3-12.お嬢様の夢
甘い物はお手軽に幸せを感じさせてくれる。
そう無邪気に信じていたのは、何歳の頃だったんだっけ……。
ポツリと呟いたジェシカにクロスは不思議そうに答えていた。
「疲れた時に食べる甘い物は、いつでも幸せを感じさせてくれますが……」
「……まあ、そうなんだけどね」
お手軽に小さな幸せを味わうには甘い物が一番。
それは自分としても異論はない所だったのだろうが、最近は少し違う意見を感じるようになってきたのかもしれない。
「私の場合は、やっぱり友達と何か食べてるときが一番楽しいかな……」
器の透明なシロップの中に漂う桃の切り身を、細い二股のフォークでツンツン突っついて泳がせながら、ジェシカは小さくため息をついてしまっていた。
「……今日はなんだかため息が多いですね」
「貴女の癖が伝染っちゃったのかもねぇ……」
「それは……。申し訳ありません」
ため息ばかりついているという自覚が多少なりともあったのかもしれない。そう即座に言葉を返されると少しだけ絶句した後に小さく謝ってしまっていた。そんなクロスの手元には今日も今日とてカラフルなみつ豆があって……。
「……それって、そんなに美味しいの?」
「私は好きですよ」
それは美味しいとも美味しくないとも、どちらにもとれる返事の仕方であって、人はそれをズルい答え方という。だからこそ、それを聞いたジェシカの眉はわずかに傾きをキツくしてしまっていたのだろう。
「ちゃんと答えなさいよ」
「私は美味しいと思うのですが……。寒天の味は独特の癖がありますからね。私の知り合いの人……。エルフの人なんですが、その人は寒天の味は余り好きでないそうですし、このカラフルな色も毒々しく見えてしまって、食欲が失せるまで仰って嫌っています」
クロスの知り合いのエルフとなるとエルクなのだろうが、この街ではエルクは有名人なので名前を出す訳にもいかなかったのだろう。だからこそ知り合いのエルフの人といった曖昧な表現に留めていた。そんなクロスの誤魔化しに気がつくこともなかったのか、それとも気にする事もなかったのか、ジェシカは「フーン」とだけ答えていたのだが。
「それ食べてみたいなー、ってことで、一口頂戴」
「いいですよ」
「あーん」
みつ豆の入ったお椀を差し出そうとしたクロスに、何故だかジェシカはあごを突き出すようにして大きく口を広げてみせる。その意見する所は『一口食べさせて』であり、しいて付け加えておくとすれば『貴女が食べさせて』といった所であろうか。
「……あの……」
「あ~ん」
「ジェシカさん?」
「あ~ん!」
ジーと睨んでくる目が、良い加減観念して私の言うこと聞けと言ってるのは理解してはいたのだろうが、流石に周囲の目もあって、ちょっと恥ずかしいといった所だったのだろう。
「なんでわざわざ……」
「確か~。貸しってヤツが、あった気がするんだけどな~」
それを持ち出されると弱い立場なクロスである。仕方ありませんねといった風に、自分のスプーンをお椀につっこんで適当に数個の寒天ブロックを救いあげて。
「はい、どうぞ」
「あ~ん……。ん~、むにゅむにゅ」
フルーツの柔らかさとも違う独特の硬さのある食感。寒天の味も多少はするが一緒に掬われていたシロップの甘さで上手いこと誤魔化されていた。甘すぎず、かといって薄すぎず。あっさり系の甘めが好きそうなクロスにはお似合いな味だったのかもしれない。
「どうでしたか?」
「まあまあって所ね」
「好みにはあいませんでしたか」
「ううん。これはこれでアリってかんじ」
そう一口食べたら満足したということなのか、大人しく自分の桃のシロップ漬けをやっつけに戻ったジェシカであったが、そのご機嫌な様子に僅かに安堵を感じていたのかもしれない。
「寒天って、貴女みたいね」
「そうなんですか?」
「うん、ちょっと癖があって、お固い感じがして。甘過ぎないで、硬過ぎない。優しいんだけど、かといって柔らか過ぎるって訳でもない。……うん、イメージにピッタリ。飽きにくいって所もそっくりね」
そうどう評していいものか判断に迷う微妙な評価をされて、思わず頭に疑問符を浮かべながら首をわずかに傾けるクロスであったが、そんなクロスの浮かべた困惑にますますジェシカの浮かべる笑みは深くなっていた。
「まあまあって意味よ」
「まあまあですか」
「私がまあまあ好きなんて評価する物って、けっこう少ないんだからね?」
