3-10.隣室の出来事
たまたま街で見つけた知り合いが、突然具合を悪くしてうずくまったらなら? そんなとき、普通はどうするだろうか。よほど険悪な仲でない場合には、やはり駆け寄ったりして「大丈夫か?」程度には声をかけたりするのが普通なのではないだろうか。ましてや、その知り合いが胸を抑えて苦しそうにしていたかと思ったら、いきなり血を吐いたりしたら尚更だった。
「いや~、驚いたなぁ」
そう「ほれ」とばかりに目の前に置かれたお茶を手にため息を付いた男に、目の前の老人は面白くもなさそうに答えていた。
「そりゃ驚いただろうよ。目の前でいきなり吐血なんぞされたら」
ワシも聞いた時にはびっくりしたわいとばかりに面白くもなさそうな顔でズズズと茶をすする。そんな老人はエドと呼ばれている男であり、そんなエドと同じテーブルに座ってお茶を飲んでいる男はアーノルドといった。
「……で? どういう事かそろそろ教えてくれんか?」
そう水を向けられたアーノルドであったが、その言葉に返されたのは苦笑だけだった。
「どうもこうも単なる偶然の結果さ。さっき一緒に来たお嬢ちゃんが居ただろ? あの子に、ここに運んでくれって。自分の主治医が一番腕がいいからって、ここに連れて行ってくれって頼まれただけなんだ」
ここに連れてくるまでクロスの主治医の医院だということすら三人とも知らなかったのだと、そう肩をすくめて見せていた。
「随分と信頼されてたようだが……。あの子もエドさんの患者だったんだな」
目の前で血を吐いて倒れた友達を自分の主治医の所にまで連れて行ってくれと頼むのは分からないでもなかったが、この大きな街で西区に住んでいる少女が東区にある医院に通っているというのは少々奇異に感じたのかもしれない。
「何かのっぴきならない“事情”ってヤツがある。そういう理解でいいんだよな?」
薄っすらと笑って、これ以上は変に追求したり嗅ぎまわったりしないから、その程度は教えてくれよとばかりに。そんなアーノルドにエドはやれやれといった風に答えていた。
「まあ、否定はできんかもしれんなぁ」
そうひどく曖昧に茶を濁して。これ以上は殺されても答えんがな。そう言いたげにニンマリと不敵に笑う老人に、アーノルドも思わず「このクソジジイ」とばかりにニタリと笑ってみせたのだが……。まあ、この程度のやりとりは予定調和な話ではあったのだろう。
「まあ、そんな訳なんで、色々裏とか事情もか思惑とか盛り沢山にありそうに見えるだろうが、全ては単なる偶然の結果ってヤツなんでな。だから、あんまり難しい事は考えないで、あとは気にせずに無理しかしない馬鹿の面倒を見てやってくれ」
そう言い放つと「茶うまかったよ」と言い残して立ち上がって……。
「あ。そうそう。さっき嬢ちゃんからコレ渡しといてくれって頼まれたんだった」
そう懐から取り出したのは依頼主のサインの入った依頼用紙だった。
「……途中でギブアップしても依頼完了なのかね」
「そこは聞くだけ野暮ってヤツだろうな」
果たしてあの子はどこまで本当のことを分かってやっているのかまでは分からんが。そう内心でつぶやきながら。
「まあ、そういう訳なんでな。奥の部屋で目を回してる馬鹿が目を覚ましたら、護衛対象だったお嬢さんが『このまま居なくなったらコロス』って泣きそうな顔して凄んでたぞって伝えといてやってくれ。それで多分意味も分かるだろうからな」
いくらお嬢さんから銀貨を数枚握らされた上で頼まれたといっても、仮にも護衛の仕事を受けた人物が仕事中に血を吐いて倒れた上に、町中にお嬢さん放り出してリタイアしましたとは流石に言えなかったのだろう。そのことを二人で共謀して隠した上で、途中でどうしても入れ替わらなければならない特殊な事情があって、お嬢さんにも了解を貰った上で交代させてもらった等と適当な言葉で誤魔化しながら、アーノルドは途中からクロスの仕事を引き継いだといった形を作ってまでして、今日の依頼も無事に完了したという扱いになるように色々とお手伝いをしていたのだ。
