3-21.幸せの価値
なし崩し的に一緒にクランクの説得に当たる約束をさせられたお陰で、その日の帰りは随分と遅くなってしまっていた。それに加えて、本当に安全が確保されているツアーなのかどうかを事前にちゃんとチェックして貰う事と、追加で一人……。最低でも迷宮の上層をソロで楽に突破できるレベルの護衛をジェシカのお小遣いの範囲内という条件で雇う事。この二つの条件をクリアさえできれば行って良しと話をまとめるのに成功してはいたのだが……。
「はぁ……」
そうため息をついたのは、追加で冒険者に護衛を頼むにあたって無理難題が立ちふさがっているからだった。というのも、クランクの出してきた条件をクリアできそうな冒険者。大迷宮の上層と、バベルの下層を楽に……。それこそソロでも突破できそうな程の戦闘力を持つ人物となると、最低限でもベテラン。いわゆるCランク以上の冒険者となってしまうのだが、そんな人物をジェシカの薄っぺらくなったお財布の軍資金で雇い入れる事が出来るはずもなかったのだ。つまり、出された条件が無理難題そのものだったことになる。
──ぅぅぅ……。パパの意地悪ぅ~。
脳裏に、この条件を出された時のジェシカの泣きっ面が浮かんでいたが、それでも前提条件に色々と無理があるにせよ、提示された条件をクリアさえ出来ればジェシカが迷宮に入る事を許すと言わせる事に成功したのだ。そんなチャンスを前に、むざむざと夢を諦める事が出来るようなお淑やかな少女ではなかったのだろう。泣きそうになりながらも「友達とか、知り合いに頼むとか、個人のツテを使うとか、どうにかして請けてくれそうな人、見つけてきて! お願い!」と拝み倒されてしまっていた。
前に危ない所を助けて貰っている事もあって、どうにかしてジェシカの望みを叶えてあげたいと思っているクロスであったのだが、こんな無茶な……。それこそ子供のお小遣い程度の報酬で、例え数時間だけとはいえ自分達二人の護衛をしてくれそうなお人好しなCランクな人物など……。
──そういえば、彼はCランクだった気が……。
そんな無理難題を「面白そうじゃないか」という、趣味全開な理由で引き受けてくれそうな気がする人物に一人だけ心当たりがあったのだろう。……とはいえ流石に、こんな厚かましい上に迷惑しかかけないことが確定しているような“お願い”を正面切って頼みに行ける程に親しい訳でも厚かましくもなれなかったのかもしれない。そんなクロスが頼ったのは、双方にとっての共通の友人(あるいは知人)といった間柄の人物だった。
「……なるほど。だから私の所に頼みに来た、という訳ですか」
エルクとアーノルドが親友と言っても良い程の親しい間柄であるらしい事は、以前から色々な人から聞かされていたので、どうにかしてアーノルドに頼んでもらえないだろうかと仲介なり口利きを頼みに来たのだろう。そんなクロスに、エルクは自分の執務室で「フム」と小さく考えこんでいたのだが……。
「出来ればお願いを聞いてあげたいのですが……」
「駄目でしょうか?」
「駄目ではないのですが……」
説明しづらい理由から言葉を濁していたエルクに、やんわりとではあったが頼みを断られる気配を感じたせいなのか、そう僅かに上目使いになって頼み込むように言葉を重ねるクロスに「さて。どう説明したら良いものか」としばし思案を重ねながら。
「その……。実は、彼は今、ちょっと忙しいようなのですよ」
「そうなんですか……」
「はい。なにやら大きな仕事を請けたらしくて。日々、忙しく動き回っているようです」
冒険者と亜人の皆様御用達な、東区でも最大規模を誇る大治療院を抱えるヘレネ教会の管理者である司祭という立場上、それとなく街の様子や噂話が表裏ともに聞こえてくるような、そんな立場にあるエルクであったが、その長い耳に聞こえてきてしまうレベルの近況によると、アーノルドは助手としてクロウを引き連れて近頃、街の中を西へ東へとあっちこっち行き来しては、怪しげな連中と小競り合いや揉め事を起こしているらしかった。
