4-27.それぞれの想い
いきなりやってきて患者について詳しい話を聞かせろ等と言われてものぅ……。
自分を睨みつけるように見つめる目をギラギラさせている薄気味悪い女を前に、それでも何時もの調子でスットボけて見せる老人の答えに、そんな二人から距離を取るようにして壁に背を預けていた男は思わず「ブフッ」とお茶を吹きこぼしそうになってしまっていた。
「……おい。兄ちゃん」
「今、薬師殿と真面目な“お話”をしている真っ最中なのですが?」
「いや、スマン。あんまりにも予想通りな返事だったんで、つい、な……?」
もうお前さんらの邪魔はしないつもりだから勘弁してくれ。そうスマンと頭を下げる仕草をしながら謝られた二人は「ヤレヤレ」「仕方ないですね」といった感じで揃ってタメ息をつくと、すっかり緩んでしまった空気に思わず苦笑を浮かべてしまっていた。
「……話を本題に戻そうと思うのですが?」
「ワシは脱線させたつもりはないんじゃがなぁ」
「いえいえ。盛大に脱線していたと思いますよ」
「そうかの」
「そうですよ」
そんな何処か気の抜けたやりとりをしながらも、エレノアは懐から縦に三つ折された紙の書類らしきものを取り出して見せる。……ただし、まだ広げない。それを“持っている”と見せ突けているだけだ。それは、その中身が何であるかを予測できる相手であるからこそのアピールでもあったのだろう。
「……では、改めてお聞きします。先ほど質問させて頂いた件に関して、詳しい話を聞かせてもらえますね?」
「患者についての質問なら、何度聞かれようとも、答えはノーじゃ。……じゃが、まあ……。プライベートな情報などを抜きに話ても良いなら、その要請に応じるのも……。まあ、やぶさかでないかも知れんがのぉ」
そう「ソレを本当に持っているのだとしても、自分が譲歩出来るのはこの辺りまでだ」と。そう暗に仄めかしながらも、まだ答えをぼかして見せる。そんな老人に女は僅かに視線をキツくして答えていた。
「……それは結構。ですが、どうせ教えて頂くなら、何もかも洗いざらい全て喋っていただく方が無駄もありませんし、色々と“間違い”が起きにくいと思うのですが?」
そう、暗に余計な事までほじくり返されたくなかったら大人しく喋れと迫ってみせる。
「そうは言うてものぅ。お前さんのような“部外者”にワシの患者の事を、そこまで詳しく教えなくちゃならん理由も義理もないじゃろーよ」
という訳で、そのお願いには応じられん。そうにべもなく「何度言われようとも、答えはノーだ」と断ってみせたエドにタメ息をつくと、エレノアは仕方ないといった表情で手にしたままだった紙を広げて見せていた。
「……中央で昨夜、発行してもらった、薬師殿に対する我が神による強制聴取の執行許可書です。ご確認を」
強制聴取執行権。それはエレナの司祭にのみ許された特殊な権限と役目であり、独自の能力である“制約”と呼ばれる呪いの力を使って行われる、一種の強制的な自白強要行為である。
その内容は、平たく言ってしまえば『嘘をつくことを禁じる』という呪いの制約下で行われる事情聴取であり、その紙は、その行為を申請のあった人物に対して行う事を許可するという認可状であったのだろう。
嘘をつくことで体の中を金属製の茨が這いずり回るような激痛を感じる事になり、その凄まじい苦しみは、大の大人でもものの数秒で泣き叫んで激痛にのたうちまわるとされるのが茨の王の異名を持つ制約と契約の神の力による“茨の輪環”であるのだ。
そんな呪いを受けた上で行われる事情聴取の中で嘘など口に出来るはずもなかったし、嘘を口に出来ないからと、あえて沈黙を守る事は出来るにせよ、そのようなあからさまな真似をしてしまえば自白しているのと変わらなくなってしまうものなのだろう。
例えるなら『貴方は◯◯といった罪を犯しましたか?』という問いに大して『いいえ』と答えることが出来るなら嘘偽りなく「犯していない」ということになるし、その答えを口にした直後に激痛にのたうちまわれば、必然として「犯している」ということになる。
では沈黙を選べばどうなるかというと、それは暗黙の内に「犯していないとは言えないから黙るしかない」ということになり、灰色か黒のいずれかということになり、白でないことが確定する状態で、最終的な解釈を他人に丸投げする行為でもあったのだ。少なくとも、それが自分に対して疑いを抱く相手に大して有利に働くはずもなく、多くの場合には暗黙のうちに罪を認めたとみなされることになる。……なぜなら、それを否定しなかったからだ。
そういった神の監視の元で偽証できない状態で行われる尋問がどれほど恐ろしい物であるかは、少し想像力を働かす事が出来る者であれば誰でも理解出来るはずなのだが……。
──世の中には、えてして『例外』というモノがあるそうですが……。
そう目の前で老人がむっすりとした表情を変えようともしないのを見て、果たして単なる強がりなのか、それとも何ら自らの行った行為に恥じる所がないと信じ込んでいるのか。その判断に迷ったのは、老人を追い込んでいるはずの女の方であったのかもしれない。
