4-34.神秘の魔法
父親がこれまで連れてきたエスコート役は、揃いも揃って似たり寄ったりで、結果だけを見れば全員が不合格だった。ちゃんと駄目なことは駄目と言うなど『自分を普通に扱うこと』程度の条件、さほど難しい物ではないはずだ。そう軽く考えていた少女にとって、その結果は意外なものであったのかもしれない。
そんな具合に不合格者が続いていた果てにひょっこりやって来たのは、ひどく頼りなさそうで、どこかオドオドした態度が目につく、ひどく胡散臭い上に気弱さがイライラさせられる、顔だけはやたらと整っている魔法使いらしき格好をした新米冒険者の『女の子』だった。
そんな、いかにも駄目っぽい人物が、ようやく自分の求めていた最低限の条件を満たしているだなどと想像もしていなかったし、そんな何も期待出来なくなっていた果てに不意打ち同然に現れた合格者であっただけに、その人物は本当の意味で、自分の中で『特別』といった扱いになってしまったのかもしれない。
そう自分達が出会った当初のことを振り返る少女に少年は苦笑を浮かべて尋ねていた。
「……当時の私のことをそこまで気に入って頂けた理由を聞いても?」
そう自分に背中で崩れるようにしてもたれ掛かって背負われている少女に話しかける少年は、あの頃は色んな意味でやりづらかったなぁと過去の自分と少女のことを思い返しながら苦笑を浮かべていたのかもしれない。そんな少年に少女も自嘲の笑みを浮かべて答えていた。
「私のことを病人扱いしなかったから」
それまでに引き合わされた者達がほぼ全員共通していたのは『病気と薬の事を予め知らされている』という点だった。その結果として、それまでのエスコート役は必要以上に自分の体のことを気遣っていたし、常に自分を危険から遠ざけようと必死になっていた。……何故そんなことになってしまっていたのか。それは少し考えてみれば分かる事だったのだろう。
自分の体は病に侵されているし、その病は決して癒えるという事はない。そんな癒える事のない病に現在進行形で蝕まれている体は必然として弱っていて。質の悪いの事に服用している薬のせいで、その事がひどく自覚しづらい体になってしまっていた。そんな訳で見た目は多少不健康そうなだけで普通っぽくても、その中身の一般人と比較しても体力面で大きく劣っていたし、いつ病のせいで倒れたりしてもおかしくない体であったのだ。
こんな厄介な体の病人を連れて遠くまで遠出したがるエスコート役など居るはずもなかったし、事ある事に自分を必要以上に危険から遠ざけようとしたし、何をするにしても自分がやるから大人しくていてくれと頼まれてしまうといった有り様だった。
「……結局の所さ。何処まで行っても、あの人たちは『パパに頼まれて病気の娘の面倒を見るだけの人』って感じで接してきたし、その依頼の本当の依頼者である私が『本当は何をして欲しいのか』なんて誰も考えてくれなかったのよ。……きっと重病人の散歩とかの付き添い兼護衛程度にしか思われなかったんでしょうね。だから、何をするにせよ最初に言われる台詞はだいたい同じだったわ」
貴方は病気なんだから、そんな危ないことしないでください。
貴方は病気なんだから、そんな事、私に任せて大人しくして居てください。
貴方は病気なんだから、そんなの駄目ですよ……。
貴方は病気なんだから……。貴方は病気なんだから……。貴方は病気なんだから……。
その言葉は、表面上は相手を気遣う物でありながらも、同時に保身のためでもあった。
「ことあるごとに、アイツら、私に言うの。貴方は病人なんですから。病人なら病人らしく、もっと静かにしててくださいって。もっと病人であることの自覚を持てってね」
確かに、彼らの言い分にも頷ける部分はあったのだろう。病気ある以上、体が一般人よりも弱っているのは確かなのだから、下手に一般人と同じことをしようとせず大人しくしておくべきという意見も分からないでもなかった。……だが、それはあくまでも普通の病気を患った者に対する台詞であったのだ。
「私みたいな面倒くさい病気患ってるヤツに向かって、良くなるまで大人しくしてろって、どういうつもりで言ってたんだろ。……こんなの、良くなるはずないのに」
