3-14.まつろわぬ民
何なのよ、あの女!
そう憤懣やるかたない様子でドスドス足音を響かせながら歩いているジェシカの後ろを歩きながら、クロスはドウドウと馬をあやすかのような仕草をしてみせながらも口元には笑みを浮かべていた。
「おそらくは貴族の方なのでしょう」
一癖も二癖もありそうなアクの強そうな性格である点に加えて、色々と普通でない物を感じさせられる人物を専属のメイドとして従えている点、そういった人物に平然と給仕を受けている姿に特に違和感がなかった点など。その他にも亜人をあからさまに蔑んでいる点など、幾つか印象的な特徴が目に付いていたからか、クロスはミレディと名乗っていた年齢不詳な人物のことを、そう特権階級にある人物であるのだろうとあたりをつけていた。
「あんなのが貴族!?」
「……亜人を嫌っていたり蔑んでいる様子を隠そうともしていませんでしたから」
一般階級、いわゆる平民達の間では亜人に対する差別意識は大分薄れてきていたのだが、特権階級の者達の間では未だに人間至上主義な思想が当たり前のように蔓延っており、その最たるものとして「王宮に亜人を入れるべからず」という大昔に定められた暗黙の了解……。特に明文化などはされていないにせよ、古来より人間の王族が自分達が特別であることを内外に誇示するために守りつづてきたとされる伝統ともいうべき不文律が未だに幅を利かせていることが挙げられている程だった。
「なんで、あの連中って、そこまで亜人の人達を嫌ってるのよ!」
そう「頭おかしいんじゃないの!」とばかり吠えるジェシカであったが、そんな自分も少し前までは亜人に対して軽い悪感情を抱いていたし、そのことに特に疑問や罪悪感も感じていなかったのだから、意識してそういった傾向の思想であろうと努力している人々が、そういった態度や言動をとるということは、むしろ当たり前と考えておくべきなのかもしれないのだが……。往々にして、理性の部分では推し量る事が出来るし理解も出来るはずのことも、感情の部分では納得できないという物はあったのだろう。そして、この問題もジェシカにとっては、そういった種類の問題であったのだ。
「まあ、仕方ない部分もあります」
「仕方ないって、どうして……?」
「それは……。この国の歴史を考えれば、納得せざる得ませんから」
なぜ、中央区の壁の中に住んでいるような特権階級にある人々が揃いも揃って亜人を嫌ったり蔑んだりしているのか。それはこの大陸の歴史そのものに原因があったのだ。
◇◆◇◆◇◆◇
かつて、この大陸において最大の勢力を誇っていたのは強大な力と魔力を自在に誇る魔族であり、人間は数多くの亜人や魔獣、幻獣達に蹂躙され、捕食される最弱の立場にある生き物……。それこそ、当時の大陸におけるヒエラルキーにおいて最底辺に位置していた種族だったとされている。
今でこそ高い知性に裏打ちされた高度な社会性をもち、常に群れで行動し互いに協力し助け合うという習性をもつほか、なによりも高い繁殖力と豊富な数を生かした集団戦術を得意とする大陸で最大の規模を誇る種族であり勝者……。この大陸における生存競争で覇者となり、魔族に代わって支配者と成り代わった種族であるが、その当時には支配種族は魔族であり、人間は大陸の東側を中心に数多く分布しているだけの野生動物の類とさほど変わらない扱いをされていたと言われている。
無論、当時の人間達は既に十分に文化的な生活を営んでおり、そこらかしこに思い思いに集落を作って暮らしていたし、それなりの武装もしていたし、狩りや田畑を耕したもしていたので、今とそこまで大きな差は感じられないであろう十分なレベルの生活を営んでいたはずなのだが、人間を捕食したり餌食にしたりしていた種族から見た時には、今の時代の人間から見た森の奥に住んでいるコボルトやオークといった、そこそこの知能と社会性を備えた魔物の集団と大差ない生き物でしかなかったのかもしれない。
「私達がオークやコボルトといった魔物の巣……。彼らの“集落”を襲撃して首級をあげたり全滅させたりしているように、当時の人間はいわゆる狩られる側の立場だったわけです」
