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クロスロード物語  作者: 雪之丞
白の章 : 第四幕 【 儚い願い 】
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4-35.儚い願い


 明日からはもう来なくて良い。そんな間違い様もない「クビ」を宣告する台詞は、意味や内容を取り間違える可能性すらも含んではいなかった。


「ここが運命の分かれ道ってヤツなのかもね。……貴方は先に進んで。私は、ここで休憩でもしながら、のんびりと貴方の背中を見物させて貰うから」


 その色々な示唆を含んだ言葉の示す意味は。


「……ここでお別れって事ですか?」

「まあ。……ええ。そうなるわね」


 間違え様もない答えを口にして、それを確認してみせる。


「貴女は、これからどうするんですか?」

「これから……? どうしよっか……? 私の隠してた事とか、秘密なんかも、なんか色々とバレちゃったしねぇ……。ま、それも含めてゆっくり考えてみるわ」


 幸い、時間だけはたっぷりあるだろうし。……それも残り僅かなんだろうけどね。そう自嘲の歪んだ笑みと供に口にしながら。


「……もう、私は、必要ありませんか?」


 それがひどく残酷な問いであることを自覚しながらも。それでも我慢出来ずに、思わず口にしてしまうという台詞というものもあったのだろう。その言葉は案の定、相手に涙さえも浮かべさせていたし、そんな少女の泣き顔はすぐに滲んで見えなくなってしまっていた。


「必要、無い訳、ない、じゃない。……馬鹿。ホント、馬鹿なんだから。……ずっと側に居て欲しいわよ。そう、思わないはずないじゃないの」


 そう紛れも無い本音を無理に口にさせる行為の残酷さは自覚しながらも。


「私も同じです。叶うことならば、貴方の側にずっと居たかった」


 互いに望んでいることは同じだった。しかし、それは決して叶うことはなく。永遠の別離が訪れるだろう、そう遠くない未来までの短い時間ですらも、それを良しとしない人物がいたのだ。その人物は誰よりも側に居て欲しがっている相手だからこそ、少年が側に居続ける事を拒んでいたし、それを少年も自覚はしていたのかもしれなかった。


「ええ、十分よ。……もう十分。もう……。胸一杯だわ。一生分くらい、良くしてもらったから。……私は幸せでした。今なら胸を張って言える。そう、誰にだって言ってみせるわ。皆んなのお陰で。……貴方のお陰で……。私は、こんなに幸せな時間を過ごす事が出来ました。……とっても幸せでしたって」


 特に貴方には頑固なパパと我儘な私の間に立ってもらって、色々と無茶なこと言ったりして、散々に迷惑かけたけどね。そう泣きながら笑ってみせる少女に少年はそれでも、と食い下がってみせていた。


「一人で納得しないでくださいよ。……私はまだ不十分ですよ」


 元々は金欠に陥った自分が無理に頼み込んでまで引き受けさせて貰った依頼だった。依頼主のお眼鏡に叶っていない青白いモヤシっぷりなせいか、ロクに期待もされていなかったのだろう。クランクからは、愛娘の秘密を秘されたままに最初の依頼をお試し的に請けてみる事になり……。それが偶然、良い方に働いてしまって。長々と、こんな関係を続ける理由にもなってしまっていた。そういった意味では、少年の側も助けられていたし、恩も感じていたのだろう。なにしろ、コレが駄目だったらヌードモデルの仕事一直線という有り様だったのだから。


「私が自分勝手なのなんて、今に始まったこっちゃないでしょ」

「それでもですよ。聞ける頼みと聞けない頼みがあります」


 そう言い張ってみせる少年に、少女も苦笑を返してみせる。


「今回のは聞ける頼み。通せる無理よね」

「聞けません。……無理です」


 そう力なく俯きながら否定して見せて。それが無駄な足掻き、最後の抵抗だろうと自覚しながらも。だからこそ、そんな力の宿らない言葉は一笑に付されてしまっていた。


「無理じゃない。だから、良いでしょ。……ね? もう、来ちゃ駄目よ」


 そうピシャリと食い下がる少年を問答無用とばかりに優しく跳ねのけながら。そして、最後にふっと弱々しく笑って見せていた。


「お願い。……もう、貴方の目に。大好きな貴方に、ここから先の姿を見せたくないの」


 せめて、ぎりぎり綺麗な姿を維持出来ていた間だけの姿を覚えていて欲しかったから。せめて、記憶の中だけでも元気な姿を残したいから……。そんな切なる願い、死にゆく年頃の少女の最後の願い、儚い願いだけに。だからこそ、少年に出来る返事は一つだけだった。