結局の所、その部分の認識に差があったということなのかもしれない。大人しくしていれば本当に病気が快癒に向かうというのであれば。それなら、少女だって大人しく言うことも聞いていたのかもしれない。だが、残念ながら……。とても残念なことに、この病を患っている以上は、今の状態を維持するのでさえ精一杯というのが実情だったのだ。
自分に待っているのはゆるやかな下り坂か、急激な下り坂。あるいは断崖絶壁。そのいずれかであるという自覚があっただけに。決して上り坂になることはないのだろうという自覚があっただけに。だからこそ、その言葉を素直に聞けなかったのだろう。
「確かにね。大人しくしていれば、もっと……。もっと長く生きていられるのかも知れない。……あの人達のいう通り、ずっと静かにベットで寝ていれば、こんな風にまともに動けなくなるようになるのは、もっともっと先のことだったのかもしれない。でも……」
それは認める。不本意ながら認めざる得ない。だが……。
「でも! それじゃあ! 何も……。何も、出来ないじゃない!」
ギュッと抱きつくようにして顔を押し付けながら。
「せめて死ぬまでに一回くらいやっときたい事とか、一回くらい見てみたかった物とか。そういうのを、何一つ望んじゃ駄目って言うの……!?」
彼らは、揃いも揃って頭ごなしに口にしていた。そんな事許すわけにはいきません、と。なぜなら、万が一、そんなことをしている最中に重大な『事故』が発生したら、その事に責任を取りきれませんから、と。叱られてしまいますから、と。そんな自分の立場による都合だけを常に押し付けてきていた。
「あの人達が妥協出来る範囲は、自分達がペナルティを受けない程度まで。……万が一にでも私がケガをしたりするような可能性がある場所には絶対に行かせてくれなかったわ」
それこそ冒険者の出入りするような場所など、絶対に許しては貰えなかった。
「……でも、貴方は色んな意味で『普通』だった」
それが自分にとっては異常であり好都合でもあったのだが。
「まあ、格好はちょっと特殊だったけどね」
そう苦笑混じりに付け加えられた台詞に思わず少年も笑みを浮かべてしまっていた。
「色々と事情があったんですよ」
「うん。パパから聞いた。止むに止まれぬとは、正にこの事ねって思った。……というか、パパも呆れてたわよ。アイツ、まだ、黙ったままだったのかって」
道理でいつも妙な格好をしてるなと思ったら、と納得もしていたらしいのだが。
「成り行きでつかれた嘘だったとはいえ……。貴方、ちょっと紛らわし過ぎ」
「そうですか?」
「そうよ。声は変に高いし、顔は私より綺麗だし、背はちっちゃくて、妙に可愛いし」
それは年上の男に対する評価の言葉ではないのでは。そう嫌そうな声で答える少年に背中の少女も笑みを浮かべていた。
「それくらい紛らわしい外見をしてるってことよ」
「そうですか」
「まあ、こっち側に思い込みがあったって部分も大きかったんでしょうけどね……」
そんな自分よりも小柄で女の子と見間違わんほどの顔をしているはずの人物が、こうして平然と自分を背負って見せているのだから、なるほど確かに中身は男の子なのだと納得もしている部分もあったのだろうが。
「もしかすると、妹みたいに感じてたのかも知れない」
そう、ポツリと背中で口にする。
「私が守ってあげなきゃって。……ほら、貴方、すっごい美人だったしさ。それに、どっかボケボケっとしてるじゃない。あと、いつもにこにこ笑ってたし。……変に人が良さそうだけど、なんかすごく騙されやすそうだなーって思ったから。……それに、ほら。見た目だって、私よりちっこいし。頼りなさそうだったし。それに、体つきも細くて弱そうだったし?」
だから、歳の近い友達とか、妹みたいに感じてたのかもしれない。正確には子分とか、妹分って感じだったのかな……。この子、弱そうで頼りないから、私が守ってあげなきゃ、みたいな。そう、少女は楽しそうに口にしていた。
「楽しかった。……貴方と一緒に遊びにいくのが楽しくて楽しくて……。まるで自分が……」
思わず口走ってしまいそうになる言葉は顔を背中に押し付ける事でかき消されてしまっていた。……だが、例えその先の言葉は口にされなくても。それでも不思議と続きが聞こえてきてしまう台詞というものもあったのだ。
──まるで自分が健全者のように感じられた。
