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クロスロード物語  作者: 雪之丞
白の章 : 第四幕 【 儚い願い 】
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4-13.幻痛


 ──少年。幻痛(げんつう)という言葉を知っとるかね。


 昼下がりの公園で、パイプ煙草を口にくわえながら話をそう切り出した老人に、同じベンチの横に座って小さく体を震わせていた見すぼらしい身なりをした少年は、そのくすんで艶の失せた灰色の髪の隙間からのぞく金色の瞳で、己の横で呑気にタバコをふかしている老人を睨むようにして見上げていた。


「げん、つう?」

「ああ。幻の痛みで幻痛。幻肢痛などとも呼ばれる物だな」


 プカァと煙で輪っかを作りながら。その太めの老人は、傍らの少年の方に視線すら向けることなく、淡々と言葉を口にしていた。


「痛み……。この『痛い』と感じる感覚というヤツは、なかなかに厄介な特性をもった代物でな。……ひどい痛みを感じると、人はそれを“記憶”してしまうらしい。……その痛みを伴った記憶が原因なのかもしれんな。人は時として、ありもしない痛みを……。もう、感じるはずのない種類の痛みを、あたかも“痛み(それ)”が存在しているかのようにして感じてしまうといった事があるそうだ」


 もう感じるはずのないはずの痛みが。その痛みの記憶が何らかの原因で蘇って、あたかも痛みを感じているかのように錯覚してしまい、痛みを感じ取ってしまう。それが幻痛と呼ばれる症状だった。


「そういった代物があるせいかな。……よく四肢を落された者が口にする言葉に、こんなものがあるそうだ」


 ──なあ、先生。なくしたはずの腕が痛いんだ……。


 治療魔法……。死者の蘇生や欠損部位の再生治療すら行える高度な治療魔法すらも存在しているようなこの世界において、なぜ四肢欠損が発生してしまうのか。それは、極めて腕の良い治療師が多数常駐しているような王都と異なり、地方都市や農村などでは四肢を失っても治療などうけることが出来ないことのほうが多かったからだった。

 王都近郊の街などのように一流どころの治療師が教会を預かって管理していれば、そこで治療を受けられる可能性もあるのだが、多くの場合には治療師の能力や人数などが足りておらずまともに『再生』を使うことの出来ない治療師が大半だったのだろう。

 酷い場合には治療師を名乗りながらも賦活しか使えないような駆け出し同然の治療師が牧師として派遣されてくることすらあるというのが王都から遠く離れた地方の弱小農村部の医療環境としての実態であったのだろう。

 特に先の大戦争、人魔大戦の末期から復興期に顕著だったし、今でも慢性的に人材不足気味な治療師業界ではあったのだろうが、最近はようやく大き目な村などの教会にも二流程度の能力しか持たないにせよ、どうにかこうにか紛いなりにも再生魔法を扱えるレベルの治療師を常駐させる事が出来るようになってきているので、じわじわと状況は改善はされてはきていたのかもしれない。

 余談になるが、それもこれも全ては突出した魔力や能力を秘めながらも魔族の血をひいているという理由から忌み子とされていた“魔人”を優先して保護し、教会主導で再教育を行なって聖職者兼治療師として教育して派遣するというプログラムの成果が機能し始めている証ということなのかもしれない。

 閑話休題。そんな事情もあってか、未だ地方都市や農村部などでは四肢を失う事も珍しくないという世界において、多くの場合に問題になっていたのが、この幻痛という症状だったのだろう。


「……それがどうかしたの?」

「いや、お前さんも、その手の病に苦しんどるんじゃないかと思ってな……」

「やまい?」

「病気のことだ」


 コンッと音を立ててパイプの中から燃え尽きた葉の灰が落される。


「……フム。見たところ、ケガをしている風でもないし、手足を失っておる訳でもなさそうだな。だが、そうやって身動きが出来ないほどの痛みを日常的に感じておるのだとすると、こんな場所で、そうやって痛みに耐えているのは根本的な部分で色々とおかしいということになるじゃろ? なんで大人しく家で養生してないのか、とかな? ……となると、つい今しがた痛みが発生し始めたと考える方が、色々と分かりやすいんじゃないかと思ってな……?」


 ぷふーと煙を吐き出しながらも、穏やかな口調で老人は言葉を続ける。


「かといって、今、いきなり痛みが発生したという訳でもないのじゃろう?」


 これまでも、きっと何度も同じように痛みが発生していて、そうやって耐えてきたはずだ。そう自分の考えを告げて「どうだ?」と視線で訪ねてくる隣の老人に少年は僅かに表情を驚きの形に歪めて答えていた。


「なんで……?」

「何故分かるのかって? お前さん、今日、急に痛みを感じ始めたにしては、周囲の誰にも助けを求めておらんではないか。……それをしていないということは、する必要がないと分かっているからではないのか? あるいは、助けを求めても無駄と分かっているのか。……どちらにせよ、そうやって我慢していればいずれ収まると分かっているのではないか?」


