4-18.頑張る理由
店に入った時には三人だったが出てきた時には二人になっていた。……勿論、安っぽい都市伝説やB級のホラーやミステリーなどの話をしている訳ではないので、当然のようにそこには理由が存在していた。だが、その内容が痴話喧嘩だというのがイマイチ締まらない部分ではあったのかもしれない。
「……ハァ」
そう何かに疲れたかのようなタメ息をつきながら自分の頬に白っぽく光っている掌を当てて治療魔法をかけているクロスを見て、アーサーも『やっぱり治療師だったか』と、ある意味納得はしていたのだろう。だが、その口から漏れたのは、何故だか謝罪の言葉だった。
「あ~……。なんか悪いことしちまった、みたい? だな?」
多分。と頭に付きそうな感じの疑問符付きになってしまった謝罪のセリフは、何故クロスが嘘をついてまで女装して新米魔法使いの振りをしていたのかが分からなかったせいでもあったのだろう。そんな『うう~ん。謝るべきなのか……?』といった表情のアーサーに苦笑を返しながら、クロスは僅かに顔を横に振って見せていた。
「私が彼女を騙していたのは事実ですから、こうなってしまったのも仕方ありません」
何かしらのっぴきならない事情なり何なりがあって、こんなおかしなことをしていたのだろうということは分かっていたので、あえて深くは突っ込まなかったのだが……。
「ちょっと事情があって聖職者であることを隠さなくてはいけない状態だったもので……」
色々な事情が重なって生活費に困ってしまった。そんな時に、どうしても引き請けたい依頼があって、それは必要十分な臨時収入を望めるかなり良い条件の仕事だった。だが、その依頼は、依頼書にはっきりとは書かれていなかったのだが、聖職者……。特に治療師は絶対に不可という変な条件が見えない形で前提条件についていた依頼だった。そうなると、当然クロスは門前払いされることになるのだが、この仕事を逃すと本気で道を踏み外すような類の仕事しか残っていなかったので、額を床にこすり付けるような勢いで依頼人を拝み倒し、自分の素性は当然のように秘密にするし、可能な限りどんな条件でも飲むから、どうにかして引き受けさせて欲しいとクランクに直談判した。その結果が……。
「変装して身分などを偽るならオッケーってことになったんだが、修道服以外の平服を持ってなかったから、仕方なく子供の使用人からサイズのあう古着を譲って貰うことになったんだが、体型の問題から合いそうなのはソレしかなかった、と……」
恐らくは最初はダメ元でお試し的にやらせてみたレベルの話であったのだろうから、依頼主側も出来る限り無駄な出費は抑えていたのだろう。その結果、服に合わせる形で素性を偽ることになったのだが、そんな真似をすれば当初の予定していた人物像から大きくずれていくのは当たり前の話でしかなく。偽ることになった嘘のプロフィールは『魔人種の新米冒険者で“女”の魔法使い』といったものであり、偶然か必然であったのか本来のプロフィールとは真逆な内容になってしまっていたのだった。
……まあ、そんな無茶が通ったのも、その顔が魔族の黒い血のお陰もあったのだろう無駄にフェロモンを振りまく美麗かつ整った作りになっていたからであり、年齢的な問題と高めの声、大きめのサイズの服のデザインという幾つかの要素が上手いこと絡み合って、体型から性別を判断できなくなっていたことも大きかったのだが、その結果として……。
「最初に嘘をついてしまった後は、どうしてもそれを隠し通さなければならなくなってしまって……。嘘を隠すために嘘に嘘を重ねていくという無様な有様で。……そんな嘘まみれな状態で騙してたんですから、本当のことを知ったジェシカさんが怒るのは……。当然というか、当たり前の事だったんでしょうね」