それこそ、まるで病気など患っていないかのように。これまでの灰色に塗りつぶされていたモノトーンの世界が悪い夢の中の出来事であったかのようにすら感じられて。少女を取り巻く世界は再び色を取り戻し、その耳には再び街の雑踏が単なる耳障りなノイズではなく、人々が日々を生きている証として。何かしらの意味のあるものとして聞こえてきていた。
「なんでだろうね。生きてるって実感があったの。私は、まだ、ここで生きてるって。不思議と、貴方と一緒のときには……。そう、感じられたの」
その頃のことを振り返りながら。
「貴方との時間を精一杯楽しむためなら、体調の調整とか全然苦にならなかった。それ以外の時間を、じっとベットの上で大人しく我慢して体を休めたり、体調の維持と体力の回復に専念することなんて、全然つらいと思わなかった。……むしろ、次の予定日が楽しみで仕方なかったのかもしれない。……そんな私のことをパパとかお店のみんなもすごく喜んでくれてた」
しかし、その出会いはあまりにも遅きに失していたのかもしれない。
「……でも、結局は、駄目だったのかも」
寂しく笑って。ズズと鼻をすするようにして。
「私は……。どこまでいっても……。この病気からは逃げきれなかった」
事あるごとに。色々な場面で。何度も何度も、しつこいくらいに。それをこれでもか、これでもかと思い知らされる事になった。
自分の体がすでに限界を迎えつつあることを。すでにあちらこちらが壊れかけていることを。内側から色々な部分が駄目になってきているということも。……楽しければ楽しいほどに、それを強く思い知らされてしまっていた。
たとえば、それは甘いはずのものを口にした時に何も感じなかったり、熱をもった熱いはずの物を口にしてもほとんど何も感じなかったり。湯気を立てている作りたての物を口にしたときでさえも同じだった。その全てにおいて、少女の舌は何も感じなかったし、後から口の中を火傷していたりした事を知らされたりといった事もあった。
そうやって、少女は、ゆっくりと思い知らされてしまっていたのかもしれない。
──もう、あんまり時間、残ってないんだろうな……。
その事を。ただ表情などから挙動不審にならないようにだけ心がけながら。目の前で自分と同じように食べたり飲んだりしている友人に極力悟られないように心がけたりもしていた。それが完全に出来ていたとは言いがたかったかもしれないが、それでも目の前にいる友人に知られたくないという気持ちは日増しに強くなっていく一方だった。
せめて、この時間だけは普通に扱って欲しいから。せめて、この子からは“あの目”で見られたくない。自分より不幸な、可哀想な人を見るような哀れみの視線だけは。この子からだけは、あんな目を向けられたくなかったし、病人扱いもされたくなかったから。
そんな想いが、少女に気丈に振る舞う事を強要していたのかもしれない。少なくとも、本格的に動けなくなるまで、そのことを紛いなりにも隠し続けることが出来ていたのではないかと思うのだ。……だからこそ、それまで気丈に振る舞えたのだとも逆説的に思えていた。
「貴方が与えてくれた黄金のような時間が、私にとっては何よりも大事な宝物だった。……それまでずっと無理だからって最初から諦めてたことを、貴方は次々に叶えてくれたんだもの。ずっと行きたいって思ってた所にも連れて行ってくれた。普通なら私なんて絶対に踏み込めないような危険な場所にだって連れて行ってくれた。……バベルとか大迷宮とか、絶対に入れないって思ってたのに。……それなのに、貴方、パパを説得してくれて連れて行ってくれるんだもん。……それに……。あんなすごい人まで連れて来ちゃって……。なんで私なんかのために……。剣聖まで連れてきちゃうのよ。しかも、あの銀剣のエルリックとか冗談でしょう……。この子、本物の馬鹿なんじゃないのって……。あの時、本気で、こんなの夢の中の出来事だって思ったんだから」
背中に感じる水気はきっと少女の感じていただろう、感謝と感激と喜びの大きさを示す証でもあったのだろう。
「そんな貴方は、私にとっては色んな意味で“魔法使い”だった。……攻撃魔法の使い手とか、そういう意味じゃなくてね。……ずっと小さな子供の頃に思い描いていた、凄い魔法を使って色んな人を幸せに出来る不思議な力を持った人のこと。どんな望みでもチチンプイプイって秘密の呪文を唱えて叶えてくれるの。そんな神秘の魔法をつかえる不思議な人のことよ。……私にとって、貴方は、そんな不思議な魔法を使える人だったの」