そう『感謝しなさい』とばかりにフラットな胸を張ってフフンと鼻息も荒く宣言するジェシカにクロスも僅かに笑みを返していたのだが、その透明感のある笑みを直視してしまったせいか、その頬は僅かに赤くなってしまっていた。
「……そういえば」
「ん?」
「さっきの本、買ったんですか?」
それはお菓子のレシピが載ってる本のことで、この店に入る前に二人が立ち寄っていたジェシカ曰く『本屋』、クロスの視点から見れば場違いにも程がある上流階級な人々の御用達な高級書店、あるいは図書館といった所か。そんなお店にわざわざ入館料まで払って入ったジェシカが選んだ本だったのだ。当然買ったと思っていたのだが……。
「買ってないわよ」
そう、当たり前じゃないとばかりに言い放って、鞄をゴソゴソやりながら取り出してみせたのは物語調で書かれた軽めな歴史書が一冊とファッション系のカタログ誌が一冊。その二冊だけだった。
「……なんで買わなかったんですか? あんなに熱心に読んでいたのに」
「ん~……。全集系のレシピ本ってかなりお値段が高いし、新しいのを買った人が前の古いレシピ本を手放して売りに出してるんじゃないかなーって思ってたからってのもあるかな。あとはあんまり下らない本ばっかり買ってるとパパに叱られるって理由もあるかも」
そんなジェシカの言葉にクロスは僅かに眉を寄せていた。
「あの本を、あんなに真剣に読んでいたじゃないですか。……そんな本が、貴女にとって下らない本なはずがありませんよ」
たぶん、すごく欲しかったはずなのに。それなのに、なぜあえて歴史書なんて物を選んだのだろう。それはもしかすると……。
「……あえて買わなかったんですか?」
なんでそんなに無駄に鋭いのよ。そう言いたげに苦笑を浮かべながら。
「そんなに我慢強くないし、堪え性もないってこと、知ってるでしょ?」
私は不出来な女だから。そう卑下してみせるジェシカにそれでもクロスは何か言いたげな視線を向けていた。それは無理して突っ張るなとでも言いたかったのかもしれない。
「……そりゃあ、欲しかったわよ。欲しいに決まってるでしょ?」
だったら何故買わなかったのか。少なくとも、そんな歴史書を買うよりも自分のためになっていたのではないのか……。そんな口よりも雄弁に物を言う視線に根負けしたのだろう。ジェシカは渋々といった風ではあったが疑問に答えていた。
「クッキーとマドレーヌだけ作れれば、それで良いからよ」
私にはママの教えてくれたレシピがある。あの二つだけ作れれば問題ないから。そう口にするジェシカの表情には何かを我慢しているかのような感情が見え隠れしていて。
「大体、作っても食べてくれない物を覚えてもしょうがないでしょ」
それはどうだろう……。クロスは内心で、その言葉にあからさまな嘘を感じ取ってしまっていた。クランクが亡き妻を思い出すからという理由で口にしなかったのは、ジェシカが母親からしこまれたクッキーとマドレーヌのはずだった。それならば、逆に考えたら他のメニュー……。それこそケーキなどの『クッキーとマドレーヌ以外』の品ならば、普通にジェシカの味として食べてくれるのではないのか。そう思っていたのだが……。
──何か込み入った事情なり何なりがありそうですね……。
これ以上は変に踏み込むべきではない。そう判断したらしいクロスは、あえてその疑問をぶつけたりはしなかった。そして、お互いにどこか気まずい空気が流れている中で、ジェシカは視線を手元のシロップの中で漂う桃の実に向けながら……。
「……貴女って、夢ってある?」
そう、ポツリと聞いてきていた。
「夢ですか」
「うん。将来の夢ってやつ」
いつもなら蘇生魔法を修めて一級治療師になって、司祭となり何処かの教会を任せられて、その地域の人々に尽くしたいといった物になっていたのだろうが、今は単なる冒険者。……それこそごく普通の冒険者らしい夢を語らなければならない立場だった。
「……そうですね。どういった冒険者になりたいって展望についてはまだ見えていない状態ですが……。ああ、そうだ。夢と言っていいのかどうか分かりませんが。私個人の希望としては、他の大陸を見てみたいです。……ウェストエンドから船も出ているそうですし……」
