4-21.本当の自分で
おい、てめぇ。そんな格好して、何しにきやがった。
開口一番、そんなキツイ言葉を吐き出したのは、渋面を浮かべたクランクだった。恐らくは、先日の愛娘とのイザコザの内容と喧嘩別れという顛末を聞かされていたのだろう。その言葉には容赦という物がなかった。
「……謝りたいと思いまして」
そんな不愉快さマックスなクランクの前に立つのは『己は、何ら恥じることも無ければ、何一つ隠すつもりもない』といった、ある種の開き直りにしか感じられないだろう、いつもの修士の格好をしたクロスだった。
「……それで?」
「娘さんに会わせて頂けませんか?」
「断る」
そう一言で斬って捨てて見せたクランクであったが、そういった素っ気ない対応は想定内だったのだろう。クロスは平然と答えていた。
「散々お世話になった依頼主様に、こんな事は言いたくはないのですが」
「……なんだ?」
「正直、こうなってしまった責任の一端程度はクランクさんにもあると思うんです」
「……なんだと?」
お願いですから、冷静になって思い出してみて欲しい。そう前置きしながら、初めてジェシカに引き合わされた時の事を振り返って見せる。
「この依頼には何かしら特殊な事情があって、仕事を請けさせて頂くにあたって、私は自分の本来の身分や職業……。修士や治療師としての身分を偽らなければならなかった……。詳しい話なり事情までは聞かされていないので承知していませんが、特殊な理由があったのだろうと、こちらも考えていましたし、そう捉えていました。だから、その件については事前に納得もしていましたし、どうしても必要だったのだろうと今でも正当性を認めています。ですが……。その他の部分は、どうだったんでしょうか?」
その後の怒涛のようなやりとりに押し流されてしまって、結果として嘘という名の鎧で身を覆う事になったのは、一部では納得していたのだが、どうしても納得出来ない部分もあったのだろう。特に、そう。……性別に関する部分についてだ。
「……あの時に、私に性別まで偽らせたのは何故ですか? それを最初に言い出して私に押し付けるようにして強要したのは貴方ではなかったですか?」
最初は、きっと軽い気持ちだったのだ。どうせ、すぐ何時ものように「コイツは駄目。気に入らない」とか言い出して、続かないに違いない。だから、今回もきっと……。きっと、これっきりで終わってくれるのだろう。だから、余計なゼニを使いたくなかった。……だが、それを黙ってみているのも、何処か少なからず気がとがめていたのかもしれない。どうせなら同性と思わせておいた方が色々と上手くいく可能性も多少は上がってくれるのではないか。多少無理はあるかもしれないが……。どうせすぐ駄目になる話なのだ。たとえバレたとしても、とっかかりの部分のハードルを下げる程度にはなってくれるだろうから……。この程度の努力くらいはしてもバチは当たらないだろうから……。
きっと、その程度の軽い気持ちで言い出したことなのだ。もっとも、そんな嘘を強要されたクロスの方はひどく困窮していて、どうしてもこの仕事を受けたがっていた。そんな事情が、クロスに『女の魔法使い見習い』といった身分を無理やりに偽らせる理由になっていた。
断れる立場でなかったクロスは、言われるがままに従うしかなく……。結果として、最初は嘘の自分を演じるしか道はなく、それが上手くいっている間は実入りも良かったこともあって下手な真似は出来なかったし、何よりも騙し続けているという後ろめたさがだんだんと大きく膨れ上がっていったこともあって、ますます本当の事を言い出せなくなって……。そういったアレコレが積み重なってしまった結果、この惨状に至ってしまったのだろう。
「……勿論、悪いのは自分です。何度も指名をして頂いたりおひねりまで出して貰ったのですから、そうやって懐事情が改善された段階で自分用の服を注文して、それを着て本当は男なんだと、さっさと白状すべきだったと反省はしています。ですが……」
同性の友達として認識されて信頼されてしまった上に、それなりの交友関係まで結んでしまっていた。そんな状態で何度も仕事を受けてしまっていた事もあって、今更、本当のことなど言い出せる雰囲気ではなくなってしまっていたのだ。
不幸中の幸いであったのは、ジェシカが魔法使いと治療師の違いというものについて、正しく認識できていなかった事だった。もっとも、その不自然すぎる点を突かれる形でアーサーに嘘を暴かれてしまったのだから、時間の問題ではあったのかもしれないのだが……。
「……まあ、確かに、お前の言うとおりだったのかも知れん。多分、俺にも責任の一端程度はあるんだろうな……」
そう自分が思いつきで押し付けた『嘘』のせいで、ここまで話がややこしくなってしまったことは認めた上で。それでもクランクは良い顔をしなかった。
