4-12.壁の役目
ぃょぅ。ぉ疲れぃ。
モグモグと頬を膨らませながら、そんな軽い調子でシュタッとばかりに手を上げて見せる青年に、僅かに頬を赤くしたジェシカはいささかバツが悪かったのか、嫌そうに顔をしかめながらあさっての方を向いていたし、そんな少女を背後にかばったクロスは、そんな何も考えてなさそうな脳天気な顔でイモをかじっているアーサーのことをジト目で睨みつけていた。
「……いつの間に姿を消したのかと思ってたら……」
こっちは大変だったのに、そんな物を買いに行ってたんですかとばかりに怒った風な声をかけてくるクロスに、アーサーは「悪ぃ悪ぃ。ちょっと小腹がすいたモンでな」といった風に苦笑を返しながら、その手の中の紙袋から「ほら。お前らの分もちゃんとあるぞ」と、ついさっき焼いたばかりですといった風に、出来立て焼きたてといった風なホカホカの蒸かしイモを取り出して見せていた。
「塩が効いてて、うまいぞ?」
そう「当然、食うよな?」とばかりに差し出されたイモは「あちーから気をつけろよ」という注意通りに、まだ熱々で塩気も十分に効いていて、実に美味しかった。
「ここらへんじゃ、この程度のモンしか売ってないが、運動して汗かいたあとに塩気のあるモンは格別だからな。……味の方もそっけないっちゃそっけないかもしれんが、言うほど悪くないだろ? 空きっ腹をなだめるのにも悪くない。……どうだ? なかなかのモンだろ?」
俺達のパーティも最近、よく買ってるんだ。……あいつらも気に入ってたみたいだったから、お前らも嫌がらないだろうって思ったんだが……。まあ、その様子だと不味いとは思ってないみたいだな。
そう指まで舐めそうな勢いでモグモグと、熱いイモを頬張ってる二人に微笑みを向けていたアーサーであったが……。
「……で? そっちの方は済んだか?」
そう「何やら面倒臭そうな話になりかけていたが、ソッチの方は片付いたのか?」と暗にたずねられた二人は思わず食べる手を止めて互いに顔を見合わせて。
「……まあ、一応は」
「万事解決……。って感じぢゃぁないな。残念なことに」
「うん。まあ。……でも、最悪の状態は脱したって感じかな……。多分」
「へー。そりゃ良かった。じゃあ、あとは時間かけてゆっくり様子見地って感じかね」
「そーかもね~」
そう愚痴を聞いてもらったお陰で、だいぶマシな精神状態になれたのだと。暗にクロスのお陰であると示唆していたこともあったのだろう。それを聞いたアーサーはそうかそうかとうなづきながら。
「頑張ったな」
そう笑みを浮かべて頭をポンポンと叩くようにして撫でて見せたアーサーに、わずかに照れた風に頬を赤くしていたのだが、そんなクロスの隣を、いつもより心もち微妙に近い距離で歩いていたジェシカは面白くなかったのか「それより!」と二人に声をかけていた。
「約束のランチ!」
「今のイモで約束は果たしたってことじゃ……駄目か。やっぱ」
「そんなのダメに決まってるじゃない!」
「だよなぁ……」
そう「チッ」とわざとらしく舌打ちしてみせるアーサーに、ジェシカは面白そうに笑みを浮かべていたのだが、その笑みに先ほどまでのどこか切羽詰まった部分や陰のような物がなくなっていたのは、心にある程度の余裕が生まれてきている証拠でもあったのかも知れない。
「そうだ。せっかく貴方『お金持ち』なんだから、豪華なランチおごってよ」
「なぁんでガキンチョども相手に、そこまでサービスしてやんないといけないんだ?」
「そうケチくさい事言わないでさ。貴方、売り出し中の高ランク冒険者ってやつなんでしょ? だったらソレらしく、ちょっとは豪快な所も見せてよ」
「さっきそれらしい真似をしてみせたと思ったんだが?」
「さっきのは自分のために豪快に使っただけじゃない。たまには他人に使ってみるのも悪く無いと思うわよ?」
「綺麗なネェちゃん相手に使うならやぶさかでもないが……。ガキ相手に使うのはなぁ」
そう「あと五年もしたら使ってやっても良いかもな」と言いたげなアーサーに、平然とジェシカは笑って答えてみせる。
