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クロスロード物語  作者: 雪之丞
白の章 : 第四幕 【 儚い願い 】
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4-1.弱者の誇り


 強い緊張というものは、総じて反動を生じる物だという。そういった例にもれず、三人の中でもっとも体力が劣っているだろう、自他共に認める虚弱体質児なジェシカは、自らの手に下げた明かりの中でさえ青白く見えるほどに顔色を悪くしてしまっていた。


「……ちょっと邪魔が入ってしまいましたが、良い機会だったかもしれませんね。だいたい見て回ったので、そろそろ切り上げて上に帰りましょう」


 そんな先導役のエルクが、ジェシカの背をさりげなく支えているクロスの様子を見て終わりにしようと持ちかけるが、次は何時迷宮に入れるか分からない身であるせいか、ジェシカは辛そうな表情を浮かべながらも態度では難色を示していた。


「でも……」

「否はなしです。……事前に約束しておいたはずですよ? 迷宮では私の指示を聞くこと、と。それに、私は貴方に教えたはずです。……未熟な駆け出しの冒険者が死ぬ一番の理由とは、何でしたか?」


 それは投資分は最低限回収したいといった思いや、もっと稼ぎたい、もっとやれるといった風に欲に目が眩んだりして、迷宮の闇の中で動けなくなったところを魔物に襲われて、為す術なく殺されるからだった。……総じて、自分の体が「もう限界だ」と危険信号(シグナル)を出してくれているのに、それをあえて無視してしまったり、軽視してしまったりする事で、限界点を見誤ってしまい、いつのまにか踏み越えてはいけないラインを超えている事に気付かされてしまうものなのだろう。それに加えて、総じて、そういった時の当人は、自分がすでに限界を超えていることに気がつきながらも、変に意固地になったり、無駄に意地を張ってしまうものなのだ。そんな初心者特有のやってしまいがちなミスこと『お約束』は、迷宮初心者の二人にとっても他人事ではなかったのかもしれない。


「だ、大丈夫ですよ! まだ、ほら、こんなに……」

「ジェ、ジェシカさん! 急に動いたら危ないですよ!」


 クロスの方は見た目こそまだ子供だが、その中身は人間の成人男子と対して変わりない年数を生きているせいか、それなりの能力があったし、その体もぱっと見にはただのもやし小僧なのだが、そんなもやしのような体の人物に流れている血は、紛いなりにも亜人の中でも最強の種族である魔族……。外見からしてもかなり濃い魔族の血を引いている“魔人”なのだ。いまだ魔人としては幼い子供レベルの年齢ではあったのだろうが、それでも体力はすでに普通の人間を遥かに超えるレベルにまで成長していたので、エルクはクロスのことはさほど心配していなかった。……ただ、問題はジェシカの方だったのだろう。


 ──本人は強がっていますが……。もう限界でしょうね。


 天井からひっきりなしにポタリポタリと水滴が落ちてくるような低温、かつ高湿度な空間なのだ。いくらローブを羽織っていても、寒いものは寒かったのだろう。それに僅かに息が白くなっているのを見るまでもなく、ここは子供には少しばかり気温が低すぎる場所だった。それに加えて、本人は平気な振りはしているが、おそらくは極度の緊張を感じているはずなのだ。ここに入った時からずっとクロスの手を強く握りしめたままで居るし、その反対の手に掲げられている小さなランタンでさえもすでに重く感じているのだろうと思われた。その低く下がった手の位置を見るだけでも、すでに体力的に限界が近い事が見て取れたのだ。


「もうちょっと居たいという気持ちも分からないでもないですが……。もう普通のツアーで見て回るような場所よりも、かなり深い位置にまで下りていますからね。最初に予定していた範囲は、すでに全て見てしまっているんですよ」


 バベルと大迷宮の両方を一日で疑似体験してしまおうという、なかなかに豪華かつ無茶な強行軍ではあったのだろうが、それでも大して負担を感じさせることなくやり遂げてみせたのだから、そんなエルクの案内役っぷりは中々のものだったのかもしれない。もっとも、最後の最後で無駄に極度の緊張感を味合わされたであろう自称勇者様こと喧嘩っ早い若造のせいで、気分よく「今日は楽しい事ばかりだった」と笑顔で終われなそうではあったのだが……。