そんなド凹み中のクロスの懺悔を『ふーん』程度に聞き流しながら、そんなアーサーの脳裏に浮かんでいた疑問は当然のように、そんな嘘をつく必要があった理由という部分に向けられていたのかもしれない。
「しっかし、あのお嬢ちゃんは、なんで、そんなに聖職者とか治療師が嫌いなんだろうな」
「……さぁ……」
多少、それを疑問に感じたことはあったが、あえてこれまでは気にしない様にしていた。それは自分も嘘をついて隠し事をしているという負い目があったからでもあったし、他人のプライベートな部分に下手に土足で踏み込むような真似は避けたいという気持ちがあったからなのかもしれない。……だが、本当の理由というものは、そんな下らない見栄や理屈や建前などといった物とは、当然のように別の所にある訳で……。
──おそらくは、ひどく単純な話なのだろう。
そう、それはひどく単純な話でしかないのだ。自分の内に芽生えていた気持ち。ジェシカに対する好感以上の気持ちを少なからず自覚した時に、それは氷解したはずだったのだ。要は、嫌われたくなかったから……。少なからずお互いを信頼し、お互いに友情以上の感情を抱いているのだろうことを察していて、その関係に少なからず執着を感じてしまっていたから。だからこそ、相手の嫌がることを避けたがっていた。気がついて当然の事にも目をつむっていたし、不自然な部分などをあえて探るような真似も控えてきていた。その全ては……。
──好き、だから……。好きな人から、嫌われたくなかったから……。
そう僅かに頬を赤く染めながら、それを隠すようにして頭からかぶっていたフードを深くかぶり直していた。
「……まっ、おおよそ察しはつくがな……」
そう顔を伏せていたクロスに横目で視線を送りながら。そう小さくタメ息をつくアーサーはポツリと口にしていた。
「……分かるんですか?」
「おおよそ予想がつくって程度だがな。まあ、確たる確証ってヤツはないんだが……。当たらからずとも遠からずって所じゃないか?」
ヒントはいくらでもあったからな。そう言いたげなアーサーから顔を背ける。そんなクロスにアーサーは僅かに苦笑を浮かべながら。
「フム。……老婆心ながら、一応、忠告はしとくぞ」
「……なんですか?」
「嫌な事とか、辛い事とか、よ。そうやって目を背けてたってなぁ……。あの子と一緒にいるのなら、どんなに逃げ回っていても、いつかは“現実”ってモンを直視しなきゃいけなくなる日がくるんだぜ?」
その言葉に僅かに顔を上げたことで反応があったと見たのだろう。アーサーは視線を正面に向けたまま、その忠告を口にしていた。
「勿論、このまま喧嘩別れするなら、思い出は綺麗なままに残しておけるんだろうがな。……もっとも、まだ上っ面だけとはいえ、そこそこ深入りしちまってるみたいだし? まあ、いつかは嫌でも“答え”にたどり着いちまうものなのかもしれんがね……」
そんな示唆にまみれた台詞の意味は、まだ十分に理解できなくとも。それが自分と彼女のことであるということだけは分かってしまっていたのだろう。
「思わせぶりなことばっかり言って……。さっきから、何を言いたんですか?」
「そんなもん、いちいち言わなくても分かってるだろ? つーか、薄々でも、自分でも分かってるんじゃないのか?」
──あの子が普通の状態じゃないってことは。
そんな無遠慮に口にされた言葉はクロスから言葉を奪ってしまっていた。
「格好からして金はありそうなのに、あんなにガリガリに痩せてるって時点でとりあえず普通の状態じゃないらしいってのはお前にだって分かるよな? それに、化粧で上手いこと隠しちゃいたが、目の下のくまは流石に隠し切れてなかったし、ちょっと歩いただけであれだけ顔色が悪くなってたからなぁ……。かといって、そのことに愚痴を漏らすでもなく平然としていただろ? たぶん、そういった体調の悪さってヤツに慣れてるんだろうな」
