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クロスロード物語  作者: 雪之丞
白の章 : 第三幕 【 彼と彼女の事情 】
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3-15.すれ違う想い


 日も暮れてきたし、そろそろ帰りませんか。

 そう声をかけられたジェシカは、帰り道に少し寄りたい所があると答えていた。


「……寄り道、ですか?」

「うん。ちょっと買いたい物があってね」

「もしかして、あの本屋の……」

「いっとくけど、レシピ本じゃないわよ」


 そうハズレとばかりに笑ってみせると腕を引いて案内していって。そんな二人が向かう先には、ちょっと小洒落た感じのする雑貨系のお店があって……。


「ここは……?」


 王都でも有数の雑貨商の一人娘がわざわざ帰り道に寄るにしては、いささか不自然に感じられたのかもしれない。しかし、そんな店に寄るからには、当然のように特別な理由というものはあったのだろう。


「ちょっと買いたい物があってね」

「それがここで売ってるということですか?」

「うーん。ちょっと違うかも」


 振り返りながら。クスリと小さく笑って。


「ここでしか売ってないのよ」


 というか、ここでだけ売ってるのは前から知ってたんだけど。そう言い訳じみた言葉を付け加えながら答えるジェシカの見つめる先には、ショーケースの中で鈍く光っている小さな水晶体の玩具があって。その玩具の中には小さな家の模型が封入されているようだった。


「それは……?」

「ん~……。いわゆる一つの、パパの思い出の風景ってヤツかなぁ~」


 すみませーん! これくださーい! そう元気よく店員に声をかけるジェシカの言葉を分からずにただ困惑だけを浮かべていたクロスであったのだが、その品の正体はそれからしばらく経ってから分かることになった。


「これを……?」

「はい。私の方から貴方へ渡しておいて欲しいと……」


 それは「いつも顔を合わせてる上に、記念日とかでも何でもないのに改めてプレゼントとか変に思われそうだし、なんだか直接渡すのもすごく気恥ずかしいから」という、何とも言いがたい理由によるお願いだった。


「アイツらしいというべきなのか……」


 これが本人が目の前に居るのなら「開けていいか?」などの確認も入ったかもしれないのだが、幸いというか残念ながらというか。今、クランクの目の前にいるのは、依頼完了の報告に訪れたクロスだけであり、そんな相手に遠慮は不要だったのだろう。ガザガザと音を立てて綺麗に包装されていた箱を開けて、そこから小さな土台の上に固定された玩具の家が封入された水晶体を取り出して……。


「……これは……」


 そう思わず小さな唸り声をあげるクランクにクロスは小さく苦笑を浮かべると「ジェシカさんいわく、貴方の思い出の風景だそうです」と注釈をつける。それを聞くと男は派手に破顔して喉の奥からクックックと引きつったような小さな笑い声をあげていた。


「そうか。そういうことか。……あの馬鹿……。なかなか洒落たモン探してきたな」


 しかし、俺の思い出の風景か。……上手いこと言いやがって。そう目の端に滲んだ涙を「笑いすぎて涙が出てきたぜ」とばかりに誤魔化しながら指で弾き飛ばしながら。


「後学のために教えて頂けたら助かるのですが」

「これは何なのかって?」

「はい」


 それを聞かれたクランクはチラリと視線を向けると、クロスの前に水晶体を差し出して、目の前で上下にひっくり返すようにして、上下に軽く振ってみせる。すると、水晶の中の底の方で沈殿して層を作っていた白い粒のようなものがフワフワと漂い始めて、光を反射するようにしてキラキラと輝き始めていた。


雪水晶(ゆきすいしょう)って名前の玩具さ。……もっとも、この大陸の連中は雪って物が何なのか、せいぜい書物の知識でしか知らんのだろうが……」


 そう口にした自分の言葉を理解できない様子のクロスに、クランクは苦笑を浮かべながら種明かしをしてみせる。


「女房は紅皇国(くれないこうこく)の出でな。子供の頃は皇国でも北の方……。ここなんかとは比べ物にならないほどに寒い国で生まれて、そこで育ったらしい」


 紅皇国。それはウェストエンドから船で海を超えた先にある大陸を統一した国の名前であり、特徴的な白地に真紅の紅十字が踊る旗を掲げた国である。この大陸では単に皇国とだけ呼ばれているが、位置関係的にはこの大陸からかなり北上した位置に存在しており、この大陸の住人たちにとってみれば最も近い位置にあり、唯一といっていい交流をもっている国家の名前だった。ちなみに、流石は皇国と名乗っているだけあるというべきだったのか、いささか宗教色の強い国であるのだが、そんな世界で最も宗教色が強いだろう国とだけ交流をもっている国が、世界で最も宗教色の弱いだろう国家であるというのは、あるいは皮肉な事でもあったのかもしれない。閑話休題。