それが今では大陸の支配者層にあって、あの頃の支配者層であった魔族が地の底に追いやられているというのだから……。盛者必衰の理が世の常であるとはいえ、世の中、何が起こるか分からない物である。
「……それって大昔の話なのよね?」
「まあ、そうなりますか。……人間から見れば確かに大昔なのかもしれませんが、私達のような寿命が桁違いに長い亜人から見たら、まだ数世代前程度の話……。ほんの数百年くらい前のことでしかないんですけどね」
その当時の大陸の様子は、当然のことではあったが、今とは大きく異なっていた。人間の分布範囲もさることながら、大陸の中央部……。今では見渡す限りの不毛の大地、死の荒野となってしまっているエリアであるが、その当時にはそこには魔族達の住むきらびやかな巨大都市が広がっていたとされており、魔族と人間の最終決戦の中で、その街は灰燼に帰す事になり、その際に大地にかけられた強大な呪いのせいで広い範囲に渡って生き物が住めない死の大地が広がる事になったとされているのだ。
「そういった伝説が残っているのは確かですし、地図を見てみても確かに、この大陸の中央部に、ここまで“何もない”というのは、ちょっとおかしいと思いますからね……」
大陸の海岸沿い……。西の果てには別大陸との交易で栄えた、大陸で最も豊かで開明的で先進的とされている都市ウェストエンドが存在し、南の果てには港町サウスポートが存在し、そこの少し北に現在の王都でもあるクロスロードが存在しているし、それら西端から南端へと繋がっている交易路から東端に伸びていった先には大陸の東に存在している雄大な湖イーストレイク湖の畔に広がる都市イーストレイクが存在している。そんな東西を結ぶ海岸線沿いの交易路の中間地点付近にクロスロードは存在しており、そこからまっすぐに北上していけば大陸の北に広がる亜人達の王国である大森林が存在しているといった具合に、東西南北にそれぞれの人々の生活圏が広がっているのに、それらをつなぐ役割があるはずの、本当の意味での大陸の中央が……。今では死の荒野が広がっているだけの場所に、本来は何か大きな街がなければおかしいはずなのに……。
「それなのに、ココには、何もない」
そう「そこに何もないのがおかしいのだ」と指摘しながら指で示される地図に視線を向けながら、尋ねるようにして問いを口にいた。
「確かそこにあったとかいう大きな街の名前が……」
「ええ。魔族達の王、魔王クリムゾンアイの居城があったとされる街、ノーザンクロス……。かつて大陸の中央付近にまで広がっていたとされる大森林の南端付近に位置して、大陸の東西南北を十字につなぐ交易の中心となっていた街だったそうです。……今のクロスロードの名前の由来になったともされていますね」
かつて大陸中央付近に位置していた王都……。大陸の支配者であった魔族の王、魔王クリムゾンアイが城を構えていた街ノーザンクロス。それは実質的な位置関係として、大陸北部の大森林を中心に広がっていた亜人や魔族といった人間以外の種族の生存圏の証明でもあったのかもしれない。
自分達の生存圏の最南端にして最大規模を誇っていた都市。西には当時はまだそれほど他大陸との交易が盛んではなかったとはいえ、それを行うための湾口施設を一応程度とはいえ備えていたし、街の南には大陸最大の塔と迷宮が口をひろげており、迷宮を攻略せんとする者達の暮らす街サザンクロス……。今のクロスロードの前身にあたる街だが、そういった人々によって活気づいていた。それに、当時にはまだ利用者も少なかった東西を結ぶ海岸線沿いの交易路と大森林からノーザンクロスを経てサザンクロスにつながる南北を貫く道が十字に交差している場所にある大陸南部の地方都市……。別名で迷宮都市とまで呼ばれていた冒険者達の街であり、北の十字路がノーザンクロスなら南の十字路はサザンクロスといった具合に、名前をみただけなら対等に見えていたかもしれないが、その実体はかたや今のクロスロードの数倍の規模を誇っていた巨大都市であり、対になる南の街は今の中央区の城壁に守られた範囲ですら土地が余っているほどに住民の数が少なく、比べると寂れた街だったとされていたのに……。
