4-22.小指の約束
自分に出来るような事なら幾らでも叶えてあげたいのだけれど、物理的に不可能な事柄は実現不可能だから。……というか、伝説のチーム『ナイツ』ですら剣聖クラスの戦士を含む熟練の戦闘者五人の構成でぎりぎり可能だった様な偉業を、たった二人でやろうとか不可能にも程があるので、すっぱり諦めて他の願いに変えてください。
そういった趣旨の内容のセリフを(オブラートで厳重に包みつつではあったが)真顔で答えられたジェシカは、少しだけ寂しそうに笑った後に「ハッ! 冗談に決まってるでしょ! ……つーか、こんなの真に受けるとか、ほんっと馬鹿なんだから!」と元気よく笑って見せてはいたのだが……。
「さあ、デートに行くわよ!」
その後も色々と無理難題を口にしたジェシカであったが『金がなければ力もない。ついでに言えば権力も財産もないし、コネとか人脈にも乏しい。……強いて言えば“色”程度しか持っていない』なクロスでは、結局のところ、無難な選択肢しか残らなかったということなのだろう。話は、自然とそういったごくごく“真っ当”な落とし所に落ち着いてしまっていた。
「……なんだか新鮮ね」
「そうですか?」
今日は体調が良くないから。そう事前に告げられていた事もあって、二人が向かった先は何処か懐かしさの漂う西区にある小洒落たカフェであったのだが、そこは二人にとってはある意味、思い出深い場所ともいえる店だったのかもしれない。
「……ここ、覚えてる?」
「はい。初日に来ましたね」
その日もやはり二人の前には美味しいケーキと紅茶が置かれていて。……そして、クロスが色々と“疑問”を感じるようになった“黒い薬”をジェシカが口にしているのを初めて見ることになったのも、この場所だった。
「……色々あったね」
「そうですね」
これまで二人で色々な所を巡ったし、夢にまで見た場所にも入ることが出来ていた。美味しいと評判の店を回ってみたり、露天や屋台が連なっている通りで買い物をしてみたり、屋台の食べ物を買って公園で食べてみたり……。甘い物も色々と食べたし、以前から行ってみたいと思っていたお店にも行くことが出来ていた。
「楽しかったな……」
「そうなんですか?」
「うん。これまでなかなか行く機会もなかったから……」
お店の従業員の人と一緒であったとしても、そういった店に行ったりすることは少なかったし、西区の外にある店に行ったりする事を父親は余り良い顔をしなかったから、と。それに一緒に買物はしても食事などを同じテーブルでとったりはしてくれなかったのだ、と。何よりも、そういったお目付け役な人と食事をともにしても、さほど楽しくもなかった。だから、これまでは買い物などはともかくとして、食事などを“楽しむ”という感覚が殆どなかったのだと。そうジェシカは僅かにうつむきながら口にしていた。
「でもね……」
すっと顔をあげて。
「違ったの。きっと、そういう理由だけじゃなかったんだと思う」
それはきっと前提条件の違いだったのだろう。クロスは自分のことを『ごく普通の女の子』だと捉えてくれていて。そして、自分はクロスにあくまでも普通の女の子として振舞っていた。……少なくとも、本人は、そのつもりだった。たとえ、それが何処か不自然なものであったとしても、だ。それでも、ジェシカ本人の主観としては『普通』の。……それこそ、ごくごく真っ当で、何処にでもいるだろう。そんな元気で明るくて、ちょっと体が弱いだけの。ごく普通の『女の子』を“演じて”いたのだ。何故なら……。
──本当の私を知らない人だったから……。だから、私は、今の『私』を演じる事が出来ていたのかもしれない。
そう楽しかった日々を思い返していた。そういった態度のクロスと比べてみれば、やはり何処かが『違っていた』のだろう。お店の従業員は当然のことながら店主であるクランクの指示を受けて自分の相手をしていたのであって。そうなれば当然のように『事情』については裏の裏の部分まで教えられてしまっていて……。そういった特殊な事情というべきものをあらかた知ってしまっていたから……。
クロスは自分のことを知らなかった。お店の従業員は知っていた。おそらくは、ただそれだけの差だったのだ。そして、そのたった一つの差、その小さくも大きな『違い』という物が、相手へと向けられる感情の違いをも生んでしまっていたのだろう。
自分に憐れの視線を向けてきて、何をするにしても「アレはやってはいけません、コレもやってはいけません」としか口にしない。それこそ自分を大事な宝物であるかのように……。それこそ、悪く言えば壊れ物のように扱おうとする父親の雇われ人たちには、ただただ苦々しさ感じていて。それはいつしか『何一つ自由にさせてくれない』といった不満の温床となり、束縛感を生むに至り、終いには憎しみすらも感じさせていたというのに。
──それなのに、ただ『知らない』というだけで、こんなに違うなんて……。
クロスは自分が何をしようとしても、基本的にはソレを許してくれた。勿論、危ない事をしたがった時には、きちんと「駄目ですよ」と叱ってきていたし、危ない品のある場所に行こうとした時には「行っても良いですけど、一応は気をつけてくださいね」と注意はしていたのだが、それ以上には強く止めたりしなかったり、最初から禁止はしなかった。どうしても駄目という事は勿論あったのだが、それでもジェシカが望めば大半のことは許してくれていたのだ。
