1-1.ようこそ王都へ
王都クロスロード。
その街は、大陸中に広がる網の目状の交易路が交差する交易の中心地である。
大陸におけるありとあらゆる貿易の中継地となる場所であり、ここを中心に東西南北に無数に存在しているだろう数々の文化と人種が混ざり合う場所であり、大陸でも最大級の規模を誇る地下に広がる大洞窟、通称“大迷宮”と、雲の彼方に向かって真っすぐに伸びている巨大な塔“バベル”の双方を街の中に内包しているという、大陸でも他に類を見ない構造をした街であり、それゆえに最も冒険家達の集まってくる街でもあり、それら全ての理由が組み合わさる事で大陸で最も豊かで活気に溢れ、多種多様な文化が混ざり合った、ある種の混沌とした街となって栄えていた。
そんなクロスロードは、まさに大陸のありとあらゆるものが集まり、ここから各地に散らばっていくという交易の中心地であり中継点でもあったので、大陸を人間の体に見立てた場合には、まさに心臓とも言えるだろう、そんなありとあらゆる者と物がここを目指し、そして出ていくという場所だった。
そんな街に一人の少年が辿り着いた所から物語は始まる。
「ここが……」
頭からフードをかぶり、口元まで布で覆い隠したローブ姿の少年が東門の関所に姿を表したのは、太陽から降り注ぐ陽光が僅かに傾きはじめた時間帯でのことだった。
流石大陸随一の賑わいを見せる街というべきなのか。目の前に広がる巨大な城門は大きく開け放たれており、そこを商人達の物なのだろう無数の荷馬車が行き来しており、その横にある小さな建物には少年と同じく徒歩による旅をしてきたのだろう、似たり寄ったりの格好をした大人達が列をなして群がっていた。
もうすぐ一日の中で最も利用者が減るとされている時間帯、お昼にさしかかるはず……。
そのはずなのだが、お昼時にも関わらず利用者の群れはまるで減る様子がなかった。小耳に挟んだ程度の噂話を頼りにしてしまったのが間違いだったかと考えながらも一つタメ息をついて。見上げた空には、嫌味なほどに青い空が広がっており、そこには雲ひとつすら浮いてはいなかった。
そんな乾いた空気のせいなのか、無数に行き来している馬車達の車輪が巻きあげていくのだろう砂埃が視界を僅かに薄茶色に染め上げていた。
「この辺りは埃っぽいからなぁ……。そうやって口元を覆っておきたいってのは、よく分かるんだがな?」
行列を見ながらタメ息をついていた事で注意をひいてしまったのだろうか。気がついた時には、すぐ側に剣を腰に差して革鎧を着た衛兵らしき人物が立って話しかけてきていた。
「一応規則なんでな。そこの受付の所に並ぶ時には、首から上はちゃんと見えるようにしておいてくれよ」
「……はい。分かっています」
こんな時、変な対応の仕方をするとロクな目に合わない。素直に頷いて「わかりました」とだけ答えておいた方がいい。それが経験上、よく分かっていたのだろう。少年は素直に頷くと了解の旨を返していた。
「……やっぱり子供だったか」
そんな少年の返事に、男は僅かに顔をしかめて呟いていた。それはまるで「多分、そうじゃないかと思っていたんだが」といった風であり、悪い意味で自分の予想通りだったかと言わんばかりの表情と声でもあった。あからさまに少年のことを要注意人物として見ているというシグナルでもあったのかもしれない。
「坊主、何歳だ? どこから来た?」
「……子供と言われなければいけない程には幼くはありませんが」
また面倒な事に……。そう言いたげな声で答えながら、少年はタメ息混じりにフードを脱ぎ、顔を覆ってた布を引き剥がして見せていた。
その布の下から表れたのは、病的なまでに白い肌であり、そんな白さとは対照的な濡れているかのような艶を持つ漆黒の髪であり、その隙間から覗く僅かに尖った形をした耳であり、縦に割れた金色に輝いている瞳であり、そして濡れたように艶やかな、まるで血で濡れているかのように赤い唇がやけに目を引く……。そんな冷たい中にどこか妖しい雰囲気をも漂わせた、やけに整った作りの顔だった。そして、その特徴的な顔は何よりも雄弁に少年の素性を物語ってもいたのだ。