「あの当時、サザンクロスが今のクロスロードと名を変えて王都として成り上がる事を予想していた者は殆どいなかったでしょうね」
栄華を極めた魔族に東の果てから反旗を翻し、人間は長い時間をかけて魔族を打ち倒し、攻め滅ぼしたとされているのだが……。
「……なんでなんだろう」
「え?」
「人間は、なんで魔族に戦いなんて挑んだんだろう……」
おみやげ屋で売っていた古地図……。大昔にあったとされる人間と魔族の人魔大戦を物語調に書かれた本とセットで売っていた昔の大陸の地図を前に、少女は悩むようにして疑問を投げかけていた。
「支配者として上に立たれるのに我慢出来なくなったのかも知れませんね」
古来より人間という種族は、総じて反骨心が強めの生き物であり、力によって押さえつける事が難しい生き物であるとされてきた。一時的に力に屈し、膝を折り、支配される立場に甘んじる事はあったとしても、永続的に他者に膝を屈したままでいることない気骨に溢れた種族であるとされているのだ。
──だからこそ、彼らは『まつろわぬ民』と呼ばれていたのかもしれない。
それは決して安定的な支配体勢を得られないという意味でもあり、長期にわたって安定的な政治体制を維持することが出来ない、安定に安寧を感じる事の出来ない不安定な性質の生き物であるという意味でもあり、潜在的に常に争いの火種を抱え込まざる得ない『決して支配できない』だけでなく『支配されたままでは居られない』という変化と改変、あるいは改革と革命を常に心の何処かで求めてしまうという因果な性質を内包している生き物であるという意味でもあったのだろう。だからこそ、一所でじっとしていられない性質をもち、常に何か目的と目標を探してしまうせわしない質をしている生き物でもあったのかもしれない。
──まつろわぬ民は、いつしか互いを敵視し、自滅する定めにある。
それが多くの他種族から向けられている評価、あるいは願望でもあったのかもしれない。だが、それは決して的はずれな評価や、やっかみ混じりの妄想などではなかった。
永続的な支配を受け入れることができない性質と、常に新しい何かを……。乗り越えるべき壁を求めてしまう安定を嫌う性質の両方が合わさってしまった時、そこにはどうしても暗い未来しか思い浮かばなくなってしまうのだ。
今はまだ大陸の南側しか手中に収めていないし、無理に支配範囲を広げたりしていないし、大陸の北に広がる大森林にも手を出すような真似をしていない。そんな完全な支配体制を確立出来ていない状態にあるからこそ、まだどうにかこうにか一致団結する形を維持出来ているが……。いずれこの大陸を完全に支配する日が訪れるか、あるいはもっと単純に他の種族に戦いを挑む余力をなくしてしまった時……。そうして、明確な敵となる存在を一時的にせよ見失ってしまった時に、自分達の支配体制の終わりが。自壊の道が……。終わりの始まりが始まると分かっているからなのかもしれない。
「……だからこそ、彼らは常に“敵”を作ろうとするし、そういった戦うべき相手を“外”に求めざるを得ないんです」
人間の支配する国に隣接する位置にある亜人と魔獣、個体数こそ少ないが極めて強力な力を持つ幻獣達の王国である“大森林”。そこを一つの国、亜人の国そのものと見立てて、そこを目の敵にする必要があるからこそ、大森林の支配者と見立てる亜人を嫌い、差別し、蔑視する必要があったのかもしれない。
なぜならば、それをしなければ自分達は“人間”こそが今現在の自分達を支配し、苦しめている……。本当に倒すべき敵は。自分達の集団の中にこそ潜んでいる獅子身中の虫とでもいうべき唾棄すべき敵は。本当の敵は、人間の支配者階級であるという真実に気がついてしまうから……。本当の敵という存在を認識してしまうから。……人間こそが自分達の本当の敵であるという答えに辿り着いてしまうから。……だからこそ、外に敵を求めるしかないのだ、と。
