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クロスロード物語  作者: 雪之丞
白の章 : 第五幕 【 空の彼方へ 】
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5-1.雨の下で


 何が悪かったんだろう。

 何処を間違えたんだろう。

 ……他に、もっとやりようはなかったのだろうか。

 ……もっと他に。もっと冴えた。もっと良いやり方が。

 他にも、選べる選択肢が残っていたのではないのか……?


「……あんな風に追い込んで……」


 あんな、辛い想いを独白させるような真似をせずとも、もっと……。

 そんなド凹み中だった少年の頭に、ぽたりと水滴が当たっていた。


「……雨……?」


 空を見上げてみれば、そこには何時の間にやら黒々とした雨雲が広がりつつあり、まるで空に穴が空いたかのようにして雨雲が急速に広がっていく様に見えていた。


 ──なんだか不自然な……。


 そうあまりにも急な空の変化具合に眉をしかめていた少年であったが、そんな少年の困惑をよそに、雨足はいよいよ本格的になってきつつあるようだった。


 サァアァァアァァ……。


 耳をうつ優しい雨音。それは道行く人々に小さな悲鳴と悪態を口にさせるだろう、やけに冷たく感じる雨でありながらも、何処か心地よい音色を響かせていた。

 さらさらと流れる川のような優しい雨音も。ポタン、ポタンと石畳を打っている不規則な中にも何処か秩序を感じさせられる、そんな雨粒の音も。そして、自らの体を濡らして服を重くさせている雨粒が肌にへばりついた服の表面を打っている鈍い音ですらも、あるいは……。


「いい天気になったなぁ~?」


 そんなクロスの耳に何処かで聞き覚えのある声が聞こえていた。


「……」


 無言のままに視線を空から通りに戻してみれば、そこには無数の道行く人々が思い思いの店に雨宿りのつもりなのだろう駆け込んでいく姿が見えていて。……昼でも食事を提供しているのだろう酒場らしき店や、お茶やお菓子などを扱っているのだろう喫茶店なども雨に追いやられたのだろう多くの人々で賑わっているようだった。

 そんな喧騒が何処か遠くで聞こえてくる中で。その黒いマントを雨よけのようにして羽織った偉丈夫は、一人で雨に濡れることもなく、通りの真ん中に立ち尽くしていた。


「よっ」


 そのシュタッと手を上げ見せる手には白い手袋がはまっていて。豪奢なフリルのついた、やたらと仕立ての良さげに見える白いシャツは、灰色に塗りつぶされつつある風景の薄暗さによるモノクロームの中で、やけに男の姿を視界の中で際立たせて見せていた。


「……今日はまた、すごい格好をしていますね」

「そうかぁ……? 一応は、いつもと変わらん格好のはずなんだがな……。まあ、これを羽織ってる格好を見せたのは、確かに初めてだったかも……。って、ああ~。そういうことか~。……そうか、そうか。なるほどなぁ……。なにしろ……」


 ニタリと下品な。そして、やたらと見覚えのある嫌らしく下卑た笑みを見せながら「お前の前じゃ、なかなか服を着た格好を見せてやれてなかったからなぁ~?」などと戯言をほざいて見せる。

 そんな良く知った相手……。自称、自分の父親であるらしい悪魔とおぼしき存在。おそらくは夢魔か淫魔かの系統なり眷属なのであろうと思われる。そんな魔族の青年に向かって、少年は少しだけ呆れたような苦笑を返して見せていた。


「……私の記憶が確かなら、貴方が部屋にやってきた時に取る行動パターンは大抵、三つに集約さていると思うのですが」

「剥ぎ取る、押し倒す、抱き付く?」

「その全部ですね」


 より厳密にいうならば、その三つの順番が時々で違うだけである、と。そう呆れて「それしかしないのは自分のせいだろう」と口にしてみせる皮肉屋な我が子に青年も笑って答えて見せていた。


「そりゃぁ、お前のせいさ」

「なんでですか」

「そんなの、お前が可愛すぎるからだ。愛しすぎて、思わず暴走しちゃってんのさ」


 そう平然と口にしてニヘラと相好を崩して見せる。そんないつもと変わらない青年に、僅かに笑みを返して見せたのは果たしてどんな心境の変化によるものであったのか。


「確か、今日は帰りを部屋で待ってるって言ってませんでしたか?」

「あ~……。そういや、そんな事言ったっけな」


 確かに、目の前の青年は自分が部屋を後にする時に口にしていた。今日はずっとここで待っているから、それを忘れるな、と。そして、こうも口にしていたはずだった。……辛くなったら呼んでも良いぞ、と。その言葉が果たされたということなのだろか。そう自らの打ちのめされて弱った心が呼んだ事態なのかと訝しんだ少年であったが、そんな少年の考えを打ち消すようにして青年は平然と答えて見せていた。


