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クロスロード物語  作者: 雪之丞
白の章 : 第四幕 【 儚い願い 】
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4-11.なくしたもの


 寄り道すると言っても、元々が迷宮の入り口を取り囲むようにして広がっていた露店街の中に居たのだ。それこそ、行こうと思えばすぐにでもソコには辿りつけたのだろう。だが、そこに立ったのは、結局は最後になってしまっていた。


 ──ここに立つ勇気がなかったのかもね……。


 そう自分の中の弱気を笑いながら。そして、そんな自分にとっては重大な事をしているはずなのに、その割には大して気負いも緊張もなさそうに。少女は、ごく自然な素振りで、その場所に立つ事が出来ていた。


「……ここでぶっ倒れて大ケガしたのよね」


 目の前に広がる暗い洞窟。それは地下深く……。それこそ地の底へと続く道でもあったのだろう。そんな大迷宮への入り口であって……。そこはかつて自分が期待に胸を膨らませながら飛び込んでいった場所でもあった。


『……入る前に、周囲を見てみますか?』

『いえ! 中に入りましょう!』

『そうでしょうね。……では、入りますか』


 耳の奥で蘇るのは、あの日のやりとり。そして、その闇を見つめていた瞳には、あの日の自分が洞窟の奥へと向かって楽しそうに走り込んでいく後ろ姿が見えていたのかもしれない。……恐らくは、楽しかったのだろう。そこに足を踏み込むまでは。……きっと、楽しかったのだ。夢にまで見ていた世界最大のダンジョンに足を踏み入れる瞬間が自分にも訪れたことが……。そのことだけでも喜びを感じさせていたはずなのだから。……しかし、そこは自分が夢見ていたような場所ではなかった。そして、そこから精魂尽き果てながら出てきた時には、一人冷たい現実を前に色々な事を思い知らされていて。結果、自分には夢見る資格すら持っていなかった事を嫌という程に思い知らされて、打ちのめされていた。……そう。ある意味において、目を覚ます事になった場所でもあったのかもしれない。


 ──この場所は、きっと私にとっては夢の終わり。終着点。……夢が終われば、あとは目覚めるだけ。あれが現実の始まりってヤツだったのかな……。


 今思い出しても、あの日の事は現実の出来事とは思えなかった。到底、実現不可能なレベルの無理難題を条件として突きつけられて。それを、ウルトラCどころではない奇跡によって、まさにありえないような方法でクリアしてみせた。その事によって、なし崩し的に、ある意味力尽くの尽力によって実現してしまった“夢”。そんな実体化してしまった己の夢は、物語の登場人物すらも自分のとなりに呼び寄せてしまっていた。


 ──銀の聖騎士。伝説の剣聖……。自分の隣に立つ、銀の騎士の物語……。


 自分が居て。親友が居て。そして英雄に導かれて。三人で“旅”をした。街から一歩も出ることはなかったが。だが、それでも自分にとっては夢のような時間の中を旅してまわった日だった。そんな、まるでお伽話の中に入り込んだかのような出来事であるかのように……。


 ──結末はお粗末に過ぎる代物になっちゃったけど……。


 その夢が現実のものであった事を示す証であったはずの傷が刻まれたはずの場所に……。そっと触れた右手首には何の痕跡も傷跡も残されておらず。ただ、記憶の中に無残な傷跡が刻まれた右手首の姿が残されているだけだった。


 ──だから、なのかな……。


 じっと、己の手首を見つめながら。だからこそ、今ひとつ自分の身に起きた出来事だと感じられなかったし、それが本当にあった事だと信じる事も出来なかったのかもしれない。


「……なんだか、あの日のことが随分と前に感じるわね」


 口元に浮かぶ苦笑は何が原因だったのか。そして、誰を笑っていた物だったのか。


「……実際には、ほんの少しの時間しか経ってないんでしょうけど……」


 しかし、その少しの時間が少女にとっては、とてつもなく長く感じられてしまっていた。


「……ありがとう。もう良いわ」


 そう何かを吹っ切ったかのように大迷宮に背を向けたジェシカに、他の二人はどう声をかければいいのか分からなくなっていたのかもしれない。


「……あの……」


 何を言えば良い。どう声をかけるべきなのだろう。……自分は今、何を言おうとしていたのだろう……? 喉の奥まで出てきていたはずの声は、なぜかそこでフタをされて。息ごと詰まったようになってしまって、うまく言葉にできずに居た。……確かに、何か言おうとしていたはずなのに。それなのに、クロスは何も言えなくなってしまっていた。そして、そんなクロスの様子に苦笑を浮かべながら、もう一人の青年は平然と声をかけていた。


「もーいいかーい?」

「……なによそれ。もういいよーとでも答えて欲しいの?」

「かくれんぼの時、よく言ってたなーってな。自分でも言いながら思い出してたよ」


 そんな下らない言葉で相手にも苦笑を浮かばせながら。


「もう、いいのか?」


 先程の言葉と大差ない言葉を口にする。そんなアーサーにジェシカは笑みを浮かべてうなづいて見せていた。どこか寂しそうで苦笑混じりの笑みを浮かべながら。ただ「うん」という短い言葉で答えていた。


