4-10.確かめたいこと
──迷宮の闇は“心”を狂わせる。
それは、かつて大迷宮の中に入った時にエルクが口にしていた言葉であるのだが、案外それは本当のことなのかもしれない。そう感じてしまうのは、初めて会った時の禍々しさや刺々しさがすっかり鳴りを潜めてしまっている今の青年の姿にあったのかもしれない。
「確か、貴方、アーサーさん……だったっけ?」
「ああ、そうだ。あん時のアーサーさんだ。……今日は、おっかねぇ保護者は一緒じゃねぇんだな、おじょーちゃん達」
そうチラッと周囲を見渡して「なんだ、今日は二人だけか」と舌打ち混じりに判断したらしいアーサーの言葉に思わずジェシカは苦笑を浮かべていたし、クロスはわずかに表情を固くして黙りこんでしまっていた。
「あんなの、そう何回も連れ歩ける訳ないじゃない。……あの時だけのイレギュラーよ」
そうエルク……。銀の剣聖エルリックが一緒だったのは特殊過ぎる出来事であり、もう二度と自分達と一緒に動くことはない。そう暗に告げる事で、また行方をくらませたエルリックをもう一度引っ張りだすのに自分達のツテなり、餌なりに使おうとしても無駄だと告げた事は、恐らくは相手にも伝わっていたのだろう。それを聞いたアーサーの口元にも思わず苦笑が浮かんでしまっていた。
「ああ、知ってる」
そう煙に巻くような言葉でニッコリ笑われた事でかえって威圧されてしまったのかもしれない。おもわずジェシカの方が、一歩後ずさってしまっていた。
「……ん? どぉしたぁ?」
「いや、アンタの顔ってさ。……怖いのよ。特に笑った顔が……」
何しろ、エルクを前にした時にはニタリと嫌らしく笑った顔のまま、問答無用で斬りかかって来たような、そんなキ印の付いた危険人物なのだ。そんなトチ狂った所のある若者が笑うと、その顔は単なる笑顔などではなく『嗤う』といった凶悪な代物に見えてしまうものなのかもしれない。それを聞いたアーサーは、思わず面白くもなさそうな顔で、頭をボリボリかきながら、苦り切った表情を浮かべていたのだが。
「あんだよ、そんなに怖がらなくっても……。子供相手に手なんてだしゃぁしねぇよ」
「……あの時、自分が何をしたのか。その覚えの悪そうな頭を絞って、よーく考えてみたらいいじゃないかなぁ~?」
そう相手をするのも嫌だといった風に受け答えしながら、早々に逃げようとしていたジェシカであったのだが、そんなジェシカの後頭部部分の帽子のつばを指先で摘んでしまうと「まあ、待てって」と無理やり足止めしてしまっていた。
「ちょっとぉ! なに変なトコ掴んでるのよ! 放しなさいよ! なんでそんなトコ掴んだりするわけ!? 非常識なんじゃないの!?」
「いやー。非常識っぷりなら、こんなトコに、そんな格好で来るほど空気読めないヤツには……。うん。流石に負けてるんじゃねぇかなぁっと思うんだがね……? そっちの無口で美人なおじょーちゃんも、そう思うだろ?」
まあ、そんなに怒るなって。あん時のお詫びがてらに、好きなトコで何でも食べたいモン食わせてやっからよ。そう苦笑いと供に口にした台詞で、ようやくアーサーの魔の手から逃げ出そうとジタバタ悪あがきしていた動きが止まると大人しくなっていた。
「……ゲンキンな奴」
「うっさいわねぇ。今月のお小遣いの残り少なさ、なめんじゃねーわよ?」
「しらねぇっつーの、そんなこと」
そんなことより、と無駄な口論を適当に切り上げて視線を向けた先には苦笑を浮かべている防具職人の親父さんがいて。
「修理の方、どんな具合だ?」
「だいぶざっくりいってるからなぁ……」
「そんなにか……?」
「ああ。表面だけちゃちゃっと縫い合わせて取り繕うなら話は簡単だが……。そういう訳にはいかんのだろう?」
「まあ、トーゼンだな」
「だったら、そーだな。のんびりやって、あと三日ってトコじゃないかねぇ?」
「そーかい。だが、短気でセッカチで太っ腹な依頼主様は、どーやら『超特急』ってヤツを御所望のようだぜ?」
そうしばらく時間がかりそうだと答えた職人にピンッと指で弾いて金色のコインを飛ばす。それは単なる金貨などではなく……。
「チップだ」
「チップに大金貨って……」
「手間賃を弾んだんだ。超特急で夜までに仕上げろ。日が暮れたら受け取りに来るからな?」
「あいよ。……ったく、人使いが荒れぇ兄ちゃんだぜ」
そう悪態をつきながらも懐に大金貨をねじ込んで見せる男に背を向けると、呆然としている二人の背を押すようにしてアーサーは歩き出していた。
「さて。そんな訳で夜まで暇になっちまったんで、適当に飯でも食いに行くか」
欠食児童二人組にランチを奢る約束もしちまったしな。そう苦笑してみせるアーサーに、ジェシカはおずおずと尋ねていた。
「ねえ、アーサーさん」
「なんだ?」