「……それに、今の貴方は自分では気がついていないかもしれませんが、かなり強い緊張感を感じているんですよ?」


 体は僅かに痙攣しているし、足の動きの方も若干怪しかった。それなのに、それを自分が全く自覚出来ていないのだ。ということは、緊張感が強すぎて、体が強い興奮状態にあるという意味でもあったのだろう。その原因は言うまでもなく、目の前でいきなり始まった斬り合いであり殺し合いだった。その数秒の間に数十回のも剣戟が繰り広げられるという、普通では絶対にお目にかかれない剣の達人同士の互いの間に人を数人挟んだ状態で斬りつけ合うという曲芸じみた斬り合いに立ち合ってしまったから……。そんな奇妙な諍いに巻き添えになっただけとはいえ、その強い興奮が体に強い負担を与えているのは考えるまでもない事だった。


「今はまだ平気だったとしても……。もうしばらくしたら、体が一気に重くなります。それまで疲れを感じていなかった分、一気に疲れが押し寄せてくるでしょう」


 そう、それは治療術の基本にしてもっとも重要な魔法の一つである『賦活』の後遺症のようにして……。そう脳裏で言葉を続けながらも「だから、動ける内に上に戻っておいた方が良い」とアドバイスしたのであろうが……。


「ん~……。正直、自分が疲れてるって自覚はないんですけど……。でも、エルリックさんが嘘とか言うはずもないから、多分、本当なんですよね……」


 あーあ。自分の虚弱体質っぷりが嫌になりそう。そう苦笑を浮かべながらも観念したのか、ジェシカは促されるままに地上に向かって歩き出そうとしていた。しかし、そんな少女の前にはある意味、想定外のモノが広がっていて……。


「あ、そっか。そうなるんだよね……」


 これまで自分達は延々と“下”に向かって歩いていた。いわば深い層に向かって歩いていたのだ。それを途中で切り上げて“上”に帰ろうと思うなら、下ってきた道を上がって行かなければならないのが道理であって……。それは、ここから先は延々と『上り道』が続く事を意味していたのだ。……無論、入口部分のような急な角度の斜面を歩くことはなかったのだが、ゆるやかではあったにせよずっと上り道が続いているというシチュエーションは正直、気力を削ぐのに十分な内容ではあったのかもしれない。


「確かに、これはキツイかもしんない……」


 疲労が頂点に達している状態で、この道を歩くことになったなら……。それこそ、周囲に対する注意なり警戒は散漫になってしまっていただろうし、何よりも動けなくなったところを襲われる危険性を常に考えておく必要があったのだ。


「これ途中でどこか休憩できる場所とかは……」

「もっと奥の方には、有志の人々が苦労して作ってくれた休憩所が存在しますが……」


 いくら途中で体を休めて肉体面の疲労をある程度は回復させることが出来たとしても、精神面の摩耗は本人が地上に出るまでは、そう簡単には回復がかなわないのだ。エルクが言葉を濁していたのも、そこでの休息はあくまでも一時凌ぎにしかならなからという意味でもあったのかもしれない。


 ──フゥフゥ、ハァハァ。


 なだらかとはいえ延々と下に向かって歩き続けていた道を上に向かって帰っていくというのは中々に辛い道だったらしく、さりげなく背中を支えてくれているクロスに礼を言う事すら辛いといった有様だった。そんな二人の前を守るようにして一人で先導するエルクの背中だけを見つめるようにして、ジェシカは一歩、また一歩と足を進めていた。


「ね、ねえ」

「はい?」

「何か、喋って、よ」


 気晴らしに。黙ったまま歩くのは辛いから。多分、返事とか出来ないけど。でも、黙ったまま歩くのは本当に辛いから……。だから、何か話をして。そう頼まれたクロスは、何を話そうかと考えながら、ぽつりぽつりと言葉を口にしていた。


「……前にも話したかもしれませんが……。私は、大陸の東。とても大きな湖のほとりに広がる街、イーストレイクから来たんです」


 そこは東の湖畔(イーストレイク)と呼ばれている地区で、名前の通り、大きな湖が特徴的な場所だった。


「その土地は古くから人族(ひとぞく)が多く住んでいた場所で……。それこそ、魔王が生きていた時代にも、そこにはすでに人の街が……。今のイーストレイクと大差ない街が、すでに存在していたそうです。そんな場所で……」


