3-17.観光はスリル味
たまには冒険者らしいトコ見せてよ。
そう開口一番にお嬢様ことジェシカに“おねだり”されてしまったクロスは、目に困惑を浮かべながらも依頼主であるクランクに視線を向けていた。
「危ない場所は、ダメだからな」
「ですよね……」
クロスロードは王都であると同時に、国立公園に入り口のある大迷宮や街の中にそびえ立っているバベルなど、大陸で知らぬものは居ないほど有名なダンジョンを両方とも内包しているという、かなり特殊な迷宮都市でもあったのだが、その両方は当然のことながら観光地などではなく、危険度も相応に高い場所であり、冒険者であってもEランクなクロスは低ランクということもあって未だに足を踏み入れたことがなかったりしたのだが……。
「ちょっとだけなら良いでしょ? こんなのもあるんだし!」
そう「ヘヘーン」とばかりに観光客向けの迷宮探索体験ツアーという見出しの踊るチラシを見せながら、例によって薄っぺらい胸を張ってみせるジェシカである。それは比較的にポピュラーな観光コースとして、バベルと大迷宮の比較的安全が確保されているとされている入り口付近のエリアを一応程度の護衛(雇うのは自腹である)を付けた上でガイド役の誘導で見て回って、すぐに表に出るといった内容だった。
こういった、ちょっとした非日常を味わうといった趣旨のスリル満載(命の危険もちょっとだけある)な行為が日常的に行われているのも、あるいはこういった命の価値が安くなりがちな街の特徴の一つでもあったのかもしれないのだが……。
「こんなのがあるくらいなんだから、ちょっとだけなら安全なんじゃないの?」
入口付近なら毎日何組もの冒険者のチームやパーティが行き来しているので、危険度の高い魔物はほぼ駆除されている状態が維持されてはいるのだろうが、必ずしもそうとも言い切れないのが迷宮の恐ろしさでもあったのだろう。
例えば、奥の方で強い魔物に襲われ命からがら逃げ帰った場合などだ。その場合には、その生き残った冒険者を追いかけて入口付近にまで移動してきた強い魔物が入口付近をウロウロしていたりするケースだってあるのだ。そういった魔物によって犠牲者が出たりするのも迷宮の日常風景の一つでもあったのだ。だからこそ、こういったツアーには常に『自己責任』の四文字が付きまとうことになるのだろう。
「……という訳で、入口付近でも極稀に、厄介な魔物に襲われる事もあるそうなんですよ」
特に大迷宮は明確に階層が分かれていないので、時としてびっくりするくらい強い魔物が上層にまで上がってきていたりするので浅い階層でも油断がならないという実例の数々という名の重傷者達を、毎度毎度、嫌になるほど見ているのが治療師であるクロスなのである。そんなクロスが油断しきっているジェシカに不安を感じてしまうのはある意味、当たり前だったのかもしれない。
「そりゃぁ、そうかもしれないけどさぁ……。でも、そのための護衛なんでしょ~?」
確かに、観光用の護衛として迷宮探索の最低条件であるDランクを満たしていないような低ランクの冒険者(主に戦士である場合が殆どだが)が護衛に雇われる事も多かった。
「なにか激しく誤解されているようなので、間違いがないように予め言っておきますね」
「何よ、そんなに改まって」
「良いから聞いて下さい。まず大前提なんですが、冒険者ギルドにおいて迷宮探索が許可される条件は、最低限でも“Dランク以上の冒険者”であること……。つまり、必要最低限の戦闘力が保証されている人達だけという事になります」
「そりゃ、まあ、そうでしょうけど……」
「その条件を満たしていない冒険者は、迷宮の入り口を通して貰えないというルールになっているんですよ」
そして、クロスの冒険者ランクはEランキング。つまり、最低条件を満たしていないので、そもそも入ることも出来ないということになる。
「見て下さい。この通り、私はEランクの冒険者です。つまり、私に迷宮で戦えるような力はありません。それにEランクだから迷宮にも入れないですし。……実のところ、実戦経験と呼べるような物も何一つないんですよ」
一言で冒険者といっても、Eランク以下の冒険者の実態は“何でも屋”としてギルドから町中での仕事を斡旋してもらっているケースが多く、冒険者というよりも日雇いのアルバイトといった色合いの方が強いのだから、そんな中には当然のようにDランクに昇格していても未だに魔物と戦ったことのないといった冒険者だって居たりするのだ。そして、クロスはそういった戦闘経験がないタイプの、いわゆるアルバイト的タイプの冒険者だった。
「じゃあ、町中で何かあっても私のこと守ってくれないってこと!?」
「……身代わりになるか盾になって、その間に逃がすくらいしか出来ませんねぇ」
それを聞いて「何よそれ~」とばかりに呆れているジェシカであったが、そんなダメダメなクロスの正体が治療能力に特化した修士の治療師であることや、副業としての冒険者としてはまだ駆け出し程度でしかないこともよく知ってるクランクは、その言葉に僅かに苦笑を浮かべて娘のことを軽くいさめていた。