お前と一緒に遊びまわったりするのも、頻度はかなり空いてるんじゃないか……? そんな指摘に、いつかのクランクが口にしていた勉強の都合とやらが思い浮かんでいたが、今にして思えば娘の体調を整えるためにインターバルを長くとっていると考えたほうが余程自然であることは考えるまでもない事だったのかもしれない。
「あとは、側にいれば嫌でも鼻につく、あの独特の体臭なんかもそうだな。それに、あの妙なテンションの高さとかもそうだし、精神的な圧力を感じた時に見せた軽いパニック症状なんかも結構なヒントになってるな。極めつけは病的なまでの治療師嫌いという特徴……。これらのヒントの山から導き出される答えは……」
「やめてください!」
その思わず口にしてしまった静止の言葉は、これ以上ほじくり返さないで欲しいという意思表示そのものであり、自分にこれまで目を背けてきた真実というべき物を突きつけないで欲しいという切実な願いそのものでもあったのかもしれない。だが、そんな逃避行動をアーサーは許さなかった。
「あのなぁ……。そうやって見たくない事とか聞きたくない事を自分の中から締め出して、楽しいことだけ数珠つなぎにしていって綺麗な思い出ってヤツを紡いでいけるなら……。そりゃあ、まあ、それに勝る幸せってヤツはないんだろうがな? ……でも、それが望めそうにないからって、嫌なことに目を向けなかったり、知っておかなくちゃいけないことを知ろうとしなかったり、やらなくちゃいけなかったことをやらなかったりしたら……」
コツンと。足を止めてうつむいてしまっているクロスの頭を軽くノックするようにして。
「さっきのことで、それを嫌ってほど思い知らされたんじゃなかったのか? 言わなくちゃいけなかった事から逃げまわって、それを延々と先送りにしてきた結果がアレだったんだろ? 言うべきことを言わなかったから、あんな風にあの子を怒らせちまったんだろう? だから、あの子から殴られたんじゃなかったのか?」
本当に悪かったのは。喧嘩の原因となっていたのは。ジェシカが怒った本当の理由は。
──本当は嘘をついたからじゃなかったんだと思う。
クロスが男で、本当の職業が聖職者……。修士であり治療師でもあったことは、それなりに衝撃的ではあったのだろう。だが、本当は……。そんなことで、あそこまで怒っていた訳ではなかったのだ。
──それは、きっと……。騙していたから。騙したままで居ようとしていたから。
きっと自覚もあったのだ。嘘を付いているということを告白せず、そのことを謝罪しようとすらしていなかったのだから。嘘をついていることすらも隠そうとして、嘘をつき続けようとしていたのだ。それを問い詰められて、ようやく自分が嘘をついていると口にしたから……。だから、怒ったのだろう。なにもかもをいつわり、嘘まみれの関係という状態のまま、今の今まで自分の側に……。もっとも近い友人として立ち続けていたから……。
──こんなの、怒って当たり前だ……。
その不誠実さに。その狡さに。なによりも弱さと、その逃げ腰な姿勢という物にジェシカは怒っていたのだ。
「分かったみたいだな」
どうやら分かってなかったみたいだから。さっきの件の謝罪の意味もあって、一応、年長者としてアドバイスくらいしといてやるかなって思ってな。そう前置きして。
「ま、そういうことさ」
そう言い残して、アーサーは「じゃあな」とばかりに手をひらひらとさせながらクロスに背を向けてしまっていた。約束したとおり食事は奢ったし、色々あったこともあって、そろそろ別れ時ということだったのかもしれない。そんなアーサーを黙って見送っていたローブ姿のクロスであったが、その視線の先では何かを思い出したのか、アーサーは足を止めると顔だけを背後に向けて笑いかけていた。
「……ああ、そうそう。肝心なこと教え忘れてた」
そんな言葉で相手の注意を向けさせて。