危ないから絶対に駄目と「自分にやらせるべきではない」と判断したらしい事など、絶対に譲れない事柄については、流石に何をどうやってもやらせなかったのだが……。それこそ、どんなにゴネたり文句を言ったり脅してみても許さなかった程だった。「駄目なものは駄目なのです」の一点張りで「危ないですから駄目です」と首を縦に振らなかったのだ。しかし、それ以外のことは多少難しい顔をすることはあっても基本的には好きにさせてくれていた。事前に注意を受けたり、これだけは絶対に守ってくださいと約束させられたりはしたが……。それでも色々なことをやらせてくれたのだ。……そのおかげで、見たかった物は大半が見ることが出来たし、行ってみたかった所にも行くことが出来ていた。それこそ王都の誇る二大ダンジョンという普通に生活していては絶対に足を踏み入れる事がないだろう超危険印な場所にすら、クロスは一緒に行ってくれたのだ。……そして、それらは、すべてが新鮮だった。
──なんで、あの人達は私に駄目って言ってばかりだったのかな……。
それはきっと逆説的に説明が出来るのだろう。クロスは自分のことを『知らなかった』から、それを許していたのだ。だから、色々なことを自由にやらせてくれたのだろう。……では、他の大人達はどうだったのかというと……。彼らは基本的に自分の父に雇われている使用人達であり、一番の仕事は『無事にお嬢様を主の元に連れて帰ること』だったのだろう。……平たく言えば、父であるクランクから不興を買ったり叱咤を受けたりしないように、ただひたすらに『安全が第一』で『無難であること』をモットーに自分の外出をエスコートしていたのだろうと思うのだ。だから、基本的に駄目出しばかりだったのだろうと思うのだ。何故なら、それを下手に許してケガでもさせようものなら自分の首が飛ぶからだ。雇われ人である彼らに、そんなリスクは犯せなかったのはジェシカにも理解は出来ていた。何よりも……。
──彼らは、私のことを『知っていた』から。
結局は、そういうことだったのだろう。その違いがすべてを変えてしまっていたのだ。少女が何かに挑戦する時には普通の女の子が挑む時以上に。それこそ過剰なレベルで用心しなくてはいけない。その事を予め『知っている』のと『知らない』のでは、どうしても対応の仕方が変わってしまうから……。それに加えて、彼ら使用人はその立場上、自分のお供という仕事の上での失敗を極端に恐れる必要がある者達だったから……。
──だから、彼らは『冒険』を嫌がった……。
そういった違いが原因で、向けられる視線や態度、受け答えの仕方や反応の内容に至るまで、その全てを変えてしまっていたのだろう。だからこそ……。
「きっと、アナタは本当の『私』の事を何も知らなかったから……」
ジェシカは既に目の前の『友達』が自分の事をこそこそ嗅ぎまわっているのを知っていた。主治医である老人から、それとなく忠告を受けていたのだ。だからなのかもしれない。それとなく水を向けることも出来ていた。
「……本当のジェシカさんですか」
「うん。……知りたくない? ホントの私って……。どんな私なのか……」
そんな互いに目隠しをしながらナイフを片手に一歩、また一歩と。ジリジリと互いに相手の位置をうかがいながら歩み寄っていくような、そんな緊張感のあるやり取りを微笑みすらも浮かべながら繰り広げながら。
「私の知っているジェシカさんは、本当のジェシカさんではないのでしょうか」
「多分、ね」
少なくとも、パズルで言う所の一番大事で大きなピースが欠けてしまっていた。そして、そんな欠落した欠片の名前は『知識』といった。
「まあ、貴方が私に『何か』を隠しているというのは、重々承知していますけどね」
「……そう」
そんな心の何処かで望んでいたのかもしれない言葉を、ようやく相手から引き出すことが出来たせいで俯いてしまっている少女を前に、薄く笑って見せながら。
「でも、それはお互い様でしょう?」
「……え?」
「というか、他人に自分のことを何もかも教えたがるような、そんな酔狂な人は……。正直、あんまり居ないと思うんですよ」
たとえば、何かのっぴきならない事情とやらがあって、何故だか女装しなくてはならなくなった、そんな不幸な男の聖職者が、そんな自分の数奇にも程がある身の上話を、進んで話したがらないように、と。そう、先日までの自分の愚行を例に挙げて見せながら。そんな『自分にとって知られて都合の悪い事柄』を他人から隠す行為は、さほど珍しい事でもないのではないか、と。あえて、そう笑って見せていた。
「……それが、すごく問題のある行為だとしても?」
「そういった事情があるなら、むしろ隠すのは自然なことなのでは? ……というか、自分にとって致命傷になるような事柄なら隠すのは当然のことなんじゃないかと思います」
そうクロスが口にするのは自分の事もあったからなのだろう。なにしろクロスには、他人に決して教えることの出来ないであろう、色々と後ろ暗い所や暗部、恥部などと呼ばれる物まで色々とあったりしたのだ。