それに、倒れたクロスを背負って横で泣きそうな顔してぎゃーぎゃー騒いでるお邪魔虫二匹(クロウとジェシカの大騒音コンビだ)を引き連れて遠路はるばる西区から東区まで町中を走る羽目になったし、そのあとはクロスが無事に仕事を終わらせたという形を無理やり作る手伝いをさせられて、西区に戻ってジェシカと一緒にクランク相手に嘘八百の熱弁を振るう羽目になったし、その後はクロスの側から離れようとしないクロウを横目にエルクに連絡をとって時間が空き次第、エドのところに来るように頼んで来てもいた。ちなみに、こっちの方もお嬢さんから出来るだけ秘密にしておいて欲しいと頼まれていた事もあって、ひどく曖昧な伝言の仕方であって、昔からの知り合いといコネを使って無理やり忙しい司祭を夜の時間帯に(司祭が一番忙しい時間帯に)呼び出したというのが正しい所だったのだろう。
「……やれやれ。もう歳かね。良い加減疲れたよ」
そうコキコキと首を鳴らすアーノルドにエドも苦笑を浮かべていた。
「今日のお前さんは、八面六臂の大活躍じゃったからのぅ」
そう「これも飲んでいくと良い」とばかりにお茶の追加を差し出す。その湯のみに入っているお茶は先程の物とは明らかに香りや色が違っていた。
「そいつは薬草茶ってヤツか?」
「うむ。疲労回復効果が特別に高い配合だ」
「さっきのと違うってことは、もしかしてとっておきってヤツかい?」
「まあ、安くはないな。そういうわけだから、せっかくだから飲んでいくといい」
高いと聞いては無駄にする訳にもいかなかったのだろう。受け取って口に運ぶと強い臭いと渋みが口の中に広がったが、そのあとにじんわりと口の中に広がるいかにも薬っぽい味を感じたせいもあったのだろう。「確かに効きそうな味だ」と嫌そうな顔でしかめっ面を作ったアーノルドにエドも「良薬は口に苦いのが定番だ」とばかりに苦笑を浮かべていたのだが。
「ここまでしてくれなくても良かったのに」
「なに。ワシの患者のために頑張ってくれたお前さんへのプレゼントだ」
そう答えてパイプに葉っぱを詰めて。
「……ところで、ワシの方からも一つ聞いていいかね?」
熱くて臭くて苦くて高い薬湯をフーフー言いながら飲んでるアーノルドの方に吐いた煙が飛ばないように横を向いて、時々視線だけ向けながら(エドは診察中にもよくこのポーズをとる)、微妙に視線を合わせないで問いかける。
「なんだい?」
「お前さんら、西区に何をしに行ってたんだ?」
単なる偶然というには少々離れすぎてる気がするんだが。そんな問いにアーノルドも苦笑を浮かべていた。
「何って……。お仕事に決まってるだろ?」
「何かの調査でも請けたかね?」
「気になるのかい?」
たしかに東区を根城にしてる冒険者が特に用もなくダンジョンとかもない西区くんだりまで足を伸ばすのはちょっとおかしいよなぁ? だから、俺たちが西区で何をしていたのかが、そんなに気になるかい? もしかしてクランク商会のお嬢さんのことを探っていたとでも思ったか? そんな色んな意味のこもった問いだった。
「ああ。気になる」
「えらく素直だな」
「主治医としては、どうしても、な?」
コンとパイプの灰を落として。
「患者の周囲を変にうろつき回られるのは、ちょっと、な……。わかるじゃろ?」
いい迷惑、治療の邪魔だ。そう言いたげなエドにアーノルドも苦笑を浮かべていた。
「らしくねぇなぁ。爺さん」
「そーかね?」
「ああ。……患者のためだからって、そんなに殺気立つなよ」
「お前さんがろくでも無い真似をするつもりなんじゃないかと思って気が気でなくてなぁ」
そんな面白くも無さそうな顔をした老人にアーノルドは笑って答えていた。
「それじゃあ、そろそろ、こっちも本題に入ろうかなーっと思うんだが、良いかい?」
「どーせ、そんなことじゃろうと思ったわい!」
「まあまあ。そう言わないでくれよ」
こっちも仕事なんだ。それに半分は本当に偶然だったんだから。そう言い訳がましく言いながら。懐から紐で縛られた一枚の羊皮紙を取り出して開いてみせる。
「この表の意味は分かるよな?」
「……まあ、見れば、な。それくらいは、わからんでもない、な?」
「ま。そりゃそーだわな」
チラリと一瞥しただけで分かるほどには見覚えもある紙だったらしい。
「聞いてんだろ?」
今、王都の“夜”で何が起きてるのか。
「まあ、さわり程度には、な」