「……お前、亜人だったのか」
「ええ。まあ……」
本来、男がわざわざ声をかけて年齢や出身地を確認しようとしたのは、単なる嫌がらせなどではなかったのだろう。
この国では十五歳未満の子供は一般的に未成年として扱われており、そういった子供は保護者の許可なく町の外に一人で出たり、勝手に引っ越すなどして住処を変えたりすることは法律で禁じられていた。しかし、そういった法律があるにも関わらず、成功を夢見て辺境の農村や田舎町から王都へとやってくる子供が後を絶たなかったのだ。
総じて、そういった素性の子供はロクに知り合いも居ない事が大半で、誰も頼る事が出来ないまま大都市でまともな生活を送ることが出来ずに、早々に北の城壁の外に広がる貧民街……。いわゆるスラム街の住人となってしまうのが大半だったし、仮に壁の中で上手く生きていく事が出来たとしても、知り合いの少なさからくる孤立しがちという背景の弱さ等から様々な犯罪やトラブルの被害者になりやすく、そういった社会的弱者を狙った犯罪による治安の悪化の温床にもなっていた。
だからこそ、こうして水際で無力な子供が夢だけを抱いて壁の内側に入り込もうとするのを防ぐ必要があったのかもしれない。
そんな男の役目を察していたからこそ、少年の方も必要以上に噛み付くこともなかったのだろう。そして、人と人でない種族の混血児や、純粋な意味で人とは違う種族、それらは人でない種族はデミヒューマン、あるいは亜人といった言葉で一括りにされて扱われており、そういった人間でない種族は、多くの場合において見た目通りの年齢ではない場合が多かった。
それを少年の特徴的な見た目から察したのだろう。男は、すまなかったなとでも言いたげな表情を浮かべながら小さく頷くと、少年は分かっているとばかりに小さく目礼だけを返しながら、懐から小さな革製のパスケースを取り出して差し出していた。
「ヘレネ教会の修道士クロスです。イーストレイク教区から来ました」
まだ真新しいパスケースに収められた、こちらもまだ新しい教会発行の認定証は、確かに少年の身元を証明してくれていたが、その認定証を見た男は、何故だか僅かに眉を寄せてしまっていた。
「……何か問題でも?」
「いや、大したこっちゃないんだがな。……ただな。確か、教会の認定証ってヤツには、修道名と本名の二つが併記されてるじゃなかったか?」
教会から修道士を名乗る事を許された証である認定証を発行してもらう為には、修道院において指導者による規定の修行を終わらせた上で、担当の指導者や修道院長などから推薦などを受けることで修道名という本名とは別の名を授けられる必要があった。つまり、認定証には、そういった手続き上の必然として、新しく名乗ることなった名前である修道名と、本来の名前である本名の二つが併記されていないとおかしかったのだ。
そういったある種のシキタリのような物にそこまで詳しくはなくとも、ここで何十何百という聖職者の認定証を目にしてきたのだろう男にとって、少年の認定書は少しだけ他と違っていたことで違和感を感じてしまったのかもしれない。
そんな男にクロスと名乗った少年は、簡単にネタばらしをしてしまっていた。
「私は捨て子です。修道院で育ちましたので……」
普通であれば修行の成果を認められ、特別な祝福を許されたことで俗人からの脱却を祝い、これまでの自分を捨てて新たな神の徒として生きていく事を自覚させるためにも新しい名前を授け、以降はその名を名乗らせるようにするというのが一般的な修道士の認定までの流れなのだが、クロスの場合には最初から修道院で生活しており、そこでクロスという修道名を与えられ、それを幼い頃からずっと名乗っていたし、そう周囲からも呼ばれてもいたのだから、あえてわざわざ新しい修道名を与えるまでもないと判断されていた。