「……怖くないのですか? 普通なら、この書類を見せた段階で大抵の人は、そんなことをされるくらいならと、自分の意思で喋りだすのですが」
「嘘をつかなければ良いのだろう? 何で、その程度のことを怖がらなくちゃならん」
そう、この偏屈爺を見くびるなよ、この小娘が、と。鼻息荒く答えてみせる。
「……それにな。多少、数字の偏りこそあるものの、何ら不備がないと大勢が認めた書類の数字を見た上で、それでもまだワシの言葉を信じ切れないんじゃろう? それなら、信じていいのかどうか判断がつかずに迷っておるのは、お前さんの方なんじゃろう。だから、わざわざ、こうして自分の所の神様まで担ぎだして、このワシが嘘をついているんではないかと、言葉の真偽を図ろうとしておるんだろう?」
そう、老人は「その問題とやらは、実のところ、お前さんの中にこそあるのではないか」と。そう尋ねるのだが、当然のように女は何も答えない。
「……やれやれ。そんなにワシのことを犯罪者扱いしたいのか? ……ん? 違うとでも? このワシが何か横流しや故意による過剰処方といった犯罪行為に手を染めているのではないかと疑うているんだろう? 薄汚い犯罪者が、善人の振りをしているだけなんではないかとな? ……私腹を肥やす犯罪者が、言葉巧みに、自分や、そこの若造のことを丸め込もうとしているんではないかと疑っとるんだろう……? ……違うたかの? ワシには、どーしても、お前さんの目や顔が、そう訴えかけて来ているように思えるんだがのぅ」
そうあからさまに自分を挑発してくる老人に、女もわずかにコメカミのあたりを震わせながら答える。
「そのふてぶてしい狸の皮、我が神の力で、今からひっぺがしてご覧にいれますわ!」
そんなついに牙をむき出しにした本性を晒した女に、老人はただ不敵に笑って見せるだけだった。
◆◇◆◇◆
唐突に様子がおかしくなって泣きだしてしまった。そんな少女を前に慌てふためきながらも、それでもどうにかしなければと、少女を引きずるように連れ出して。「確か、この近くにあったはずなのだが……」と、うろ覚えの記憶の中ではあったものの、たしかに覚えていた公園に、少年はどうにかこうにか少女を連れてきていた。
その公園には記憶にあったとおり、やけに目立つ大きな噴水が備えられており、今日も気持ちの良さそうな水流を元気よく空に向かって吹き上げていた。
──水の流れる音とかは、心を落ち着かせる効果があるとか聞いたことがあったけど……。
そんな怪しげな知識に頼った緊急避難であったが、それでも人の姿もまばらな公園の噴水前という周囲の雑音をも遮られる環境に移動したことで、ようやく少女も平静を取り戻そうとしていたのかもしれない。
「……落ち着きましたか?」
泣きだしてから、まだ時間もさほど経っていないのに我ながら無茶を言っているというのは百も承知だったのだろうが、それでも肩を震わせる嗚咽がなくなって、呼吸が僅かに穏やかな物に変わってきていたことで、少年は目の前の少女が落ち着きを取り戻していると判断していたのかもしれなかった。
「……みっともないトコ、見せちゃったわね」
もともと初めて会った時から、情緒が多少なりとも不安定な部分は見え隠れしていた。それこそ、自分のことを何処か伺っているような不安そうな瞳で下の方から見つめながらも、それでも顔には下卑た笑みを浮かべながら「あなた、マゾなの?」といった憎まれ口を平気で叩いてみたり、それまで実に楽しそうな表情を浮かべていたのに、突如として表情が消えたりといった風に、躁状態と鬱状態と感情の感じられない状態をあっちにフラフラ、こっちにフラフラといった風に行ったり来たりしているような、そんな忙しい……。言い方を変えれば、次の瞬間の感情の状態が予測が難しい所があるような、そんな気難しくも危なっかしくも感じられる部分を抱え込んでいる少女であったのだ。
「……もう、大丈夫」
「そうですか。それじゃあ、もうちょっと休憩していきましょうね」
それを聞いてウンウンとうなづくと、少女の隣にストンと腰を落ち着ける。
「……大丈夫って言ったでしょ?」
「まだ大丈夫は、もう辛い……。じゃありませんでしたっけ……?」
「……それ、ダンジョン探索の基本的な心得って、あの人に教えてもらった言葉じゃない」
そう、ようやく青白い顔に笑みを浮かべた少女に、少年も同じように硬い表情を無理矢理に動かして笑みを浮かべる事が出来ていた。
「……何があったのか、聞いてもいいですか?」
具体的に「何故、さっき泣き出したのか」と聞かなかったのは、少年なりの優しさであったのかもしれない。だが、それは気弱さの裏返しでもあったのだろう。
「意気地なし」
だからこそ、苦笑交じりに、そう一言で斬って捨てられたのだろう。
「……やっぱり、僕は、駄目ですね」
「そうね。この程度のことですら怖気づいてるようじゃ……。全然、駄目。駄目駄目よ」