「……わかり、ました……」


 頷く以外に何が出来るというのか。


 ──なぜ、治療魔法(このちから)は、病を癒せないのだろう。


 そんな己の無力さに泣く少年の頬に、少女はそっと触れていた。


「私なんかのために、もう泣いちゃ駄目よ」

「でも……」


 ──僕は無力だ……。


 握りしめた拳に宿った燐光は。この力は、こんなにも容易くケガを癒してみせるのに。己の掌に食い込み血を滲ませる爪による傷を、こんなにも容易く癒やしているというのに……。傷跡すら残さずに癒してみせるだけの力があるはずなのに……。それなのに……。


 ──なぜ、この力は。こんな時に限って、役に立たないんだ。……どうして、よく知りもしない人の大ケガを治すことは出来るのに、大事な人の病は癒やす事が出来ないんだ……。


「ほら! もー。……せめて最後は笑って見せてよ!」

「……ジェシカさん」


 私、貴方の笑顔が好きだったのよ。わがままゆったときの眉を情けなく八の形にした困り顔も好きだったけどね。そんな言葉で相手に苦笑を浮かばせながら。そして、思い出したかのようにして爆弾を投げつけていた。


「そういえば、エドさんから聞いたわよ~? 私のこと、色々探ってたんだって?」

「……そ、それは……」

「うん。分かってる。私の体のこと、心配になったからって話聞きに行ったんでしょ」


 あの頃は単純に薬物の重度中毒者なのだろうと疑っていた。その服用している薬が違法性のあるものらしき物で、下手に所持しているだけでさえ死刑になるらしいと聞いて流石に見逃せなくなったから動いてしまっただけで……。少なくとも、あの頃の自分は病気の事などまだ疑っては居ないはずだった。だからこそ、そんな読みの甘さやヌルさ、そこにあった真実からあえて目を背けていようとしている弱さや狡さのようなものまでも逆に読まれてしまったのか、老薬師に鼻で笑われて、叱り飛ばされてしまっていた。


「……勝手に探るような真似をして申し訳ありません」

「ううん。いいの。私も色々と配慮ってヤツが足りなかったみたいだし。……あの後、エドさんに叱られちゃった。裏の事情をよく知らないヤツの目の前で、魔薬を平然と摂取するような馬鹿な真似をするとは何事かって……。すっごい剣幕だったんだから」


 だから、あれ以来、できるだけ貴方の前では飲まないようにしてたのよ。そう言われてみると、なるほど時々突発的に席を立って姿を消していたのは、そういうことだったのか、と。きまって帰ってきた時には機嫌が妙に良くなっていたので、薄々はそれを感じていたのかも知れないが、その予感のようなものに確証が与えられた瞬間ではあったのだろう。


「ありがとう」


 唐突に口にされた感謝の言葉に、少年は僅かに反応が遅れてしまっていた。


「なぜ、お礼を?」

「こんな私を心配してくれてありがとうって意味」


 それに、と。


「私ね。ずっと、やってみたかったんだけど多分、出来ないんだろうな~って。ずっと憧れてたのに、最初から諦めてた事があったのよ」


 それは何ですか、と。そうあえて口にして話を先に促するのは、もはや礼儀ですらあったのかもしれない。


「男の人と、素敵な恋をすること」


 そのはにかんだ笑みが漏れるほどに嬉しそうな。毅然と胸を張れるほどに誇らしそうな。そして、何よりも心から楽しそうな。そんな表情を浮かべて見せながら。少女は、少年に向かって、そう答えていた。


「その願いは、叶いましたか?」


 時として、答えが分かりきっているような問いであったとしても、あえて口にしなければならない瞬間というものはあったのだろう。


「うん」


 その短い答えには、綺麗な微笑みと、喜びの涙が混じっていた。


「だから、お礼。……こればっかりは、どうしても相手が必要になる事だったし。それに、私としても誰でも良かったって訳でもなかったから……。だから、本当に、感謝してるの」


 ペコリと頭を下げて。


「こんな体になって、神様を恨んだ事もあったけど……。でも、今は、もう感謝してる。今なら、心からありがとうございましたって言える自信があるわ」


 貴方と出会えた幸運を。貴方と知り合えた喜びを。そして、貴方に恋をすることが出来て……。こんなにも大事にして貰えた事を。……その全てに感謝の念しか感じていなかった。