「行きましょ」


 そう言って歩き出したジェシカに、クロスはアワアワと慌てふためいた様子を見せながら。


「あっ、あのっ!」

「……なに?」

「……その……。もう、本当に……。本当に、良いんですか!?」


 そう、色んな意味で必死で野暮で空気の読めない……。そして何よりも少女にとっては残酷な言葉になるだろう酷い台詞を思わず口にしてしまったらしいクロスに、アーサーは思わず「おいっ」と鋭くも小さな声で“やめとけって”といったニュアンスで注意してはいたのだが、当のジェシカはわずかに苦笑を浮かべただけだった。


「良いのよ。もう、迷宮は、良いの」


 そう寂しそうに笑って見せながら。


「さっき入り口に立った時、分かったわ。“やっぱりね”って。……あそこは、私が思ってたような夢とか希望とかに溢れたような場所じゃなかった。……もっとリアルで、もっと冷たくて……。みんな歯を食いしばりながら、毎日、毎日、必死にならなきゃ生きて帰れないのが当たり前っていう、ただただ怖い場所で……。そんな場所で、死にたくないって思いながら、それでも必死になってギリギリの所に挑戦し続けなくちゃいけないような酷くて残酷な場所で……。暗くて、寒くて、痛くて、怖くて、辛くて……。なによりも恐ろしい、世界一笑い声とかが似合わない。そんな場所だった」


 ちらりと背後を振り向いて。


「……多分、あそこに立った時にね。それを思い出しちゃったんだと思う。だから、なのかな……? だから、あんなに怖かったのかな? ……すごく、怖かったの。こんな所にもう二度と入りたくないって。こんな場所に立っていなくないって。……逃げ出したいって思ったんだ。……こんな怖い所から、さっさと逃げ出さなきゃって。はやく家に帰って、布団の中にでも隠れちゃいたいって。……そう、感じたの。どうしようもなく……。どうしようもなく、怖かったのよ」


 あの時には、あんなに楽しいルンルン気分で入って行ったのにね。そう過去の自分の幻に苦笑を浮かべて見せながら。


「これって、あの時に私は勇気をなくしちゃったってことなのかな……?」

「夢に見ていた光景の現実(リアル)を見ちまって引いたってことだろ」


 そんなの勇気の有り無しなんて高尚な話じゃない。誰にだって経験のあることだ。……勿論、自分にもあった。みんなそうだ。一回でも死にかけたら、みんなそうなる様になってんだ。お前だけが特別なはずがあるかよ。

 そう吐き捨てるかのようにして即答で答えを返して見せたアーサーのぶっきらぼうな優しさの滲む言葉に僅かに笑みを浮かべながら。


「うん。分かってる。そんなこと、珍しい事じゃないんだって。……誰に聞いても、そう教えてくれるよね。新米の冒険者には珍しい事じゃないんだぞって。……それに、その後、必ず教えてくれるのよ。……それでも新米って連中は、自分の中に抱え込んでる“夢”ってヤツの熱量で、迷宮の寒さと恐怖心に負けて凍りついちまった心を溶かされて、また立ち上がるものなんだって。こんな所でうずくまって震えてる場合じゃないんだぞって。……震えながらでも、また立ち上がって、前に踏み出して。また、迷宮に入って行くんだって。……それが、本物の夢ってヤツの持ってる熱量、己の胸を焼き焦がす夢の持つ力なんだって、ね……?」


 それは誰の言葉だったのだろう。もしかすると本か何かに書いてあった聞きかじり程度の言葉だったのかもしれないが、奇妙に記憶に残っていた言葉でもあったのだろう。


「そして、その人は言うのよ。みんな同じ道を歩いてきたんだぞって。みんな同じように挫折を味わって、同じように恐怖に囚われて……。そこから、再び夢の熱に励まされながら立ち上がれた者だけが残り、心が折れてしまった者は夢を諦めて去って行ったんだって……。お前はどっちだって聞いてくるの。お前なら、きっと立ち上がれるさって。おまえの夢はその程度なのかって叱ってくるのよ。お前の夢とやらのもつ熱はその程度なのかって……。そんな風に、励ましてくれるのよ。もう一度立ち上がるんだって……」


 帽子のつばの影になるようして俯いて。スカートをギュッと握りしめながら。


「……無理だった。私には出来なかった。……残念ながら、私にはそんな熱い想いはなかったみたい。ちっぽけで薄っぺらで……。安っぽい憧れだったんでしょうね。……こんな体で、そんな真似、出来っこないって最初から自分でも分かってたはずなのに……。そんな冷たくて優しくない現実ってヤツから、ただ目を背けるための嘘……。出来の悪い誤魔化しの類だったんだもの。それも仕方なかったんだって……。今なら分かる。……分かる気がする。……ううん。もしかしなくても、本当は、最初から分かってたのよ」