「アーサーさんって……」
「あー。それやめろ。なんか背中の真ん中らへんがこそばゆくなる。アーサーで良い」
「そう?」
「ああ。そのかわり、お前さんらの名前、教えてくれよ」
そう呼び捨てにしていい代わりに名前を教えろと言われた二人は互いに顔を見合わせて。
「ジェシカよ」
「クロスです」
「そーか。アーサーだ。……知ってるよな?」
「うん。知ってる」
「ああ。分かってる」
互いにニッコリ笑ってるのに、なんでこんなにギスギスしてるんだろう。そう小さくタメ息をつきながらクロスは空気の悪い二人の間に口を挟んでいた。
「アーサーさんは、鎧の修繕の進捗具合を見に来てたんですか?」
「アーサーでいいぜ? あと、質問の答えはイェスだ。……まあ、カードで負けた罰ゲームだったんだけどな」
そう仲間内で面倒くさい事の押し付け合いに負けた結果、ここまで様子を見に来る羽目になったのだと答えながらも、そんないやいや訪れた先で予想外の奴らに会えたのだから、それなりに今日の運勢というヤツは良かったのかもしれない。そんな結論に達しつつあるらしいアーサーにジェシカは口をへの字に歪めて答えていた。
「貴方みたいな怖い人に捕まる羽目になった私達はいい迷惑よ」
「そう言うなって。夜まで暇になったんだ。ちょっとは暇つぶしに付き合えよ」
その代価として食事を奢るのだからと言いたげなその口調に思わずクロスは笑みを浮かべてしまっていたのだが。
「貴方には可愛い取り巻きが三人も居るんじゃなかったの?」
「あいつらが可愛いのは確かだし、それは俺も認めるけどな。……でも、四六時中一緒に居て、事あるごとに『もっと勇者らしくしてください!』とか説教されるんだぜ? そうなると、いつも一緒ってもちょっと、な……? まあ、アイツラのことは嫌いじゃないし、大事にも思ってるんだが……。流石に、少しばかり息苦しくなる事もあってなぁ……」
それにほら、よく言うだろう。美人は三日で飽きるって。たまには愛想の良い絶世の美女どもじゃなくて、愛想が悪いガキんちょどもの相手でもして気分をリフレッシュするのも良いだろうってな? そう臆面もなく言い放つアーサーはある意味、勇者ではあったのかもしれない。……無論、無謀とか馬鹿という意味においての。
「あっそ。だったら、そんな哀れみ、必要ないわ!」
「まあ、待てって。今のは言い過ぎだったな。うん。謝るから逃げんなって」
「だから、帽子! そんなトコ、つかまないでよ!」
「だって、こうしないと逃げるじゃないか」
そんなやかましい、おそらくは相性が余り良くないのかもしれない二人の間でハァとタメ息をつきながらも、クロスはどこか心の中の緊張感がほぐれていく気分を味わってもいた。おそらくはジェシカと二人で居る事に疲れか何かを感じてしまっていたのだろう。そして、それを自覚してしまったことでますます苦笑は深くなってしまっていた。
「……なんで、夜まで暇なんですか?」
「あん? なんでって……。夜まで修理が終わらないからさ」
それに「修理が済んだ鎧を受け取るまで帰ってこれない」っていうルールで賭けをやってたからなぁと。そう口にするアーサーに、他の二人は若干呆れた表情を浮かべてしまっていた。
「なんでそんな変なルールにしたのよ……」
「いや、ホントは負けた奴を一文無しで宿から放り出して、何日かかかる予定だった鎧の修理終わるまで帰ってくんなよって内容の罰ゲームをやるつもりだったんだ」
うちのパーティの金の管理は俺がしてるから、アイツらのうち誰かが負けたなら面白い結果になっていたんだけど……。そんな台詞を平然と口にするアーサーは、きっと色々と腐っていたのだろう。少なくとも大事にしている相手にするような仕打ちではなかったのだから。
「アンタ、サイテーだわ」
「……まあ、同意します」
「満場一致でクズ認定かよ……」
おそらくは、そんなバカな真似をしようとしていたからバチが当たって自爆してしまったのだろう、と。そう評したジェシカにアーサーも思い当たる節があったのか、苦笑をうかべてうなづいてしまっていた。
「まあ、そーなんだろうな。……いや~、悪い事は出来ねぇなって話だわな」
そうウンウンとうなづいている馬鹿にジェシカは呆れたような顔を向けながら。
「……それにしてもアンタって、けっこう金持ちだったのね」
「金持ち? ……あ、ああ。アレか」
先ほどの大金貨を気前よくチップとして投げ渡したのを言っているのだろう。そう察しをつけたらしいアーサーがどうでも良いといった風にうなづいてみせると、ジェシカは何かを邪推したのか、ウンウンとうなづいて見せていた。
「ああでもしないと何日もかかってただろうからなぁ……」
「……やっぱり高ランク冒険者って、色々と金銭感覚がおかしい人が多いのね」