「危ない所に近寄りさえしなければ、守ったりする方法とか逃がす方法とか、色々と面倒なことも考えなくても良いんだから簡単な話じゃないか」
「そりゃあ、まあ、そうなんだけど……」
でも、折角冒険者の人と一緒なんだから、そういった人と一緒でないと行けないような特別な場所とかにいってみたいじゃない。そう表情が雄弁に語っているのを見て苦笑が浮かぶが、こればっかりは命の危険がある以上は安々と許す訳にも行かず……。
「あ~も~! 分ったわよ! パパの分からず屋! 頑固者! ケチンボ!!」
そう吐き捨ててクロスの腕を引いて飛び出していったのはいわゆる一つの……。
「これって、負け犬の遠吠えってヤツよねぇ……」
ハァと。そう思わず言葉の勢いのままにやらかしてしまったことに後悔して、ため息を吐くジェシカであったが、そんな子に慰めの言葉をかけるのはやはりといおうか何といおうか苦労人と書いてクロスと読めな護衛兼お目付け役な人物の役目だったのかもしれない。
「クランクさんも万が一がある以上は許可出来なかったんですよ」
「だったらもっと他の方法だってあるはずなのに!」
他の方法って言っても、たとえば、どんな……? そう表情で聞かれている事を察したのだろう、ジェシカはう~んと少しだけ悩む素振りを見せながら答えていた。
「え~と、ほら! こないだの! クロスさんの事助けてくれた人!」
「え~と……。誰です?」
その時は意識がなかったので当然のようにクロスは覚えていなかった。何やら、事情をそれなりに承知していると本人は言っていたらしいので、もしかすると自分達二人をそれとなく監視する仕事を他に頼んでいるのだろうかとも、その時には考えていたのだが。
「誰って。え~っと、あれ? あの人、何って名前だったっけ……。確か……」
アルカイダ……。いや、そんな感じじゃなかった気がする。アルバートだっけ? あれ? 何だっけ? アルパイン? 確か、そんな感じの名前だったと思ったんだけど……。そんな微妙に近いようで近くない、なかなか惜しい感じの間違いを連発するジェシカだったが、いかんせん、正確な名前が思い出せないのなら仕方なかったのだろう。
「……どんな人だったんですか?」
「ん~。外見はあんまり特徴とかなかったんだけど。背は高い方だったかな。あとは、口が達者で演技も上手かったと思う。ああ、そうそう。あとオジさんだった。連れの亜人の子は、そのオジさんと比べると、もっと若かったし小さくて可愛かったけど」
たった数時間だけだったとはいえ、それなりに長い時間を一緒に居たはずだったのに、それなのに何故ジェシカが名前をはっきり覚えていないのかというと、話題の人物ことアーノルドが、あえてその時に自分の名前をはっきりと口にせずに、コイツの知り合いだとか、同じ職場で働いている冒険者だとか、そういった感じにクロスに関係があることだけを教えていたからだった。さり気なく、そんな誤魔化しが行われていたせいで、今になって名前を思い出そうとしてもはっきり思い出す事が出来なかったのだろう。
それに加えて、横に一緒に居たクロウのことをジェシカは女の子だと思い込んでしまっていたので、おのずとクロスに説明する際にもニュアンス的にはオジさんと亜人の女の子といった説明の仕方になってしまっていたし、クロスが自分の魔族そのものな外見にかなり強いコンプレックスを抱いているのを何かの拍子に聞かされていた事もあってか、ジェシカがわざわざ聞かれもしないのに連れの亜人の子がクロスのような魔族そのものな外見をしていたとは言いづらい物もあったのかもしれない。そんな事情もあって、ますますクロスはクランクが秘密で雇っている監視役の二人といった方向に思考が誘導されてしまっていた。
──おそらくジェシカさんには秘密で雇ってるんでしょうから……。
そんな親子間で変に喧嘩などさせないためにも、自分達をきっと今も監視しているのだろう二人組の事は黙っていたほうが良さそうだと心に誓うクロスである。無論、そんな監視役など居るはずもなく、全てはクロスの勘違いなのは言うまでもないのだが……。
「流石に、それだけの手がかりでは……」
「まあ、そうよね……」
特定は恐らくは難しいと思いますよ、といった表情のクロスに分かっているといった風に頷いて答えていた。
「まあ、その人じゃなくても他にも熟練の人って居るんじゃないの? それこそ、迷宮くらいドンと来いな人とか」
そりゃあいくらでもいるだろう。何しろこの街は迷宮都市なのだから。
「その人を追加で雇うつもりですか?」
「駄目かな?」
「Dランク以上……。Cランクとかになると依頼料も安くはありませんよ? ……本当に、そこまでしてでも迷宮に入ってみたいんですか?」
「ん~……」
安くはない。その一言はある意味クリティカルだったのかもしれない。途端に顔色を変えて、ウンウン唸り出すジェシカである。