「すっかり忘れてた」

「……大人しく待っていてくれれば良かったのに」

「いやー。やっぱ一人だと暇でなぁ」


 そうぼりぼりと頭をかいてみせる青年の浮かべる笑みには若干の照れが混じっていて。


「待ってるのにも良い加減飽きてきたんで、こうして迎えにきてやった次第だ」


 そう平然と前言をひるがえしただけでなく「嬉しいだろ?」とさえ口にできる“ふてぶてしさ”には、確かに見るべきものがあったのだろうし、若干とはいえ羨ましい部分もあったのかもしれない。だが、やはり……。


 ──不自然だ。


 そう。この登場タイミングは余りにも出来過ぎであって。


「……雨ですね」

「そーだな。……まあ、この時期には突然の雨は珍しくない」

「そうなんですか?」

「そーなんですよ。……まあ、この雨は塔のテッペンに居座ってる馬鹿女のしわざなんだが」


 そうボソっと口にして、自らの背後に見える塔のシルエットを見上げて見せる。


「え?」

「ああやって雨雲を発生させてるってことは、今頃、上でやりあってるってことだ」


 塔のテッペンに居座ってる馬鹿女?

 雨雲を発生させている? 誰が?

 ……上でやりあってる? 誰と?


「……誰と、誰が、やりあってるんです?」


 そう当然の疑問を口にする少年に、青年も苦笑で答えていた。


「さて、な? 流石に詳しい事までは分からん。……でも、まあ、もてもてのメスに挑む発情したオスってのは、何処の世界にもいるんだってことだろ。……連中は力こそが正義で、負けたら勝った方の言うことを何でも聞くってのが基本的なルールってヤツなんだろうからなぁ。……そんな訳で、今頃“上”じゃ、命がけで『俺の子を産んでくれ!』って挑みかかってる大馬鹿野郎というか大馬鹿なトカゲ野郎が居て、そんな身の程知らずの阿呆が、こんがりと雷撃でローストされてから、頭からボリボリかじられてる頃なんじゃねぇかなってな?」


 まあ、そんな野生の王国どものハタ迷惑な求愛行動のとばっちりをうけて、下の階に住んでる住人達は大迷惑なんだろうが……。

 そんな訳知り顔の台詞に思わず引きつった笑みを浮かべる少年であったが、その台詞の直後に聞こえてきた空に響き渡るすさまじい雷鳴の大音響に、思わず身をすくめて見せてしまっていた。


「おーおー、派手なこと……。ま、総じて体のデカイ奴は足元の虫けらの事なんて見えてないモンさ。人だって、魔族だって、亜人種だって、そういうもんだろ? 足元にちっちゃな虫がはっていても、そんなの気にせず歩いていて、自分が何を踏み潰しのかって事にすら気が付かないでいる。……連中にとっても、俺達にとっても、何らおかしいこっちゃないって事さ」


 そう「運が悪かったと思って諦めろ」とばかりに口にして。


「でも、まあ、連中のオイタも、まんざら悪いことばかりでもない」


 だろう? とばかりに口にされた台詞は、きっと最初の言葉に繋がっているのだろう。それを何となく察していた少年は「雨なんて」とだけ答えていた。


「雨は、嫌いか?」

「嫌いですよ」

「ま、そーだろーな。……色々と昔の嫌な事、思い出しちゃうモンな」

「……」

「ま、それも仕方ない事なのかもしれん。過去からは、どうやったって逃げきれんもんさ」


 そんな台詞に何も答えない我が子に僅かに苦笑を浮かべながらも、視線を空に向けて。


「雨は良い。……色んな物を覆い隠してくれる」


 綺麗なものも、汚いものも。

 嬉しい事も、悲しいことも。

 あるいは憎しみや愛さえも。


「ほんっと、雨は良いな。……悲しみも、後悔も、悔しさだって。みんな、綺麗さっぱり押し流してくれる。少なくとも、他人に見られたくない物とか、聞かれたくない声とかも、上手いこと覆い隠してくれるからな」


 雨水を吸って顔にへばりついていた前髪の奥で、どんな顔をしていようとも。そこにある目から、どんな液体が溢れだしていたとしても。それでも、雨は、全てを覆い隠し、それらを押し流してもくれるのだろう。そして、優しい雨音は鳴き声さえも、時として押し流してくれるものなのかも知れない。


「……という訳で、だ。最近、息子愛に目覚めつつある、やさしーイケメンパパとしては、こういう時くらいは胸をハンカチ代わりに貸してやっても、バチはあたらんのじゃないかなーって愚考した訳だ。……勿論、おまえの泣き顔を見て萌え~ってやりたかったってのが、ホントは一番の理由だったんだけどな!」