無関係のつもりであっても、間接的に関わっているとみなされる立場であるために。だからこそ、近いうちに調べられると聞いてたのだろう。
「ま、“例の認可”を受けてる薬師は全員調べられるってのが、こういう時の常なモンでな。気分は悪いと思うが、これも規則らしいんでね。……勘弁してくれ」
そう前置きして。コホンと喉の調子を確かめて。
「……分かりきった事しか聞けねぇんで、いちいち細かいことは言わねぇよ。最近は、何処に耳があるか分かったもんじゃないしな」
すぐ隣の部屋に無関係な人物も居ることだし。そう言いたげに、ズズズとぬるくなってきた薬湯をまずそうにすすりながら。
「アンタは真っ当にアレを右から左へ動かしてるだけだと信じてるんだがな?」
「天地神明に誓って、横流しなんぞしてはおらんよ」
「ああ、分かってる。こっちも、アンタのことは疑ってない」
ツッと指を上から下へと走らせて。
「この中に、なにか心当たりはないか?」
「……ないのぉ」
「西区のあたりで数件摘発があったんだ」
じっと、互いに何の感情も浮かべてない視線を交差させて。
「だから、かね?」
「まあ、一応、な?」
因果な商売だな。全くだ。そんな両者の苦笑が交差して。
「ワシには一切覚えがない。……医療の神、サリエルに誓うぞ」
「そんな御大層な代物に誓われた日には疑う事すら不敬ってことになりそうだ」
それは地上の民に医療の技を授けたとされる神であり、治療魔法を人間たちに授けたとされる存在であった。仮にも一級薬剤師資格を持つような医師に、その道の神に誓われた日には疑うことすらはばかれるということでもあったのだろう。
「なあ、エドさんよ」
「なんだね」
「こうして毎回、問題になったり騒ぎになったりするたびに思うんだがよ……」
「ここまで揉めるのなら捨ててしまえばいいのに、かね?」
「まあ、な」
技術と素材の両方を捨ててしまえば、ごくごく限られた一部の者たちしか製法を知らない技術はあっという間に廃れて消えてしまうはずだった。……しかし、その製法と原料は数百年にも渡って延々と受け継がれてきたのである。人々の歴史の負の遺産の代表格として。
「それでも、だ。アレを必要とする者は、いつの時代も一定数は必ず存在するのだからな」
それは必然であり、運命であり、せめてもの救いでもあるのだと。そうエドは口にしていた。その口調はひどく穏やかで。それだけに有無を言わせない意志力に満ちていた。
「それが例え毒と分かっていても、それを必要とするヤツが居るのならってヤツか?」
「例え、それが毒にしかならん代物であってもだ。……それでしか救えない者は居るのだと思うぞ。……それが正しいかどうかなんぞ、誰にも分からんのだがな」
ワシらにとっては毒でしかなくても。
そういった者達にとっては唯一の救い足りえるのだと。
……まっとうな者には、きっとわからなくとも。
「俺なんかは凡人だからかね……? そんなわけのわかんねぇ薄っぺらいメリットなんかよりも、いろいろとデメリットの方がでかすぎるから、さっさと捨てちまえよとしか思わないんだけどなぁ……」
そうため息をつきながら。手の中のコップの中身、すっかりぬるくなった薬湯を飲み干して。もう用は済んだとばかりに立ち上がるとエドに背を向けて。「オラ、お嬢が起きる前に帰るぞ」とばかりに嫌がる相棒の襟を掴んで無理やり引っぺがすと医院から出て行こうとする。
「たとえ、そうであっても……さ」
「……あっても?」
「それでも、だ。千や万の不都合があろうとも、ワシ等はたった一つの“願い”のために、今後も続けていくんじゃろうよ」
「そして、事あるごとに俺たちみたいなのに迷惑がかかるって訳か?」
「フン。それが仕事、なんじゃろ?」
「……かっかっか。違いない、なぁ?」
ああ、めんどうくせぇと嫌そうな表情を隠しもせずに。
「なあ。願いって何なんだ?」
キョトンとした表情を浮かべた相手に向かって重ねるようにしながら。
「さっきなんかどさくさ紛れに言ってただろ? アレは“救い”なんだって」
そんな言葉に合点がいったとばかりに小さく笑って。
「ああ。希望じゃよ」
だからこそ自分達は作り続けることが出来るのだから……。
あるいは、そういった意味だったのかもしれない。