「最後に、良い事、教えてやるよ」
「……いいこと?」
「ああ。良い事だ」
うんうんとうなづきなら。人生訓とも言えるなと口にしながら。
「戦っている人間から見てよ。戦ってない人間はどう見えると思う?」
それは剣を振るわないクロスには分からない話であったとしても。
「もうちょっと具体的に言うとだな……。う~ん。例えば、今日という日を必死に生きている様な、ご立派な人物がいたとしようか……。そんな必死に日々を生きて、毎日戦っているようなヤツから見て、最初から戦おうとすらしないで困難から逃げまわっていたり、最初から自分には無理とか言って諦めていて、ロクに足掻くことすらしようとしないような……。そんな筋金入りの駄目なヤツを見たとして……。どういう風に見えたり、感じたりすると思う?」
これがお前に対する助言で、宿題だ。じゃあな。そう言い残して、アーサーは今度こそ背を向けて街の雑踏の中に姿を消していた。そして、後に残されたクロスの脳裏には、先ほどのアーサーの言葉がずっと残り続けていたのだった。
◆◇◆◇◆
パタン。そう背後で戸の閉まる音を聞きながらクロスは一人立ち尽くしていた。そんなクロスのことを待っていたのか、例によってベットの縁の部分に浅く腰掛けながら、その長い足を組んで本を読んでいたらしい自称父親が視線だけを僅かに向けていた。
「……」
俯いたまま立ち尽くして黙りこんでいるクロスと、そんなクロスから話しかけられるまでペラペラと手にした図鑑らしき本を無言でめくっている人物。部屋には、そんな人物の手元から響く音だけがやけに大きく聞こえてしまっていた。
「……聞かないんですか?」
「何をだ?」
「好きに行動してみろ。思うがままに振舞ってみろって……。自分の子供らしく、たまには思いつくままに動いて見ろって。そうアドバイスしてくれたじゃないですか」
そんな八つ当たり気味の非難が込められた言葉に、男の眉がわずかに反応していた。
「ほー。早速、動いてみたのか」
「……はい」
「で? その結果は……? って、わざわざ聞くまでもなさそうだな」
その問いに『色々自分なりに頑張ってみた結果、後悔しか残りませんでした』といった自嘲の表情を浮かべている我が子に、その人物は苦笑を浮かべて答えていた。
「もう嫌って程に味わっただろうが……。真実って奴は“痛い”だろ? それに“重い”し。何よりも“面倒”だよなぁ?」
だから、普通なら『なあなあ』で済ませる。適当に相手と距離をあけておいて、相手にどんな不幸が降りかかろうが、それは所詮は他人事ってな風に扱ってな。我関せず、むしろ面倒事に巻き込まれるのはまっぴら御免ってな風にな。そんな面倒そうな話からは逃げまわって、最初から関わらないようにするってーのが、いわゆる賢いやり方ってヤツだそうだからな。そんな自称父親の言葉にクロスは僅かに苦笑を浮かべていた。
「私のやり方は賢くなかったということですか」
「どうだろうな。所詮は自己満足の世界の話だからな……? だが、まあ、他人の家庭の事情なり不幸な身の上話ってヤツに、わざわざ自分から望んで首を突っ込んでるって時点で……。多分、お人好しというか物好きと言うべきなのかもしれんな」
そう笑って見せながら。
「多分、一番の貧乏くじだぞ。その選択は」
「わかっています」
「なら、良いんじゃないか? その選択で」
「……そうなんですか」
「そうなんですよ。……でも、良いじゃねーか。覚悟の上で、自分の意思で、その道を選んだんだろ? だったら、たとえ選んだ先が茨の道だろうが、何だろうが、最後の最後まで突き進んでみせろよ。ワガママを貫き通せよ。馬鹿の一念岩をも貫くって言うだろうがよ」
男の子なんだろ? だったら、好きになった子のためにもうちょっと頑張ってみろよ。そんなウィンク混じりの言葉にクロスはようやく顔に笑みを浮かべることが出来たのだった。