 そこで少しだけ言葉を区切って。


「そんな場所で、私は育ちました」


 そんな場所で、クロスは拾われた。詳しいことは育ての親である司祭さえも知らなかった。おそらくは、生まれてまもなく母親と死に別れたか……。あるいは、我が子が亜人であるに気がついた親が教会に捨てたのかもしれない。そうクロスは考えていた。

 どんな理由なり経緯があったにせよ、物心ついた頃にはすでにイーストレイクの教会が運営していた孤児院で、他の孤児たちに混じる形で育てられていたのだ。そんな場所でクロスは、とある理由から孤児院の運営者であったヘレネ教会の司祭に引き取られる事になる。ただの捨て子の孤児だった亜人は、その日から聖職者への道を歩まされることになり、ついには自らの意思で治療師としての道を志し、目覚ましい力を見せ始めることになるのだが……。


 ──でも、それは正しくはないのだと思う。


 かつての自分に思いを馳せた時の癖……。無意識のうちに右目を触ってしまっていた癖に自分でも苦笑を浮かべながらも。それでも忘れる事など出来ない過去の思い出と、そこに刻まれた大きすぎる“罪”という名が刻まれた傷跡は。何よりも心に刻まれ、未だに血を流し続けている悲しみと罪悪感の傷口が……。それら全てが、未だに胸に強い幻痛を感じさせていたのだから。あの惨劇の夜を。あの時の出来事を忘れることは生涯無いだろう……。そんな予感と、胸の奥でズキズキと痛みを感じさせる感覚がクロスに告げていたのかもしれない。決して、忘れる事は許さない、と。そんな自分の体に言い訳するようにして、クロスはごく小さな声で呟いていた。


「……分かっていますよ」


 その声に答えるようにして強い痛みが走り、そしてかき消すかのように痛みが引いていこうとしていた。……まるでここに誰かが住み着いているみたいだ。そんな奇妙な感覚を味わいつつも、悟らざるを得なかったのかもしれない。この痛みを感じさせている“何か”が胸の奥にある限り、自分は他人に尽くす生き方しか選ぶことが許されず、そして、それを選ぶことしか出来ないのだろう、と。加えて、それに反した選択肢を選ぼうとするとき、この痛みは現実の傷となって我が身に襲いかかり、傷つけ、自らの意思で自分を罰しようとするのかもしれない。それこそ、あの時のように血を吐いて……。


「そういえば、前に助けてもらったんでしたね」


 あの時には本当に助かりました。そう何かを吹っ切るようにして軽く頭を振りながら、さりげなく話題を変えて。ニッコリと微笑んでみせたクロスに、青い顔のジェシカは僅かに顔に血の気を蘇らせていた。もしかすると気恥ずかしかったのかもしれない。


「困った、とき、には、お互い、さま」


 額に汗をにじませ、ハァハァと荒い息をつきながらも、それでもジェシカはどうにかこうにか足を進めていたが、その足取りはますます怪しくなってきていた。クロスの支え方も、最初の頃のようなさりげない支え方や背中の押し方などではなく、もう遠慮などしている場合ではないということだったのだろう。思い切り肩を貸す形で、体を抱きかかえるようにしっかりと支えていて、ジェシカが持っていたランタンも代わりに持とうとしていたのだが……。


「……駄目。これ、わたし、の、しご、と」


 何も出来ないのは嫌だから。せめて自分の仕事だけは最後までやり遂げたいから。そういった望みが見て取れたからなのだろう。クロスは無理に手提げランタンを奪うような真似はせず、その取っ手の部分を一緒に支えて重さを軽減させるに留めていた。そんなジェシカの手助けをしながらも意思を尊重してみせたクロスに嬉しそうな笑みを返しながら、一歩、また一歩と黙々と坂道を歩いて行く。そんな二人の前には、一度も背後を振り返ることのないエルクの背中だけがあって。それは、どんな事からも二人を守り抜くといった絶対の意思そのものであり、背後を振り返って様子を見ないのは、ジェシカの事はクロスに任せておけば大丈夫と信頼されている証のようなものでもあったのかもしれない。


「もう少しです。頑張りなさい」


 背中越しにかけられる声には、背後の少女が諦めて足を止めてしまうかもしれないといった心配など欠片もなく。ただ、もう少しだから最後まで頑張れといった応援する意思しかなかった。だからこそ、向けられる信頼に答えたかったのかもしれない。「はい」と聞こえるかどうか微妙な大きさのか細い声で答えると、必死に足を一歩、また一歩と進めて。