そんな普通であれば聞こえるはずもない物騒な噂が何故か聞こえてきてしまっているのは、親友であり社会的な立場もしっかりしているエルクに「お前も元相棒なら、あのはしゃぎ過ぎで跳ねっ返りな馬鹿を良い加減何とかしろよ」といった趣旨の忠告なり苦情が届いているという意味でもあったのだろうが、その程度の事で親友の邪魔をしたり無駄に心配したりするような薄っぺらい間柄ではなかったのだろう。
それとなく近況などを探ってはいたし、あまりにも危険すぎるようであれば止めるかもしれないが、アーノルドほどの腕があるのなら、この程度の状況ならあえて横槍を入れる必要もないかな程度に軽く考えているらしかった。だからこそ、仕事の邪魔をするのも申し訳ないなぁと考えていたのかもしれない。
「そうですか……。困りましたね……」
「護衛のアテは他に居ないのですか?」
「Zランクの友人なら居るのですが……」
果たしてクロウに自分達を護衛出来るような腕や装備があるのだろうか。それを考えると、無理かな……。と素直に考えてしまうのは、いつも猟師と見まごう程度の服装で薬草収集の仕事をしている姿しか見ていないからなのかもしれない。無論、クロウにしたところで冒険者なのだから、戦ってみれば実際には強いのかもしれないし、装備品だって案外まともな物を持っているのに使ってないだけなのかもしれない……。まあ、その可能性はかなり薄いと言わざる得ない赤貧っぷりではあるのだが。しかし、仮にそうであったとしても、クロウでは少なくともランクの方に問題があるのは間違いなかったのだろう。Zランクの冒険者では、クランクを相手に「十分に腕の立つ冒険者を追加の護衛として連れてきた」と言っても果たして納得して貰えるかどうかも怪しかったし、クロスにしても、どうしてもそれが出来るとは思えなかったのだ。
「最低でもCランクですか……。なかなか厳しい条件のようですね」
子供の護衛といった仕事の内容で、報酬額が子供のお小遣い程度の代物で。その条件でCランク以上の冒険者を雇ってこいだ等と……。そう無茶を通り越して不可能に近い代物を命じられたと聞いて、それは流石に無茶が過ぎると感じたのが、あるいは決断に至る過程の中での一番の理由なり動機であったのかもしれない。
「……多少のブランクがあったとしてもAランクの冒険者なら、その方にも納得してもらえると思いますか?」
「それは、まあ……。しかし、Aランクの冒険者となると報酬額が……」
Aランクの冒険者といえばソロで巨人族とも渡り合えるレベルの冒険者だ。多少ブランクがあろうとなかろうと、そんな物語に登場する様なレベルの大物冒険者に、子供の護衛など頼めるはずもない。第一、指名料や依頼料も膨大な代物なってしまうためにハナから頼めるはずもなかったのだが……。
「まあ、普通ならそうなのでしょうが……。その人は現役から身を引いてかなりブランクもあるそうなので、依頼料の方は、今回はリハビリがてらの試運転ということで、特別に免除して貰えると思うのですが……。そういった条件ならどうでしょうか?」
無論、護衛の仕事の間は、その人の命令には絶対服従といった最低限の追加条件はついてくるでしょうが……。そう喜色を浮かべたクロスに苦笑交じりに「多少、気難しい部分のある人物なので、全部が全部、良い事ばかりではありませんよ?」とばかりに付け加えられたのだが、そんな言葉すらも気にならないほどに有り難い申し出ではあったのだろう。
「そんな都合のいい話があるのなら、こちらとしては願ってもない事ですが……」
本当に、そんな人が居るのなら有り難いのですが。そう視線で尋ねたクロスにエルクはニッコリ笑って答えていた。
「大丈夫です。私に心当たりがあります。……色々と準備もあるでしょうから、少しだけ時間がかかると思いますが、任せておいてください」
そう自分に任せろとだけ答えていたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇
それからしばらく経った日のこと。
「……Aランクが……。しかも“銀剣”が子供の護衛とか……。ありえねぇ……」
そう何故だかやけに真新しいギルドカードに刻まれたAの文字を前に呆然となっているクランクであったが、そんなクランクの前では、額からの鼻あたりまで覆う銀色の仮面をつけた黒エルフの剣士らしき人物は薄く笑って見せていた。
「そうでもありません。天と地の間では、時として思いも寄らない奇跡が起きるものですよ」
ありえないことが現実に起きる様を、人は奇跡と呼ぶそうだ。例えば絶対に不可能と思われていた条件を奇想天外な方法でもって鮮やかにクリアしてみたり、無理難題を突きつけられた事が原因となって、まわりまわって冒険者稼業から足を洗って引退していたはずの“銀剣”の二つ名をもつ伝説級の剣士を呼び戻す原因になってみたり……。
「とかくこの世は謎だらけという事ですね」
そんな苦笑を浮かべて肩をすくめてみせる仮面の剣士の名はエルリックといった。
「……エルリック?」
「私のもう一つの名前ですよ」
聖堂騎士“銀剣”のエルリック。それはクロスロードのヘレネ教会が誇る最強の聖騎士であり、かつて冒険者ギルドで最強の名を冠せられたチームの一員だった。
「……司祭様は聖騎士だったのですか」
「昔の話ですよ。……こんな血なまぐさい道からは足を洗って、昔の悪名と供に過去の自分を捨てたつもりだったのですが……。まあ、こんな名であっても誰かの役に立ったりするのですから、なかなか馬鹿にできるものではありませんね」
まあ、可愛い後輩のためです。たまには昔のヤンチャをやっていた時代を思い出すのも悪くはないと思っていますよ。そんな言葉で「好きでやっている事なのだから、恩に感じる必要はない」と暗に告げるエルリックことエルクだったが、そんなエルクの用意してくれたウルトラCはあまりに衝撃的過ぎて……。
「ものすごく注目されていますね……」
「そういえば、私は行方知れず扱いになってるんでした」
今更ながらに、そんなことを思い出したらしいエルクである。ちなみに今のエルクは倉庫の奥で眠りについていたのだろう過去の装備品の数々をちゃんと手入れに出して使える状態にした上で身に着けていたりするので格好だけをみれば、何処からどう見ても一流の冒険者であり、その実態は行方知れずだったはずの大物が久方ぶりに帰ってきたような有様であったのだろう。そうなれば必然として周囲の注目を集めずには居られなかったのかもしれない。
「私達は周囲からどういう風に見られているのでしょうか」
「そうですね……。行方がわからなくなっていた私が久しぶりに姿を見せて、隣に背の低い人物を連れていれば……。恐らく、故郷に戻っていた私が、自分の子供を連れて王都に帰ってきたとでも思われているのかもしれませんね」
ローブに顔を覆う布マスクなクロスと、顔の半分を隠した黒エルフの剣士なエルク。そんな二人が並んで歩いていれば、どうしてもその間柄は親子なり師弟といった風に見えてしまう物なのかもしれない。なにしろクロスの格好は中身が殆ど分からない代物であったし、外見上どうしても子供にしか見えない体型であったのだから、それも仕方なかったのだ。
「まあ、誤解したい輩には誤解させておけば良いでしょう」
どんな噂が広がろうと大して実害はないだろうから。そう割り切った様子のエルクに、クロスは「はぁ」と力が抜けたような返事を返していた。
そんな二人であったが、今日のところは二人でクランクに会いに行ってジェシカのダンジョン体験ツアーの護衛をする了解を取り付けた所、クランクも流石にAランク冒険者相手に自分の都合を押し付ける勇気はなかったのか、娘の事は任せるし、スケジュールの方もこちらの都合の良い日に合わせると言質がとれたため、クロスの次回のお休みの予定が入っている二日後の朝に迎えに来る事で了解を取り付けていた。