「まあまあ。ここは一つ、夢破れた乙女の傷心を慰めるってことで」
「誰が乙女だ、誰が」
「そんなの私に決まってるじゃない! ……ね? チョットだけで良いからさ~」
そう簡単には引き下がる様子のないジェシカの言葉に「やれやれだな」といった風にため息をついて見せながらも、その眉は何故だか八の字に曲がってしまっていた。
「しっかし、ランチ……。ランチ、ね。……やれやれ。なにやらタダ飯おごってやるって話が、えらく面倒な話に化けてきやがった気がするぞ」
その珍しく自信なさげで困った様子は、明らかに店の選択に困っている風であるように見えてしまったのかもしれない。
「女の子エスコートするお店くらい、何箇所か抑えてるんじゃないの?」
あれだけ綺麗どころをはべらしてるのだから、モテ男のたしなみとして、そういった店はひと通り抑えているものだとばかり……。そう暗に尋ねるジェシカに苦笑を返しながら。
「意中の女と、酒と食事でも楽しみながら、楽しく夜を過ごすための店ってーのなら、いくらでも候補はあるんだがな……?」
そう「口説きたい相手と一緒に行くような店ならいくらでも知っているのだが」というのがボヤキの正体だったのだろうが、幸いというか不幸中の幸いというべきなのか。良くも悪くも『子供』でも楽しめるだろう、それなりに質の良いランチを食べさせる店というのは正直、よく知らないらしかった。
「昼飯、昼飯……ね。ん~……。酒はまだ早いから、そうなるとそれっぽいモン食わせてる店となると、アソコか……。というか、俺の場合だとそこしか知らないんだが……。多少肩がこりそうな雰囲気のある店でも良いか?」
味は良いらしいのだが、ちょっと値段設定は高めで、敷居はもっと高いらしいのだが、と。そう、ちらりとジェシカの横、クロスの方に何故か視線を飛ばしながら尋ねてくる。
「肩がこるってなによ。面倒なドレスコードでもあるってぇの?」
「いや。そんなのは一回も言われたことないな。……いつも革鎧にマントに剣下げたままって感じで、似たり寄ったりの格好した奴らを連れて行ってるくらいだからな」
そうなると格好などどうでも良いといった種類の店ということになるのだろう。
「ふーん。なら、そこでいいんじゃない」
「そうか? なら、そこにするか」
どうやら程度の良さげな大衆店のようだし、そこそこ良い物食べさせてもらえるなら何処でも良いや。そう答えたつもりだったのだろうが、それを受け取った側の青年はいささか世間というものに疎い部分がある人物でもあったのかもしれない。もっとも、そんな二人の間に存在していたズレとでもいうべきものが判明するには、まだもうしばらくの時間が必要となるのだが……。
「それじゃあ、店も決まったことだし、そろそろ行くか。幸いというか何というか、店の場所は西区の方だからな。ここからだとそんなに離れてないんだぜ?」
腹ごなしに歩いて行くのに丁度良いくらいの距離だな。そう言いながら「ついでに飯を食ったら、家にまでおくっていってやるよ」と口にしたことで、ジェシカの顔はわずかに不審げなものになっていた。
「……私、西区の方に家があるなんて言ったっけ?」
「いや、言ってないぜ? ……というか、西区に住んでたのか?」
「うん」
「そうだったのか。そりゃまた嬉しい偶然というか、ありがたい偶然の一致ってヤツかね。まあ、さほど離れてなさそうで助かった」
そう別にジェシカが東区に住んでいようとも、そこにまで送って行ってやるつもりだったといった風に答えた事で、その場では収まったかに見えていたのだが……。
──ホントに私達のこと、よく知らないのかしら。
そう疑ってしまうのは、これまでにかけられた言葉のあちこちに、こちらのことを詳しく知ってるような部分があったからだったのだろう。顔を覚えられていたのは、まあ、言うほどには不自然でなかったにせよ……。自分がエルリックを呼び寄せる餌にならないと口にしたときには『分かっている』と平然と口にしていたし、今も当たり前のように店の近くに自分の家があるから、丁度良いから送ってやるといった風に言っていた様にしか捉えられなかった。