 そう、最後に冗談めかして口にするのが、青年なりの照れ隠しであったのだろう事は明白であったとしても。それでも目の前で広げられた漆黒の外套と、その下で抱き寄せるようにして広げられている腕の意図は間違い様がないほどに明確であって。だからこそ、少年は首を横に振ることしか出来なかった。


「……ダメですよ」


 その弱々しい声は、今の心の弱さを示していたのかも知れなかった。


「なんで駄目なんだ?」

「私は女の子を泣かせてしまったんです。とっても辛い告白をすることを強要してしまったんです。……あんなこと、暴き立てる必要なんてなかったはずなのに……」


 良かれと思って行動した結果、最悪の結果を招き寄せてしまった。そんな気分だったのかもしれない。少なくとも、後悔していることだけは間違いなかったのだろう。


「だったら尚更、この胸を借りたほうが良いと思うんだがなぁ」

「それは甘えです」

「甘えで良いじゃないか。甘えちゃいけないのか?」

「甘えだから、駄目なんです」


 人に辛いことを強要した挙句、逃げ道を塞いで、必死に隠していた秘密すらも暴きたてたような、そんな酷い奴に甘えは許されないのだと。そう吐き出すように口にした少年に、青年は笑い声を上げて見せていた。


「相変わらず、自分に厳しい奴だな!」

「……いけませんか?」

「悪くはないんだろうな。内罰的過ぎる気がしないでもないが、自分に甘く人に厳しいクズよりかは幾分はマシなんだろう。まあ、聖職者たるもの自分に厳しくって躾けられてきたお前に、そういうのはむしろ当たり前なんだろうからな」


 いつのまに近寄っていたのか。そう口にしながら頭をワシワシかき混ぜるようにして撫でる青年の顔には、ただ優しい笑みだけがあって。


「ただ、なぁ……。馬鹿息子。お前は、基本的な事を忘れてるぞ」

「基本的なこと……?」

「ああ、とっても、基本的な事だ」


 その言葉と供にバサッと音を立てて視界一杯に広がって。すっぽりと体を覆い隠したのは、ひどく温かい外套であり、その中で体を抱きしめていたのは、やたらと力強い腕だった。


「知っての通り、お前のパパは、すっごくワガママなんだ。お前が泣いて嫌がろーが、叫んで逃げ出そ―が、俺が抱きたくなったら、大人しく抱かれるしかないだよ。お前の了承なんぞ、知った事か!」


 どりゃー。パパの溢れる愛情の熱量を身をもって思い知れや~と、茶化して口にする青年の腕の中でしばらく「放せ」だの「やだね」だのといった攻防が繰り広げられていたが、所詮は大人と子供の体格差であり、いつものように為す術無く身を預ける事しか出来なかったのだろう、次第に暴れる事もなくなり、その腕の中で大人しくなってしまっていた。


「……よく頑張ったな、馬鹿息子。……お前は、本当に、よくやったよ」


 そんなささやき声に答える声は、どこか涙に濡れていて。


「私がやったことは、正しかったのでしょうか」

「さて、な……」

「私には、どうしても……。あの人の救いになったとは、どうしても思えないんです」


 そんな腕の中で震える我が子に、どう答えてやるべきなのか。それはきっと悪魔の頭脳と常識では解き明かせないであろう難問中の難問であり……。


「悪いが、俺は人間の心の機微って奴については、何もアドバイスは出来ん」


 そう、さじを投げることしか出来なかった。だからこそ、と。


「そんな俺から言ってやれることは一つだけだ。お前は頑張った。自分なりにな。それだけは俺にも分かった。だから、俺からお前にいってやれる言葉も一つしかない」


 ぎゅっと抱きしめながら。


「お前のやったことは間違ってなかった。それを、俺だけは認めてやる」


 そんな言葉が心の防波堤を突き崩してしまったのかもしれない。力なく、ただ己の腕の中で震える事しか出来なくなった我が子に微笑みを浮かべながら。青年はそっと、空いた手で頭を撫でていた。


「泣きたい時には、泣いた方が良いぞ」


 涙は心の汗とか言うらしいからな、と。そんな青年の言葉は、少年にも聞こえていたのだろうが。だが……。


「何故でしょうね……。すっごく泣きたい気分のはずなのに……」


 泣きたいのに、涙が、出てくれない、か。そんな言葉に続く筈だったのだろう言葉を察したのだろう青年は『ほんとに我が子ながら不器用で内罰的な奴め』といった諦めにも似た表情を苦笑混じりに浮かべていたのだった。



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