「そんな寒い国で生まれ育ったのに、こんな熱い国に無理して引っ越して来たりなんかしたから……。だから、早死しちまったのかねぇ……」


 どこか寂しそうに。そして、どこか楽しそうに。そんな矛盾した色を浮かべた瞳でキラキラと光を反射する粒が漂う水晶体を眺めるクランクの目には涙こそ流れてはいなかったが、それでもクロスの目には何処か泣いているように見えていたのかもしれない。


「あいつはよく……。体力が落ちて動けなくなった頃、よく雪が見たいって言ってたんだ」


 しかし、汗ばむくらいの陽気を感じる事の多い常春の国に雪など降るはずもなく。


「雪を降らせるなんて不可能だからな。だから、せめてもと思って、氷を細かく削った偽物の雪でこしらえた雪玉くらいしかアイツには用意してやれなかったんだが……」


 そんな時、クランクが見つけたのが、この雪水晶という名の玩具だった。


「……アイツ。コレを見て、すっごく喜んでくれたんだ。……泣いてたなぁ。雪だ。雪が降ってるって……。まるで本物みたいだって。……子供みたいにハシャいで、喜んで……」


 だから、墓に一緒に入れてやったんだ、と。そう、スンッと鼻をすすったりしている音を聞こえない振りをしたり、目元をこすっている様子を見ない振りをするのはマナーでもあったのかもしれない。


「し、しっかし……。アイツ、よく、こんなの、探してきやがったなぁ」


 あの時には、あんなに苦労して探さなきゃいけなかったのに……。そう口にするのも当たり前の話であったのかもしれない。雪の降ることのない常春の国で、こんな雪景色を再現するような玩具など、その意図や意味が分からずに売れるはずもなく、そういった玩具を置く意味などないはずなのだから。


「西区で唯一……。たった一店だけ置いてる店があったんだそうです」


 あえてその店に立ち寄って買ったのだ。たまたま買い物中に見つけたという訳ではなかったのだろうと思われた。きっと、前からその店で売ってる事を知っていて、あえて今日の帰りに立ち寄って買ったはずなのだ、と。そう教えたクロスに、クランクは少し考える素振りを見せた後に「そうか」とだけ短く答えて。


「……変に気をまわしやがって」


 そう愚痴るようにして口にしたのは、今まで変に過去の傷をえぐるような真似をしたくないからと、あえて買わないことにしていたのだろう事を察したからだった。


「ジェシカさんは、優しい人ですから……」

「ああ、そうだな」


 出来過ぎなくらい、俺なんかには過ぎた子だ。そんな自嘲の笑み混じりに口にするクランクには、いつもの我が子を小馬鹿にしたようなポーズはなく。おそらくは、これが本当の親子間の表情……。父親としての顔というヤツだったのかもしれない。


「……ずっと、な」

「え?」

「ずっと、恨まれてると思ってた。……俺はアイツにとっては、あんまり……。いや、言葉を飾ってもしかたねぇか。俺は、はっきりいって最低の父親だった。あいつにパパなんて呼んで貰える資格なんてなかったんだ」


 そう、自分は決して良き父ではなかったのだと。いわゆる余所者である自分が、この街で体一つでのし上がっていくためだったとはいえ、若い頃から散々繰り返してきた無茶と喧嘩と揉め事のせいで孤立してしまっていたし、そんな父親のせいで我が子はロクに友達すらも作れず、商人仲間の子供達からは銭ゲバ(金のためなら何でもする汚い奴といった意味をもつ隠語)の子と蔑まれたりと、随分と惨めな思いをさせてきた。