「……つまりは、そういうことなんです」
ひどく間抜けな話であるし、いい迷惑であるし、ここまでくるといっそ哀れだとも思うが、その性質なくしては人間は『まつろわぬ民』足り得ないし、その性質を抱え込んでしまっているからこそいつか自滅という名の内乱の定めが……。今の大陸を人間が支配している体制の崩壊を迎える日が約束されているというのも、あるいは神の定めた運命……。さだめという物なのかもしれない。そう話を締めくくったクロスであったのだが。
「……なんて馬鹿な生き物なの」
そんなくだらない理由で亜人が差別されていたのかと。そんなジェシカの呆れた声に苦笑を返しながら、クロスはテーブルの上に広げていた本のオマケについてきた羊皮紙に手書きで描かれた古地図らしき物が書かれている物を丸めて紐でしばっていた。
「前にも話したと思いますが、私達亜人はいつか人間が、そんな自分達の“弱さ”を克服してくれる日が来ると信じているんですけどね」
決して自滅して欲しいと思っているわけではないのだと。そう紅茶を口運びながら口にするクロスにジェシカも以前に似たような話をしたことを思い出したかもしれない。
「……ホントに、そんなことできると思う?」
「出来ますよ」
そう呑気に言い切れる根拠は何なんだといった視線に気がついていたのだろう。クロスは笑みを浮かべると、手にしていた古地図を手渡しながら。
「私達の目に、克服しようと努力している姿を見せてくれてるじゃないですか」
決して諦めない。一時的に諦める事はあっても、決して諦めたままでは居ない。そのままでは居られない。そんな性質の種族であるからこそ、彼らは『まつろわぬ民』とまで呼ばれているのだから。
「貴方達なら、いつか出来ますよ。きっと……」
私達は待ちます。呑気と思うかも知れませんが、それが出来るだけの……。許容できるだけの寿命というものが神から与えられているのは、けっして偶然ではないと思うから。そんな何処か心に染みる言葉の後に、更に笑みを大きくして言葉を続ける。
「というよりも、出来なきゃ困るって感じているのかもしれません」
「……なによ、それ」
「いや、だって……。さっきの地図の絵、思い出してくださいよ」
手に持った古地図に描かれた昔の大陸の姿を脳裏に思い出しながら。
「前の支配者を追い出すだけで街が一つ壊滅して、その一帯が死の荒野とかいうのに変わっちゃったんですよ? ……万が一、クロスロードがそうなったら、いよいよ大陸の右端と左端にしか住めなくなっちゃうじゃないですか」
それは桁違いの魔力とかを自由自在に操っていた魔族がいよいよ追い詰められて最終手段とかの非常手段を禁忌を破って使ったとか、そういう非常識で想定外な“何か”があったからなのだろうと容易く想像がつくはずだし、人間なら万が一にでも禁忌を犯したとしても、そこまで酷いことにはならないだろうと思えたとしても。それでも、一度あったことは二度起こる可能性があると心配になってしまうものなのかもしれない。
「……変な意味で心配し過ぎよ。それに、万が一にでも、そんなことになったとしたら、また勇者様でもあらわれて止めてくれるんじゃないの?」
「勇者様、ですか」
はて。そんなの居たっけ……? と、怪訝そうな表情を浮かべたクロスにおみやげ屋で買った本を見せながら。
「ほら、ここにも載ってるでしょ。魔王を討ち取った勇者シャルロットって」
そのモノクロの挿絵に載っているのは、黒い棒状の武器を構える黒髪の人物に跳びかかる剣らしき武器を手にした白髪(単色の絵のせいもあるのだろう、おそらくは金髪)の人物であり、その凹凸に乏しい絵を見る限りにおいては名前は女っぽいが、体型は男っぽいという印象しか受けず、あるいは子供のような幼い体型であったのかもしれないと思い直したのは、目の前の人物の色々と考えさせられる体型を目にしてしまったからなのかもしれない。
「……なによ?」
「い、いえ。なんでもありません」
そんな思わず視線をそらしてしまったクロスに、ジェシカは首をかしげて曖昧に頷いて見せたのだった。