人には到底理解できない考え方というべきなのか、それとも高尚というべきなのか。それとも苦行と呼ぶべきなのかすら分からない、ひどく奇っ怪な考え方だが、本人がそう頑固に思い込んでしまっているのだから、これはこれで仕方ない事なのだろう……。
──それとも、自分は誰かに好かれちゃいけないとでも思い込んでるのかね。
それを最近になって、ようやく薄々とではあるものの察しつつあるアーノルドである。
もっとも、そんなひどく恋愛に対して臆病で強情だの一言でしか言い様がない、ひどく分厚い上に容易に他人を寄せ付けようとすらしない、そんな面倒な心の壁を全方位に対して張り巡らしているらしい少年の心にも、ごく自然に入り込んでしまっている人物が居た。
それは、おそらくはやらかした張本人ですら自覚がない状態であって、おそらくは未だにクロスの方でも気が付いていない状態なのではないかと思われるのだが、そんな面倒な心を壁をまとってしまっているはずの少年だからこそ、そんな事などあるはずがないと逆に油断して、内側にスルリと入り込まれてしまっていたのかもしれない。
あるいは、最初から何ら見返りを求めようともせず、ただ単に純粋に好意を向けているだけでしかなく、それを隠そうともしていないために、逆に変な不自然さや生々しさなどが感じられず、結果として、それを可能としてしまっていたのかもしれないのだが……。
──ま、下手に突っついて、また大失敗をやらかす訳にもいかんしなぁ……。
そう親友に約束させられたからという理由でもって……。無論、いざとなれば実に都合良く忘れた上に「そんな約束、したっけか」程度は平気で言い放つのだろうが。そんな無責任なのか、単に狡いだけなのか理解しがたい男は、自分の中で早々に論理武装を完成させると、これまで通り、ちゃんと見えてるし、それなりに気にもなってるけど、これからもあえて見えていない振りをし続けて、目の前の二人の行く末を生暖かく見守る事を選んだのだった。
◆◇◆◇◆
さて。そんな平和でありながらも、何処か平常運転とは未だ異なった日常に戻ってきていた三人組であったのだが、どれほど一時期忙しかったと言っても、永遠に、その忙しさが継続するなど在り得ない話であり、仕事のペースというものは山もあれば谷もあるものなのだ。
つまり、何が言いたいのかというと……。
「ふむ。……やはり、昼から来てもロクな依頼は残っていませんね」
人が生きていく上でどうしても必要になる物。いわゆる生活費と呼ばれる財貨を稼ぐために、今日も今日とて昼から仕事を請けるためにギルドを訪れたクロスであったのだが、そんなクロスの前に残されていた依頼書は、例によって朝のウチからめぼしいものは確保されてしまっていて、ロクな物は残っておらず、小さくタメ息をつく事しか出来なかったのかもしれない。
──こうしてロクな依頼がないとタメ息をつくのも久しぶりな気がしますね……。
そう久しぶりな感覚を懐かしさ混じりに味わいながら、己の首からぶら下がるランクEの文字が刻まれたカードを弄んだりしながら「うーん」とかんがえる素振りを見せていたクロスであったのだが、そんなクロスの横では毎日のルーチンワークとでも言うかのようにして、慣れた仕草でカウンターに預けっぱなしになっていた薬草の収集袋を受け取って戻って来たクロウが、クロスの修道服の袖をチョコチョコと引っ張りながら「良い依頼ないなら、今日も一緒する?」と、何時ものように声をかけていたのだが。
「……それも良いかもしれませんが……」
そう何となく雰囲気に流されるままに友達からのありがたい申し出を受けようとしていた所で、何を思ったのか。おもむろに小さく首を横に降って「……いえ。今日は遠慮しておきましょう」と、申し出を断ってしまっていた。
「え? ど、どうして……?」
これが「迷惑になるから」とか、そういった分かりやすい理由での遠慮であったなら、まだ返す言葉もあったのかもしれない。
何しろ、クロウは身元の保証がないどころか住所すら定かではない上に、一切の過去すら不明という不審人物であり、北区の外壁の外側に広がるスラム街に勝手に住み込んでいる、壁の外側の住民であるため、厳密にいえば王都の民とは見なされないのだ。だからクロウのランクはZのまま据え置かれていたのだが……。