「アイツは、だいぶ、まいってる」
何故かは分かるな? そう念押しされたクロスは流石に頷かざる得なかった。
「信頼していた相手がずっと嘘をついて自分を騙し続けていたと分ったから……」
「……それだけだと思ってるのか?」
「え?」
「……いや。分かってないなら、それでも良いんだが……」
そう何かを諦めるように小さくタメ息をつくと、ガタッと席から立って。
「だが、その格好だけは、絶対に、駄目だ」
「また、ですか」
「ああ、そこだけは譲れねぇ!」
それだけは絶対に許さないと。そうはっきり口にしていた。
「今のまいってるアイツに、治療師の格好をした奴を合わせる訳にはいかねぇんだよ」
「……いえ。それは逆だと思います」
「あぁん!?」
その台詞に、流石に『何、言ってんだ』といった目を向けたクランクであったが。
「私が、本当は修士であることを、ジェシカさんはすでに知っています」
「ああ、ああ、そーだろーよ。だから塞ぎこんでるんだろうが!」
この馬鹿が。何言ってる。そう言ったげなクランクに、クロスは必死に食らいついていた。
「だったら! ……だったら、尚更、嘘なんてつけないじゃないですか。……これまで、ずっと嘘をついていた私だけは。ジェシカさんに会って、謝らなきゃいけない時には……。絶対に。絶対に、この格好じゃなきゃ、駄目なんです! どうしても、駄目なんです!」
そう断言する言葉でようやく真意が伝わったのかもしれない。
「他の人が治療師の格好で会ったりするのが駄目なのは分かっています。でも、私だけは……。ジェシカさんを騙してしまった私だけは、本当の自分の姿で会いに行かないと駄目なんです……。それをしないと……。本当の自分の姿でない限り、ジェシカさんは絶対に許してくれません。きっと、話すら聞いて貰えないと思うんです」
もし、この期に及んで前の時と同じ格好で会おうとしたなら、まだ嘘を付くのか、自分をコケにするのもいい加減にしろと怒鳴り散らされる事だろう。だから、どれだけ嫌がられてもこの格好でいくしかないのだと。そう、今度こそ本当の自分で会いに行かないといけないのだと口にしたクロスに、ようやくクランクは納得したのかもしれない。フンッと小さく鼻を鳴らすと、渋々といった様子ではあったが、許可を与えたのだった。
◆◇◆◇◆
アンタ馬鹿でしょ……。
開口一番、そんな呆れ返ったような罵倒のセリフをぶつけられたことで、かえって安心するというのは、果たしてどういう心境によるものなのであろうか。
「それは常々……。それよりも、思っていたよりは元気そうで安心しました」
そう馬鹿呼ばわりされたクロスは苦笑を浮かべながらベッドの横に置かれた丸椅子に腰掛けたのだが、そんな中々の面の皮の厚さっぷりを見せつけるクロスを前に、ジェシカはチラッとだけ視線を向けただけで、その口からは深いタメ息が漏れていた。
「……誰が座って良いなんて言った?」
いまだ自分の方に視線を向けずに、ずっと窓の外を見つめている事からも不機嫌なのは一目瞭然だったのだろう。だが、その程度のことで今日のクロスは引き下がったりしなかった。
「ベッドの横に突っ立ったままだと目障りでしょう?」
「それなら最初から横に立たなきゃ良いじゃない」
「では、正面にでも……」
「前も奥も駄目よ。もちろん、後ろもね。あと、誰か座って良いなんて言ったっけ?」
「では、上にでも乗ってみますか」
「ふーん。……やれるものならやってみなさいよ。この変態。かみちぎってやるから」
そんなギスギスした会話の中でも、それなりの歩み寄りはあったのかもしれない。仕方ないといった風にタメ息をつくと、ようやくジェシカは自分の横に座った見知った顔に視線を向けていた。そして、視線を頭の上から足元にまでゆっくりと行き来させて。
「……なに、その変な服」
「以前は借り物の服で変装していて、馬鹿にするなと怒られてしまったので……。今日は、私にとっては普通の格好で、と思いまして」
これが何ら偽る事のない本当の自分の姿であり格好であるのだと。そう多少無理をしているのだろう引きつり気味の笑顔で口にしていた。
「部屋の中が辛気臭くなっちゃうじゃない。そんな、変な服着て来ないでよ。私の部屋はね、そんな胡散臭いのはドレスコード的にペケマークなんだからね」
「それは申し訳ありません。ですが、仕事柄、こういった服しか持ってなかったもので……」
すでに自分の仕事はご存知でしょうが、と前置きして。
「クロスロード東区、ヘレネ教会所属の修士、クロスです」
そう名乗って、胸元のポケットからパスケースに収められた二枚の身分証明証を見せる。真新しい方は副業としての冒険者としての物。もう一つは若干古びている本職としての二級治療師であることを示す物だった。
「……二つの身分証を持つ身って訳」