後はこのままギルドに戻って、クロスの指名の入った二日後の護衛の仕事の引き受けの申請と、そのサポートとしてエルクことエルリックが無報酬の条件で付く事を合わせて申告しておけば今日のところの仕事は終了となるのだろうが、それだけでは色々と納得の出来ない人物も居たのだろう。……それは、たとえば色々と事情の分からないままに状況に流されつつあるクロスなどである。
「一体、どういうことなのですか。それに行方知れず扱いって……」
ちゃんと説明しなければ分かるはずもない、そんな事情をエルクは道すがら簡単にではあったが教えてくれていた。
「……昔、私には相棒が居ましてね。その人がチームを抜ける事になった時に、色々あって……。まあ、平たく言ってしまうと色々と嫌な出来事が重なってしまったんです。……その時にはもう、名誉とか地位とか何もかもが、もの凄く面倒で煩わしく感じられる様になってしまって……。全てを放り出して逃げ出したくなってしまった事があるんですよ。そんな時にギルドマスターに助けて貰ったんです」
──今、この場所でお前は死んだ。……古い名前は、ここに捨てていけ。明日からは、ただ一人のエルフとして、自由に生きれば良い。……後のことは任せておけ。
「まさかすべてを放り出して逃げ出して良いと助言されるとは夢にも思いませんでしたよ」
長く生きていれば、色々と背負ってしまった重荷に耐えられなくなる事もある。そんな時には何もかもを捨ててしまうという選択肢もあるのだと。そうエルクは苦笑を浮かべながら口にしていた。
「……それで、どうしたんですか?」
「ギルドカードと、当時の私のトレードマークだった仮面を置いてギルドを去りました」
仮面の剣士が仮面と供に名を捨てて姿を消した。それから数カ月後、クロスロードの東区の教会に新しい司祭として黒エルフの男性が就任することになる。それ以来、仮面の剣士がクロスロードに現れる事はなく、人々の記憶も風化していこうとしていたのだが……。
──まさか、コレをお前さんが受け取りに来る日が来るとはなぁ……。
心の傷を癒すには時間が何よりの特効薬になるとは誰の台詞であったのだろう。あの頃には、あんなに重荷に感じていたはずの銀の仮面を自分の意志で再び身につける事が、これほど容易い事であったなどと……。あるいは親友が居ない間に、ほんの少しだけ昔の自分に戻ってみて。それを見れなかった親友を心の底から悔しがらせてみたいといった、実に下らないイタズラをやってみたいと考えられるようになるような、そんな心の余裕なり何なりが生まれたのが原因だったのだろうか。……そこまで考えてみた所で、結局のところ自分はいつまで経っても基準が彼なのかと自嘲の笑みを浮かべてしまっていた。
「……まあ、貴方の場合には、特に悩んだりする必要もないのかもしれませんけどねぇ」
そう仮面の奥から、何処かひどく羨ましそうに見られてしまった事がやけに気になってしまった原因だったのかもしれない。
「……あの、何か?」
いえ。何でも……。そうどこかつっけんどんな態度をとってしまったエルクであったが、そんなエルクの悲劇は、あるいはパートナーに短命な種族である人間を選んでしまった事であったのかもしれない。
出会った頃には未だ若く、そんな少年を見ている時には思いつきもしなかった結末……。それはある種の宿命ですらあったのだろう。永遠に変わることはないと思っていた。そう心から信じていられた時間はあっという間に過ぎ去っていき、いつしか大きな分岐点を引き寄せてしまっていた。
長い悠久の時を生きる事を宿命付けられた自分と、ほんの数十年の時間しか生きる事を許されていない親友。そんな二人に寿命と、何よりも老化による衰えが原因となって、関係を引き裂き、望まぬ別れを……。いずれ訪れる永遠の別離を待つことしか許されなくなる日々の到来を告げるまで、もうそれほど長い時間は残されては居ないことを、エルクは既に思い知らされてしまっていた。
──自分の掴んだ“幸せ”の価値を、貴方はもっと理解した方が良い。
それは心の底から感じてしまった羨望であり、妬みであり、僻みであり、やっかみでもあったのだった。