3-11.逃さないから
中途半端に仕事を放り出してしまったという罪悪感があったせいもあったのだろう。前回と異なり、指名を請けた依頼の日にクランク商会を訪れたクロスの顔色は今ひとつ優れないものだった。
「おう、来たか」
そうクロスの顔をみるなり口にしたクランクに小さく頭を下げるが、そんなクロスにクランクはごく普通の声で告げていた。
「今日は最後まで“交代なし”で頼むぜ」
恐らくはジェシカとアーノルドが上手いこと誤魔化してくれたお陰なのだろう。前回は途中でどうしてもクロスでなければ対処出来ないレベルの急患が来たお陰で途中でアーノルドに仕事を引き継いで治療院に戻ったというシナリオにしてあったのだ。
不幸中の幸いというべきか、そんな細かい部分まで説明する気も時間もなかったアーノルドが俺に任せろとばかりに引き受けて独断でやったことなので、そのときにエドの医院でクロスの側に居て一緒にいなかったジェシカにまでは、その“言い訳”の中身までは伝わっていなかったようなのだが、依頼主であるクランク相手に途中で交代しなければならない理由として説明するためには、最低限でもこの程度の詳細な誤魔化しは必須であったのだろう。
「先日は、色々とご迷惑をおかけして……。申し訳ありませんでした」
せめて謝る言葉と気持ちだけは本当のもので。そう考えて頭を下げていたのだろうが、そんなクロスにクランクは苦笑を浮かべて答えていた。
「うちの馬鹿娘も大概体が弱いほうだが、お前さんも色々抱えてそうだな」
そう視線すら合わせず報告書の類なのだろう数枚の書類の束を読みながら口にするクランクの目は、チラッとだけ向けられて。その苦笑交じりの呆れた風な言葉で、クロスはおおよその言葉の裏は察していたのだろう。
「……やはり嘘や誤魔化しは良くありませんでしたね」
「そうだな」
クロスが血を吐いた時には周囲に大勢の目撃者が居たし、場所もクロスロードの西区の大通り付近という目立つ場所であったし、その後には何故か西区に来ていたらしいアーノルドが自分を背負って東区のエドの医院にまで走ったらしいので、そうなればさぞや目立っていたことだろう。……ちょっとその気になって調べれてみれば、その時に何があったかなど簡単に調べることは出来たのだ。
「まあ、人間正直が一番ってことだな。……特に、変に疑い深い商人とか、一人娘を溺愛しているバカ親とか、冒険者風情の男にコケにされることが我慢ならん質の男とか、な。色々、世の中には面倒臭い馬鹿が多いものさ。……ちょっとでも不自然なものを感じたら、いろいろ探っちまうような実に面倒くさい上に疑い深い野郎だって、たまにはいるってことだわな」
パサッと書類を机に投げ出して。
「……馬鹿娘の恫喝紛いなオネダリもあったから、まあ、今回だけは大目に見てやる。……だけど、な……。わかってると思うが、二度目はないからな。その時には、まあ……。覚悟しときな。色々と、な?」
俺はコケにされたら百倍にして殴り返したくなる質なんだ。そうニッコリ笑って平然と口にしながら本性という名の“牙”をチラリとだけ見せてきたクランクに背筋を冷やしながら青い顔でカクカク頷くクロスは内心で『どこが丸くなったと評判なんですか』とギルドの職員に文句をつけていたのだが。
「……で? 実際のトコ、ホントに大丈夫なんだろうな?」
お前、血を吐いたんだろう? えらい痩せてるし、体の方は本当に大丈夫なのか? そう純粋に心配もされていたらしい事を察したせいもあったのだろう。ローブを脱ぎながらクロスは小さく笑みを浮かべながらうなづいて見せていた。
「あの時は不意打ち同然だったので色々と混乱してしまって……。まともに対処できませんでしたが、本来は自力でどうにか出来ていたはずなので……。もし、また同じ事があったとしても、次は大丈夫です。あんな無様は晒しません」
言葉を微妙に濁しているのは自分の本来の職のことを、この仕事中はおおっぴらに広言しない事を事前に約束していたこともあったからなのだろう。
本来であれば、あの程度の症状であれば治療魔法でどうとでもなっていたのだ。エドから自分でどうにかする術はすでに習っていたし、日常的に胃が痛みや違和感を訴えたりする時には自力でどうにかしていたのだから。それが、あの瞬間に出来ていなかったのは、自分が口にした通り、あの時の症状の発現に反応出来てなかった上に、強い混乱状態に陥っていたからなのだろう。
もっと冷静に、多少の痛みや吐血など無視して、いつものように患部だと思われる部位に手を当てながら。治療と再生、あとは賦活でも打ち込んでやれていれば、すぐに回復していたはずなのだから……。
──それすら思いつけなかった程に、あの時の私は混乱していたということか。
その程度の自覚はあったのだろう。だからこそ“次は無い”と誓って見せても居たのかもしれない。そんなクロスにクランクは『ホントに大丈夫なんだろうなぁ』といった多少なりとも疑いの目は向けては居たのだが、それでも相手は娘の一番のお気に入りであったし、下手に首を切ろうものなら当分口をきいてくれなくなるのは確定な訳で……。
──あー、もー……。仕方ねぇなぁ。
そう我ながら甘いとも思いながらも、頭をバリバリとかきむしると、娘にクロスの到着を知らせるように使用人に告げるのだった。
◇◆◇◆◇◆◇
上手いこと誤魔化せたわね!