そもそもの問題として、クロスには本名もなかったし、修道院の経営していた孤児院で育ったこともあって修道士としての生き方しか知らないのだから、わざわざ俗名を捨てるような真似をする必要も最初からなかったという事なのだろう。
そんな判断から、あえて新しい名前を貰わなかったのだが、それがココに来て余計なトラブルを招く原因になってしまっていたのかも知れない。
「……やはり、むやみに慣例を破るべきではありませんね」
そのせいで変な目で見られる事になった。そう言いたげなクロスに男も苦笑を返していた。
「スマンな、これが仕事だ」
「承知しています。……御役目、ご苦労様でした」
「なんの。……こっちこそ、色々と不愉快な思いをさせて済まなかったな。修士さん」
修士。それはいわゆる修道士達の総称であり、教会を任せられて司祭と別の名前で呼ばれるようになるまではそう呼ばれることになるのだが、その呼ばれ方にまだ慣れていないのか、クロスは僅かに苦笑を浮かべると顔を再び布で覆い隠してしまっていた。……もしかすると恥ずかしかったのかもしれない。
そんなクロスを「もう身元確認は済んだから通っていいぞ」と開け放たれている方の門に案内していく男だったが、その目はまだ隣を歩くクロスに向けられたままだった。
「……何か?」
「いや、さっき認定証を見てて気付いたんだがな。お前さん、治療師の資格を持っているんだな。しかも、二級の」
修士が人々から無条件に近い信頼や尊敬を集めるのは、何も神の徒として不自由な生き方を選び、弱者に尽くす道を選んだからという単純な理由だけではなかったのだろう。
修士とは多くの場合において怪我人などの面倒をみる治療師としての側面も持っており、能力の程度の差はあれど、多くの場合において修士は『神の奇跡の技』とされている治療魔法を扱える人物が多かったのだ。
それが認定証に刻まれた治療師資格の意味であり、この資格をもった修士は日常的に教会において地域への奉仕活動の一環として、治療を求めて訪れる来訪者に対して治療院に務める治療師達と共に治療魔法を施していた。
ちょとしたケガ程度なら市販されている傷薬や薬草などでも十分なのだろうが、大きなケガともなるとそうも言っていられないのが常であり、効果が高い上に即効性もある魔法の回復薬などの治療薬が非常に高価な事も相まって、身分相応の寄付を対価に求められはするものの、そこに行けばほぼ確実に治療してもらえるというだけでも有り難いのに、それに加えて施設を管理する司祭が、ほぼ二四時間対応で急な怪我人なども面倒を見てくれているのだ。
そういった事情もあり、修士はどこの村や街でも住民たちから常に尊敬され、大いに歓迎され、それ以上に大切に扱われるというのが常であり、修士であるというだけで半ば無条件に信頼されるというのは、ごく当たり前の事だったのかもしれない。
ましてや、クロスはこの若さで治療師二級の資格持ちなのだ。
治療師二級ともなれば、初級や三級程度のいわゆる『通常レベル』の治療師では手の施しようもない、それこそ内蔵にまで達するような深い傷や、炭になって崩れ落ちたレベルの重度の火傷、あるいは噛み千切られたような酷い傷跡や、場合によっては食い千切られた四肢ですらも元通りに処置できたりするのだ。
それは並の治療師では扱えない再生治療に関する魔法も扱えるという事を意味していたし、将来的には治療師の誇る『神の奇跡の技』の代名詞ともいえる治療師一級の大魔法『死者蘇生』をも扱えるようになるかもしれないという期待も高かった。
この年齢で治療師二級持ちとは、それくらい滅多に居ないレベルの逸材なのだ。
治療師一級の資格を持つ修士が街に居てくれるという安心感は、何物にも代えがたい幸福感を人々にもたらしてくれると言われているのは、生きてさえいればどんな状態からでも元通りにしてくれるという信頼によるものだったのだろう。それを誰よりも理解しているからこそ、それを周囲からも期待されているというのはクロスも自覚していた。