 その問の答えが何にせよ、何かしら治療師などの魔法による対処療法では『胸の痛み』を取り除けないという事を既に自覚している状態であるのは確かなのだろう。そうのんびりと言葉を口にしているのも、とりあえず今の状態からどうすれば回復できるのか、それを少年本人が知っているのではないかと考えていたからだった。


「……ほっといてよ」

「いや、そうした方がお互いのためなのは百も承知なのだがな。……だが、為す術なく痛みに苦しんでいる子供を見てしまうと、どうにも胸が傷んでなぁ……」


 もしかすると自分ならどうにか出来る症状かもしれないのだ。それを分かっていては、見捨てられるはずがないだろう。そう照れくさそうに口にする老人に、横の少年も僅かに口元に苦笑を浮かべていた。


「哀れみ?」

「かもしれんな」

「……かわいそうにって?」

「そう思っちゃいかんのか」


 そんなぶっきらぼうな優しさは、少なくとも相手には届いていたのだろう。


「……おじさんって、そんなに怖そうな顔してるのに。……案外、優しいんだね」

「見捨てると後味が悪いだろうと思っただけだ。せめて仕事の後に酒でも飲んでいる時くらいは、あの時、ああしておけば良かったなどと考えんで済むようにしたいからな」


 そんな「お前さんのためじゃないぞ。自分のためだ」と照れ隠しで口にされた言葉であったとしても。それでも悪い気はしなかったのかもしれない。


「まあ、いらぬおせっかいだというのは重々承知しておるよ。おそらくはお前さんも原因治療を望んでおらんこともな。……だが、これだけは言わせてくれ。痛みというヤツはな、そうやって、ただ我慢してこらえておるだけでは決して良くはならんのだ。……痛みというヤツは、次第に強く、程度が酷くなっていく傾向のある症状である場合が多くてな。終いには痛みを和らげたり感じなくさせるための薬すら効かなくなるほどの悪化を見せる場合も多いのだ」


 それは自分がそういった適切な治療を受けていないために『痛み』という名の症状が悪化の一途をたどっているのではないかと。そう心配されているという事を察する事も出来ていたのだろう。


「それくらい厄介な症状なんじゃよ。痛みという奴は。……放置しておけば手に負えなくなっていくし、正しく処置出来て痛みを消すことが出来たとしても、何時、何の原因で痛みが復活するかも分からんし、そもそもの問題として、その痛みが『本物』であるかどうかすらも、本人にすら分からなくなってしまうのだ」


 現実の痛みのコントロール。その果てにある痛みの記憶による幻の痛みの再発や、その痛みの再発に怯える事からの痛み止めの過剰摂取……。それこそ、別種の病を。痛み止めの過剰摂取による中毒症状すらも引き起こしかねない。痛みとは、それほど扱いがデリケートで症状のコントロールが難しい病気であるのだと。そう、老人はタメ息混じりに言葉を重ねていた。


「……その場凌ぎじゃ何時か破綻するって言いたいの?」

「うむ。対処療法ではどうにもならん事が多いからな。……お前さんに必要なのは原因療法なのではないかとワシは感じておるのだ」


 どれだけ痛みが酷くとも、その痛みをどうにかするだけならばいくらでも手はあるのだ。それこそ特殊な条件でのみ処方が許可される類の薬を使えば、大の大人が泣き叫びながら転げまわるような激しい痛みすらも感じなくさせることすらも可能なのだから。……そうやって、何らかの方法でもって今の痛みを少しでも和らげることが出来たなら、そこから快癒へとつながっていく道も開ける可能性もまだ十分あるということなのだろう。

 少なくとも、これまでまともな治療を受けていないというなら、すでに治療を受けていて痛みの制御がうまくいってない人よりもよほど可能性が残されているということでもあるのだから、試す価値は十分と感じてしまうのも仕方なかったのかもしれない。それに、たとえ手遅れであったのだとしても、何らかの治療を受けてくれさえすれば、少なくとも今のように一人寂しく痛みに震えているよりはマシな状態に出来るはずなのだ。それを理解してしまっていたからこそ、老人は見逃す事が出来なかったのかもしれない。


「……この痛みは、病気だったんだ?」

「ああ。お前さんのその痛みは病気だ」


 そう誤魔化したりせず、真正面から目を見据えて答える。


「お前さんを苦しめている“痛み”は、何らかの手段でコントロールしてやる必要がある。……立派な“病”の一種なのだとワシは考えておる」


 フゥと吐き出される煙は煙たさを感じさせない不思議な匂いがしていた。


「……なあ、ワシに任せてみないか?」


 自分に任せてくれさえすれば、なんとかしてやる等と無責任な台詞はとてもではないが言えるはずもない。目の前の少年が、どんな病に犯されているのかすら未だ定かではないのだ。その痛がり様からしても、もしかすると手の施しようもない末期的な症状である可能性だって十二分にあるのだから。……だが、それでも。それでも、痛みをわずかでも抑えることが出来るというのなら……。それだけでも、目の前の少年にとってはある種の“救い”になるのではないか、と。老人は、そう信じていたのかもしれない。