 そんな辛い時代が終って、ようやく成功してきて余裕が出来てきたかと思ったら、今度はロクに家庭を顧みず、ただひたすら仕事、仕事、仕事……。そんな家庭も家族も一切省みない日々の果てに……。気がついた時には、妻には苦労だけさせて、ロクに労ってやる事すら出来ないままに、死なせてしまっていた。

 苦労ばかりかけていた相手に何ら恩返しをすることも出来ないままに……。死に目にすら立ち合えなかったのだと。……そう、誰に聞かせるということもなく。ただ、雪水晶を見つめながら、ポツリポツリと独白していた。


「……女房が死んだ日の事だ。ちょうど外せないデカイ仕事が入ってな。……女房の具合が悪かった事は重々承知してたんだが……。後ろ髪をひかれる気持ちもあったが、俺は仕事の方を優先しちまった。女房にも『自分なんかのために仕事をおろそかにしないでほしい』って頼まれてたからな。……いや、言い訳だな。俺は女房に……。アイツに最後の最後まで甘えちまってただけだった」


 手の中の水晶にポタリと水滴が落ちて。


「……家に帰った時には、女房はもう冷たくなってた。……そんな女房の側でな。真っ暗な部屋の中で。……明かりすらつけないで……。涙も泣き声も……。なにもかも枯れ果てたって感じのアイツが、たった一人で椅子に腰掛けててよ。……言うんだ。……何の感情も感じさせない声でよ。俺に、言ったんだ」


 ──どこ行ってたの、パパ。


「……こたえたよ。……胸の奥のほうが、ズーンってよ」


 俺は何をしてるんだ。その時になって、ようやく自分がとんでもない勘違いをしていたことに気がつけた。……俺は結局は逃げてただけだったんだ。自分の女房が死にかけてる状態なのに。それなのに、仕事が忙しいからって。たとえ女房がどんな状態であったとしても、残される娘と家族同然の従業員達のためにも仕事に穴はあけられねぇって……。


「でも、違ったんだ」


 本当に娘が。女房が望んでいたのは。俺が家族からの望まれていたのは、そんなつまらない事じゃなかったんだ。女房は仕事を優先してくれって言ってくれてたけど、本音の部分じゃ側にいて欲しかったはずなんだ。……俺は、そんな女房の優しい嘘に。俺の弱さを分かってて、逃げたがってることを察してくれてた女房の強さに。優しさに甘えていただけなんだ。騙されたふりをして、そのことから目を背けてただけだったんだ。そのことに……。自分の狡さに、ようやく気がつかされたんだ。


「……まあ、もう色々と……。既に手遅れってヤツだったんだけどな」


 だからせめて、その日から良き父になろうとした。娘にとっての理想の父であろうとした。もう間違えたくなかったから……。せめて残された娘にだけは同じ悲しみを味あわせたくなかったから。せめて、寂しさや心細さを感じさせたくなかったから。……あの時の辛さを感じさせたくなかったから。


「もう、同じ失敗は二度と繰り返さない。そう決めたんだ。どれだけ辛くても……。もう逃げないってな」


 そう決めて、我が子と向き合ってきた。そのつもりだったのだが。


「変に無理して突っ張ってるって、バレてたのかね。あの馬鹿、変な気を使いやがって」


 嬉しそうに微笑みながら、手の中の雪水晶の中でキラキラ光る粒を眺めながら。


「……きっと、通じていますよ」

「そうなのかね?」

「多分……」


 これは話そうかどうか迷っていたのだが、と前置きしてから。


「ジェシカさんは言ってました。ママが死んでから、パパはすっかりしおらしくなったって。……周りの人はママをなくしてパパの牙が折れたんだとか馬鹿にするような事を言ってるけど、私はそうは思わない。パパはきっと私のために喧嘩をしたくても我慢してくれてるだけなんだって。私に辛い気持ちを味あわせたくないからって、無理して我慢してるだけなんだと思う。……そう思うと、ちょっと申し訳ないんだけど。でも、私は今のパパのほうが好き、って」