そうニンマリ笑って例によって薄っぺらい胸を張ってみせるジェシカに、クロスは苦笑を返しながらも黙っていた。自分達の猿芝居などとっくの昔にバレてる上に『次、同じ事をやったら誰をコケにしたのか理解できる様になるまで後悔って字の書き方を叩きこんでやるからな』とばかりに忠告という名の太い杭を打ち込まれた事をあえて言う必要もないからということなのかもしれない。それにジェシカからは『このまま居なくなったらコロス』とまで言い含められているのだ。このまま見捨てて逃げ出すという選択肢を選ばなくて済んで本当に良かったという気持ちを胸に、クロスは小さく礼だけを口にしていた。
「ジェシカさんのお陰ですね」
「ふふーん。よく分かってるじゃない。という訳で、今日は私の言う通りにするのよ!」
そう『窮地を救ってやったのだから自分の言うことを聞くのは当然よ!』とばかりに指を突きつけてくるジェシカであったが、基本的に今の仕事は、余程の事がない限りはジェシカの思い通りに行動する事になるので、その『命令』らしきものにどの程度の意味があるのかは分からなかったが……。だが、えてしてこういった場合の言葉など勢いとノリが全てである。それを分かっているからこそクロスもうなづいて見せていたのかもしれない。
「お嬢様の思し召しのままに」
そう大げさに一礼してみせるとジェシカの笑みも深くなっていた。
「というわけで、今日は本屋に行くわよ!」
いつもより出発時間が遅くなってしまっていたが、それでもお昼に近い時間帯ということもあって、きっといつもどおり『まずはお昼を食べに行こう』と元気よく口にすると思っていただけに、多少なりとも面食らっていたのかもしれない。
「本屋ですか」
「そうよ。昨日の夕方頃、ウェストエンドから新刊が入ったんだって……」
クラリック商会が一部の人々しか知り得なかった知識の書籍化を全面的にバックアップしてくれているお陰もあってか、本(羊皮紙ではなく繊維紙の方に印刷して製本したタイプの本)も大分値下がりしてきてはいるのだが、それでもまだまだ値段は高く、庶民がおいそれと手を出せる代物ではなかったのだが、クランクの教育方針なのかお小遣いとは別枠で本の購入費も与えられているらしく、月に数冊程度なら買い与えられているらしい。
無論、これまで買った本も全て読み終わった訳でもななかったのだが、読まなくなった本などは中古品としてお店に買い取ってもらったりもしていたので、そこまで山積みになっているというわけでもなかったのだが……。
「目ぼしい本は入ったらすぐにチェックして、見つけ次第“確保”しといてあげないと、あっという間に売れて居なくなっちゃうんだから」
そうまるで本のことを生き物のように例えて握り拳を作って力説するジェシカに苦笑を返して二人して『本屋』とかいう場所に向かったのであるが……。
「……随分と場違いに感じますね」
「そう?」
「はい」
最低でも大銀貨数枚からという値段設定にも色々と言いたいことはあったが、何よりも場所が問題であったのかもしれない。西区の東にある壁の側……。西区と中央区を区切る第二城壁の西門にほど近い場所にある、入り口に二人組みの武装した全身鎧に槍姿な警備兵が立っているような、随分とご立派な壁に囲まれた大きな屋敷。そこがジェシカの言う『本屋』であるらしかったのだ。
「このお屋敷の中に本棚が並んでいて、そこに売り物である“本”が大量に陳列されてるという訳ですか」
当初は中央区に住む上流階級および西区の富裕層向けの会員制な図書館として、この場所で本を読むためだけの場所だったらしいのだが、最近ではウェストエンドからの大量流入のお陰もあってか希少価値もだんだんと減ってきていたし、それに伴って仕入れ値の方もずいぶんと下がってきていた。そんな事情もあって、本を読ませるだけでなく売る事も始めたらしかった。……無論、本当の意味での希少本は未だに閲覧のみの扱いにされていたし、そういった本の中には未だに申請が必要な物も数多く存在していたのだが……。
「入館料……」
「知識と知恵は無料にあらずってことよ。先人達が残してくれた偉大な遺産への感謝を、こうしてお布施として払っているんだと思えってね」
パパの受け売りだけど、と舌を出しながらではあったが、手早く入場料を払うとクロスの手を引いて中に入っていく。入り口でクロスの事を見た警備兵が若干何か言いたげな様子を見せて槍をゆらゆらと、まるで判断に迷ってためらっているかのようにして動かしていたのだが、ジェシカが何か文句あるかといった強い視線で黙らせたお陰でもあったのだろう、ここに入る事を咎められる事はなかった。
「ほんと、つまんない人達よね」