「治せないよ」

「そんなのは、やってみなくちゃ分かるまい」


 諦めるな。お前はまだ手遅れじゃないはずだ。そう励まされていることは相手にも分かっていたのだろう。だが、それでも少年は脂汗の浮かんだ額を横に振っていた。


「……無理だよ」

「そうかもしれんな。お前さんの言うとおり、その病は、治すのは無理なのかもしれん。……だがな。それがどうした!」


 叩きつけるような言葉が、少年のうつむいていた顔を引き起こしていた。


「……え?」

「無理だからやらない。治せそうにないから手を出さない。確かに、そういった無駄なことをしようとしない諦めの良い優秀な奴らも大勢居るな? ……確かに、そういった選択肢もあるのかもしれん。確かに、この治療行為は無駄になるのかもしれん。……ワシも正直、無駄かもしれんと感じている部分もあるからな?」


 そこまで言葉をつなげて。だがな、と否定を重ねる。


「ワシはな、そういうお利口さんな方法は選べん性分でな。無駄だからやらないという選択肢なんぞ、最初から無いんじゃよ。無駄だからどうしたって? 無駄なことをして、何が悪い? ワシはそれを選ばんし、選べと言われてもよう選べん。何しろ、ワシは無駄な悪あがきが大好きな偏屈ジジイだからなぁ……。こういう無駄な事というやつが大好きなんじゃよ」


 そう皮肉っぽく利口で賢い連中の“賢しさ(かしこさ)”をあざ笑ってすら見せながら。


「それに、たとえ無理であったとしても、だ。……その痛みを少しだけでも和らげることが出来たなら、それだけでも治療した意味があるはずだ」


 そうじゃろ? そうニタリと笑って見せながら告げる老人に、ようやく少年も笑みを浮かべていたのだが、その笑みはすぐに陰りに覆われてしまっていた。


「……ダメだよ」

「なぜじゃ?」

「そんなお金、ないもん」


 治療行為には金がかかる。それは誤魔化す事すらも出来ない残酷な事実であって。ボランティア行為でない以上は対価を求める必要がどうしてもあるのだから。しかし、そんな心配を老人は鼻で笑い飛ばしてしまっていた。


「なぁに、今回の治療(けん)はワシの方から言い出した事だからな。治療が上手く行った時だけの出来高払い……。快癒してからの精算。出世払いってことで良いぞ」


 だから何の心配もいらんから、ワシにお前の治療をさせろ。そう迫る老人に嬉しそうな笑みを浮かべながらも。それでも少年は首を横に振っていた。


「……どうしても駄目か?」

「うん。おじさんの気持ちは凄く嬉しかった。こんな事言って貰える日が来るなんて……」


 悪魔の血の混じる亜人種“魔人”の特徴である金色の爬虫類の瞳をもつ少年に、やさしい言葉をかけてくる“人間”が居た。それだけで、あるいは少年には十分であったのかもしれない。


「もう良いんだ。……もう、十分だよ」


 それは、もう何をしても無駄と分かっているというかのようにして。


「……本当に、そうなのかの?」

「うん。無駄なんだ。誰にも、もう……。どうするも出来ない。僕の“病気”は……」


 そこまで口にした時、突如として少年は屈みこんでいた。そして、くぅっと痛みをこらえるようにしてうめき声をあげると、その奇妙にやせて骨の浮いている右腕が、己の胸……。鳩尾のあたりをギュッと掴んで握りしめてしまっていた。


「……痛い。苦しいよ……」

「少年。何が……。何が、お前さんを、そこまで苦しめておるのだ!?」


 その叫ぶような声に、少年は体をガタガタと痙攣しているように震わせながら。


「……血」

「ち?」

「僕の中の……。“血”が……」


 そこまでようやく言葉に出来た時のことだった。突如として数回、激しく「ゲホガホ」と激しく咳き込んだかと思うと、次の瞬間にボコッと喉をふくらませて。ガハッと喉の奥から血の塊が吐き出されていて。その血は、不吉なほどに黒い色をしていた。


「……黒い血……? お、お前……。まさか……!」

「うん。そのまさか……。死にたく、なかっ、たら……。逃げて」


 僕は、もう駄目だ。……もう、駄目だけど……。こんな僕に優しくしてくれた……。おじさんを殺したくない。……だから、お願い。……逃げて……。“僕”から逃げて!

 そう叫ぶようにして、必死に口にする少年が、見た目通りの年齢でないことに気がつくのにはいささか遅すぎたのかもしれない。


「がああああぁああぁぁぁ!」


 そう喉から黒い血混じりの咆哮を吹き上げながら立ち上がる、そんな少年の瞳は何故だか真紅の光を放ちながら。


「……あっ、あっ、あっ……」


 それを見た者達は指をさしながら。そのワナワナと震える口からようやく言葉を発していた。


「悪魔憑きだぁあ!」


 そんな恐怖を浮かべた悲鳴と共に。



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