そんな特殊な事情を抱えているクロウだからこそ、ランクはZのままであり、基本的に依頼の報酬額は常に半額にされてしまっていたのであって。だからこそ、ここで少しでも頭が回る者であったなら、クロウではなくクロスのEランクで依頼を受けて、報酬額を倍に増やして(半分にされる前の金額に戻して)報酬を山分けすれば自分の本来の取り分が目減りすることはないからと。そう、逆に説得することも出来たと思うのだが。
「いつまでも貴方に頼ってばかりというのも、良い加減、迷惑でしょうし……。何よりも、ソレが当たり前といった状態になるのが怖いんです」
せめて友達同士、何の気兼ねもなく、対等な立場で居たい。少なくとも一人ではまともに稼ぐことすら出来ない、友人の好意に甘えて寄生する事しか出来ないといった情けない今の状態を何とか脱したい。……色々な意味で、貴方の情けと優しさに甘えたままで居たくない。
そんな対等な立場で居たいという、ひどく見栄っぱりな男の子の部分によるデリケートな問題も多少なりともあったのだ。
恐らくは、それを何とはなしに察してくれたのだろう。なおも何か言いたげだったクロウを促して、それぞれの昼からの仕事に向かったアーノルドに苦笑交じりの目礼で謝意を伝えると、いよいよ本腰を入れて依頼を選び始めるクロスである。
……もっとも、何度も見返しても目ぼしい依頼などは既に確保されている状態であり、依頼の掲示板には良い物は残っていなかったのだが。
「あら。今日は例の仕事は良いの?」
そう背後から声をかけてきたのは、いつもはカウンターの向こう側に座っている女であり、目の前にある依頼の掲示板に、追加のクエストの依頼用紙を張り付けに来たらしかった。
「ええ。……それって、追加分ですか?」
「そうよ。今朝から昼までの間に依頼を受けた分」
手に持っている依頼用紙の束は軽く十枚以上はあるようだった。
「その中にEランクでも請けられる物は混ざっていますか?」
「そうねぇ……。何枚かはあるみたいだけど……」
慣れた仕草でペラペラとめくって数枚を抜き取ってみせる。
「えーっと……。まず、絵画のデッサンのモデルをしてほしいって依頼と」
……あのヌードモデルの仕事。まだ依頼してる人が居たんだ。それを聞いて、思わずゲンナリとなるクロスである。
あの時のような切羽詰まった状況なら、一応は『最後の手段』として確保しておく必要もあったのかもしれないのだが、今はクランク商会絡みの指名依頼を請け続けていた扱いになっていた事もあって、懐にはずっと余裕があったりした。
実のところ、最後のお別れとなってしまった、あの日の別れ際にはクランク本人から呼び止められて「心から礼を言う」という言葉と供に、見た目は小ぶりではあったが、ずっしりと中身の詰まった革袋を押し付けられていたのだ。……ちなみに中身を見てぶったまげたのだが、そのずっしりと重い革袋。中身は銀貨ではなかった。金貨である。
そんな超がつくレベルの高額の報酬をギルドを通さずに直接手渡したのは、親として最後の心残りであった『我が子にせめて初恋という物をさせてやりたかった』という寂しさと悲しさ、悔しさすら漂う想いを理想的な形で叶えてくれたからという理由によるものだった。
どれだけ金を積んでも不可能だと思えていた事を。それこそ、どんな腕利きの冒険者や医者や治療師にも出来なかっただろう、最後の奇跡を起こしてくれた相手に払う報酬としては、むしろ、これでも足りていないとすら感じていた程の対価でしかなく。そして、我が子の事で、本当にお前には申し訳ないことをしてしまったという迷惑料でもあったのかもしれない。
『結局、金か……。こういう生臭い代物でしか感謝の心ってヤツを表現できない、ちっぽけで哀れな人間なんだと軽蔑してくれて良いぞ』
そんな台詞を口にする男の何処か申し訳無さそうな顔に僅かに苦笑を返して。そして、何も言わずに受け取ると、深く……。つま先を見るようにして礼を返していたのだが。
……そんな訳で、実のところ、クロスは急いで副業の仕事を探す必要はなかったりするし、残りのペナルティ期間のすべてを本業に専念していても大丈夫なくらいには貯蓄が増えてしまっていたりした。はっきりと言ってしまえば、もう副業などやる必要は全くなくなっていたのだ。だが、それでも、あの時の金貨の袋には手をつけがたい気持ちが何処かにあったのだろうし、何よりも暇になることそのものを嫌っていた。