「前に居た修道院の指導者が王都で腕を磨くようにと推薦状を書いてくれたんです」
人の数が増えれば、それだけ治療を求めて訪れる者達も多くなるのが道理だった。魔法に限らず技術というものは使用頻度が高ければ高い程に腕が磨かれていくものなのだ。そういった意味でも、大都市の教区で様々な怪我人と向き合ったり、ダンジョンでの戦闘で大怪我をして帰ってくるのだろう冒険者達を相手に日々、人の生死をかけてギリギリの修羅場をくぐり抜けていくというのは、確かに一級資格への道としては最も相応しかったのかもしれない。
それを聞いて納得したらしい男は、大きく笑みを浮かべてうなづいていた。
「……なるほどなぁ。確かに、この街で修行するってのは、いろんな意味で一番効率が良いだろうからなぁ」
何しろ、この街は大陸でも最大の規模を誇るし、大陸でも最大級のダンジョンを街の内部に二つも抱え込んでいるという、かなり立地的にも特殊な街でもある。それだけでも、治療魔法の腕を磨くには最適の環境と言えたのだろう。
「……所で」
「うん?」
「何処までついてくるんですか?」
街の入口でつかまって、一緒に門をくぐった。いくら教会の認定証があったとはいえ、長蛇の列に並ばなくても通してくれたという有り難い恩義もあったからなのだろう。しばらくは何も言わずに一緒に歩いていたクロスであったのだが、横の男がいつまで経っても一緒に歩いているのが気になったのかもしれない。
「やっぱり、気になるか?」
「ええ。とても気になります」
「そりゃそうか。……そういや、まだ自己紹介してなかったな」
ゴソゴソと懐をさぐって、そこから年季の入ったパスケースを取り出して見せてくる。
「冒険者ギルド所属のアーノルドだ。ライセンスはCランク。旅のお供からダンジョン探索の護衛まで何でもござれな戦士職だ。指名大歓迎なんで何時でも仕事を依頼してくれ」
お前さんには色々と世話になりそうな気がするから特別に安くしておくぜ。そうウィンク混じりに口にしながら、押し付けるようにして自分の名刺を差し出してくるアーノルドに怪訝そうな表情を返していたのだが、クロスは理解できないといった声で訪ねていた。
「まだ理由を聞いていない気がするんですが?」
「理由? 理由、ね。……実は、今日は東門で簡単な仕事を請け負っていたんだ」
東門で仕事をしていたというのなら、尚更担当場所を離れてはいけないのではないか。そう考えていたクロスに、アーノルドはニンマリ笑って答えていた。
「一つは東門の警備の仕事。もう一つはスカウト活動……。いわゆる募集活動ってヤツだな。コッチの方はいつもみたいに夜までかかるかと思ってたんだが……。こんなに早く終わってくれて助かったよ」
そんな分かりにくい説明で細かい意味まで分かるはずもないのだが、こうして無駄に話を引き伸ばしにかかっているのは何となく察していたのだろう。クロスは胡散臭そうな目を隠しもせずに、その場に立ち止まってしまっていた。
「……何が助かったのか良く分かりませんが、私は今から教会の方に挨拶にいかなければならないので、これで失礼します」
そう一方的に話は終わったとばかりに言い放つと、背中を向けて歩き出そうとしていたクロスであったが、その肩をアーノルドは優しく掴み止めていた。
「まあ、待ちなって。修士さんよ」
「……クロスです。出来ればクロスと呼んでくれませんか?」
「修士って呼ばれるのは嫌なのか?」
そう尋ねながらも「何かややこしい事情でもあるのかもしれないな」と考えたのか、アーノルドは軽く息を吐きながら了解を返していた。
「わかった。もうお前のことを今後は修士とは呼ばない。……これで良いか?」
「はい。それと……」
「放してくれ、だろ?」
「ええ」
「そっちも分った。……でも話くらいは聞いてくれるんだよな?」
それを聞いてくれたら昼飯くらい奢るぜ。そんな言葉に少しだけ考えて、クロスは「わかりました」と答えたのだった。