──なぁんか胡散臭いのよねぇ……。
矛盾は殆どないはずなのだが、なんとなく疑わしい。だからこそ胡散臭く感じてしまうのだろうか。少なくとも、何かしら嘘なり誤魔化しの匂いがしたのは確かだったのだろう。
「……おっ。門が見えてきたぜ」
そんな考え事をしながら歩いていたジェシカの前に物々しい雰囲気の金属製の門が見えてきていた。左右をみっちりと埋める樹木の壁に挟まれた道の先に唐突にあらわれる壁と門。そして、そこから除く南区の町並みは、やはりどこか現実味に欠けた風景であり、そこが一種の境界線……。あちら側とこちら側を区切っている“境目”であることを嫌でも意識させられる風景だったのだろう。
「お勤め、ご苦労さん」
「はっ!」
そこを平然と慣れた様子で通りながら片手を上げて挨拶する。そんなアーサーの言葉に応えるようにして手にしてた槍をジャキッと構え直して応じてみせる衛兵達に、いつものダルそうで暇そうにしているだらけた素振りは一切なく……。それとは間逆に、明らかに緊張している様子が見てとれていた。
「……さっすが高ランク冒険者様ってことかしらね」
「あん?」
「さっきの兵士の人達よ。貴方のこと見て、ガッチガチになってたじゃない」
「そうかぁ?」
「そーなのよ。いつもはもっとダラケてるはずだし、もっとダルそーにしてるし、すっごく暇そーにしてるの。日差しが暖かい日なんて、ああやって立ったまま寝てるのよ?」
「おいおい……。仮にも迷宮と街との境目だろ? そこにある門を守ってる連中が、そんな体たらくで良いのかよ……」
そう「ホントに大丈夫なのかよ、この街わ」といった風に答えたアーサーであったが。
「……迷宮との境目? あの門が?」
そう返されたぼやき混じりの言葉の内容に、先ほど自分の感じたイメージそのままのフレーズが含まれていた事で、思わずたずね返してしまっていたのかもしれない。
「ん? ああ。あの門の作りを見ただけでも分かるだろ? ああやって迷宮の入り口らへんにちゃんと蓋作っとかないと、中からモンスターどもが溢れてきたりするだろうからな……」
だから最低限の備えとして、ああいった天然洞窟型のダンジョンの入り口には何かしら抑えになるフタが必要になるのだと。そうアーサーは口にしていた。
「フタって……。あの洞窟にフタなんてなかったじゃない」
「あるじゃないか」
「どこに?」
「そこに。すぐ眼の前にあるじゃないか」
そう答えながら指差す先には壁に囲まれた森があって。そこと外をつなぐ唯一の出入り口である門もあって。そこを指さしてる先には、ひどく無骨でやたらと頑丈そうな作りの格子扉が大きく口を開いていて……。
「……もしかして、アレが洞窟のフタってこと?」
「形としては、そうなってるだろ? じゃないとわざわざ衛兵置いてる意味がないぞ」
そこに衛兵が配置されているのに、何故、門を通って公園に出入りする者達に自分達からは一切干渉してこないのか。その理由は簡単で『通行を邪魔したり、身元を確認したりする事が彼らの仕事ではないから』だ。では、何が彼らの本来の仕事で、何のためにそこに門などを用意してあったのか……。
「じゃあ、あの人達って……」
「おいおい。今まで気がついてなかったのかよ……。あのぐるっとダンジョンを取り囲んでる森の外型にわざわざこしらえてある壁の意味は? そんな壁に何故一箇所しか出入り口が作られてないんだと思う? ついでにいえば、なぜ門は南側にあると思う? そもそも、あの門の格子扉は飾りか? そうじゃないなら、何のために扉なんて作ってあるんだと思う? そういった全てに意味がちゃんとあるんだぞ?」