素敵な、私の魔法使い。そんな言葉と共に、抱きついてくる腕の力が強まる。
「ジェシカさん……」
「……でも、だから、だったのかな。うん。だからなのかもしれない。それまでずっと諦めていた事ばっかりだったのよ? それを無理じゃないって……。困った顔をしながらも、片っ端から叶えていってくれたんだもん。そんな貴方だったから。……だから、私はどんどん貴方に依存していったのかも知れない。……どんどん駄目になっていった。もう色んなことを諦めて、心の波を真っ平にして、いつ死んでも良いって状態に近くなってたはずだったのに。その準備が出来てたはずだったのに。……それなのに、私の中にまた欲が生まれてきちゃったのよ」
──怖い。死にたくない。
そんな感じられて当たり前の感情をどうにかこうにか克服して、ようやく死を受け入れる準備が整いかけていたはずなのに。それなのに、そんな気持ちが蘇ってくることは、今の少女にとっては何よりも迷惑で面倒なことだったのかもしれない。
「残された時間が何よりも大事に光り輝いて見えてしまったのかも。貴方がそばに居てくれる時間が残り僅かなんだって思ったら……。その事に耐えられなくなった。この幸せな時間を失うってことが……。すっごく怖くなった。それに……」
ポツリ、と。
「貴方の側に居られる時間がなくなる。もう二度と会えなくなっちゃうって。……そう、思ったら……。まだ、死にたくないなって……。もっと、会いたい。もっと、ここに居たいって。ずっと、貴方の側に居たいって……。そういう気持ちがどんどん強くなってきた。……その頃だったのかな。私が自分の中にあった気持ちに気がつけたのって」
泣きながら。それでも何処か嬉しそうに笑いながら。
「いつの間にか、貴方のことが、好きになってた。……大好きになってた。だから、かもね。その頃の私の不満はただひとつ。……貴方が、女の子だったこと。……なんで、こんなに素敵な人なのに女の子なのよって……。なんで、男の子じゃないのよって……。なんで、よりにもよって女の子なんて好きになったのよって……。ずっと一人で身悶えしてたんだから」
そう、当時の自分のことを笑って見せながら。
「そんな貴方が見せてくれた最後の魔法。……もう分かるでしょ? 貴方、そんな私に『ゴメンナサイ。ほんとは男でした』とかへーぜんと言うんだもん。あー、もー。あのときは頭がぐるぐるになるし、このどうしようもない恥ずかしい気持ちとか、叫び出したいくらい嬉しい気持ちとか、すっごい腹立たしい気持ちとか、訳も分からずに叫び出したい気持ちとか……。貴方に抱きついて、今すぐ叫んで踊りだしたい気持ちとかも……。もう、何をどうしたいいのか、わけ分かんなくなっちゃったわよ」
あの時には本気で頭がどうにかなりそうだった。ただでさえ強い薬のせいで頭が壊れかけてるんだから、無理させないでよ……。そう笑って見せていた。
「貴方って自分じゃ分からなかったでしょうけどね。でも、貴方はずっと……。そんな、すっごい魔法を私に見せ続けてくれてたんだから」
諦めたはずの夢を次々に叶えていってくれた。そんな貴方は自分にとっては紛れも無く“魔法使い”だったから。だから、貴方は、私にとってのヒーローなの。そう笑って口にするジェシカだったが、その声はすぐにしぼむように小さくなってしまっていた。
「でもね。……だから、ここで言わなくちゃいけない言葉もあるんだと思う」
そう何かを吹っ切るようにして口にして。次いで「もう良いわ。家、すぐそこだし。……降ろして」と口にして、少年の背から降りる。……どこか名残惜しげな表情を見せながらも。
「いままで色々とありがとう」
路上で向き合った少女が口にしようとする、その最後の言葉は。きっと次に口にされるだろう言葉はある程度は予想出来ていたはずなのに。それなのに、その言葉を聞きたくないと少年は心の底から思っていたのに。それでも両手は固まったように動いてくれなくて。己の耳を塞ぐ事ができなかった。
「……もう、明日からは来なくて良いわ」
そのついに口にされた別離を意味する言葉は、ひどく穏やかな調子で口にされていた。