「騙していたのは本当に悪かったと思っています」
「……そうね。すっかり騙されたわ」
そう口にして、また小さくタメ息をついて。
「クロスロード西区、クランク商会会頭クランクの娘、ジェシカよ」
ようやく互いに名乗りを終える。それは、ここからやり直そうという意味だったのか。それとも、クロスだけが偽りの自己紹介をしていたということを相手に思い知らさせるためだったのか……。それは恐らくは本人達にすら分からない事だったとしても。
「……馬鹿な真似をしてしまったと深く反省しています。本当に、申し訳ありませんでした」
そう、ようやく謝罪の言葉を口にすることが出来たクロスであったが、そんな相手のことをジェシカはじっと見つめて黙っていた。だが、言葉と共に深く下げられた頭が、自分が許さない限りきっと上げられないのだろうということを早々に察したのかもしれない。今日、何度目になるのか分からないタメ息を盛大につきながら、ダルそうな声で返事を返していた。
「もう、良いわよ。……別に、怒ってないし……」
そう不機嫌さ丸出しの声で許されても『はい、そうですか』とばかりに頭をあげる訳にもいかなかったのだろう。
「でも……」
「デモもヘチマもないの。さっさと頭を上げなさいよ。……目障りだわ」
そうはっきりと拒絶の返事を投げつけてくる相手を前に、それでも引き下がるわけにはいかなかったのかもしれない。
「許してくれるまでは上げられません」
「なんなのその屁理屈。脅してるつもり? ……不愉快だわ。さっささと頭上げなさいよ」
頭の髪を掴まれた痛みに多少表情を歪めながらも。
「とっとと顔を上げなさいって。じゃないと、その綺麗な顔、ブン殴れないじゃない」
今の姿勢だと顔を殴りにくいから、もっと殴りやすい位置にまで動かせ。そう言われて、ようやく頭を上げた先には、何故だか妙に力のこめられた薬指があって。
ベチン。「あうっ」
いわゆるデコピンを不意打ちで食らうことになったクロスはおもわずキョトンとした表情でひりひりと地味に痛むオデコを押さえてしまっていた。
「たぶん“いぢめて君”タイプなんだろうなぁって思ってたけど……。案の定じゃない。このド変態オトコ! 女装マニアだけじゃなくて、そんな変な趣味まであったのね!」
そうストレートにさっくりと心に無数の刃を刺してグリグリとえぐった上で塩を塗りこんでくるような少女は、きっとSなのだろう。ドがつくレベルの。
「だいたい、謝罪の仕方がなっちゃいないっての」
そう僅かに赤くなったオデコを指でうりうりと突っつきながら。
「アンタ、何か勘違いしてるみたいだけどさぁ……。私の事、ここまでコケにするような馬鹿な真似をしでかしたのよ? こんな真似しといてさ……。謝っただけで済む訳ないじゃない。だからって、殴られる程度で済まそうって思ってたり? ……ないない。そんなの、ありえないでしょ~?」
そう馬鹿な事言うんじゃないわよとばかリに肩をすくめて見せながら。ずいっと指を眉間の辺りに突きつけて見せていた。
「大体ね。アンタ、私を、誰だと思ってるの? 私はね、豪商クランクの娘よ? 商売人なの。これでも、れっきとした商人の娘ってヤツなの。そんな女相手に、ただ謝るだけとか、黙って殴られるだけとか。その程度で誠意ってモンが伝わるとでも思ってたの? つーか、そのくらいのことで、ここまでやらかしちゃったのを許してもらおうとか、甘すぎるでしょ~。常識的に考えて。……そう自分でも思わない? 思うでしょ?」
そう一気にまくし立てて疲れたのか、ふー、と深呼吸するようにして息を吐き出しながら。何時も以上に血色の悪い顔色でギョロリと睨みつけてくる。
「……で? 女装大好きな変態修士さんは、この落とし前、どうつけてくれるわけ?」
そう不本意極まりない呼び方でもって問いただされたクロスは渋面を浮かべつつも、どうにかこうにか答える事が出来ていた。
「何か償いをさせてください」
「つぐない?」
「私に出来る事はたかが知れていますが……。出来る範囲で何でもやらせて頂きます」
その决意のこもった声に、少女は胡散臭いモノを見る不審げな視線を返していたのだが。
「……なんでもやるって?」
「私に出来る事なら。あと犯罪は勘弁して下さい」
そう一応程度にボーダーラインを引いてみせた相手に、何かしらムカつく部分もあったのかもしれない。
「そんなの当たり前じゃない!」
「そうですね。……スミマセン」
そんな恐縮しながら頭を下げてくる相手に毒気が抜かれてしまったのか。
「それなら、そうね……。バベルの頂上、行ってみたいかな~。……勿論、アンタと二人で」
そのお願いを聞かされた時、思わず『それって遠回しに一緒に死んでくれって言ってませんか?』と口にしなかっただけでもクロスのことを褒めてあげるべきだったのかもしれない。