たとえば、それは教会の宿舎という自らの崇める女神のお膝元という場所にも関わらず、毎夜のように(最近は昼間であっても)父を自称する好色な『悪魔』に体を弄ばれているといった淫猥な物から、過去の自分が犯してしまった大きな……。それこそ、どう償っていいのかすら思いつかないほどの巨大な『罪』に関する物や、それに付随する形で無理やり押し付けられた幾つかの『秘密』なども……。それこそ、その内のどれか一つでもほじくり返されてしまえば、今すぐに断頭台送りにされてしまいそうな代物がゴロゴロ転がっていたりするのが実情であったのだ。
だからこそ、そんな口に出来ないアレコレを他人の目から隠すのは当然の行為だと、ある意味開き直って胸を張る事しか出来なかったのかもしれない。……たとえ、それが虚勢と呼ばれる物であったとしても、だ。
「……隠すのは当然、か……」
そう『そうなのかな……?』と疑問を浮かべてみせる少女を前に、クロスは苦笑を浮かべて言葉を続けて見せていた。
「勿論、隠されている“何か”が気にならないといえば、流石に嘘になりますけどね」
「そりゃあ、まあ、そうでしょうね……」
だから、貴方、私のことをこそこそ嗅ぎまわっていたんでしょう……? そう口にするつもりだった言葉は、何故だかワナワナと口が痙攣するように震えてしまったことでワンフレーズも口にできなかったのではあるが。
「……まあ、どうしても知りたくなったら、聞いてみる事にします」
「誰に?」
「ジェシカさんにですよ」
その予想外の言葉に思わずキョトンとした顔を向けてしまっていたが、そんなジェシカにクロスは苦笑混じりの微笑みを向けていた。
「……私に教えてもいいと思ったなら、その時に教えてください」
そんな言葉に色々と言いたいセリフもあったのかもしれないが。
「そういうことなら、まあ……。仕方ないわね。そう思ったなら教えてあげるわよ」
「ありがとうございます」
「……でも、教えなくても怒らないでよ?」
「そんなことじゃ怒りませんよ」
「約束できる?」
「約束します」
じゃあ指切り。そう言って差し出される小指に自分の小指を絡めながら。
「あと、ジェシカさんは勘違いしているのかもしれません」
「勘違い? ……何を?」
「隠し事をしてるからといって、それが貴女の評価にどれだけ影響したんでしょう」
「……え?」
いまいちピンときてないらしいジェシカにクロスは苦笑混じりに教えていた。
「隠し事をされないほうが、確かにより正しい評価を下せるのかもしれません。そのことを知った後にも今と同じ態度で貴女と接する事ができるかどうか……。正直、ちょっと自信がない部分はあります」
そう前置きをしながらも。
「でも、それを黙っていたとしても……。それでも、私が知ってるジェシカさんが大きく変わる訳じゃないと思うんです」
私が女の魔法使い見習いなどではなく、本当は男の聖職者だったと知った後でも、こうして前と大して変わらない態度で接してくれてるように、と。そうジェシカのケースを例に挙げながらも。
「それを秘密にしなくなっても、これまでのジェシカさんが全く性格の違う別人に変わる訳じゃないでしょう……?」
今、自分の前に座っていて。こうしてお互いに顔を少しだけ赤くしながら、互いの小指を絡め合っているような。そんな貴女が別人になる訳じゃないのだ、と。自分の知っているジェシカが変わるのではない。それを知る事で、これまでの評価に少しだけ別の視点が追加されるだけの話であるのだ、と。
「……それを聞かされて変わるのはジェシカさんなんでしょうか? ……いいえ。私は、そうは思いません。それを聞いて、貴女のことをどう見るようになるか。……貴女との付き合い方を、どう“私”が変えるか。貴女のことを、“私”がどう評価するようになるのか。……そういう話なのではないのかと思うんです」
つまり、それを知る前と、知った後で『変わる』のは、秘密を明かした本人なのではなく、秘密を明かされた側の自分なのだと。そうクロスは解説してみせていた。
「変わるのは、自分……。秘密を知った側……」
「そうです。おそらくは、その告白によって、私が貴女のことをどう感じるようになるのか。どう評価するように変わるのか。……結局は、その程度の話なのだと思います」
そして、それは相手にも言える事なのだ。
──私の抱えた闇を知ったら……。少なくとも、あの悪魔のことを知られたら……。ジェシカさんは……。いや、私の知る人達は、私の事を、どう思うようになるのだろう。
そんな漠然とした不安が表情に出ていたのかもしれない。
「……大丈夫?」
「え、ええ。……大丈夫です」
そう明らかに無理をしている様子を見せながらも。
「……少なくとも、私の知っているジェシカさんは、とても素敵な女性だと思いますよ」
そう最低限、これだけは伝えて置かなければならなかった。そんな言葉をようやく口にすることが出来たことで、クロスは心からの微笑みを浮かべる事が出来ていたし、そんなクロスの見つめる先でジェシカは耳まで赤くして撃沈されてしまっていたのだった。