そう苦笑を浮かべて肩をすくめてみせる少女の顔色は青白さすら浮かべていて。それが余りにひどかったせいなのだろう、少年は思わず視線をそらしてしまっていた。そんな視線すらまともに合わせる事が出来ないでいる、良く言えば優しく、悪く言えば弱い少年に、少女は、それでも嬉しそうな笑みを浮かべて尋ねていた。
「私が何処かおかしいんじゃないかって……。体のことで何か隠してるんじゃないかって……。ほんとは聞きたかったんでしょ……?」
「それは……」
「誤魔化さなくても良いわ。貴方が変に思って私の事を調べていた事くらい分かってるし、態度とか表情とかでも分かるわよ。……分かってるんでしょ。ホントわ」
──ただ、それを互いに認めたくなかっただけで。
そんな言葉にされなかった続きが、何故だか聞こえたような気がしていた。
「……だから、こんな私のことを必要以上に気にかけてくれてたんじゃなかったの?」
「それは違います!」
そう突然、大声で否定してみせた少年に流石に驚いたのだろう。少女は、思わずキョトンとした表情を浮かべていた。
「……そうなの? ……だったら、何で?」
「何でって……」
「パパとの約束だった? それとも、今の仕事の内容がコレだったから? ……それとも、大穴で、何となく情が湧いて見捨てられなくなったからとか?」
それに少年は何も答えない。……答えられなかったのだろう。少なくとも少女の相手をすることで報酬を与えられていた事は確かだったのだから。そして、その事を指摘されてしまったことで、今朝までは自覚していたつもりになっていた自分の中にあったはずの気持ちの正体すらも、少年は、掴みきれなくなっていたのかも知れない。
「……なんで、そんな風に思ったんですか?」
「だって、こんな変な痩せぎす女の事、そこまで気にするとか……。普通に考えても、おかしいじゃない」
そう自分のことを平然と下卑してみせる少女に、少年は僅かに眉をしかめて見せていた。
「前にも言ったはずですよ。貴方は確かに、ちょっと気難しい所がありますし、変わった所もありますが……。それでも、とても魅力的な女性ですって」
そんな言葉に少女はわずかに自嘲の笑みを浮かべて「ありがとう」と、一応は口にしていたのだが、その表情を見るまでもなくまともに取り合っている風ではなかった。
「おべっかとか、お世辞だって分かっていても、不思議と嬉しいものね」
こんなゲデモノでも、中身は一応は女の子のつもりだったってことか、と。そう自分の感じているらしき嬉しさの正体をあざ笑ってみせる少女が、先ほどの言葉を冗談としてまともに取り合おうとしていないのは明らかであって。そんなある種の頑なさを崩そうとしない少女の心に高くも分厚い壁が未だにあることを否が応でも思い知らされていたのかもしれない。
「……どうして……」
どうして、そんなに自分の価値というものを貶めようとするのか。そんな問い掛けの言葉を察したのだろう少女は薄く笑って見せながらも。
「私に価値なんてないから」
そう一言で表現してみせていた。
「跡取りとしても、女としても、一欠片の価値もない。……あっちゃいけないのかも」
そう口にして、ハァとタメ息をついて。
「……大丈夫。単なるダメな女の愚痴ってヤツよ。……どうしても、自分に自信をもてない。そんなダメ女の僻み。……男に顔の作りどころか、ボディラインとかの色気でも負けてるような女に、どんな希望を持てって言いたい訳?」
この惨めさも、半分くらいはアンタのせいじゃない。そう暗に文句を言われているらしいのは、何となくではあるものの理解はしていたのかもしれない。……だが、まあ、色気うんぬんの部分は流石に意味が分からなかったにせよ。
──最近、前にも増して変な色気が増してきてるっていうか……。ますます性別が行方不明って感じで、実は淫魔の血が混じってるとか……?
悪魔の“黒い血”に関する事は、例え冗談の類であったとしても、流石に禁句中の禁句なネタであることは少女にも分かっていたし、少年と喧嘩をしたい訳でもないのだから、その話題だけは出してはいけないと分ってはいたのだが……。
──そもそもさ。なんで、男のくせして、こんなに綺麗なのよ……。それになんか変に不用心っていうか警戒心とか丸でなさそうだし。それに、変に隙だらけだし……。
近頃は互いに気心が知れてきたせいか、最初の頃のように顔を変に隠したりしなくなっているし、変に一歩引いた感じもなくなってきているので、互いの距離感といった物も近くなってきていたのだろう。だからこそ、だんだんと堪えが効かなくなってきているモノもあったのかもしれない。
──つーか、見てるだけでムラムラきて押し倒したくなる色気満点な男って何なのよ。しかも、それが聖職者ですとか……。質の悪い冗談みたいなヤツ。
そういえば、知り合いらしき“あの人”も顔は半分しか見えていなかったけど、大人の男らしからぬ妙な色気のある人だったと。そう今更ながらに思い出していた。
「類は友を呼ぶってことなのかしらね……」
そう変に納得した様子でウンウンうなづいてる少女に、置いてけぼりな少年は所在なげに首を傾げることしかできなかった。