「それは褒めてるのか? けなしてるのか? それとも喧嘩を売ってるのか?」
「ううん。呆れてるだけ~」
「あーあー、そーですか。そりゃ、察しが悪くて悪ぅござんしたねぇ」
そんなやっぱり空気が悪い二人の間に無理やり割りこむようにして体をねじ込むと……。
「この間も、剣を使い潰していたようですし……。色々と出費が絶えないのでしょうね」
「そりゃあ、まあ……。基本的には強行軍ばっかりだからなぁ……」
本当は色々と手加減をして、装備とか武器とかの消耗度を出来るだけ抑えながら、ある意味で効率を犠牲にしながら収益の方を求めないと冒険者としては根本的な部分で間違えている事になるのだろうが……。だが、それでもアーサーはこれまでずっと効率だけを最優先に考えて、その他の全てを犠牲にしてきて歩んできていた。だからこそ、この若さで勇者と名乗ることを地方領主にも認められていたし、亜人ばかりが名前を連ねていた高ランク冒険者の仲間入りも果たすことができたのだと。そう答えていた。
「その勇者の肩書きっていうか二つ名? それって、自称じゃなかったんだ?」
「知名度で考えたら、まだまだ自称レベルだな。だけど、一応はウェストエンドの領主から正式に名乗ることを許されている“公認”なんだぜ?」
そう「まだまだ地方ローカルな勇者様だけどな」とウィンクがてらに答えるアーサーであったが、そんなアーサーのどこか得意そうなドヤ顔も、ジェシカの「なるほど。ウェストエンドの勇者、あるいは西方の勇者みたいな感じなのね。納得!」という容赦のないこき下ろしに思わず膝から力が抜けそうになってしまっていた。
「でも、そんな効率最優先でやっていてもなお、そのレベルの装備なんでしょ~? やっぱり高ランク冒険者ってすっごく儲かるんじゃないかなぁ……」
「俺達は基準にしちゃ駄目だぜ? 人間のパーティで。しかも効率最優先にしてるパーティでこんな豪華絢爛装備の最高級品ばっかりなんて、揃うわけないんだし……」
仮にこれが亜人のパーティであったなら、その長い寿命に裏打ちされた人間とは比べ物にならないほどの長さと密度を誇る冒険者生活によって、豪華な装備も思いのままなのであろうが……。そんなのは亜人の高ランク冒険者に特有の特権であって、寿命の短さによって制限された最盛期の短い人間オンリーなアーサーのパーティでは、そんな恩恵にあやかれるはずもなかったのだから。
「じゃあ、普通にやってたら……」
「まあ、せいぜい良い所でも強さは今の半分、ただし装備は最高級って感じかね」
「今と何が違うってのよ」
「おいおい、強さの部分が全然違うだろーが。よく聞けよ。それに、さっきも言ったけど、俺達を基準にするなって。こんな無茶なやり方しててゼニなんて残るはずねぇだろ。……毎回毎回、消耗品代だけでも大赤字なんだぜ?」
まあ、それでもなんとかなってるから俺達は『特別』なんだけどな、と。そう苦笑気味に笑ってみせるアーサーにじーっと視線を向けながらも。
「そっか。もしかして……。アンタ達、貴族のパトロンか何かがついてたりするのね」
「パトロン? ……ああ、そうか。そういゃそうだな。……なるほど、パトロンか。確かにそうなるのか。……俺達的にはスポンサーとか、プロデューサーとか、影の黒幕とか、指揮官っていうか……? まあ、色々と公私にわたって手厚くバックアップは受けてるな。確かに」
まあ、そんな感じで色々と事情があるんだ、と。そう資金的に余裕があるのは特別な理由があるからだと説明しながらも、それでもその話題にはあまり触れてほしくなかったのか、二人の背を押すようにしてアーサーは国立公園の出口へと誘っていた。
「あ、ちょっと待ってよ」
「あん?」
「街に戻るの?」
「ああ。この辺じゃ、うまい飯にはありつけないからな」
そう暗に認めて先を促すアーサーにジェシカは「ちょっと待ってってば」と再度頼むと。
「帰る前にちょっとだけ寄り道して良い?」
「いいけど、何処行くんだ?」
このへんにはお嬢ちゃんの好きそうなスポットはないぞ。そう視線で忠告されているのは分かっていたし、自分でもなんでそんな所をと思わないでもなかったのだろうが、それでも見ておきたい場所というものはあったのだろう。
「どうしても、迷宮の入り口を、もう一回だけ……。見ておきたいの」
「……なんで、そんな場所に」
まさか、そんな格好で入るつもりなのか? そう言いたげにいぶかしげな表情を浮かべてみせるアーサーに小さく首を横に振りながらも。
「確かめたいの」
なにを?
「きっとそこに『答え』があるはずだから」
それを。
「……いいぜ?」
そんなやり取りに何を感じたのか。アーサーは「理解できねぇなぁ」といった表情を浮かべながらではあったが、了承を返したのだった。