「辛かったら背負って……」

「何を言ってるんですか!」


 そんな少女のことを心配してのことだったのだろう。辛かったら何時でも諦めていい、何時でも自分が背負ってあげる。そう言いかけたクロスの言葉は、かなりキツイ口調のエルクによって途中で遮られてしまっていた。


「そうやって馬鹿な誘いを仕掛けて、彼女の誇りを踏みにじる気ですか?」

「し、しかし……」

「彼女がとうの昔に限界を超えてしまっているのは一目瞭然です。本人だって、それは重々承知しているでしょう。……最初から、無理は承知の上でやってる努力なのです。最後まで自分の足で歩き切ること。それが彼女にとっての“戦い”なのですよ。……これまでの必死の努力を、そうやって馬鹿にするような……。そんな愚かな真似をしてはいけません」


 例え途中で力尽きて気を失う事になったとしても、最後の最後まで好きにさせろと。そう厳しい声で命じたエルクは、最後までジェシカが自分の足で歩くことを諦めない事を信じていたのかもしれない。広い空間の地下通路から、地上の国立公園の入り口へと続く最後の坂道を、エルクはゆっくりと前を向いたまま歩いて登って行き、その後ろをクロスにもたれかかるようにして、もはや崩れ落ちる寸前のジェシカがヨタヨタと頼りない足取りで。それで居てなお足を決して止めることはなく。一歩、また一歩と、必死に足を前に進めながら。最後の最後で襲いかかってきた一番角度のきつい斜面を、必死に登っていく。


 ──ハァ。ハァ。ハァ。ハァ。


 息は荒くなり、どれだけ呼吸しても空気を薄く感じてしまう。右手に持った手提げランタンは、まるで岩の塊をぶら下げているかのような重さを感じさせていたし、腰から下はもう半分くらい感覚がなくなってきていた。極度の疲労に加えて、気温の低さが原因なのだろう発熱によるものか、強い目眩も感じていたし、頭のあちらこちらがひどくズキズキと収まることのない鈍痛を感じさせていた。その痛みは心臓がドキドキと暴れまわって脈打つリズムにも似て、全てが繋がっている事を嫌でも思い知らされてしまっていた。


「もうちょっと……。もうすぐ、外ですよ。ジェシカさん、頑張って」


 視界の中に薄ぼんやりと光る白い空間が見えていた。もうすぐ外。もうすぐ終わり。それを理解した頭は、ほんの僅かに足を運ぶ力に活力を与えてくれたのかも知れない。少しだけ足を進める力が増し、まるで光の中に飛び込もうとしているかのようにして姿勢が前に傾いてしまっていた。……おそらくは、それが悪かったのだろう。洞窟の入り口で……。その岩と土の境界線の部分にわずかに存在していた段差が……。土の部分は硬く踏み固められていたとはいえ、雨水などでほんの少しだけ岩の土の境界線部分に段差が出来てしまっていて。


「あっ」


 気がついた時には、足の下に地面はなかった。


 ガシャン。


 おそらくは目を焼くような強い光の直視を本能的に避けてしまっていたのだろう。それまでずっと俯いて、目を半分閉じた状態で歩いていたせいもあってか、ようやく光に包まれた瞬間に何故だか足元の地面を踏むはずだった足が空を切ってバランスを崩したからといって、そんな時に急に目を見開いたとしても、その明るくなり過ぎてしまっていた視界に慣れていない状態では、目は十分な機能を発揮してくれなかった。ただ、目を焼くような強い刺激を感じさせ、強い頭痛を感じさせただけだった。そんな事情から、とっさに両手を突き出して前に倒れていこうとしている体を支えるなり、地面との衝突を受け止めることで防ごうとするなり努力することしかできなかったのだろう。それは、極端な疲労状態下での緊急対応としては、それほど悪くない行動だったはずなのだが、その右手は未だ手提げランタンを下げたままになっており、不幸中の幸いであったのは、出口が見えてきた辺りで、すでにランタンの油が切れてしまっていた事だったのだろう。硬い地面にクロスを巻き込む形で倒れこんだジェシカの腕の下あたりでランタンの照明部分のガラスが割れて、そんな割れたガラスによるものか、ローブの腕あたりにじわじわと赤い染みが広がり始めてしまっていた。



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