まるで余計なことを考える時間をなくしたいとばかりに、本業が休みになるたびに、こうしてあしげくギルドに通ってきていたのだ。
「……あ、そうだ。他にも似たようなのがあったんだったわ」
そんなクロスを前にして何かを思い出したらしく、カウンターの所に戻ると奥に居た職員に頼んで、依頼用紙らしきものをもう一枚手にして戻ってきていた。
「例のちょっと妖しい絵のモデルを募集している画家の人とは別の人からの依頼なんだけどね。その人、服のデザインとかを主にやっている子らしくて、自分のデザインした服を試着して貰った上で、絵のモデルを依頼したいんだそうよ」
なかなか安物の服や、決まったデザインの服ばかり着ている修士の身では分かりにくい部分もあったのだろうが、セレブ御用達な西区や中央区の高級店などでは、一般的には店の中や周囲の壁のほか、店内のあちこちに、その店に置いている品を着用したモデルの絵などが飾ってあるものなのだ。
単純にそれを見て商品を選ぶような人も居るだろうし、どういった上下の組み合わせで、どんな風に着こなせば良いのかといった情報を、そういう形式で店から提案される形で提供されることで、それ買い物の際の参考にしたりする人も居るだろう。それに、どういった服の組み合わせが、どういった風に他者から見えるのかというのが視覚的にも分かりやすかったりするのが何気に売上につながる要因であったらしいのだ。
何をどういった風に買ったり着たりすればいいのかを、店内の絵を見ることで知ることができるというのは何気に便利であったし、宣伝効果も抜群で、直接的間接的にも売上にダイレクトにつながっている重要アイテムであるだけに、色々とモデルに求めたくなる物も増えがちではあったのかもしれない。
「……なるほど。そういった使い道をする絵だったんですか」
勿論、絵描きでもあるらしいので、時には芸術家の作品らしい、感性の尖ったニッチな方向性の作品を描いたりする事もあるのだろうが、今回の依頼に関しては、ごく普通の広告媒体としての絵でしかなかった。そんな絵のモデルに求められるのはただ一つ。見た目の良い人形じみた外見だけだと思われたのだ。
そういう意味では、誠に遺憾ながらも、見た目だけは無駄にゴージャスでエロティック。かつ無意味に蠱惑的で、色んな意味で妙な方向に魅力的な退廃の香り漂う魔人様であるので、自分などは正に適材適所なのだろうなと思われたのだが……。
「最近さー。こぅゆー、みょーな依頼。ちょっくちょく来るよーになったのよねぇ……」
チラッと視線を横に向けながら。暗に、貴方がココに出入りするようになってから、益々ね、と言葉を濁されているのを薄々とではあるが感じ取りながらも。それでも「へー。そうなんですか」と、あえて気がついていない振りができるようになったのは、色々な意味で歳の離れた友人ことアーノルドと、その他一匹(悪魔の数え方が匹で良いのかどうかは定かではないが)に散々に鍛えられてきたからなのかもしれない。
「そーなのよねぇ……。不思議よねぇ……」
「……そーですねぇ」
出来れば、しばらく前から依頼を出され続けて、ずーっと掲示板の隅っこに(背の低い人には逆に良く見えそうな位置に、あえて目立つように)貼りだされて、そこで存在をアピールされている、もう一つの依頼の方も請けてやって貰えないかなぁ~といった視線を、自分の横の方から向けられているのも分かるし、その意味も理解だけは出来ていたのだろう。
……理解だけは。納得も共感もするはずもなかったが。というか、そんな縋るような視線を向けてくるなと言いたいクロスである。
ともあれ、今回の依頼については、そんな必要に応じて作られる安物の広告媒体、いわゆる大量生産品の内の一つといった見方もできるのかと理解することが出来ていたのかも知れなかった。そして、そんな品だからこそ、主役はあくまでもモデルではなく服の方であって、自分などは服の価値を高めるためのオマケ、飾り付けに使われるリボンなどの装飾品の一つに過ぎないのだろうとも理解はできていたのだ。
「……その依頼、見せてもらっても良いですか?」
「ええ、良いわよ」
そんな依頼の主は、フィルクといった。