「神様、ありがとうございます。……私は、本当に……。幸せでした」


 だから、もう、十分。もう、これだけ幸せになれれば何も要らないから……。


「もう、いいの」


 自分は、もう十分に幸せにして貰えたから。だから、後は一人でも良いのだ、と。……いや、むしろ、一人にしてくれないと自分が嫌なのだ、と。


「それに、大好きな貴方に、やせ衰えて骸骨みたいになった姿なんて見られたくないもの」


 ここから先は衰えていく一方で見れた代物じゃないんだから。そう冗談混じりの言葉で空気を和ませようとしたのかもしれないが、その効果はかなり怪しかった。


「こんな所で踏みとどまってちゃ駄目。貴方を必要としてる人はきっと他にも沢山いるわ」


 もう自分は十分に良くして貰ったから。だから、あとは他の人に譲ってあげたいのだと。そして、何よりも、自分の卑しさが恐ろしいから、離れていって欲しいのだと。そう少女は寂しそうな目で口にしていた。


「私、狡いから。それに臆病だし。弱いし。……怖がりだし。それに嫉妬深いと思うし。変な所で頭が回るっていうか、狡賢いっていうか。……追い詰められちゃったら、何言い出しちゃうか分からない部分があるのが自分でも分かるのよ」


 いつまでも……。それこそ死ぬまで手放したくない。ずっと、死ぬまで側に居て欲しい等という、相手の底なしの人の良さと優しさにつけこむような愚かな台詞だけは。それだけは、死んでも口にしたくなかったから……。


「だから、もう、コレっきりにした方が良いのよ。……お互いのためにも」


 きっと、ここでお別れ出来れば、貴方に私の醜い部分を見せずに済むから。そんな「せめて好きになった人の記憶の中には綺麗な思い出だけを残したい」という願いも透けて見えてしまって。だからこそ、そんな『お願い』に否は返しづらかったのだろう。


「大丈夫。……私は、もう大丈夫だから。本当よ? ……それに、貴方を待っている人だって居るんでしょ。私ばっかり良い目にあってたら、その人に悪いわ」


 その言葉に今ひとつピンときてない様子の少年であったが。


「あのねぇ……。貴方、気がついてないのかもしれないけど。時々……。もの凄く嬉しそうな顔っていうか、もの凄くニヤけた表情っていうのかな。なんか、こー、みててこっちまで嬉しくなっちゃいそうな『はいはい、ごちそーさま。聞いた私が野暮でしたね』って感じの顔をする時があったの」


 おそらくは本人は自覚していないのだろうが、と付け加えながらも。


「そんな顔をするときには、決まって貴方は、私じゃない、他の誰かの……。きっと、貴方にとっての大事な人なんでしょうね。その人のこととか、その人との大事な思い出話とか、そういうのを話してる時だったと思う……。まあ、正直、ちょっとムカついてたんだけどね……。でも、貴方にとって、その人は多分、特別なんだろうな~って。ずっと勝てそうにないなって感じてたのも事実だったから」


 だから、と。


「その人、待ってるんでしょ。貴方のこと。……私のことはもう良いからさ。だから、帰ってあげなさいよ。その人のところに。……きっと寂しがってると思うわよ。……その人のところに帰ったら、これまでほっといて、他の女にうつつを抜かしてた分、しっかり甘えさせてあげること。良いわね?」


 そう『ホントは嫌だし、返してなんてあげたくないし、すっごく悔しいんだけど』とボソと付け加えながらも。そんな少女の少女らしい台詞に思わず笑みを浮かべてしまった少年であったが。そんな苦笑交じりの微笑みに、少女も嬉しそうな笑みを返していた。


「そう、それ。その顔。……うん。私、この笑顔が好きだったんだろうなぁ」


 そうしみじみと。何処か名残惜しげに口にしながら。


「最後に一つ。聞いて良い?」

「なんでしょうか」

「私の事、好きだった?」


 その過去形の問いの意味を取り違えるはずはなく。


「好きでした」


 その答えが、すでに終わった話であるということの共通認識を表していて。


「……好きです」


 それは『今もまだ』という言葉を表していた。


「そう。……私もよ」


 そう口にして。何処か寂しそうで。それでいて清々しい笑みを浮かべて。


「さようなら。クロスさん。……貴方を好きになって良かった」


 そんな台詞と供に向けられた背に。ゆっくりと遠ざかっていく少女に。中途半端に伸ばされつつあった腕は届くはずもなく。そして、少年は、もう何も答える事が出来なかったのだった。



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