 全ては、そんな見たくなかった現実から目を背け、自分には出来ないという現実を認めたくないという想いが原因だったのだろう。……しかし、そんな偽物の気持ちで本物の恐怖に打ち勝つには、それはあまりにも不純に過ぎて。何よりも出来損ない過ぎて内包している熱量や大きさが足りなさすぎたのかもしれない。


「……ま、何にせよ今更過ぎる話よね。この体が虚弱体質な(よわっちぃ)以上、そんなのはなっから出来る訳なかったんだから!」


 顔を上げて、枝葉の隙間から除く青い空を睨みつけながら。それを思い知らされた以上、諦めるしかないじゃないか、と。ただ強がることしか出来なかったのだろう。そんな開き直りは、一抹の寂しさや、深い悲しみ、底なしの悔しさや、己の体に対する忌々しさをも伴ってはいたのだろうが、それでも“それ”を認めてしまわなければ、そこから一歩も前に進めなかったのだ。だとするならば、認めてしまうしかなかったのだろう。……だからこそ、それを認めてしまった以上は、手元に残されたのは空虚さだけではなかったのかもしれない。例え、空元気に過ぎなくとも、それでも前に進むことがようやく出来るようになっていたのだから……。


「でも……」

「いいのよ! ……本当に良いの。……もう、こんな下らない(こと)に拘らなくても良くなったんだもの。それって、他に目を向けることが出来るようになるって事なんでしょ? ……諦めても良いじゃない。それを自分に許してあげることが、こんなに……。こんなに心が軽くて楽になるだなんて。こんなの知らなかったんだから!」


 そんなジェシカの手を掴んで引き寄せたのは、きっと衝動的な行動に違いなかった。


「……もう良いですから」


 幸いというべきだったのだろうか。話をしながら歩いていた二人は、気がついた時にはもう露店街から少し離れた場所を歩いていて。そして、クロスがジェシカの手を引いて引き込んだ木陰は道を行き来する冒険者達からは完全に死角になる場所だった。


「もう、我慢しなくて良いんです」


 そんな場所でクロスはジェシカの頭を抱きしめていた。自分よりも背の高い相手の頭部を胸に抱いているのだから、当然の事だが相手は立ったままの姿勢では居られなかった。帽子とお揃いの明るい色をしたワンピースのスカートが汚れるのも気にせずに、枯葉などのクッションの効いた地面にひざまずかせてしまっていた。


「……我慢って何よ」

「泣きたい時には、泣いて良いんですよ」

「なんで、泣かないといけないのよ……」

「……だって、そんなに辛そうな顔してるじゃないですか」


 そんなクロスの涙まじりの言葉を否定できるだけの言葉を持たなかったのだろう。ジェシカは黙ったまま、頭を抱かれるがままで居て。その小さな肩が、細かく震えていた。


「……そんなに辛そうに見えた?」

「はい」

「……それなのに、なんで涙、出てくれないのかな」


 やっぱり私は何処かおかしいのだろうか。心が壊れてるという自覚は多少なりともあったが、これほどおかしくなっていたのだろうか……。そんな思いが心をよぎる。


「我慢強いだけですよ」

「……そうなのかな?」

「きっと、そうですよ」


 誰よりも心が強くて。何度倒れても立ち上がる強さを持っていて。……時々、その強さが眩しすぎて。何よりも、ただ一人で泣くことすら出来ずにじっと耐えている。その姿が、余りにも痛々しく見えてしまって……。


「でも、そうやって泣くのを必死に我慢してる姿は、あまりに辛いです。……そんなの、見てる方が泣いてしまいますよ」

「……」

「辛い時くらい誰にだってありますよ。泣きたくなる時だってありますよ。……こんな時くらい、我慢しなくても……。泣いても良いじゃないですか。弱音を吐いたって良いじゃないですか。……それくらい自分に許してあげてくださいよ。……今、泣いたからって、誰も貴女を責めたりしませんよ……」


 だから辛い時には変に我慢しないでください。自分なんかでよかったら、いくらでも弱音でも愚痴でも聞くから。……だから何でもかんでも自分一人で抱え込まないで相談でも何でもしてほしい。自分にはそれくらいしか出来ないと思うから。だから、せめて弱音を吐ける逃げ道になりたいのだと……。たとえ抱え込んでしまった苦しみや悲しみのほんの一部しか背負ってあげる事が出来ないとしても。それでも、一人で抱え込んでいる時よりは、ほんの少しでも荷物が軽くなると思うから。


「……泣いてもいいんですよ」


 一人で苦しませて居たくない。そんな想いのままに腕に力が入ってしまっていたし、きっと頭にも痛みを感じさせてしまっていたのだろう。だが、それでも、そんな頭を抱きしめてくる腕から逃げる素振りも見せないままに、ジェシカはただ小さく肩を震わせていた。


「なんで……。なんで、こんなに胸の奥が痛いんだろう」


 その痛みは、血の色をした涙を流す心の傷が原因だったのかもしれない。



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