それは決して馬鹿げた夢という訳でもなかった。ウェストエンドを利用している船乗りなら誰しもが一度は行ったこともあるのが当たり前程度な話でしかなかったのだ。そんな別大陸の街に渡ってみたいというのは、わざわざ夢として語るべき話ですらもなく……。
「ウェストエンドかぁ……。別大陸っていうのもなかなか魅力的だけど、西の果ての港町っていうのもなかなか情緒がありそうで良いわね」
最近ではある意味で王都よりも活気があって賑やかできらびやかな異国情緒あふるる街らしいし。……そう遠い所を見るようにして口にしたジェシカにクロスは苦笑を浮かべて答えていた。
「行ってみれば良いんじゃないですか? 別大陸となれば話は別になってしまいますが、ウェストエンドなら商売での付き合いもあるでしょうし、商売上の付き合いのある商隊の人にでも頼めば……。荷が行き来してるでしょうから、別に難しい話でもないと思うのですが」
そんなクランク商会ならウェストエンドまでなら簡単に行き来出来るのではないのかと尋ねるクロスにジェシカは僅かに虚を突かれたような表情を浮かべていたのだが……。
「ダメよ」
「そうなんですか?」
「私ってキョジャクタイシツとかいうヤツらしくて、体が生まれつきあんまり丈夫じゃないの。そんな私が路面の荒い街道なんかを馬車に揺られて、何日もかけて野宿とかしながら移動するなんて……。多分、出来ない。下手したら、それだけで病気になっちゃうわ」
だからパパが町の外には……。西区以外には出してくれないの。そんなジェシカにクロスはそれでも食い下がっていた。
「行ってみたくはないんですか?」
「私が?」
「はい」
「どうかなぁ……。昔は、そんな普通の夢もあった気がするけど。今はもうちょっと現実可能性ってやつを考えるようになったんで、そこまで無茶な夢は持ってないわ」
体の弱い自分でも出来そうな仕事。それは現実味のある将来の夢というヤツでもあったのかもしれない。
「……聞いてみたい?」
「ええ。是非」
「笑わない?」
「笑いません」
「ホントに?」
「約束します」
そう片手を上げて約束してみせるクロスにジェシカは恐る恐るといった風に答えていた。
「お菓子職人」
「お菓子職人、ですか」
「……うん。小さくても良いから、お菓子屋さんとかやってみたいなって」
昔からの夢だったのだと、そう口にしていた。勿論「そんなの無理なんだけどね」と付け加えるのは忘れなかったのだが。……クランクの一人娘、商会の跡継ぎ娘として、クランクのお眼鏡にかなう男を婿に貰って、その男を支えて二人で次の代に仕事を継いで行かなければならない立場なのは分かっているといった風に笑って見せていた。
「子供の頃からの夢だったんだけどね。……だけど、今は何だろう。立派なお嫁さん?」
我ながら夢がないわ。そう口にしながらファッション誌を開いていたのだが。
「良いんじゃないでしょうか」
「そう?」
「ええ。夢を夢として抱えたままで居ることは、そんなに悪い事なのでしょうか。いつかご主人を貰って、仕事の第一線から手を引いた時に手慰みのような感じで趣味にしても良いでしょうし、もしかすると商会の副業のような形でお菓子店を開く事もあるかもしれませんし」
だから、いつかお菓子職人の真似事をするチャンスくらいはあるかもしれないって思っておくのは、そんなに悪い事じゃないと思う。そう口にするクロスにジェシカは苦笑交じりに答えていた。
「諦めるなって?」
「諦めたいんですか?」
そう質問に質問で答えるクロスが言いたかったのは答えはすでに自分の中にあるのではないのか、といった事だったのだろう。そして、その言葉の意図は正しく伝わっていて。
「……そうね。必ずしも諦めなきゃいけないって訳でもないのよね」
旦那が優しくて商才のある、とっても頼り甲斐のあるようなヤツだったら、本業の方で出番がなくなってサロンの主にでもなるしかなくなった奥さんに、副業として小さなお店くらいやらせてくれるかもしれないんだし。そう何かに納得した風なジェシカは、ウムウムと頷いて答えていた。
「ようは、私がソレを出来るだけの能のある男を捕まえなさいってことよね」
「まあ、そうなる……の、かな……?」
あれ? そんなこと言ってましたっけ? とばかりに、何処か置いてけぼりで冷や汗を浮かべているクロスに「了解、分ったわ。確かに、その通りよね。うん。ありがと」と一人納得してウムウムと頷いているジェシカと、ひたすらアタフタと焦るクロスなのであった。