壁で完全に囲んでしまっては出入り出来なくなるので、何かしら出入り口は必要になるということなのだろう。だが、アーサーの指摘したとおり、東西南北のそれぞれに同様の門が開けられている街の中央区を囲んでいる第二城壁とは異なって、大迷宮の出入り口は壁の南側にしか門が用意されていなかった。そして、そんな出入り口に設置された門の格子扉は当然のように飾りなどではないのだろうから実用のために設置されているということになる。そうなると何かしら門に扉があるということにも意味があるという事になるのだろうが……。
「わからないか? ……門の扉は何のためにある? 扉の役目って、そもそも何なんだ?」
「えーと……。しめるため?」
「その通り。扉は開けたり閉めたりするために用意されてる。じゃあ、何のために閉めるんだと思う?」
「えーっと。それは……。外から入ってこれなくするため?」
「そうだ。中に入れなくするためだな。そして、その意味を逆にすると出ていけなくするためってことにもなる。つまりは、そこを通れなくするために門に扉をわざわざ作ってるんだな。……何かしら、必要になったタイミングで、そこを封鎖して通行禁止にするために、ああやって門に扉を用意してるってことだ。それを適切なタイミングで……。それこそ中にまだ人がいる状態であったとしても、適切に実行するためには……。ああやって武装していて、文字通り力尽くで、それをやり遂げる事ができる力を持った常設の兵士、衛兵が必要になるってことなんだろうな」
そうやって出入り口を封鎖するために門に扉が用意されているのであって。あの暇そうにしている兵士達は、そんな門の格子扉を開閉する事を仕事として与えられているのだと。そんな衛兵がそこに配置されているという事の本当の意味を、今更ながらに教えられた気分だったのかもしれない。
「じゃ、じゃあ……。あの森の本当の意味って……」
「そういうこと。大迷宮から押し出されてきた魔物達を閉じ込めるための空間。……檻だ」
天然洞窟型の意味。それをもう少女は理解していた。最下層から最上層まで一本道で繋がっている構造のダンジョン。階層型ダンジョンと違って、この手のダンジョンは中に仕切りとなる部分がないのだ。だからこそ下層からたまに上層に強いモンスターが上がってきて、その階層ではありえない強さのモンスターと遭遇することもある。そういった一種のランダム要素のある魔物の配置が特徴的でもあったのだろう。そして、ごく稀にではあるが地下深くの階層からとんでもないレベルの大物が上にまで上がってきて、浅い階層を住処としている魔物たちが住処を追われて地上にまで溢れて出てきてしまうことがある。そういった出来事があるからこそ、このダンジョンを取り囲む森は壁で囲まれているのだと。そうジェシカは理解していたのだが……。その理解出はまだ浅かったということなのだろう。
「普通のダンジョンなら入り口を封鎖しとくだけでも大丈夫なんだろうがな。ここは良くも悪くも世界最大規模の地下迷宮だ。……地下迷宮ってヤツは菱型に広がってるんだよ」
それもジェシカはすでに教えられていた。地下迷宮は鎧ミミズによって菱型に形作られているのだ。つまり、迷宮の上半分で見た場合には円すい形に近い地下構造になっているという意味であり、その意味する所は……。
「地下の中層部分とかの広いエリアとかで何か大きなトラブルが起きた時には、広いところに分散して住んでいた魔物たちが狭い地表部分に押しやられて……。どんどん上に押し出される形になる……?」
「そう。漏斗状に魔物が集まってくる形になるわけさ。そんな小さな出口目指して押し寄せてくる山のような魔物たちの群れをチンケなフタで抑えられるはずがないだろ? だから、あの入り口にはフタがないんだ」
そしてフタがない以上は、何かしら吹き出した魔物たちを受け止める空間的余裕が必要になることになる。そう、それこそ壁に囲まれた広い空間が求められるのだ。
「……それが壁の本当の役目?」
大迷宮の周囲に広がる森と、それを取り囲んでいる壁の意味を。そして露店街がなぜ露店ばかりなのかという疑問に対する答えすら内包している解を得たジェシカは、今更ながらに自分がどれだけ危険な場所に入り込んで、どれだけ危ない真似をしていたのか。それをようやく理解出来たのかもしれない。