入場料だってちゃんと払ってるのに。亜人だからって止めたりしようとしたりして、アイツら、何考えて生きているのかしら。そう憤懣やるかたない様子でブツブツ口にしているジェシカの言葉に苦笑を返しながらも、二人はてくてくと足を進めて本棚の奥へと進んでいきながら、いつしか新刊をまとめて展示してあるらしき区画に辿り着いていた。そこには自分達以外にも数人の男女がおもいおもいの場所で新刊の内容をチェックしているらしかった。
「私は適当に新しいのチェックしてるから、そっちは適当に本でも読んで時間潰してて」
「分かりました」
そうは答えたがクロスの仕事は(形だけとはいえ)あくまでも護衛がメイン。ろくに種類分けすらされていない無数の蔵書が収められている本棚の本を一冊ずつ順番にチェックしていくジェシカの背後で気配を消すようにして待機しながら、適当に手に持った本を斜め読みしているのだが、大して興味を持たずに本を読んでいるというのも些か芸がないと判断したのかもしれない。熱心にペラリ、ペラリと本のページをめくっているジェシカの背後から、そっと本の中身を覗きこんで見ていたのだが……。
「それは……。お菓子のレシピ集ですか?」
「……そうだけど、変?」
ジェシカが甘いもの大好きな女の子であることはよく知っているし、色々と自分と味の好みなどは違っていても、なかなか満足できるお店が見つからないで困っているらしいことはクロスにも分かっていたのだ。そうなれば当然、次のステップは『自作に挑戦』であることはちょっと考えてみれば分かる程度の話でしかなかったのだろう。
「お菓子作り、するんですか?」
「別に、こういうの作ってみたいなーって思ってた訳じゃないわよ?」
一応、釘さしとくケド。そう言いたげに。
「前からやってたのよ。クッキーとかマドレーヌとか、簡単なお菓子とか作ったりするのは。……ママに教えてもらってたから。パパも私のお菓子美味しいって言ってくれてたし」
ぺらぺらとページをめくりながら。
「最近はちょっと自粛してたんだけどね。でも、やっぱり私、好きみたい。お菓子作るの」
チラッと横を向いて。
「……次の時には、私が作ったクッキー、食べさせてあげる」
それは、遠まわしではあったが、この仕事から手を引かないで欲しいという“お願い”であり、それを別の形……。ジェシカの作ったお菓子を片手に、来週も一緒に出かけようというお誘いであり、約束でもあったのかもしれない。
その言葉の裏の意味を強気にとるなら『逃がさないんだから』。弱気にとるなら『頼むから、逃げないで』といった所か。そう言いたげな何処か弱気が垣間見えるのはクロスの体調次第な所が大きかったからなのだろう。
そう言いたげに、瞳の光をちょっとだけ揺らめかせたジェシカに『大丈夫、分かっていますよ』とでも言いたげに微笑みながらクロスは答えていた。
「それは嬉しいですね」
その言葉の意味としては、来週もお願いします、であり。
「マドレーヌは、その次ね」
「そっちも楽しみにしていますよ」
少なくとも当分はこの仕事から手を引くつもりはないという宣言だった。
「……体調の方大丈夫なの?」
「ええ。問題ないですよ」
そう『もう大丈夫ですから』と太鼓判を押してみせて。
「甘いもの、好きなの?」
「そうですね……。たぶん、かなり好きな方だと思います」
甘味物は疲労回復効果も高いせいか、割に治療のお礼がてらに差し入れられる品としてはありふれていたのだろうし、一般的でもあったのかもしれない。
「……所で、なんで自粛してたんです?」
「え?」
「いえ、相当お菓子作りが好きなように感じたのですが、先程の自粛していたと仰っていたのがちょっと気になりまして……」
そんな何故控えていたのかと尋ねるクロスに視線を合わせずに苦笑して。
「パパがね」
「はい」
「私のお菓子食べると、死んじゃったママのこと思い出しちゃうからって」
私のお菓子のレシピって、ママ直伝だから。
「別に、パパからは作るなとは言われてないんだけどね。でも……。作っても、食べてくれないから。……だから、作らない方が良いのかなって。……そう、思ってたの」
その声は、平坦であって。それだけに感情の波を感じさせない、押し殺した気持ちを表現しているようで。
「食べて欲しい人に食べて貰えない物なんて、作ってもしょうがないじゃない。……だから、作ってなかったのよ」
そんなジェシカの言葉にクロスは自分がどうしようもない程に大きなミスを犯した事を察しざるえなかった。
「……無神経な事を口にしてしまったようです」
「良いのよ。知らなかったんだし。……ただ、パパの前でママの話だけはしないでね」
そう口にするジェシカの口元には苦笑だけが浮かんでいたのだった。