そもそもの問題として、半分くらいはただ単に意地になっているだけであったので、本来はそこまでして迷宮に入りたい訳でもなかったのだろう。それなのに、無理して散財して、今月のお小遣いを使い切ったりしても勿体ないし、何よりも今月、まだ数回はクロスと一緒に遊びまわる予定をすでに立てているのだから、そのための軍資金として予算はどうしても確保しておかなければならないのだ。そんないろんな事を加味していった結果……。
「やめやめ。こんな事でお小遣いを使い切っちゃう訳には行かないわ」
そう妥協して計画を諦めてみせたジェシカに、クロスは密かにホッとため息をついてしまっていた。クランクの手前、ジェシカに危ない真似をさせる訳にはいかないのだ。そんな嬉しそうな表情を隠そうともしなかったクロスに多少はムカつく部分もあったのかもしれない。
「……そういえば、前から気になってたんだけど」
「はい?」
「いつもその服ばっかりだけど、他に持ってないの?」
唐突に色々と核心を貫通するような疑問を投げかけられたのは、直前に少しだけイラッときて、相手が嫌に思うような言葉とか質問は色々と遠慮しなきゃと思っていた気分がなくなってしまっていたからなのかもしれない。
「そ、その……。まだ、まだ引っ越してきて間もないですから……」
馬車などで家財道具一式を運ぶ様な家族単位での引越しの場合なら服などもまとめて運ぶことになるだろうが、気軽な一人旅の場合には往々にして身の回りの品を極力処分して現金化しておき、腰を落ち着ける事にした街の古着屋などで服を再調達するといった流れになるのが一般的だった。つまり引っ越してまだそんなに経っていないのなら、服が殆ど無くても不思議でもなかったのだろうが……。
「引っ越してきたの、もう何ヶ月も前なんでしょ」
「……まあ、はい。そうです、ね」
結局のところ、女物の服など買いに行けるはずもなく。服など今の一着しか持っているはずもなく。……このあと、何を言い出すのかビクビクしながら処刑を待つ罪人のような気分でいたのだが。
「ふーん」
そうか、そうか。替えの服がなかったのか。そう変に納得したらしく。
「分ったわ」
そう、この場での話は、これで一旦は終わっていた。
「じゃあ、今日は完全に安全な範囲に限定して、冒険者の気分を味わえる観光コースって感じで回ってみましょ?」
そう唐突に話を元に戻したのは、不意打ちを狙ったからなのだろうか。思わず、そんな提案にうなづいてしまった事で、ジェシカはしてやったりといった表情を浮かべていた。
「まずは武器屋に防具屋でしょ。あとは冒険者向けの雑貨屋さんに道具屋さんかな」
雑貨や道具ならまだ良いが、武器などは日頃使い慣れていないはずなのだから、下手に手を滑らせたりしてケガをしないように目を光らせておかねばなるまい。それに冒険者向けの道具や雑貨には危険な物も多少なりとも含まれているので、そういった物を変に買ったりしないように注意も必要になるのだろう。そんな今日は色々と精神的に疲れる日になりそうだなぁとため息をついていたクロスに、ジェシカは更なる爆弾を投げつけてくる。
「それが終わった後は、バベルと大迷宮の入り口を外から眺める安全第一な迷宮見学ツアー。ちなみに、全部、東区のお店ってことでヨロシク」
それを聞いてピキッと固まるのはクロスである。
「え? ひ、ひがしく?」
「うん、東区」
東区と言えば自分を知る者が多数居るエリアであるので、正直、今のような格好をしているときには絶対に近寄りたくない場所の一つだった。
「な、なんで、東区なんでしょうか? こっちのエリアにも武器や防具は売ってますよ?」
「こっちで売ってる武器とか防具って、あんまり実用的って感じないのよね。装飾用っていうか、家具とか家財の一種として家の中に飾っとくために買うみたいな?」
それはいわゆる屋敷の中の鎧甲冑や、そういった鎧が構えている武器(主にハルバートやグレートソードなどだが)で、確かに装飾過多でゴテゴテと余計な物が付いている印象が多かったし、そういった品は総じて実用性に乏しいデザインや形状をしているという印象は確かにあったのかもしれない。
「……実用的な品が欲しいんですか?」
「欲しいっていうか、そういった『本物』に触れてみたいって感じかな」
折角触れるチャンスがあるのなら、イミテーションじみた紛い物などではなく、ちゃんとした本物に触れてみたいし。そんな言葉のニュアンスも通じていたのだろう、クロスも雰囲気でウンウンとうなづいていた。
「とまあ、そんな訳で今日はいつも以上にあちこち見て回ることになる訳だけど」
「まあ、そうなります、か……」
そして、最後の爆弾は投げ込まれる。
「そうねぇ。この埋め合わせは次。来週にでも……」
チラリと視線を向けて。
「新しい服とか、適当に見繕って買ってあげるね」
そんな善意しかないはずなのに、やけに悪意まみれにしか聞こえないありがた迷惑な提案に、思わず顔を引きつらせてうめく事しかできないクロスだった。