 店からの帰り道にジェシカは、そう口にしていたのだと。


 ──あの頃のパパは忙しそうだったけど……。すごく楽しそうだったけど、何処か怖かった。家の中も変に殺気立ってたし。ママも、いつも凄く疲れた顔をしていたから。……え? 夫婦仲? どうかな。……昔はあんまりよくなかったかも。……でも、ママが死ぬ少し前あたりから、すごくパパの雰囲気が柔らかくなったから。だから、ママ、最後はパパにありがとうって。愛してるって伝えてって言ってたんだと思う。……でも、私は、あの時……。あの頃のパパの事が信じられなかった。……だから、凄く冷たい……。酷い態度、とっちゃったんだ……。でもね、よくよく考えてみたら、あの頃のパパって、確かにママに優しくしてくれてたんだなって思えてきて……。


 あの時に酷い態度をとってしまって、母親の最後の言葉も未だに伝える事も出来なくて。だからずっと謝りたかったのだと。……大好きなパパと、そんなパパのことが大好きだったのに最後の大事な言葉を伝えてあげられてなかった天国のママにも。


 ──おこってないよね?


 そう不安そうに尋ねてくるジェシカの問いの意味は、果たしてどちらに対してのものだったのか。


「怒ってるはずないだろ……。俺も、アイツも。……自慢の娘だぜ」


 そんな涙の混じった笑みにはただ優しさだけが混じっていたのかもしれない。


「……アイツはどうだ? 無理して体調を崩したりしてないか?」


 不健康そうであるし主治医であるらしいエドからも虚弱体質と診断されているらしい事を本人から聞かされていたせいもあったのだろう。依頼完了のサインと供に口にされた問いにクロスは苦笑と供に答えていた。


「多少疲れやすい部分はあるみたいですが、ちょっと元気すぎるくらいですよ」

「そうか……。あいつは俺達の前では無理したがるからな。ちょっと、心配してたんだ」


 母親に似て変な部分で意地っ張りだと。そう評して苦笑を浮かべる。


「仕事を優先し過ぎて、これまでなかなか構ってやれなかった。……女房に先立たれて良く分かったんだ。どれだけ銭があっても幸せは買えないんだって。あれは銭で買える代物じゃなかった。大事な奴と一緒に見つけ出していく物なんだってな。……だから、今はできるだけ一緒にいてやるようにしてる。まあ、従業員達の生活もあるから、それだけってわけにもいかないんだがな」

「ご立派です」

「よせやい。それに立派なんかじゃない。俺は駄目な父親だ。……俺は、こんな簡単な事も知らなかったんだからな。……それを、あいつに教えて貰ったんだ。まあ、ようやくそれに気がつけた時には、もうあいつは傍に居なかったんだけどよ」


 ひとつため息をついて。


「女房が生きてる頃、我ながら無茶ばっかりしてた。あいつが死ぬ直前くらいが一番酷かったな。……誰彼構わず喧嘩を売って、片っ端から叩きのめして踏みつけるような、くだらねぇ真似ばっかりして他人の恨みを買ったりしてた。もしかしたら、そうやって鬱憤とかを晴らしてただけだったのかもしれねぇ。……でも、アイツは泣きもしないで待っててくれたんだ。俺が自分で自分の過ちに気が付いて、ただ前しか向いてなかったのを。立ち止まって振り返るのを待っててくれたんだ。……自分の背後に、もう一人しか居なくなってるんだってことに気が付けるまで……。ずっと、そこで泣かないで待っててくれたんだ」


 守るべきものが一人も居なくなる前に、その事に気が付かせてくれたのだと。


「俺が謝ったとき、あいつはようやく泣いてくれた。俺に抱きついて恨み言を言ってくれた。……それを見た時、分かったんだよ。ようやく許して貰えたんだなって。そう思ったんだ」


 口元には自嘲の笑み。


「……間抜けな話さ。残された家族の為に負けられねぇんだ。舐められる訳にはいかねぇんだとか言いながら一番家族をないがしろにしてたのは俺自身だったんだから」


 そう口にして、頭を下げる。


「あの子の事をよろしく頼む。……あの子は親に似て変な部分で不器用で頑固な奴なんだ。人一倍寂しがり屋のくせして、変に強がって平気な振りをしちまうような馬鹿な奴なんだ。……出来るだけで良いから。出来るだけ優しくしてやってくれ。……頼む」


 そんな似たもの親子の確かな愛情に触れたからなのだろう。


 ──大丈夫。貴方の愛情は確かに届いていますよ。


 そんな気持ちと少しだけの羨望を胸に、クロスは大きく頷いて見せたのだった。



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